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第五章「生命燃えて」 中編
第20話
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大伴氏も、洩れなくその部類であった。
大伴氏の兵士となった黒万呂は、唐・新羅から倭国を守るという大義のもと、毎日厳しい訓練に明け暮れた。
古来より、軍事集団として大王家に仕えてきた大伴家である。
現在、宮内での立場は弱いが、それでも依然強大な兵力は持っている。
兵としての誇りもある。
他の氏族が保有する兵士たちとは、日ごろからの鍛錬が違う。
さらに黒万呂が所属する部隊は、大伴氏の中でも精鋭を集め、事あれば真っ先に戦場へと出撃する大伴軍最強と謳われる、大伴朴本大国が将軍を務めるそれである。
訓練も一段と過酷で、他の大伴部隊からやってきた兵士も、根を上げて逃げかえるほどあった。
いきなりそんなところに放り込まれた黒万呂は、初日から痛い目にあい、次の日には全身の肉が突っ張って、体がうまく動かせなかった。
体力には自信があった。
子どもの頃は、椿井の山々を駆け巡ったし、斑鳩寺の厩でも扱き使われた。
白村江の戦いも生き延びた ―― 実施は戦闘らしい戦闘もしておらず、他の兵士に言わせると、あれは遊びのようなものらしい。
奴婢の頃、行進する兵士を見て、あいつらあれで飯食わせてもらってるんやな、楽やな、ええ身分やなぁ~、とは思ったが、といっても、羨ましいとか、兵士になりたいとかは一度も思わず、厩の仕事も辛いとは思わなかったのだが、それがまったく勘違いで、こんなんなら奴婢のほうが良かったわと思ったのだった。
当初は、弟成のことさえ忘れ、斑鳩寺の家族のことさえ思い出さずに、夜になったら只管眠った。
あまりの過酷な訓練に、家族のもとに帰りたいと考えることさえ疲れてしまい、ただ体を休め、頭を空っぽにしたかった。
父や母の顔がちらちらと思い浮かんできたのが、一か月ぐらい経ったころか?
家族のもとに帰りたいとは思わなかったが、父や母、弟たちの顔が不思議と思い浮かび、鍛錬で疲れた火照った体を休めていると、妙に子どもの頃が思い出され、弟成と遊んだことや八重女に出会ったことが酷く懐かしかった。
弟成とは、よく椿井の裏山に登って、遊んだものだ。
―― あいつ、泣き虫やったな………………
姉の雪女が、つきっきりで世話をしたのを覚えている。
彼女の姿が見えなくなると、すぐに泣きべそを掻いていた癖に、そんな彼が白村江では大国に食って掛かった ―― 兄の ―― 三成の敵だという。
―― 馬鹿たれが! 死んだら何もならへんがな!
と、黒万呂は寝返りを打った。
隣では、仲間の兵士が高いびきだ。
大伴の兵士になったとはいえ、生活に大して変化はない。
厩を少し広くしたようなところで、雑魚寝である。
藁葺の屋根から、星の光が漏れる。
―― 馬鹿たれは、俺や!
弟成が死んだなんて………………
再び寝返りを打って、隙間から零れる星を見つめる。
―― あいつが死ぬわけない!
そうや、生きてる、必ず生きてるんだ!
同じ星を、彼も見ているはずである。
そう……、彼とは何度もこうしてきた。
子どものころ、遊び疲れたら大地に寝転がり、同じ空を眺めた。
厩仕事を任されてからは、仕事が終わったあと、こうやって星を眺め、好きな女のことを話した。
百済に向かう船の中では、波の音を聞きながら何事か語らった。
―― そういや、あいつ、俺を僧侶みたいだと言いよったな、自分のほうがよっぽど僧侶みたいやのにな。
黒万呂は、ひとり苦笑いした。
―― 大体あいつは考え過ぎなんや。
もう少し気楽に考えたらええのに、ほんま僧侶みたいに堅苦しいこと考えよって、馬鹿たれが!
馬鹿たれが!
馬鹿たれが!
馬鹿たれが!
