法隆寺燃ゆ

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第二章「槻の木の下で」 中編

第2話

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 鹿島の社内で、祝事を謡っているだけで額から汗が滴り落ちる頃になると、鎌子の希望は、焦りに変わっていた。

 遠く飛鳥の地では、新しい大王の誕生とともに、入鹿を大臣とする新体制が始まったと風の噂に聞いた。

 しかし、鎌子は、まだ鹿島の社の祝である。

 ―― どうしたのだろう、蘇我殿は?

    大臣になったら、私を飛鳥に呼ぶと言ってくれたのに。

    忙しいのだろうか?

    そうだろうな………………

    新政権が誕生して、まだ間もない。

    軌道に乗るにしても、半年近くは掛かるだろう。

    いや………………、もう半年だぞ!

    まさか、蘇我殿は私のことを忘れておいででは?

    まさか………………

    いや、有り得る。

    身近に、有能な人材でも見つけたのかもしれない。

    ああ、私はなんて不幸だ。

    やはり、鹿島になんぞ来るのでなかった………………

 鎌子は、己の境遇を嘆いた。

 七月に入り、鹿島の社に飛鳥からの客があった。

「ようこそ鹿島へ、秦殿」

「いや、ご無沙汰してます、中臣殿」

 掛甲に身を固めた背の高いこの御老体は、秦河勝造はたのかわかつのみやつこである。

 秦氏は、秦の始皇帝を祖に持つ渡来人の一族であり、山城の葛野(京都市右京区)を根拠地としていた。

 秦氏は、上宮王家とも関係が深く、厩戸皇子から仏像を譲り受け、蜂岡寺はちおかでら(広隆寺)を建立している。

「この地には何ようで?」

「いや、不尽川ふじのかわまで来たついでに、鹿島の社に参拝して帰ろうと思いまして。しばらく、御厄介になりますが」

 河勝は、掛甲を脱ぎながら答えた。

「いえいえ、存分に休んで行ってください。で、不尽川には?」

「ほら、例の常世神とこよのかみの騒ぎですよ」

「ああ」

「いや、酷い話があるものです」

 話とはこうだ。

 不尽川の辺(富士川付近)で、大生部多おおふべのおおという男が、ある村で虫を厳かに掲げて、「この神は常世の神だ。この神は、富も寿命も齎す」と言って、その虫を祀らせたことから話は始まった。

 じきに、巫覡かんなぬぎたちもこの男に同調して、「この神を祀れば、貧しい者は裕福に、老いたる者は若返る」と言い、「財産を全て捨てて、この神を信奉せよ」と騒ぎ立てた。

 この話を聞いた人々は、巫覡たちに従って、家も仕事も財産も捨て、常世神を祀るために歌い踊り捲くった。

 やがて、この話が各地に広まったから大変で、飛鳥の地でも家財を投げ出し、常世神信仰に更ける者が出てきたのである。

 そのため、この事態を重く見た政府は、河勝に根源の大生部多を討ち、事態を沈静化するように命じたのである。

「それで、その常世神というのは、結局、何だったのですか?」

桑子くわこでしょう。見ましたが、緑色で黒の斑点がありましたよ」

 秦氏は、織物生産に携わった一族である。

 秦氏に、蚕に似た常世神の沈静化を命じたのは、このためである。

 武装を全て解いた河勝に、鎌子は酒を振舞った。

 そして、予てからの疑問を問うてみた。

「ところで、最近、飛鳥はどうですか? 大后が大王に就かれ、蘇我殿が大臣になられたと聞いています。それに、山背大兄は亡くなられたとか?」

「酷い話ですよ。林大臣も何をとち狂ったか、いきなり上宮王家を攻撃するとは」

「では、やはり蘇我殿が上宮王家を襲ったのですか?」

「ええ、林大臣は、山背大兄が邪魔になったのでしょ。もともと、仲もあまり良くなかったですしな。山背大兄が大王では、大臣になったらやりにくいと考えたのでしょうね。しかし、殺すこともなかったのに」

 本当にそうだろうか?

 本当にそれだけのことだろうか?

「しかし、最近、蘇我家はやりすぎですな」

「えっ、どういうことですか?」

「いえ、この春から、蘇我親子は甘檮丘あまかしのおかに屋敷を建てているのですが、それを上の宮門うえのみかど谷の宮門たにのみかどなんて呼んでいるそうです。おまけに、屋敷の周りを城柵で囲んだり、武器庫を造ったりと。飛鳥じゃ、蘇我殿が大王家を襲って、自分が大王になるつもりじゃないかと専らの噂ですよ」

「まさか、そんな……」

 鎌子は、目を見開いた。

「それだけ、林大臣は異常だということですよ」

 河勝は首を振り振り、ぐっと酒を飲んだ。
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