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第五章「生命燃えて」 後編
第43話
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斑鳩寺襲撃の日取りが決まった。
四月の終わりである。
部隊は、大伴御行を将軍として、寺に詳しいだろうという理由だけで安麻呂も参加することになった。
直接の行動は、大国の部隊が受け持つ ―― その中に、黒麻呂の姿もあった。
黒麻呂は、襲撃前に一度八重女と会わせてくれと願い出た。
無理な願い出とは分かっていたが、どうしても顔を見ずにはおられなかった。
意外にも、あっさりと許可が出た。
が、行動当日の、ほんのひと時だ。
それでも、八重女に会えるという嬉しさに、黒麻呂は飛び上がりそうだった。
当日、黒麻呂は静まり返った屋敷の庭にいた。
扉は開いている。
見張りは、気を利かして見ぬふりだ。
階の前まで近づき、久しぶりに女の名を呼んだ。
「黒麻呂?」
出てきた八重女は、ひどく驚いた顔をしていた。
「八重女!」
黒麻呂は女に駆け寄り、抱き寄せようとした。
が、女がそれを止め、怒ったような口調で尋ねてきた。
「いままで、どうしていたのです?」
「いや、近江でな……」
詳しいことは言えない、黒麻呂は誤魔化した。
「そんなことよりも、ええ知らせや」
「良い知らせ?」
「そや、俺ら、一緒になれるで」
八重女は首を傾げる。
「せやから、明日から一緒に暮らせるんや」
「そ、それって、どういうこと?」
「大伴のお偉いさんから、お前と一緒になってええって許しを貰えたんや」
「ほ、本当に?」
八重女は、信じられないような顔をしている。
「ほんまや、御行様っちゅう人が、俺の目の前でそう断言してくれたんや」
「あの御行様が?」
優しい安麻呂なら分かるが、頑固者で、策略好きな御行が、そんなことを言うものだろうか?
「ああ、ほんまや」
「でも、なぜ?」
「ああ、斑鳩寺を攻めに行くから、俺が案内しろと、そしたら、八重女とのこと認めてやるって」
黒麻呂は嬉しさのあまり、斑鳩寺襲撃のことを、ぽろっと話してしまった。
「えっ……、いま、なんて? 斑鳩寺を攻める?」
「あっ……、いや、これは……」
「黒麻呂、お寺を攻めるなんて、本当なの? 黒麻呂!」
八重女は、黒麻呂に詰め寄る。
「いや、その……」
「どうして、どうしてそんなことするの?」
「どうしてって……」
黒麻呂に、そんなことを聞かれても分からない。
彼はただ、上に言われて動くいち兵士なのだから。
「しゃあないやん、やれって言われたんやから。そやけど、それやったら、お前と一緒に暮らせるんやで」
「そ、そんな……」
「八重女、大丈夫や、俺が絶対に幸せにしたる、なあ……」
男は女を引き寄せ、抱きしめようとした。
が、女は男を突き飛ばし、部屋の奥へと入っていく。
「八重女!」、男も慌てて部屋に入ってくる。
「黒麻呂、あそこには、あなたの家族や、お世話になった人がいるのよ、それなのに攻めるなんて……」
「大丈夫や、火を付けるのは寺だけやから。奴婢長屋とかは襲撃はせん。これは、単なる脅しや」
「火を付ける……、お寺に火を付けるの?」
「あっ、ああ……」
「塔にも?」
黒麻呂は、正直に頷く。
「そんな……」
「大丈夫、夜にはお寺は誰もおらんことなるし、誰も怪我せん」
「違うの! 塔にはいま、弟成がいるの! 夜も、ずっとあそこに籠って仏像を彫っているの!」
弟成と聞いて、黒麻呂は一瞬誰のことかと考えた。
「弟成……? 弟成! ま、まさか? いや、あいつは死んだんやで」
八重女は首を振る。
