11 / 56
その一 おけいの一件始末
第11話
しおりを挟む
その後、三日間に渡って、身内の者におけるおけいの説得が行われた。
〝お腰掛け〟という部屋が、説得部屋として使われる。
庫裡で寝起きしている女をこの部屋に呼び出し、身内の者が復縁しろと懇々と説き伏せる。
ここで心変わりして下山する女も多いらしい。
が、おけいの意思は固い。
和助も新右衛門も、離縁しかないと思って説得しているので、それほど身が入らない。
本来なら丸一日もかからないはずである。
それが三日もかかったのは、清次郎のせいである。
和助と新右衛門が説得しましたが心変わりしませんと上申すると、それはおぬしらの説諭の仕方が悪い、もっと熱心に説得しろと言う始末だ。
和助たちも、毎日宿から通って、一日中お腰掛けに籠もって娘を説得せねばならない。
その費用と労力たるや、計り知れないだろう。
惣太郎は、花畑を眺めながら、その脇に建てられた小屋から聞こえてくる声に、そっと耳を澄ませる。
男の、口ごもりながらも、労わり、教え諭すような声が聞えてくる。
和助だろう。
その間に、小雨のような女の泣き声が聞える。
花畑では、惣太郎の母や清次郎の妻たちが菊の世話をしている。
子どもたちが、菊の花をもぎって花飾りにしている。
なんとのどかな風景。
それに比べて、小屋の中は………………
しかし、なぜ清次郎がそこまで熟縁に拘るのか、惣太郎には皆目検討がつかない。
確かに、復縁すれば一番良いに違いない。
が、女の心が完全に男から離れているいま、それ以上縛り付けるのは女に気の毒だ。
男だって、すっぱりと諦めさせて、次の女房でも娶ったほうが良いだろう。
強引に縁を戻させても、どうせ男の酒癖は治らないに違いない。
また酒を飲んで、女に手をあげるのが落ちだ。
どちらにしろ、このままではふたりとも不幸になるだけだ。
それとも、中村殿には他に理由があるのだろうか。
考えただけで頭が痛い。
顳顬を押さえていると、母が話しかけてきた。
「頭が痛いのですか、惣太郎」
大丈夫だと答えるが、母は心配そうな顔で覗き込む。
「菊の花を煎じて差し上げましょうか。頭痛に効きますよ」
「そうなのですか、それは初めて知りました」
「私も由利殿にお聞きしたのですよ」
清次郎の妻は、菊の花をひとつひとつ丁寧に見ては、疲れたような笑みを零している。
「母上、中村さまの奥方ですが、どのような方ですか」
惣太郎の言っている意味が分からず、母は首を傾げる。
「つまりですね、その……優しい方だとか、それとも気の強い方だとか」
「あの通りの方ですよ。大人しくて、気の優しい奥さまです」
「中村さまとはどうなのでしょう」
「なんですか、惣太郎。あなた、他所の夫婦仲に興味があるんですか」
母は顔を曇らせる。
「いえ、これも後学のためと申しますか、私もこの寺の役人になる以上は、それなりに夫婦のことを知っておかないといけないと思いました」
「それは感心な心がけです。ですが、同じお役の方の夫婦仲を勘繰るようなことは、少々行儀が悪いのではありませんか。あなた、もしかして、中村さまが由利殿を責めているとか思ってらっしゃるんじゃないでしょうね」
当たらずも遠からずだ。
「いえ、とんでもない。ただ私は、父上と母上のような夫婦とはまた違うので、普段はどのような仲なのだろうと思いまして」
「確かに、私たちとも、また磯野さまのご夫婦とも、一味違った感じの夫婦仲ですけど、決して悪くはありませんよ。中村さまも由利殿のことを大切にしていらっしゃりますし、由利殿も中村さまを大切に想っていらしゃいます」
「はあ、そうなんですか」
「私の言うこと、あまり信用していないようですね」
「決してそうではありません。ただ、普段の中村さまの様子を見ると、どうも……。この度に件でも……」
惣太郎は、おけいの一件を母に話した。
「それは、お役目だからですよ。由利殿と一緒にいらっしゃるときの中村さまは、非常にお優しいですのよ。それに、そのおけいさんという娘さんの一件ですが、中村さまには中村さまのお考えがあってのことでしょう。そう心配することはありませんよ」
「だとよろしいのですが」
「よろしいのです。夫婦なんて十人十色、色んな夫婦がおりますし、その夫婦だけにしか分からない事情というものがあります。その点を肝に銘じてこのお役に就かないと、この先苦労することになりますよ」
矢張り、他人の揉め事に首を突っ込みたくないと、惣太郎は思った。
母と話していると、寺男の嘉平がそわそわした足取りでやってきた。
どうしたと尋ねると、