星に向かってひとり呟く ―― 不思議と涙が滲み出た。
大伴氏の兵士となった黒万呂は、唐・新羅から倭国を守るという大義のもと、毎日厳しい訓練に明け暮れた。
古来より、軍事集団として大王家に仕えてきた大伴家である。
現在、宮内での立場は弱いが、それでも依然強大な兵力は持っている。
兵としての誇りもある。
他の氏族が保有する兵士たちとは、日ごろからの鍛錬が違う。
さらに黒万呂が所属する部隊は、大伴氏の中でも精鋭を集め、事あれば真っ先に戦場へと出撃する大伴軍最強と謳われる、大伴朴本大国が将軍を務めるそれである。
訓練も一段と過酷で、他の大伴部隊からやってきた兵士も、根を上げて逃げかえるほどあった。
いきなりそんなところに放り込まれた黒万呂は、初日から痛い目にあい、次の日には全身の肉が突っ張って、体がうまく動かせなかった。
体力には自信があった。
子どもの頃は、椿井の山々を駆け巡ったし、斑鳩寺の厩でも扱き使われた。
白村江の戦いも生き延びた ―― 実施は戦闘らしい戦闘もしておらず、他の兵士に言わせると、あれは遊びのようなものらしい。
奴婢の頃、行進する兵士を見て、あいつらあれで飯食わせてもらってるんやな、楽やな、ええ身分やなぁ~、とは思ったが、といっても、羨ましいとか、兵士になりたいとかは一度も思わず、厩の仕事も辛いとは思わなかったのだが、それがまったく勘違いで、こんなんなら奴婢のほうが良かったわと思ったのだった。
当初は、弟成のことさえ忘れ、斑鳩寺の家族のことさえ思い出さずに、夜になったら只管眠った。
あまりの過酷な訓練に、家族のもとに帰りたいと考えることさえ疲れてしまい、ただ体を休め、頭を空っぽにしたかった。
父や母の顔がちらちらと思い浮かんできたのが、一か月ぐらい経ったころか?
家族のもとに帰りたいとは思わなかったが、父や母、弟たちの顔が不思議と思い浮かび、鍛錬で疲れた火照った体を休めていると、妙に子どもの頃が思い出され、弟成と遊んだことや八重女に出会ったことが酷く懐かしかった。
弟成とは、よく椿井の裏山に登って、遊んだものだ。
―― あいつ、泣き虫やったな………………
姉の雪女が、つきっきりで世話をしたのを覚えている。
彼女の姿が見えなくなると、すぐに泣きべそを掻いていた癖に、そんな彼が白村江では大国に食って掛かった ―― 兄の ―― 三成の敵だという。
―― 馬鹿たれが! 死んだら何もならへんがな!
と、黒万呂は寝返りを打った。
隣では、仲間の兵士が高いびきだ。
大伴の兵士になったとはいえ、生活に大して変化はない。
厩を少し広くしたようなところで、雑魚寝である。
藁葺の屋根から、星の光が漏れる。
―― 馬鹿たれは、俺や!
弟成が死んだなんて………………
再び寝返りを打って、隙間から零れる星を見つめる。
―― あいつが死ぬわけない!
そうや、生きてる、必ず生きてるんだ!
同じ星を、彼も見ているはずである。
そう……、彼とは何度もこうしてきた。
子どものころ、遊び疲れたら大地に寝転がり、同じ空を眺めた。
厩仕事を任されてからは、仕事が終わったあと、こうやって星を眺め、好きな女のことを話した。
百済に向かう船の中では、波の音を聞きながら何事か語らった。
―― そういや、あいつ、俺を僧侶みたいだと言いよったな、自分のほうがよっぽど僧侶みたいやのにな。
黒万呂は、ひとり苦笑いした。
―― 大体あいつは考え過ぎなんや。
もう少し気楽に考えたらええのに、ほんま僧侶みたいに堅苦しいこと考えよって、馬鹿たれが!
馬鹿たれが!
馬鹿たれが!
馬鹿たれが!
星に向かってひとり呟く ―― 不思議と涙が滲み出た。
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