「いるの、帰ってきたの」
事の詳細を黒麻呂に語ってきかせる。
それを聞いた黒麻呂は、しばし放心状態だ。
「ま、まさか……、そんなこと……、弟成が……」
「だから、お寺を攻めるなんて止めて!」
「そやけど、それは……」
黒麻呂に止める力などない。
「それだったら、弟成に知らせないと」
八重女は、いまにも飛び出していくような勢いだ。
「八重女! 八重女!」、黒麻呂が慌てて止めた、「もう無理や、いまさら止めることなんてできへん。弟成には申し訳ないけど……、無事であることを祈るしかない」
「そんな酷いこと、よくも!」
八重女は、黒麻呂をぎっと睨みつける。
初めて見る女の形相に、黒麻呂はぎょっとなった。
と、同時に、それほど弟成に拘る女に、正直いらっとした。
「八重女、なんでそんなに弟成に拘るんや! お前、弟成のことが好きなんけ?」
八重女は、はっとした顔をしたあと、寝台へと崩れ落ちた。
「ほ、ほんまけ? ほんまに、お前……」
「ごめんさい、黒麻呂、私……」
「嘘やろ? 嘘やろ? せやかて、お前、俺と……、嘘やろ……」
ずっと好きだった女が、体を重ねた女が、他の男のことを好きだった。
自分の最も親しい、無二の友のことが好きだった。
そして、自分との将来を捨て、その男のことを助けようとしている。
―― 裏切りだ!
これは裏切りだ!
俺は裏切られたのだ、女に!
そして、親友に!
家族を捨て、むかしの仲間を危険な目に合わせる覚悟をして、女との道を選んだ。
そんな男の覚悟を、女は、親友は、無残にも踏みにじったのだ。
「くそが!」、男は叫んだ、「弟成のやつが! 弟成のやつが!」
黒麻呂の怒りは、八重女ではなく、弟成に向けられていた。
「生きてやがって! 帰って来やがって!」、男は飛び出していく、「殺してやる! あの野郎、殺してやる!」
「黒麻呂、待って!」
八重女は、慌てて追いかける。
だが、怒りに狂った男は、振り向きもせず行ってしまう。
「八重女は俺の女や! 弟成、待ってろや!」
と、叫びながら。
四月の終わりである。
部隊は、大伴御行を将軍として、寺に詳しいだろうという理由だけで安麻呂も参加することになった。
直接の行動は、大国の部隊が受け持つ ―― その中に、黒麻呂の姿もあった。
黒麻呂は、襲撃前に一度八重女と会わせてくれと願い出た。
無理な願い出とは分かっていたが、どうしても顔を見ずにはおられなかった。
意外にも、あっさりと許可が出た。
が、行動当日の、ほんのひと時だ。
それでも、八重女に会えるという嬉しさに、黒麻呂は飛び上がりそうだった。
当日、黒麻呂は静まり返った屋敷の庭にいた。
扉は開いている。
見張りは、気を利かして見ぬふりだ。
階の前まで近づき、久しぶりに女の名を呼んだ。
「黒麻呂?」
出てきた八重女は、ひどく驚いた顔をしていた。
「八重女!」
黒麻呂は女に駆け寄り、抱き寄せようとした。
が、女がそれを止め、怒ったような口調で尋ねてきた。
「いままで、どうしていたのです?」
「いや、近江でな……」
詳しいことは言えない、黒麻呂は誤魔化した。
「そんなことよりも、ええ知らせや」
「良い知らせ?」
「そや、俺ら、一緒になれるで」
八重女は首を傾げる。
「せやから、明日から一緒に暮らせるんや」
「そ、それって、どういうこと?」
「大伴のお偉いさんから、お前と一緒になってええって許しを貰えたんや」
「ほ、本当に?」
八重女は、信じられないような顔をしている。
「ほんまや、御行様っちゅう人が、俺の目の前でそう断言してくれたんや」
「あの御行様が?」
優しい安麻呂なら分かるが、頑固者で、策略好きな御行が、そんなことを言うものだろうか?
