桑の実のみのる頃に

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第4話

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 左吉を起して、朝餉にした。

 朝餉といっても、昨夜の汁の残りと小梅漬けだけである。

 それでも、左吉と弥平は、美味い、美味い、といって食べていた。

 朝餉の片づけを終えて、おすみは桑田屋に向うために家を出た。

「おすみさん、宿場まで行くんでしょう。だったら、私もちょいとついて行きますよ。早速、虎八親分さんと竜蔵親分さんに挨拶しに行かないとね」

 左吉は、筵に包んであった十本近い刀の中から、良いと思われるものを二本ほど引き抜いて、おすみの跡を追って家を出た。

 弥平は、「泊めてもらったお礼に、畑仕事を手伝います」と家に残った。

 それを聞いて老人は、

「それはお止めなさい。すぐに足腰が立たなくなりますから」

 と断った。

「なに、大丈夫でございます。これでも、体力に自信はありますので」

 弥平は、どうしても畑仕事を手伝いたいようだ。

 ―― 大丈夫かね、弥平さん、毎朝剣術の稽古をしてるって言うけど、畑仕事は初めてみたいだし………………

 剣術と畑仕事では、動かす筋肉がまるで違う。

 百姓がすれば半時もかからないような畑仕事も、下手な人間が鍬を握れば、丸一日かかっても終えることはできないだろう。

 老人のいうとおり、翌日は足腰が立たなくなるはずである。

 ―― 無理すると、二、三日の逗留じゃなくて、十日ぐらい泊まる羽目になっちまうよ。

 それは、それで良いかなと思うおすみであった。

 宿場に入ると、早速、強面のお兄さん方が、おすみと連れ立って歩く男に目をつけてきた。

 おすみは身が縮む思いだが、左吉はこの状況を楽しんでいるようだった。

「おっ、早速目をつけてきましたね。いや、面白くなってきましたね」

 大きな目玉で、ぎょろぎょろと周囲を見回すので、余計に注目を浴びてしまう。

 おすみは、早いとこ桑田屋に入りたい思いだった。

 桑田屋の近くに来ると、二人の男が近づいて来た。

 二人とも、虎八の若い者である。

 着流し姿に懐手、粋なつもりか、裾を肌蹴て諸脛を出している。

 一人の男は、相手を威圧するように顔を大きく上下させながら、左吉の頭から爪先まで篤と見た。

 もう一人の男は、斜に構えて、顎を僅かに上げて左吉を睨みつけていた。

 宿場の者や村人なら、それだけで恐れ戦いて、下半身の力を緩めてしまうだろうが、左吉には全くそういったところが見受けられなかった。

 逆に二人の男よりも風格があったので、妙におかしかった。

「おう、おめえ、この辺りじゃ見かけねぇ顔だな? この女とはどういった間柄だ」

 凄んだつもりだろうが、声が上擦っている。

 それが、またおかしい。

「へえ、刀売りの行商をしております。左吉と申します。いまは、おすみさんのところにご厄介になっております」

 度胸が据わっているのか、それともよっぽどの馬鹿なのか。

 笑顔で答える左吉に、おすみは呆れてしまった。

「そうだよ、この人はあたしんところの大事なお客さんだよ。あんたら、手を出したら承知しないよ」

 おすみも、左吉の度胸を見習って強く出た。

 が、男たちはおすみを相手にしていなかった。

「刀売り? 刀売りが何で女のところに泊まるんでぃ」

 男たちが訊くと、左吉は昨夜の経緯を話した。

「けっ、刀売りの癖して、度胸がねえやつだ」

 話を聞いた男たちが笑った。

 左吉も、「まったくそのとおりでございます」と頭を掻いて、あの乾いた笑い声を立てた。

 宿場の者たちや街道を行く者は、おすみたちを遠巻きに見ている。

 桑田屋の中からも、女主人のおえいと住み込みで女中をしているおかつが、心配そうな顔を覗かせていた。

「ところでお二人さんは、虎八親分さんのところの方で?」

 左吉が急に真面目な顔をして訊いたので、二人の男も厳つい顔になった。

「おお、そうだ。そいつがどうした」

 男たちが凄む。

 おすみは、首筋に冷やりとしたものを感じて、一歩下がった。

 ―― まずいよ。こんなところで、やり合うんじゃないだろうね。

 虎八の若い者は、命知らずで有名だ。

 人殺しも、なんとも思っていない。

 弥平は、左吉も道場に通っていたと言ったが、強かったとは言っていない。

 刀を捨てて、刀売りになったぐらいだから、大した腕ではないのだろう。

 二人がかかってきたら、一溜りもないはずだ。

 おすみは、誰か助けてくれないかと辺りを見回した。

 だが、誰でも命は惜しいもの。

 虎八の若い者と係わらないようにしている。

 ―― ええい、みんなだらしがないね。

 そう思うおすみも、じりじりと後ずさりしていた。

 しかし、左吉は笑顔を浮かべていた。

「実は、虎八親分さんに刀を見ていただきたいと思いまして………………」

 虎八親分のところまで連れて行ってくれないかと言うと、流石の子分たちも困った顔になって、顔を付き合わせて相談し始めた。

