幽霊、笑った

hiro75

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「あたし、昨日、嬉しくて、嬉しくて眠れなかったの。寝ようと、寝ようと思うんだけど、若様の顔が浮かんで、頭がぼうっとして、熱っぽくって、全然眠れなかったの。だから、どうせ眠れないのなら、若様と一緒になっているところを考えようと思って」

 いろいろ想像したらしい。

 どんな長屋に住んで、どんな生活道具をそろえて、朝餉は何を作って、弁当にはあれをもたせて、夕餉はあれとあれを煮込んで、子どもは何人いて………………

 幸せな家族………………

 そこまできて、おつたはあることに気がついた。

 ―― 家族………………

   そうだ、家族なんだ!

   あたしたちは家族を作る!

   でも、家族を壊している………………

「どういうことだい、それは?」

「若様は侍を捨てて、あたしと一緒になる。あたしは幸せです。でも、若様のおとっつぁんやおっかさんは、どうなんだろうって考えたんです。だって、自分の息子が家を出て行くんですよ。おとっつぁんやおっかさんは、寂しくないだろうかって? 親を悲しませて、あたしだけが幸せになっていいのかって?」

 それを思うと、心が苦しくなったと、おつたは言った。

「あたし、若様のおとっつぁんやおっかさんを悲しませたくない。だって、だって……」

 おつたの言葉は嗚咽に消えた。

「分かってる、分かってるよ」

 おみねは、涙に震える背中を優しく摩った。

 おつたの家は、名主の田畑を借りて米を作っている小作人だったと、おみねは聞いている。

 彼女には、六歳違いの兄がいた。

 この兄が、婚礼間近な名主の娘と駆け落ちした。

 捜し回ったが見つからなかった。

 父は田畑を取り上げられ、一家は親類預かりにされた。

 親類だからいいのかというと、そうでもない。

 むしろ、他の村人よりも厳しい。

「お前の息子は、一族に迷惑をかけた」とか、「あんな息子を育てたお前が悪い」とか、風当たりが強い。

 殆ど村八分状態で、父は失意のうちに亡くなり、母もおつたを残して父の跡を追ったという。

 おつたは、両親への思慕の情が深い。

 息子が出て行った父と母が、どれほど悲惨な目に遭い、どれほど悲嘆に暮れたか……………彼女は、それを知っている。

 だから、若様の父と母から、若様を取り上げるようなことはできないのだ。

「だって、若様のおとっつぁんやおっかさんなら、あたしのおとっつぁんやおっかさんになる人なのよ。そのおとっつぁんやおっかさんを悲しませるようなことになるなんて、あたし、耐えられないもの」

 おつたは涙に喘いだ。

 おみねは愕然とした。

 そうだ、それは自分が一番良く分かっていたはずだ。

 家を飛び出し、男と駆け落ちしたおみね自身が一番良く分かっていたはずだ。

 親の幸せを考えず、自分の幸せだけを願って飛び出した。

 もちろん、山女衒に売られるという親の裏切りにも近い行為があった。

 だが、それだって、「このままだとみんなが食べていけなくなる。おらたちはいいが、子どもたちまでも飢え死にさせることになる。それよりは、まだ腹いっぱい食べられる遊女のほうがいいだろう」という親の気持ちがあったからではないか?

 ―― そうだよ、なのにあたしは飛び出して………………

    後悔だって、もう何度もしてきたのに、あたしは全然分かっちゃいなかったんだよ。

    清太郎に出会えたことで、舞い上がっちまってたんだよ。

    清太郎の幸せだけを考えて、あの子の育ての親のことや、おつたのことを全然考えてなかったんだよ。

 それをおつたが教えてくれた。

 十八の娘が教えてくれたのである。

 おみねは、長く辛い人生を歩んできたつもりだったが、何も分かっていなかった自分を恥じた。
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