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第五章「生命燃えて」 中編
第30話
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翌日、八重女の言葉どおり、戸は開け放たれていた。
黒万呂は、高鳴る鼓動を必死で抑えながら、階の下まできた。
昨夜は、見張りが終わった後、いつもなら兵舎に戻りひと眠りするのだが、八重女のことが気になって一睡もできなかった
食事も碌にとらず、早く宿直の番がくるのが待ち遠しくって、他の兵士たちに悟られていないかと気がかりでならなかった。
辺りを見渡し、声をかけた。
「八重女……」
返事がない。
少し大きな声で、
「八重女!」
「黒万呂!」
屋敷の中から女が顔を出した、切なさと喜びが入り混じった表情である。
この瞬間を幾度待ったことか………………
この瞬間をどれほど待ちわびたことか………………
男は階を駆けあがり、女は胸を開いて男を出迎える。
体が重なり合った瞬間、噎せ返るような女の芳香と温もり、そして柔らかい肉の感触に、男は全身がかっと熱くなり、蕩けそうであった。
「ああ……、黒万呂……、黒万呂……、あなたとこんなところで会えるなんて……」
「俺もや、八重女。ずっと待ってたんや、この瞬間を……」
男と女は、それが当たり前のように、互いの弾け飛んだ欲望のままに貪り続けた。
月は凛と涼しく、風は静かに輝き、池の水面は青白く溶けていく。
虫の音色……
衣擦れの音……
女の吐息……
男の躍動……
秋は、夢である、現である、その狭間に、男と女はいる………………
そのあと、男と女は体を寄せ合い、その一瞬の想いの余韻に浸った。
話したいことは山ほどあったのに、言葉がでてこない。
だが、傍にいるだけで、こうやって肌を寄せ合うだけで良かった。
「八重女、名残惜しいけど、俺、もういかんと……」
時が過ぎるのは、早いものである。
遅れれば、先輩が煩い ―― どうせ飲んだくれているだろうが。
「明日は……? 明日は、黒万呂?」
「もちろんや」
最期に熱い接吻を交わし、男と女は別れた。
その日以来、黒万呂と八重女 ―― いまの名前は八重子だが ―― 逢瀬を重ねるようになった。
逢えば、もちろんお互いを求め合う。
激しい欲望のぶつかり合いが終われば、静かな語らいである。
黒万呂は少しずつであるが、八重女がいなくなった後のことを語る。
斑鳩寺での生活、仲間たちのこと、家族のこと、出征のこと、半島での戦、大伴の兵士になったこと、そして敗走………………仲間とともに命からがら逃げかえったこと。
八重女は、黒万呂の話を真剣に聞いている。
斑鳩寺の話は懐かしそうに、戦の話は驚き、悲しそうに………………
「でも、良かったわ、黒万呂が無事に帰ってこれて。そして、こうして再会できて。きっと斑鳩寺の仏様のご加護ね」
「そうやな」
神仏など信じなかった黒万呂だが、今なら信じられると思った。
「それで、弟成は?」
「弟成は……」
この時初めて、弟成のことをすっかりと忘れている自分に気が付いた。
あれ程捜しまわり、必ず見つけ出すと息巻いて、半島行きの機会を待っていたのに、すっかり忘れていた。
「弟成は……」
事情を話すと、八重女から小さな悲鳴のようなものが聞こえた。
黒万呂は、それは幼馴染がいなくなったことへの悲しみと哀悼の念だと思い、特段気にすることもなかった。
「そう、弟成が……」
八重女は、しばらく池の水面に映る月を眺めていた。
鴨だろうか、鳥が一羽飛び立った後、水面は青白く濁った。
「でも良かった」、女は言った、「黒万呂が戻ってきてくれて」
その顔は、出会ったころの少女のそれである。
「八重女……」
黒万呂は、もう一度女を抱きしめる。
この瞬間が永遠に続くがごとく……………
黒万呂は、高鳴る鼓動を必死で抑えながら、階の下まできた。
昨夜は、見張りが終わった後、いつもなら兵舎に戻りひと眠りするのだが、八重女のことが気になって一睡もできなかった
食事も碌にとらず、早く宿直の番がくるのが待ち遠しくって、他の兵士たちに悟られていないかと気がかりでならなかった。
辺りを見渡し、声をかけた。
「八重女……」
返事がない。
少し大きな声で、
「八重女!」
「黒万呂!」
屋敷の中から女が顔を出した、切なさと喜びが入り混じった表情である。
この瞬間を幾度待ったことか………………
この瞬間をどれほど待ちわびたことか………………
男は階を駆けあがり、女は胸を開いて男を出迎える。
体が重なり合った瞬間、噎せ返るような女の芳香と温もり、そして柔らかい肉の感触に、男は全身がかっと熱くなり、蕩けそうであった。
「ああ……、黒万呂……、黒万呂……、あなたとこんなところで会えるなんて……」
「俺もや、八重女。ずっと待ってたんや、この瞬間を……」
男と女は、それが当たり前のように、互いの弾け飛んだ欲望のままに貪り続けた。
月は凛と涼しく、風は静かに輝き、池の水面は青白く溶けていく。
虫の音色……
衣擦れの音……
女の吐息……
男の躍動……
秋は、夢である、現である、その狭間に、男と女はいる………………
そのあと、男と女は体を寄せ合い、その一瞬の想いの余韻に浸った。
話したいことは山ほどあったのに、言葉がでてこない。
だが、傍にいるだけで、こうやって肌を寄せ合うだけで良かった。
「八重女、名残惜しいけど、俺、もういかんと……」
時が過ぎるのは、早いものである。
遅れれば、先輩が煩い ―― どうせ飲んだくれているだろうが。
「明日は……? 明日は、黒万呂?」
「もちろんや」
最期に熱い接吻を交わし、男と女は別れた。
その日以来、黒万呂と八重女 ―― いまの名前は八重子だが ―― 逢瀬を重ねるようになった。
逢えば、もちろんお互いを求め合う。
激しい欲望のぶつかり合いが終われば、静かな語らいである。
黒万呂は少しずつであるが、八重女がいなくなった後のことを語る。
斑鳩寺での生活、仲間たちのこと、家族のこと、出征のこと、半島での戦、大伴の兵士になったこと、そして敗走………………仲間とともに命からがら逃げかえったこと。
八重女は、黒万呂の話を真剣に聞いている。
斑鳩寺の話は懐かしそうに、戦の話は驚き、悲しそうに………………
「でも、良かったわ、黒万呂が無事に帰ってこれて。そして、こうして再会できて。きっと斑鳩寺の仏様のご加護ね」
「そうやな」
神仏など信じなかった黒万呂だが、今なら信じられると思った。
「それで、弟成は?」
「弟成は……」
この時初めて、弟成のことをすっかりと忘れている自分に気が付いた。
あれ程捜しまわり、必ず見つけ出すと息巻いて、半島行きの機会を待っていたのに、すっかり忘れていた。
「弟成は……」
事情を話すと、八重女から小さな悲鳴のようなものが聞こえた。
黒万呂は、それは幼馴染がいなくなったことへの悲しみと哀悼の念だと思い、特段気にすることもなかった。
「そう、弟成が……」
八重女は、しばらく池の水面に映る月を眺めていた。
鴨だろうか、鳥が一羽飛び立った後、水面は青白く濁った。
「でも良かった」、女は言った、「黒万呂が戻ってきてくれて」
その顔は、出会ったころの少女のそれである。
「八重女……」
黒万呂は、もう一度女を抱きしめる。
この瞬間が永遠に続くがごとく……………
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