 その隙に、おすみは桑田屋に飛び込んだ。

「おすみちゃん、大丈夫かい」

「ええ、私は大丈夫ですけど………………」

 表に顔出すと、例の二人に左右を挟まれるようにして、左吉が連れて行かれるところだった。

「それにしても、あの人、すごいね。『四つ目の虎』の子分に一歩も引かなかったんだから」

 おえいは感心していた。

「ねえ、おすみさん、あの人とはどういう関係なの」

 おしゃべり好きのおかつは、大きな瞳を輝かせながらおすみの顔を覗き込んだ。

 おえいも、興味深そうに横目で見ている。

「べ、別に、さっきも言ったとおり、ただの刀売りよ」

 街道を外れて道に迷っていたので泊めてやっただけだと話したが、おかつは信じていないようだ。

「嘘だ、本当はおすみさんのいい人なんじゃないの。頬が赤いじゃない」

「ば、馬鹿、そんなわけないでしょう」

 とは言ってみたものの、自分でも頬が熱いのが分かっていた。

 ただこれは、先程怖い思いをしたからで、決してそのような気持ちなどない。

 ―― まあ、弥平さんなら、そんなことがあるかもしれないけど。

 おすみは、店の仕事をしている間、虎八一家に連れられていった左吉の心配よりも、畑で働いている弥平の心配ばかりしていた。

 お陰で、仕事が手につかない。

 失敗ばかりしてしまい、おかつに、「あの人のことが気になるんじゃないの」と突っ込まれた。

 夕方の仕事を終えて、おすみは帰途についた。

 おかつには、「あの人のこと、待たなくていいの」と突っ込まれたが、「なま言うんじゃないの。あの人は、仕事で来てるんだよ」と言って店を出た。

 このときも、弥平なら待っていたかもしれないけどとおすみは思った。

 西の山端に沈みいく太陽を睨みながら家路を急いだ。

 今日は、昨日のような怖い思いはしないだろう。

 そう思うと、幾分足取りも軽かった。

 例の田畑が見えてきた。

 おすみの脳裏に、清吉の哀れな姿が浮かんだ。

 昨日は考えている暇もなかったが、今日はやはり思い出される。

 ここを通るたびに、これから何十年も嫌な思いをしなければならないのかと思うと、おすみは何もかも投げ出して、どこか遠くに行きたいという思いに駆られた。

 ―― 行くったって、どこに?

 ここよりマシなところが他にあろうか?

 ―― どこに行ったって、ここと同じ貧乏暮らしさ。

 だが、新しい生活が待っているのでは?

 突如、弥平の顔が浮かぶ。

 もし弥平が、「一緒に付いてきてくれ」と申し出たら、どうするであろうか。

 おすみは想像してみる。

 弥平に付いていくか?

 いや、恐らく行かないだろう。

 なぜ?

 ―― おとっつぁんもいるし、金次もいる。何より、清吉さんの魂がここにあるんだもの。あたしは、ここから離れられない。

 おすみは、己自身を縛り付ける絆に、ふと涙ぐんだ。

 泣いたって変わるものではないけれど、どうしても涙が出てきた。

 目元を拭っていると、声をかけられた。

 左吉だった。

 手には、朝持ち出した刀が見らないので、交渉は上手くいったようだ。

 満面の笑顔だった。

「やあ、おすみさん、ちょうど良かった。一緒に帰りましょう。おやっ……」

 左吉は、泣いていた理由を尋ねた。

「いえ、ちょっと、何でもありませんよ」

「そんなことはないでしょう。女が泣くのは、男を想うときですからね。もしかして、亡くなった旦那さんのことですか」

 おすみは、事の次第を正直に左吉に話した。

 旅の人に内輪話をするのは、恥部を広めるようで恥ずかしいのだが、なぜか左吉には正直に話す気になってしまった。

 恐らく、彼がどうしようもなく能天気に見えたから、ついつい口が開いてしまったのだろう。

 そう言えば、弥平にもそんな感じがある。

 実におかしな二人である。

 全てを話して、おすみはなぜか心が晴れた。

 別に、左吉がどうしてくれるとも思わなかったが、いままで心の中で蟠っていた想いが全て吐き出され、すっきりした気持ちになった。

 左吉も、おすみの話を親身になって聞いてくれた。

「そうか、そんなことが」と、自分のことのように悲しんでくれた。

「本当に、この世は神も仏もございませんよ」

 おすみは溜息混じりに呟いた。

「そうでしょうか?」

「ええ、そうですとも」

「いや、案外近くにいるかもしれませんよ」

 おすみは、辺りを見渡した。

 一面痩せ細った畑である。

 どこに、と左吉に問うた。

「目の前に」

 唖然とし、次には哄笑した。

「もう、左吉さんは本当に変なひとですね」

「本当ですね」

 左吉も、かかかっと笑った。

 笑い過ぎて、お腹が鳴った。

「笑ったら、腹が減りましたね。早く帰りましょうか。ご老体も、弥平さんも腹を空かして待っていることでしょうし」

 老人は兎も角、弥平は相当腹を空かしているだろう。

 いや、腹を空かす前に、疲れて眠っているかもしれないと、おすみは思った。

 案の定、戸を開けると、囲炉裏端で弥平が大の字になって転がっていた。
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