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「変な病じゃないだろうね」とおみねは、頬を膨らますおつたを心配した。
「何があったんだい、言ってごらん。この『鶴久屋』では、隠し事はなしだよ」
「だって、お上さん、若様がね……」
「ほら、やっぱり若様のことじゃないかい」
おつたの話を、おけいが遮った。
「うるさいわね、あたしの話ができないでしょう。おちゃらかさないでよ」
「あんたが、おちゃらかしてんでしょう」
二人は口喧嘩を始めた。
それを、お糸は、「またか」といった顔で眺め、おみつは瞳を潤ませておろおろと二人の顔を見ている。
「喧嘩はお止め、あんたたちはいつもそうだよ」とおみねは二人を諫め、優しい口調で言った、「おけいちゃんは、その可愛らしい唇を少しばかり閉じといてくれないかね」
おけいは、勝気そうな顔をつんと横に向けた。
「で、若様がどうしたんだい」
「若様が……」
若様とは、一年程前から月に一度、一人でふらりとやってくる二本差しのお客である。
侍なら、大抵家紋の入った羽織を着ているのだが、彼は家紋の入っていない勝色の亀甲小紋を羽織っていた。
本人は、「貧乏旗本の次男坊です」と笑っているが、のっぺりとした顔立ちとおっとりとした振る舞いが、「何処かの名の知れた若殿様ではないか」、「家紋のない羽織を纏うのは、名を知られたくない大大名の若殿様だからでは」と女中たちの噂であった。
おつたは、そんな若様のお気に入りだった。
その若様が……、
「昨日お出ましになったでしょう。それでね、あたしがお酒と烏賊の煮付けの鉢物を持っていって給仕してると、おつたは、幽霊を見たことがあるかって、突然そんなこと訊くんですよ」
と、おつたはおかしそうに言った。
「なによそれ、笑い話じゃなくて、怖い話じゃない」
おけいが、また横槍を入れた。
根は優しいのだが、少々口数が多い子だ。
おみねは、唇に人差し指を当てた。
「そりゃ、あたしだって初めは気味悪い話だって思ったわ。だからあたし、そんな気味悪い話、しないでくださいよって言ったのよ。そしたら若様、ごめん、ごめんとおっしゃって……」
でも、私は子どものころに見たんだよ、薄暗い部屋の中で、ぼうっと浮かび上がる真っ白な幽霊に、と言ったらしい。
「何があったんだい、言ってごらん。この『鶴久屋』では、隠し事はなしだよ」
「だって、お上さん、若様がね……」
「ほら、やっぱり若様のことじゃないかい」
おつたの話を、おけいが遮った。
「うるさいわね、あたしの話ができないでしょう。おちゃらかさないでよ」
「あんたが、おちゃらかしてんでしょう」
二人は口喧嘩を始めた。
それを、お糸は、「またか」といった顔で眺め、おみつは瞳を潤ませておろおろと二人の顔を見ている。
「喧嘩はお止め、あんたたちはいつもそうだよ」とおみねは二人を諫め、優しい口調で言った、「おけいちゃんは、その可愛らしい唇を少しばかり閉じといてくれないかね」
おけいは、勝気そうな顔をつんと横に向けた。
「で、若様がどうしたんだい」
「若様が……」
若様とは、一年程前から月に一度、一人でふらりとやってくる二本差しのお客である。
侍なら、大抵家紋の入った羽織を着ているのだが、彼は家紋の入っていない勝色の亀甲小紋を羽織っていた。
本人は、「貧乏旗本の次男坊です」と笑っているが、のっぺりとした顔立ちとおっとりとした振る舞いが、「何処かの名の知れた若殿様ではないか」、「家紋のない羽織を纏うのは、名を知られたくない大大名の若殿様だからでは」と女中たちの噂であった。
おつたは、そんな若様のお気に入りだった。
その若様が……、
「昨日お出ましになったでしょう。それでね、あたしがお酒と烏賊の煮付けの鉢物を持っていって給仕してると、おつたは、幽霊を見たことがあるかって、突然そんなこと訊くんですよ」
と、おつたはおかしそうに言った。
「なによそれ、笑い話じゃなくて、怖い話じゃない」
おけいが、また横槍を入れた。
根は優しいのだが、少々口数が多い子だ。
おみねは、唇に人差し指を当てた。
「そりゃ、あたしだって初めは気味悪い話だって思ったわ。だからあたし、そんな気味悪い話、しないでくださいよって言ったのよ。そしたら若様、ごめん、ごめんとおっしゃって……」
でも、私は子どものころに見たんだよ、薄暗い部屋の中で、ぼうっと浮かび上がる真っ白な幽霊に、と言ったらしい。
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