法隆寺燃ゆ

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第二章「槻の木の下で」 後編

第5話

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 春、それは花々が咲き乱れ、虫や動物たちが跳ね踊る季節である。

 日差しが柔らかく大地を照らすと、人の心も楽しくなるものである。

 弟成の周りでも、久しぶりに愉快なことが起こった ―― 雪女が、岡本の奴の忍人おしひとと夫婦になったのである。

 結婚というものは政略あるいは家同士のもので、本人たちの自由はない………………というのは大きな間違いである。

 この当時においては、結婚は好きな者同士の自由形態であった。

『隋書倭国伝』にも、「男女相悦ぶ者は即ち婚をなす」とあり、この自由な恋愛感が、『萬葉集』に載るような牧歌的な恋歌を生み出した要因である。

 しかし、これが大王家や有力豪族まで当て嵌まるかと言えば、否定せざるをえない。

 彼らの第一の目的が、家の存続である。

 政略結婚も、本人同士が望まない結婚もあったろう。

 だが『萬葉集』を見ると、そのような結婚に対する抑制が、逆に彼らを激しい恋に奮い立たせたようだ。

 では、自由結婚をした者が全て幸せになったかというと、決してそうではなかったようだ。

『隋書倭国伝』には、「婦人淫妬せず」と書いているが、大化二(六四六)年三月に、妻子が夫に離婚されたとか、妻に去られた男はとか、妻が姦通しているとかの旧風俗について改めるようにとの詔が出されているので、夫婦間のことが大きな問題となっていたのだろう。

 自由な結婚も、離婚も、恋愛も、嫉妬も、いまもむかしも変わりないのである。

 雪女の嫁入りは、五十歩も歩かないうちに終わってしまった。

 嫁入りといっても、三軒先の奴婢長屋に生活場所を移すだけである。

 朝、雪女は、廣成と黒女に一通りの挨拶をすると、少しばかりの荷物を持って、忍人が住む長屋の前まで行き、長屋の前でちらちらと燃えている焚き火を跨いで、長屋へと入って行った。

 これで、雪女と忍人は晴れて夫婦となった。

 その夜は宴会である。

 廣成も、黒女も、弟成も、忍人の長屋に集った。

 奴婢長屋には、雪女や忍人の親族だけではなく、友人たちも多く詰め掛けていた。

 中には、全く関係のない人物までいたのだが、誰もそんなことには拘らなかった。

 楽しく飲めればそれでいい。

 それが、彼らの酒の飲み方だ。

 奴婢長屋は賑わった。

 幸せな二人を前に、大いに賑わった。

 奴婢たちは、久しぶりの楽しい酒宴に、しこたま酔っ払った。

 弟成も、出された飯をめい一杯食った。

 こんな時でなければ、腹一杯食うことなど不可能だ。

 彼は、黙々と食った。

 そして、食いすぎて、腹が張って気持ち悪くなったので表に出た。

 戻してしまいそうだが、弟成はグッと堪えた。

 そんな勿体ないことができるか。

 彼は、両手で口を押さえて、じっと座っていた。

 長屋からは、男たちの大きな話し声と、女たちの笑い声が聞こえる。

 月は、今日も美しい。

 しばらく休んだので、気分が大分楽になった。

 楽になったらまた腹減ったようで、これならあと少しは食えるかななどと思った。

「弟成、大丈夫、気分悪いの?」

 雪女の声であった。

 弟成は驚いて、再び飯を戻しそうになり、また両手で口を塞いだ。
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