桜はまだか?

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第4章「恋文」

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「おやおや、それは町奉行所の内輪の問題であろう。こちらは、そのように聞いておるぞ」

「左様でございますか。では、早速、下城いたしまして確認いたしますので」

 と下がろうとすると、

「まあまあ」

 と、また正武が呼び止めた。

「火付改のほうで犯人が捕まったのなら、そのお七とかいう娘を大番屋に留めておくこともなかろうが」

「はあ……、と、申しますと」

「お七を、解き放ってやってはどうかの?」

「はあ?」

「お七を解き放ってやるのじゃ。ただし、火を付けたと嘘を申したのだから、処罰せねばなるまい。そうじゃの……、江戸所払いをさせてはどうかの。親も監督不行き届きとして、闕所させては」

 と、正武は言った。

 正親は、なるほどなと思った。

 江戸庶民の間には、お七同情論が大きくなってきている。

 ここに、火付けを唆したと噂されている旗本の次男坊はお咎めなしで、お七ひとりが火罪になれば、人情家で、曲がったことの"でい嫌い"な江戸庶民は黙っていないだろう。

 そこで幕府のお歴々方は、庶民を納得させ、かつ旗本の御威信に傷がつかないようにしようと考えたようだ。

 熱しやすくて冷めやすい江戸庶民のこと、噂の根源が江戸からいなくなれば、七十五日を待たずとも綺麗さっぱり忘れるだろう。

 加えて、市左衛門の店を没収すれば、少しは幕府の懐も潤うというものである。

(全く、相変わらず、やることが小せぇな)

 正親は、眉を顰めた。

「相分かりました。御老中のご意見を尊重させていただきます。ただ、この一件では不可解な点が多いので、もうしばらくこちらで探索に当たりたいと思いますゆえ」

「そうか、十分に考えよ」

 正武は、穏やかな口調で言った。

(十分に考えいではなく、そうしろの間違いであろう)

 正親は思いながらも、

「あい」

 と頭を下げた。

 廊下に出ると、氏平が至極真剣な顔で尋ねてきた。

「お七の一件でございますか?」

「うむ、相変わらず、武士の面子じゃ」

 正親は冗談のつもりで言ったのだが、氏平は笑わなかった。

「はあ、それもありましょうが……」

「うむ? 安房守殿は、なにかご存知なのかな?」

 氏平は周囲を見渡し、誰もいないのを確認すると、そっと耳打ちした。

「どうやら、この一件に、上様が大変ご心配なされておるとか……」

「上様が?」

 これまた意外な名前が出てきたものだ。

「しかし、何ゆえ?」

 すると、氏平の声は一層小さくなる。

「桂昌院様は、八百屋の娘でございますから」

 なるほど、と頷いた。

 将軍綱吉の生母桂昌院は、京都の八百屋仁左衛門の娘、すなわちお七と同じ商家の娘だ。

(ふむ、八百屋の娘と将軍、八百屋の娘と旗本、似ておるな)

 圧力が掛かるのも頷けた。

「差し出がましいことでしょうが、ご進退にもかかわること、十分にご考慮なされたほうがよろしいかと思います」

「なに、上様も、そこまで無茶はなさるまい」

 正親は、からからと笑った。
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