「いえね、門の前に変な男がおりまして。ここ半時、こちらの様子を伺うようにしながら、行ったり来たりしておるんです」
気になったので、知らせにきたという。
「見知った顔か」
「いえ、ここいらでは知らぬ顔です。恐らくは駆け込んだ女の旦那じゃなかと。よくあるんですよ、逃げた女房を追いかけてくるやつが」
となると、おみねか、おけいである。
おけいの組頭である新右衛門の話しでは、亭主の松太郎は未練たらたらだと言っていた。
きっと追いかけてきたに違いない。
「拙者が確かめよう」
と、門に急ぐが、すでに男の姿はなかった。
「いかがしましょう、惣太郎坊ちゃま」
また言いやがったと思いながら、
「一応、中村さまに知らせておこう」
清次郎に事の次第を語ると、
「矢張り来たか」
と、不適な笑みを浮かべた。
「矢張りとは、中村さまはこうなるとお考えだったので」
清次郎はそれには答えず、嘉平を呼び、指示を与えた。
「おそらく、近くの宿に泊まるはずだ。全ての宿に、斯く斯く云々の男が行くはずだ。男が酒を頼めば、たっぷりと飲ませてやれ、暴れだしたらすぐに知らせろと、よいな」
嘉平は、急いで宿に知らせに走った。
「中村さま、どういうことでしょう」
「どういうことと言われますと」
「いえ、松太郎に酒を飲ませろなんて」
「男が酒を頼めばです。頼まなければ、難はないのですが」
「それはそうでしょうが。しかし……」
「後は、おけいがどう出るかです」
そう言ったまま、清次郎は書き物を続けた。
新兵衛に顔を向けると、笑いを堪えている。
父は、知らん顔で帳面に目を通している。
好きにしろと、惣太郎は席に戻った。
〝お腰掛け〟という部屋が、説得部屋として使われる。
庫裡で寝起きしている女をこの部屋に呼び出し、身内の者が復縁しろと懇々と説き伏せる。
ここで心変わりして下山する女も多いらしい。
が、おけいの意思は固い。
和助も新右衛門も、離縁しかないと思って説得しているので、それほど身が入らない。
本来なら丸一日もかからないはずである。
それが三日もかかったのは、清次郎のせいである。
和助と新右衛門が説得しましたが心変わりしませんと上申すると、それはおぬしらの説諭の仕方が悪い、もっと熱心に説得しろと言う始末だ。
和助たちも、毎日宿から通って、一日中お腰掛けに籠もって娘を説得せねばならない。
その費用と労力たるや、計り知れないだろう。
惣太郎は、花畑を眺めながら、その脇に建てられた小屋から聞こえてくる声に、そっと耳を澄ませる。
男の、口ごもりながらも、労わり、教え諭すような声が聞えてくる。
和助だろう。
その間に、小雨のような女の泣き声が聞える。
花畑では、惣太郎の母や清次郎の妻たちが菊の世話をしている。
子どもたちが、菊の花をもぎって花飾りにしている。
なんとのどかな風景。
それに比べて、小屋の中は………………
しかし、なぜ清次郎がそこまで熟縁に拘るのか、惣太郎には皆目検討がつかない。
確かに、復縁すれば一番良いに違いない。
が、女の心が完全に男から離れているいま、それ以上縛り付けるのは女に気の毒だ。
男だって、すっぱりと諦めさせて、次の女房でも娶ったほうが良いだろう。
強引に縁を戻させても、どうせ男の酒癖は治らないに違いない。
また酒を飲んで、女に手をあげるのが落ちだ。
どちらにしろ、このままではふたりとも不幸になるだけだ。
それとも、中村殿には他に理由があるのだろうか。
考えただけで頭が痛い。
顳顬を押さえていると、母が話しかけてきた。
「頭が痛いのですか、惣太郎」
大丈夫だと答えるが、母は心配そうな顔で覗き込む。
「菊の花を煎じて差し上げましょうか。頭痛に効きますよ」
「そうなのですか、それは初めて知りました」
「私も由利殿にお聞きしたのですよ」
清次郎の妻は、菊の花をひとつひとつ丁寧に見ては、疲れたような笑みを零している。
「母上、中村さまの奥方ですが、どのような方ですか」
惣太郎の言っている意味が分からず、母は首を傾げる。
「つまりですね、その……優しい方だとか、それとも気の強い方だとか」
「あの通りの方ですよ。大人しくて、気の優しい奥さまです」
「中村さまとはどうなのでしょう」
「なんですか、惣太郎。あなた、他所の夫婦仲に興味があるんですか」
母は顔を曇らせる。
「いえ、これも後学のためと申しますか、私もこの寺の役人になる以上は、それなりに夫婦のことを知っておかないといけないと思いました」
「それは感心な心がけです。ですが、同じお役の方の夫婦仲を勘繰るようなことは、少々行儀が悪いのではありませんか。あなた、もしかして、中村さまが由利殿を責めているとか思ってらっしゃるんじゃないでしょうね」