「ああ、ほんまや」
「でも、なぜ?」
「ああ、斑鳩寺を攻めに行くから、俺が案内しろと、そしたら、八重女とのこと認めてやるって」
黒麻呂は嬉しさのあまり、斑鳩寺襲撃のことを、ぽろっと話してしまった。
「えっ……、いま、なんて? 斑鳩寺を攻める?」
「あっ……、いや、これは……」
「黒麻呂、お寺を攻めるなんて、本当なの? 黒麻呂!」
八重女は、黒麻呂に詰め寄る。
「いや、その……」
「どうして、どうしてそんなことするの?」
「どうしてって……」
黒麻呂に、そんなことを聞かれても分からない。
彼はただ、上に言われて動くいち兵士なのだから。
「しゃあないやん、やれって言われたんやから。そやけど、それやったら、お前と一緒に暮らせるんやで」
「そ、そんな……」
「八重女、大丈夫や、俺が絶対に幸せにしたる、なあ……」
男は女を引き寄せ、抱きしめようとした。
が、女は男を突き飛ばし、部屋の奥へと入っていく。
「八重女!」、男も慌てて部屋に入ってくる。
「黒麻呂、あそこには、あなたの家族や、お世話になった人がいるのよ、それなのに攻めるなんて……」
「大丈夫や、火を付けるのは寺だけやから。奴婢長屋とかは襲撃はせん。これは、単なる脅しや」
「火を付ける……、お寺に火を付けるの?」
「あっ、ああ……」
「塔にも?」
黒麻呂は、正直に頷く。
「そんな……」
「大丈夫、夜にはお寺は誰もおらんことなるし、誰も怪我せん」
「違うの! 塔にはいま、弟成がいるの! 夜も、ずっとあそこに籠って仏像を彫っているの!」
弟成と聞いて、黒麻呂は一瞬誰のことかと考えた。
「弟成……? 弟成! ま、まさか? いや、あいつは死んだんやで」
八重女は首を振る。
「いるの、帰ってきたの」
事の詳細を黒麻呂に語ってきかせる。
それを聞いた黒麻呂は、しばし放心状態だ。
「ま、まさか……、そんなこと……、弟成が……」
「だから、お寺を攻めるなんて止めて!」
「そやけど、それは……」
黒麻呂に止める力などない。
「それだったら、弟成に知らせないと」
八重女は、いまにも飛び出していくような勢いだ。
「八重女! 八重女!」、黒麻呂が慌てて止めた、「もう無理や、いまさら止めることなんてできへん。弟成には申し訳ないけど……、無事であることを祈るしかない」
「そんな酷いこと、よくも!」
八重女は、黒麻呂をぎっと睨みつける。
初めて見る女の形相に、黒麻呂はぎょっとなった。
と、同時に、それほど弟成に拘る女に、正直いらっとした。
「八重女、なんでそんなに弟成に拘るんや! お前、弟成のことが好きなんけ?」
八重女は、はっとした顔をしたあと、寝台へと崩れ落ちた。
「ほ、ほんまけ? ほんまに、お前……」
「ごめんさい、黒麻呂、私……」
「嘘やろ? 嘘やろ? せやかて、お前、俺と……、嘘やろ……」
ずっと好きだった女が、体を重ねた女が、他の男のことを好きだった。
自分の最も親しい、無二の友のことが好きだった。
そして、自分との将来を捨て、その男のことを助けようとしている。
―― 裏切りだ!
これは裏切りだ!
俺は裏切られたのだ、女に!
そして、親友に!
家族を捨て、むかしの仲間を危険な目に合わせる覚悟をして、女との道を選んだ。
そんな男の覚悟を、女は、親友は、無残にも踏みにじったのだ。
「くそが!」、男は叫んだ、「弟成のやつが! 弟成のやつが!」
黒麻呂の怒りは、八重女ではなく、弟成に向けられていた。
「生きてやがって! 帰って来やがって!」、男は飛び出していく、「殺してやる! あの野郎、殺してやる!」
「黒麻呂、待って!」
八重女は、慌てて追いかける。
だが、怒りに狂った男は、振り向きもせず行ってしまう。
「八重女は俺の女や! 弟成、待ってろや!」
と、叫びながら。
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