当たらずも遠からずだ。
「いえ、とんでもない。ただ私は、父上と母上のような夫婦とはまた違うので、普段はどのような仲なのだろうと思いまして」
「確かに、私たちとも、また磯野さまのご夫婦とも、一味違った感じの夫婦仲ですけど、決して悪くはありませんよ。中村さまも由利殿のことを大切にしていらっしゃりますし、由利殿も中村さまを大切に想っていらしゃいます」
「はあ、そうなんですか」
「私の言うこと、あまり信用していないようですね」
「決してそうではありません。ただ、普段の中村さまの様子を見ると、どうも……。この度に件でも……」
惣太郎は、おけいの一件を母に話した。
「それは、お役目だからですよ。由利殿と一緒にいらっしゃるときの中村さまは、非常にお優しいですのよ。それに、そのおけいさんという娘さんの一件ですが、中村さまには中村さまのお考えがあってのことでしょう。そう心配することはありませんよ」
「だとよろしいのですが」
「よろしいのです。夫婦なんて十人十色、色んな夫婦がおりますし、その夫婦だけにしか分からない事情というものがあります。その点を肝に銘じてこのお役に就かないと、この先苦労することになりますよ」
矢張り、他人の揉め事に首を突っ込みたくないと、惣太郎は思った。
母と話していると、寺男の嘉平がそわそわした足取りでやってきた。
どうしたと尋ねると、
「いえね、門の前に変な男がおりまして。ここ半時、こちらの様子を伺うようにしながら、行ったり来たりしておるんです」
気になったので、知らせにきたという。
「見知った顔か」
「いえ、ここいらでは知らぬ顔です。恐らくは駆け込んだ女の旦那じゃなかと。よくあるんですよ、逃げた女房を追いかけてくるやつが」
となると、おみねか、おけいである。
おけいの組頭である新右衛門の話しでは、亭主の松太郎は未練たらたらだと言っていた。
きっと追いかけてきたに違いない。
「拙者が確かめよう」
と、門に急ぐが、すでに男の姿はなかった。
「いかがしましょう、惣太郎坊ちゃま」
また言いやがったと思いながら、
「一応、中村さまに知らせておこう」
清次郎に事の次第を語ると、
「矢張り来たか」
と、不適な笑みを浮かべた。
「矢張りとは、中村さまはこうなるとお考えだったので」
清次郎はそれには答えず、嘉平を呼び、指示を与えた。
「おそらく、近くの宿に泊まるはずだ。全ての宿に、斯く斯く云々の男が行くはずだ。男が酒を頼めば、たっぷりと飲ませてやれ、暴れだしたらすぐに知らせろと、よいな」
嘉平は、急いで宿に知らせに走った。
「中村さま、どういうことでしょう」
「どういうことと言われますと」
「いえ、松太郎に酒を飲ませろなんて」
「男が酒を頼めばです。頼まなければ、難はないのですが」
「それはそうでしょうが。しかし……」
「後は、おけいがどう出るかです」
そう言ったまま、清次郎は書き物を続けた。
新兵衛に顔を向けると、笑いを堪えている。
父は、知らん顔で帳面に目を通している。
好きにしろと、惣太郎は席に戻った。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
首切り女とぼんくら男
hiro75
歴史・時代
―― 江戸時代
由比は、岩沼領の剣術指南役である佐伯家の一人娘、容姿端麗でありながら、剣術の腕も男を圧倒する程。
そんな彼女に、他の道場で腕前一と称させる男との縁談話が持ち上がったのだが、彼女が選んだのは、「ぼんくら男」と噂される槇田仁左衛門だった………………
領内の派閥争いに巻き込まれる女と男の、儚くも、美しい恋模様………………
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
検非違使異聞 読星師
魔茶来
歴史・時代
京の「陰陽師の末裔」でありながら「検非違使」である主人公が、江戸時代を舞台にモフモフなネコ式神達と活躍する。
時代は江戸時代中期、六代将軍家宣の死後、後の将軍鍋松は朝廷から諱(イミナ)を与えられ七代将軍家継となり、さらに将軍家継の婚約者となったのは皇女である八十宮吉子内親王であった。
徳川幕府と朝廷が大きく接近した時期、今後の覇権を睨み朝廷から特殊任務を授けて裏検非違使佐官の読星師を江戸に差し向けた。
しかし、話は当初から思わぬ方向に進んで行く。
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる