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地獄の釜の蓋が開く、とはお盆のことだ。思いがけない事故に遭ったりすることがあるらしい。一臣と連れ立って、霊園を訪れていた。ちょっとした丘にあるその霊園は、小ぢんまりとしていて、セミの声がよく響いていた。目指す墓は、丘の中腹にあり、一臣は水桶と柄杓を携えていた。自分には花と線香を持たせて。
「眺めいいね・・・。」
登って来た丘を振り返って呟くと、だからここにしたんだよ、と一臣が返した。桶の中にはたわしが入っていて、一臣は雑草を抜き終えると、それで墓石とその周りの囲いを丁寧に磨いた。最期に水で清める。花立てに水を注ぐと、活けるように言われた。きれいにした線香の台に、紫色の線香をあげる。二人手を合わせて、お参りは済んだ。
「本当は、お盆で父も母も位牌のある山梨に行ってしまうから、お花もお線香もいらないんだけど、気持ちだしね。」
「うん。」
早乙女家にも小さな仏壇があり、先祖代々と、祖父母が眠っている。七月のお盆をすっぽかした代わりに、明日実家に帰ることになっていた。お盆休みの一臣が送ってくれる。
心配なことがある。姉も、お盆休みで実家に帰省しているからだ。膨らんだお腹を見るのは、一臣にはまだ辛いかもしれない。それに、忠則も来ている。自分はむしろ義兄に会いたくなかった。一臣は、去年、自分を自宅に引き取りたいと申し出た時以来、早乙女家には足を踏み入れていなかった。今回も、近くで待っていてくれたらすぐに帰ると伝えたのだが、父に挨拶がしたいからと、顔を出すつもりのようだった。
「一臣さん、お墓になんて?」
紹介したいから連れていくと言っていた一臣だ。
「・・・うん。すばると、一緒に生きていきます、って。」
一臣の父親は、一臣が女性を選べないことを気に病んでいたと聞いた。それなのに・・・。
「ありがとう。」
「うん。」
女の子じゃなくてごめんなさい。心の中で謝りはしたが、口には出さなかった。もう、後ろ向きでいるのは、一臣の覚悟に対して失礼だと思ったからだ。
礼を言って、もう一度お墓に手を合わせた。
お盆休みの二日目。一臣の車で、実家に帰ってきていた。
人数が多いので、応接間ではなく、リビングへと通された。両親のほかに、姉夫婦がいて、続きのキッチンで賑やかにしている。手土産は、一臣が桃を用意していた。それを楽しそうに剥いているのだ。一見、何の変哲もない普通の家庭を思わせたが、母は、一度も自分と目を合わせようとしなかった。桃は、父が受け取り、丁寧に礼を言っていた。
「佐伯君、あれからすばるの様子はどうかな。」
ソファーに向かい合わせに座り、父が一臣に問いかける。
「頭痛はまだ時々出ますが、頻度は減ったと思います。ただ、低気圧や人混みには弱いようで。」
普通に暮らしている分には、薬でコントロールできていますと、付け加えた。
「君が医者で助かってるよ。すばるがいい顔をしている。前ほどおどおどした風ではなくなったな。」
「それは、好きなことをやらせてもらっていることもあって、自信につながっているんだと思います。」
一臣がまた、流暢に話し出した。
この分なら大丈夫そうかも。
その時、母と姉が剥いたばかりの桃をテーブルに置いた。姉のお腹はふっくらとしている。
「お姉さんも、順調そうで・・・。」
一臣が言うと、明が嬉しそうに微笑んだ。
「あのね、性別が分かったの。多分男の子ですよって。」
それを聞いていた忠則が、後継ぎが生まれそうで良かったと、笑った。相変わらず猫をかぶっている。
「佐伯さんの方もうまくやっているようで、義弟が明るくなってほっとしてますよ。」
しらじらしい。もう早くこの場から逃げたくて、出された桃に手を付けた。
「あ、美味しい。」
「でしょう?兄嫁の実家が桃農家なんです。」
疎遠にしていても、桃の味だけは、かっているらしい一臣は、照れ臭そうに笑った。
「兄夫婦は、山梨に土地をもらって家を建てて、今は向こうの義母さんと同居してるんです。あまり交流はないんですが、季節柄何かと桃を送ってもらっています。甥っ子が二人いて、やっぱり、義姉は実母に育児を手伝ってもらいたいようで。
向こうのお母さんも、ゆくゆくは、娘に世話を頼みたいようで・・・。」
「あら、私だって、老後は明さんと住みたいわ。」
母が口をはさんだ。
「私も、育休明けたら復職したいから、お母さん居てくれると、助かるわ。」
姉もそう言って、二人で微笑みあっている。
丸く収まっていいじゃないか。
視線を桃に落としていると、忠則が笑みを浮かべているのが気配で分かった。まるで、お前の居場所はもうここにはないと言われているようで。急いでパクパクと桃を平らげた。
「僕、お線香あげてくる。お盆ごめんなさい。」
「忙しくしていたなら仕方ない。学生はやることをやってたらそれでいい。」
父が寛容な発言をした。それに少し驚いた。裏を返せば、無理に帰ってこなくてもいいと言われた気がして。
被害妄想だな・・・。
線香をあげるために席を立つ。すると、一臣も立ち上がった。
「私もお線香あげさせてもらっても?昨日すばる君にお墓掃除手伝ってもらったので。」
父は、少し驚いた顔をしたが、そうしてくださいと仏間に案内するためか席を立った。
父を先頭に、仏間へと入る。小さな造りの仏壇があり、父がろうそくに火を灯した。
「ありがとう。」
礼を言って、線香に火をつけ、香炉に立てる。手を合わせると、一臣が続いた。
「ではこれで、お暇しますね。」
「あぁ。すばるのことはゆっくり休ませてやってください。気疲れしているだろうから。」
父はそう言うと、たまには顔を出しに来なさいと、電車代だろうか、ポチ袋を握らせた。
「母さんに見つからないうちにしまいなさい。」
そう言われ、慌ててポケットにしまう。
「じゃぁまた。」
「うん。また。ありがとう。」
玄関先まで見送ってくれる父。姉が慌てて、リビングから飛び出してきた。
「もう帰るの?」
「うん。お線香あげに来ただけだし。」
「・・・きっと、あなたに似た子が生まれるわ。お母さんはがっかりしていたけど・・・。もう気持ち切り替えたみたい。安心してね。」
姉はそう言うと、一臣に向き直った。
「すばるをよろしく頼みます。」
「大丈夫。大切にしてますよ。」
明が頷くのを待って、靴を履き、早乙女家を後にした。
近くのコインパーキングまでを歩く。疲れもあったが、暑さにもやられそうだった。
「・・・頭痛、大丈夫?」
「うん。今日はまだ。長居しなかったし。」
「そっか。暑いね。早く帰ろう。」
帰ろう、と言われて、自分の帰る家は、もう実家ではないと改めて感じた。
「うん。帰ろ・・・。」
手をつなぎたい気分だった。人目をはばかって、できなかったけれど。
車に乗り込み、エアコンを効かせ、家路につく。そう遠くない距離だ。
「そういえば、お父さんいくらくれたの?」
一臣が無粋なことを聞いてくる。
「わからない。帰ったら開けてみるよ。」
なんとなく、その金額が愛情のバロメーターのような気がして、開けるのが少し怖かった。
その夜。一臣が、明日も休みだし、ね?と求めてきた。
父からのポチ袋には、一万円札が入っていた。一臣の家から実家までの電車賃にしては多すぎる。夏休みのお小遣いといったところか。その額に、少々驚いた。
二人、ぬるい風呂につかりながら話す。バスタブは話をするのにちょうどいい距離感だった。
「多い、よね?」
「そうかな?バイトしたことも話してないんだし、妥当じゃない?」
そのバイトの報酬もまだ貰っていないのだが。
「一臣さんも、貰ってた?」
「バイトができる学部じゃなかったからね。多少は貰ってたけど、学費も高かったから、要求したことはなかったよ。」
さすが医学部。言うことが違う。
「まぁ、もらっておきなよ。使うかどうかは別にしてさ。」
それより、と一臣が話題を変える。
「お姉さん良かったね。お腹の子が男の子でも、お母さん納得してくれたみたいだったじゃない。やっぱり、後継ぎ欲しかったのかなぁ。十八年もたてば、気持ちも少しは変わるのかな。」
「自分が生むわけじゃないしね。」
それもそうだと、一臣が笑った。
「よかったね。望まれた子だよ。これで一つ、君の心配事は減ったわけだ。」
「まだ・・・無事に生まれるまで心配です。」
「それもそうだ。」
何があるかわからないのは、一臣が一番よく、身をもって知っていた。
「・・・猫、飼おうかすばる。」
俺が夜勤の時、淋しいでしょう?と一臣が言う。
「お世話するの僕でしょう?」
「まぁ・・・。それは。」
俺の子だと思って面倒見てよと、一臣は苦笑した。
「猫かぁ。嫌いじゃないけど・・・。充さんが言ってたみたいに、保健所から引き取るの?」
「のつもり。かわいそうな命は少ないに越したことないから。」
「可愛くて健康な子がいればいいけど・・・。」
「それより相性でしょ。」
とにかく一度電話だね、と話は終わり、ざぶんと顔を拭った。
バスタブを先に出て、シャワーを頭から浴びる。先に出るねと言い置いて、浴室を後にした。
一臣の部屋にはあらかじめきつめにエアコンを入れておいた。これから少々熱くなるからだ。
あとから風呂を出た一臣も、バスローブを羽織っただけで、寝室にやってきた。手には、ミネラルウォーターのペットボトルが二本。
「飲むでしょ?」
「うん。ありがと。」
受け取って、キャップを開ける。のどを潤すと、ベッドサイドのチェストにボトルを置いた。一臣も同じようにして、ベッドに上がってくる。
どちらともなくキスをして、指を絡めあった。徐々に深くなってゆく口づけ。舌を舐められると、それだけで鳥肌が立った。ゾクゾクが腰にわだかまってゆく。ゆっくりと押し倒される。キスは続いた。唾液が飲み込みきれなくなって、あごを伝う。すると、一臣が上半身を起こして、指先でそれを拭った。
「よかった。ちゃんと反応してくれてる。」
嬉しそうにそこを手のひらで撫でられる。ぴくん、と揺れて、また熱くなった。
「一臣さんのえっち。」
「それは君でしょ?俺はまだ余裕あるもの。」
とろんと、とろけた思考で、一臣を見上げる。確かにまだ兆していなかった。悔しくなって、体を起こす。
「今日は僕が口でする。」
宣言すると、一臣はにやりと笑って、バスローブを床に落とした。あらわになったそれに、指を這わせる。それだけでは、一臣は喜ばないのを知っている。ぺろ、と裏側に舌を伸ばし、何度も往復させる。するとやっと一臣が芯を持ち始めた。嬉しくなって、カプリと先端を咥えた。すると、一臣の質量は一気に増えた。少し苦しかったが、咥えられるだけ咥えて、歯を当てないように気を付けながら、口腔と舌で愛撫する。
「のどまで入れなくていいよ。」
一臣が頭の上に手を置いて言う。一生懸命、手と舌で一臣を気持ちよくしてあげようと頑張っていると、ぴくん、と口の中で動いた。それを合図に、一臣が口の中から抜け出てゆく。
「上手になったよね。仕込んだのは俺だけど。」
悪びれずに言って、もういいよ、とどこからともなくローションのボトルを手にした。
「すばるあおむけ。足開いて?」
顔を見ながらしたいから、体位はいつも正常位だった。腰の下にクッションを置かれ、尻を高く上げられる。恥ずかしかったが、これから訪れる快感を思うと、胸が高鳴った。
ドキドキうるさい胸に手を置いて、深く深呼吸する。すると、それを見計らって、一臣が濡れた指を秘部に這わせた。ヌルヌルが気持ちいい。ゆっくりとそこをほぐしてゆく一臣。やがて柔らかくなってくると、指を一つ差し込むのだ。
「んぅ。」
訪れた異物感に小さく呻く。
「痛くない?」
「うん。」
指を深くして、前立腺を刺激する。
「あっ・・・あ・・・。」
指一本の刺激なのに、ペニスは硬く立ち上がり、蜜をこぼし始める。
気持ちいい・・・。
指一つか二つくらいが、痛みも苦しさもなく、快楽のみを追わせてくれる。このままイってしまいそう。そう思った時、指をもう一本咥えさせられた。一臣のは、これよりもう少しだけ大きい。だから、指を三本泣かないで受け入れられないと、一臣は先に進まないのだ。
「んんぅ・・・。」
少し苦しいけど、大丈夫そう。体は一臣に慣れていて、少し苦しいくらいで受け入れるのが好きだった。より、開かれていく感覚を味わえるからだ。
「一臣さん・・・もうほしい・・・。」
「ん。」
一臣はゴムをつけると、ローションを塗り、固く熱いそれを秘所にあてがった。ゆっくりと、先をくぐらせてゆく。
「あー・・・。」
生理的な涙が、目じりを伝って、耳をくすぐる。その間にも、一臣は時間をかけて身を進め、先端を咥えさせた。
一番苦しくて、一番気持ちいい。
太いそれに貫かれて、身じろぎもできない。
一臣は亀頭を収めると、竿の部分も残らず挿入した。ぱちゅん、と尻と一臣の肌が触れる。一臣はさらにその奥をえぐるように小さく突いた。
「あっ!あ、あ、っ・・・んっ!」
深い部分に与えらえる小さな律動に、声が止まらない。指をくの字に曲げて口元にやると、一臣が見とがめて、噛まないで、聞かせて、と囁いた。
「んっ、んっ、あ・・・奥・・・きもちい・・・。」
擦られる前立腺と、奥への刺激に、達してしまいそうだ。
中がヒクヒクとうねりだす。一臣が、出してもいいよ、と枕もとからタオルを手にした。
「一緒がいい・・・。」
「じゃぁちょっと頑張ってつきあって?」
頷くと、一臣の腰使いが変わった。大きく引いては勢い良く突き入れられる。摩擦で、中が焼けるように熱い。ぱちゅぱちゅと水の音がする。恥ずかしいなんて、思っている余裕などない。シーツを握りしめて、快感の波を必死にたえる。
「あっーあーっ・・・んっ、う。あーあーっ。」
あられもない嬌声が、口からほとばしる。
「あっ、やだ、かずおみさんっ・・・まだっ?」
「もう・・・イクっ。」
ずるっと一臣が抜け出ていき、ギリギリのところで、最奥を突き上げらえた。
「うぁっ、あっ!あー・・・。」
「つっ・・・くぅ。」
声が重なる。一臣の腹を、白濁で濡らしていた。独特の匂いがあたりに漂う。一臣は、しばらく抜かずに体を沈めたまま背中に腕を回して抱きしめてくれた。
耳元に、よかった?と囁く。かあぁっと耳が熱くなる。コク、と小さくうなずくと、一臣は頬に軽いキスをした。目じりにたまった涙を舐められる。
「ふふ。しょっぱい。」
やがて、一臣が抜け出ていき、喪失感と充足感を得る。
一臣はゴムを処理し、タオルで腹を拭うと、もう一回する?と聞いてきた。
「ん・・・もう充分。」
「すばるは淡白だなぁ。」
「・・・誰と比べてるの?」
俺ですよ、と髪を梳き始める。これをされると、すぐに眠たくなってしまう。
「シャワー浴びよ?汗すごい・・・。」
「うん。」
一臣は頷いたが手を止めない。
「一臣さん、眠くなっちゃうから。」
手を捕まえて抗議すると、やっと一臣がしかたないなぁと手をどける。
「終わった後はいちゃいちゃしたいです。」
一臣が不貞腐れる。
「じゃぁお水とって。喉からから。」
良く鳴いてたもんね、と一臣がキャップを開けて渡してくれる。それにまた耳を熱くしながら水でのどを潤す。
「あー美味し。」
「ん。俺も。」
一臣も、ボトルを手にし、一気にごくごくと半分以上を飲んでしまった。
「すばる、完全に中だけでイケるようになったもんね。」
「誰がこんな体にしたんですかー。」
俺でーす。と一臣が笑う。
よかった。二回目なんて持ち掛けるから、満足してないかと思ったけど、そうでもないみたい。
あふ、とあくびが出る。射精の後は眠くなる。
「一臣さん、シャワー・・・。」
「はいはい。」
手を引いて起こしてくれ、汚したタオルとバスローブを持って、階下へとふらつく足取りで向かった。
翌朝。早速ネットで、保健所の電話番号を調べる。調べている途中で、日曜日に、猫の譲渡会があるのを知った。
夏に生まれる子猫が多いようで、丁度生後一ヶ月くらいの子猫を、飼い主がマッチングして引き渡すらしかった。赤ちゃんが育てにくければ、普通の餌が食べられるようになるまで、預かっていてくれるパターンもあるようだ。これなら、生まれも育ちもわかるし、保健所に捨てられた猫よりは、安全な気がした。どちらにせよ、飼いきれない子猫はどうなるかわからない。一臣に話してみることにした。
「譲渡会?」
「うん。区役所の庭で、日曜日にあるらしいんだ。行ってみる価値あると思わない?」
一臣は唸ったが、すばるがそうしたいなら一緒に行くよと、了承してくれた。
譲渡会当日。猫用のバスケットを買って、飼い主に渡す謝礼も用意して、会場へ向かった。会場は、猫を引き渡したい飼い主が七組ほどいたが、欲しいという人はまばらで、あとは冷やかしに愛でているだけのようだった。そんな中、訳ありですとプレートのついたゲージがあった。見ると、左右で目の色が違う、綺麗な毛足の短い白猫が一匹おさまっていた。一見して、何が訳ありなのかわからない。しばらく気になってみていると、飼い主の方から声をかけてきた。ふくよかな女性だ。
「こんにちは。どんな猫ちゃんをお探しですか?」
「どんな・・・って特に決めてなくて。相性が良ければ。」
素直にそう言うと、その飼い主は、この猫は片耳が聞こえないんです。と言った。
「オッドアイ、って言うんですが、左右で目の色が違う猫は、片方の耳が生まれつき聞こえない子が多いそうなんです。この子も、青い目の方の左耳が聞こえていません。でも、片方聞こえているので、普通の猫ちゃんと同じように飼うことはできます。青と金の目の色の猫は、日本では『金銀目』と言って、縁起がいいんですよ。」
白猫は、ゲージの中にちょこんと座り、こちらを見上げていた。
「触っても・・・大丈夫ですか?」
しゃがんで、ゲージの隙間から指を入れる。
「はい。・・・猫を飼ったことはありますか?」
「初めてなんです。」
そっと指先で額のあたりを撫でる。子猫は大人しくしていた。すり、と耳の付け根を指に摺り寄せてくる。
「じゃぁ、もう少し大きくなってからの方がいいかもしれませんね。今、離乳食が少し硬めになってきたところです。お世話するのは、あなたですか?」
「はい。」
頷くと、飼い主は思案気に子猫を見た。
「バスケット、用意してくれたんですね。事前に勉強は?」
「少ししました。本当の赤ちゃんだったら、こまめにミルクをあげて、排せつも手伝わないといけないって。」
「この子はもう一人でトイレはできます。砂でトイレをするのを覚えていますから、トレーニングは楽だと思います。
バスケットのほかに用意したものはありますか?」
「まだこれから。いい子がいたら、買いに行こうと思って。」
「最初は、トイレと子猫用のミルクと餌があれば大丈夫です。
おもちゃは、この子が気に入っているのがあるので、一緒に差し上げます。・・・どうでしょう?あなたなら信用できそうです。きっとあなたに幸福を運んでくれます。」
信用できそう、そう言われて、コクと唾液を飲み込んだ。飼い主の方だって、信用して可愛がってくれるだろう人に渡したいはず。見た目はとてもきれいで、大人しそうな猫だった。
一臣を振り返る。
「耳が聞こえていないのは、獣医に診てもらったんですか?」
「はい。ですから間違いありません。」
一臣はそうですか、と吐息交じりに応えた。
「どうする?」
「・・・だって、目が合っちゃったんだよ。可愛い。」
他にも猫は三十匹ほどいたが、訳ありのこの子から目が離せなかった。
「では、その動物病院を教えてください。何かあった時に成育歴が分かる方が安心ですから。」
「もらってくれるんですか!?」
飼い主の表情がぱぁっと明るくなった。訳あり、というくらいだから、飼い主の方も望み薄で連れてきていたのだろう。ほかの譲渡者の中からは少し離れたところにゲージを置いているところを見ても、そんな心情が見て取れた。
「今、夏休みだから、付きっきりでお世話できます。連れて帰ったらだめですか?」
「普段はどなたか家にいますか?」
「普段は、学校と仕事で、平日は家を空けてます。僕は帰るのは五時過ぎです。」
「この子の性格にもよりますが、淋しいといたずらしたりするかも知れませんね。猫は自由な生き物ですから、日中誰もいなければ、たいがい寝て過ごすとは思いますが。まだ子猫で元気が有り余ってますので。」
いたずらかぁ。どんなことするんだろう?
少し眉をひそめたのを見て取って、飼い主の女性も、困ったという顔をした。
「爪で家具を傷つけたり、ソファーやベッドにおしっこをしてしまったり。猫を飼うのは大変ですよ。でも、いたずらされても、許せるくらい可愛がってくれる方でないと・・・。」
それはそうだ。
家主の一臣を見上げると、それは少し困ったなという顔をしていた。
「ソファーは撥水のカバー掛けたら大丈夫だよ。布団は洗えば済むんだし、普段寝室を開けっぱなしにしなければいいんだし。」
解決策を模索する。
「カーテンをよじ登ったりもするかもしれません。うちの子は小さいときよくやってましたから。」
「一臣さん、キャットタワー買うのはどう?上るとこあったら、カーテンは大丈夫かも。」
「リビングに置くの?」
「うん。飼うとなったら猫仕様にしないとだめだよ。」
飼いたいと言い出したのは一臣で、自分はもう腹を決めていた。
「この子、僕が飼います。」
そう伝えると、女性は、目に涙を浮かべた。指先で拭いながら、ありがとう、と言った。
「この譲渡会に来るのは三度目なんです。今日駄目だったら、家で飼おうと思っていたんですが。決めてくれてありがとうございます。」
女性があんまりぺこぺこと頭を下げるので、少し困ってしまった。女性に謝礼を渡すと、中を見て返された。
「このお金は、必要なものを買うために使ってあげてください。もし、トイレ以外でおしっこをするのが続くときは、去勢をすると頻度が減るかもしれません。雄猫はマーキングも本能ですので。」
女性は財布から、猫の診察券を出して、手渡してきた。
「この近くの動物病院です。」
そういえば性別を気にしていなかったが、どうやら雄猫のようだった。ふらっと来てしまったんだな、と自分に呆れる。
ともあれ、その白猫は、バスケットに収まり、インプレッサの後部座席にシートベルトで固定されていた。これからホームセンターに向かうのだ。
飼い主の女性は、姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
「名前どうしようか?」
一臣が運転しながら声をかける。
「僕もう決めてある。アルテミス。アルで、いいよね?」
「アル?・・・月?」
そう、と頷いた。
「女神さまの名前じゃなかった?」
「そうだけど、名前は初めから決めてて。」
「え?来る前から?」
うん、と頷く。
「本当は、雌猫がよかったんだ。男には雌猫、女には雄猫がよくなつくって読んだから。でももう、気にしないことにする。」
猫にまで、女の子がよかったと押し付けるのは、酷だと思ったからだ。何より自分がそうされて辛い思いをしてきたから。
「ちゃんとお世話したら、なついてくれないかな。」
「それは、性格によると思う。」
「そっか、そうだよね。」
そんなことを話しているうちに、目的のホームセンターについた。小さいながらも、ペットも扱っている店舗で、ペット用品が充実していると、事前に調べてあった。バスケットもここで買ったのだ。車の窓を少しずつ開けて、急いで店内に入る。トイレと、猫用ミルクと、子猫用の缶詰とカリカリ。
爪とぎと、かまくら型のベッド。一臣は、キャットタワーの配達を依頼していた。
気温は高い、すぐに車に戻らないと。大急ぎで買い物を済ませ、後部座席の空いている方に荷物を積み込んだ。
「タワーの配達今日の午後には大丈夫だって。」
「ほんと?早いね!」
なんだかワクワクしてきた。
「アルー、もうすぐお家だからね。」
呼びかけると、不思議なことに、アルテミスはミャウと返事をした。
「えーすごい!もう自分の名前覚えたのかな?」
「偶然だよ偶然。」
一臣は冷静だ。それでもなんだかうれしくなって、早く帰ろう?と一臣を急かした。
ホームセンターの軽トラが、キャットタワーを運んできてくれ、指定の場所に設置までしていってくれた。トイレは、リビングの隅に、寝床はとりあえずソファーの隣に置いてみた。餌場はキッチンの隅。
アルは家の中を探検し始めた。一通り探検を済ませ、腹が減ったのか、ミャウミャウと鳴いている。缶詰を開けてやると、顔を突っ込んで食べ始めた。食べ慣れているのだろうか。臭いを確認すると、一心不乱だ。きれいな顔が餌まみれだった。それがおかしくて、ふふと笑ってしまった。一臣も、その様子を後ろから見ている。
「すごいね。お腹空かしてたんだね。」
「一回の量って、どれくらいなんだろう?カリカリの方には月齢と、グラムが書いてあるけど・・・。」
「この季節だし、残したら捨てて、次から食べた分だけ出すようにしたら?」
そうだね、と頷く。冷房が効いているとはいえ、缶詰の餌はすぐに傷みそうだった。食べ終わったアルの顔を、濡らしたタオルおしぼりで拭いてやる。
「本当はこういうの、母猫の仕事だよね。」
子猫なのに、なんだか可哀そうだった。
「その分すばるが面倒見てあげたらいいじゃない。」
一臣が能天気に言ってくる。
「学校始まるまでに、自分で顔を綺麗にできるようになるか、カリカリが食べられるようになるかしないと、困るよ。」
「それもそうだ。」
一臣はどこか他人事で。
「僕がいないときは、一臣さんがすることだってあるんだから、ちゃんと勉強してよー。」
ぶーとため息をつくと、一臣ははいはい、と笑った。
「ところですばる、お昼ご飯どうする?」
「えっ?あ・・・すぐにできるのパスタくらいしかないよ。
ナポリタンでいい?」
ピーマンとベーコンは冷蔵庫にあったはず。
「うん。手伝うことある?」
「アルのこと見てて。」
一臣は、ソファーによじ登って眠る体制を作り始めたアルをひょいと抱き上げて膝に乗せた。アルはそのまま、眠るつもりになったようだった。その背中を一臣が撫でる。
その手は僕のものなんだけどなー・・・。
思いながら、パスタを茹でるお湯を沸かし始めた。
お湯が沸く間、ソファーの一臣の隣に座る。アルは真っ白ではなく、尻尾にうっすらと薄茶色の縞々があった。可愛い。
「あ。首輪買わなかったね。」
「すぐに大きくなるだろうし、必要なら後で買えばいいよ。
外に出すつもりはないんでしょう?」
「うん。外猫は寿命が短いんだって。家と外両方だと、たぶん十年くらいしか生きられないと思う。完全家猫なら二十年くらいだって。あとで、獣医さんに診てもらった方がいいの?健康診断とか、除虫とか。」
「えらいな、すばる。そんなことまでちゃんと調べたの?・・・二十年か・・・長い付き合いになるんだね。」
「だって、お世話するの僕だし?」
一臣さん可愛がるだけの担当でしょ!と怒って見せる。
「わかった。じゃぁ、トイレもたまには掃除するよ。」
「たまには?」
一臣は、うん、と頷いた。
夏休みが終わるころ、アルはきちんとトイレを覚え、子猫用のカリカリを食べるようになっていた。猫の成長は早い。
アルをもらってきた翌週には、バスケットに入れて自転車に乗せ、診察券をもらった動物病院まで行ってきた。一臣が、平日には車を出せないからだ。暑い中アルにも可哀そうなことをしたが、健康診断と除虫は早い方がいいと思ったので、半ば無理矢理行くことにしたのだった。幸いアルに蚤やマダニはついておらず、室内飼いの子猫なら寄生虫の心配もないだろうということだった。ただ、やはり左耳は聞こえないようで。医師が言うには、全く聞こえていないわけではなく、難聴のようだと言っていた。その動物病院には、ペットホテルが併設されていて、かかったことのあるなしにかかわらず、利用できるとのことだった。
よかった。預ければ泊りの旅行もできないことはないんだな。
そう思い、動物病院を後にした。野良猫と、譲渡会でもらった猫の健康診断は無料とのことで、ありがたくタダで診てもらった。
アルは順調に大きくなっていた。夜は、リビングのエアコンを切ってしまうので、仕方なく一臣の部屋で一緒に寝ることになった。今のところ、特に粗相をされたりとかはない。ただ、爪が引っ掛かるのか、枕のタオルが糸だらけになってしまった。そのタオルは、諦めてアルにあげることにし、足元で寝てもらうことにしたのだった。最初は淋しかったのか、顔の方に来たりもしたが、今は落ち着いて足元で寝てくれている。蹴り落さないか気を使うが、こちらも徐々に慣れてきた。さすがに金曜の夜だけは、リビングのソファーで寝てもらっていたが。相手が猫とはいえ、見られるのは恥ずかしい。
一臣も、猫のいる生活に慣れた様だった。
アルは大人しい性格で、一緒にもらってきたお気に入りの猫じゃらしで遊ぶほかは、特に何かするでもなく、キャットタワーの上に登って、人間の生活を見下ろしていた。
餌の時間は、朝晩二回。水と一緒に与えていた。このペースなら、学校が始まっても大丈夫そうだと言えた。
アルの絵を何枚か描いた。学校祭には、アルを出そうと思い始めていて、チャンスがあれば写真を撮らせてもらっていた。
「眺めいいね・・・。」
登って来た丘を振り返って呟くと、だからここにしたんだよ、と一臣が返した。桶の中にはたわしが入っていて、一臣は雑草を抜き終えると、それで墓石とその周りの囲いを丁寧に磨いた。最期に水で清める。花立てに水を注ぐと、活けるように言われた。きれいにした線香の台に、紫色の線香をあげる。二人手を合わせて、お参りは済んだ。
「本当は、お盆で父も母も位牌のある山梨に行ってしまうから、お花もお線香もいらないんだけど、気持ちだしね。」
「うん。」
早乙女家にも小さな仏壇があり、先祖代々と、祖父母が眠っている。七月のお盆をすっぽかした代わりに、明日実家に帰ることになっていた。お盆休みの一臣が送ってくれる。
心配なことがある。姉も、お盆休みで実家に帰省しているからだ。膨らんだお腹を見るのは、一臣にはまだ辛いかもしれない。それに、忠則も来ている。自分はむしろ義兄に会いたくなかった。一臣は、去年、自分を自宅に引き取りたいと申し出た時以来、早乙女家には足を踏み入れていなかった。今回も、近くで待っていてくれたらすぐに帰ると伝えたのだが、父に挨拶がしたいからと、顔を出すつもりのようだった。
「一臣さん、お墓になんて?」
紹介したいから連れていくと言っていた一臣だ。
「・・・うん。すばると、一緒に生きていきます、って。」
一臣の父親は、一臣が女性を選べないことを気に病んでいたと聞いた。それなのに・・・。
「ありがとう。」
「うん。」
女の子じゃなくてごめんなさい。心の中で謝りはしたが、口には出さなかった。もう、後ろ向きでいるのは、一臣の覚悟に対して失礼だと思ったからだ。
礼を言って、もう一度お墓に手を合わせた。
お盆休みの二日目。一臣の車で、実家に帰ってきていた。
人数が多いので、応接間ではなく、リビングへと通された。両親のほかに、姉夫婦がいて、続きのキッチンで賑やかにしている。手土産は、一臣が桃を用意していた。それを楽しそうに剥いているのだ。一見、何の変哲もない普通の家庭を思わせたが、母は、一度も自分と目を合わせようとしなかった。桃は、父が受け取り、丁寧に礼を言っていた。
「佐伯君、あれからすばるの様子はどうかな。」
ソファーに向かい合わせに座り、父が一臣に問いかける。
「頭痛はまだ時々出ますが、頻度は減ったと思います。ただ、低気圧や人混みには弱いようで。」
普通に暮らしている分には、薬でコントロールできていますと、付け加えた。
「君が医者で助かってるよ。すばるがいい顔をしている。前ほどおどおどした風ではなくなったな。」
「それは、好きなことをやらせてもらっていることもあって、自信につながっているんだと思います。」
一臣がまた、流暢に話し出した。
この分なら大丈夫そうかも。
その時、母と姉が剥いたばかりの桃をテーブルに置いた。姉のお腹はふっくらとしている。
「お姉さんも、順調そうで・・・。」
一臣が言うと、明が嬉しそうに微笑んだ。
「あのね、性別が分かったの。多分男の子ですよって。」
それを聞いていた忠則が、後継ぎが生まれそうで良かったと、笑った。相変わらず猫をかぶっている。
「佐伯さんの方もうまくやっているようで、義弟が明るくなってほっとしてますよ。」
しらじらしい。もう早くこの場から逃げたくて、出された桃に手を付けた。
「あ、美味しい。」
「でしょう?兄嫁の実家が桃農家なんです。」
疎遠にしていても、桃の味だけは、かっているらしい一臣は、照れ臭そうに笑った。
「兄夫婦は、山梨に土地をもらって家を建てて、今は向こうの義母さんと同居してるんです。あまり交流はないんですが、季節柄何かと桃を送ってもらっています。甥っ子が二人いて、やっぱり、義姉は実母に育児を手伝ってもらいたいようで。
向こうのお母さんも、ゆくゆくは、娘に世話を頼みたいようで・・・。」
「あら、私だって、老後は明さんと住みたいわ。」
母が口をはさんだ。
「私も、育休明けたら復職したいから、お母さん居てくれると、助かるわ。」
姉もそう言って、二人で微笑みあっている。
丸く収まっていいじゃないか。
視線を桃に落としていると、忠則が笑みを浮かべているのが気配で分かった。まるで、お前の居場所はもうここにはないと言われているようで。急いでパクパクと桃を平らげた。
「僕、お線香あげてくる。お盆ごめんなさい。」
「忙しくしていたなら仕方ない。学生はやることをやってたらそれでいい。」
父が寛容な発言をした。それに少し驚いた。裏を返せば、無理に帰ってこなくてもいいと言われた気がして。
被害妄想だな・・・。
線香をあげるために席を立つ。すると、一臣も立ち上がった。
「私もお線香あげさせてもらっても?昨日すばる君にお墓掃除手伝ってもらったので。」
父は、少し驚いた顔をしたが、そうしてくださいと仏間に案内するためか席を立った。
父を先頭に、仏間へと入る。小さな造りの仏壇があり、父がろうそくに火を灯した。
「ありがとう。」
礼を言って、線香に火をつけ、香炉に立てる。手を合わせると、一臣が続いた。
「ではこれで、お暇しますね。」
「あぁ。すばるのことはゆっくり休ませてやってください。気疲れしているだろうから。」
父はそう言うと、たまには顔を出しに来なさいと、電車代だろうか、ポチ袋を握らせた。
「母さんに見つからないうちにしまいなさい。」
そう言われ、慌ててポケットにしまう。
「じゃぁまた。」
「うん。また。ありがとう。」
玄関先まで見送ってくれる父。姉が慌てて、リビングから飛び出してきた。
「もう帰るの?」
「うん。お線香あげに来ただけだし。」
「・・・きっと、あなたに似た子が生まれるわ。お母さんはがっかりしていたけど・・・。もう気持ち切り替えたみたい。安心してね。」
姉はそう言うと、一臣に向き直った。
「すばるをよろしく頼みます。」
「大丈夫。大切にしてますよ。」
明が頷くのを待って、靴を履き、早乙女家を後にした。
近くのコインパーキングまでを歩く。疲れもあったが、暑さにもやられそうだった。
「・・・頭痛、大丈夫?」
「うん。今日はまだ。長居しなかったし。」
「そっか。暑いね。早く帰ろう。」
帰ろう、と言われて、自分の帰る家は、もう実家ではないと改めて感じた。
「うん。帰ろ・・・。」
手をつなぎたい気分だった。人目をはばかって、できなかったけれど。
車に乗り込み、エアコンを効かせ、家路につく。そう遠くない距離だ。
「そういえば、お父さんいくらくれたの?」
一臣が無粋なことを聞いてくる。
「わからない。帰ったら開けてみるよ。」
なんとなく、その金額が愛情のバロメーターのような気がして、開けるのが少し怖かった。
その夜。一臣が、明日も休みだし、ね?と求めてきた。
父からのポチ袋には、一万円札が入っていた。一臣の家から実家までの電車賃にしては多すぎる。夏休みのお小遣いといったところか。その額に、少々驚いた。
二人、ぬるい風呂につかりながら話す。バスタブは話をするのにちょうどいい距離感だった。
「多い、よね?」
「そうかな?バイトしたことも話してないんだし、妥当じゃない?」
そのバイトの報酬もまだ貰っていないのだが。
「一臣さんも、貰ってた?」
「バイトができる学部じゃなかったからね。多少は貰ってたけど、学費も高かったから、要求したことはなかったよ。」
さすが医学部。言うことが違う。
「まぁ、もらっておきなよ。使うかどうかは別にしてさ。」
それより、と一臣が話題を変える。
「お姉さん良かったね。お腹の子が男の子でも、お母さん納得してくれたみたいだったじゃない。やっぱり、後継ぎ欲しかったのかなぁ。十八年もたてば、気持ちも少しは変わるのかな。」
「自分が生むわけじゃないしね。」
それもそうだと、一臣が笑った。
「よかったね。望まれた子だよ。これで一つ、君の心配事は減ったわけだ。」
「まだ・・・無事に生まれるまで心配です。」
「それもそうだ。」
何があるかわからないのは、一臣が一番よく、身をもって知っていた。
「・・・猫、飼おうかすばる。」
俺が夜勤の時、淋しいでしょう?と一臣が言う。
「お世話するの僕でしょう?」
「まぁ・・・。それは。」
俺の子だと思って面倒見てよと、一臣は苦笑した。
「猫かぁ。嫌いじゃないけど・・・。充さんが言ってたみたいに、保健所から引き取るの?」
「のつもり。かわいそうな命は少ないに越したことないから。」
「可愛くて健康な子がいればいいけど・・・。」
「それより相性でしょ。」
とにかく一度電話だね、と話は終わり、ざぶんと顔を拭った。
バスタブを先に出て、シャワーを頭から浴びる。先に出るねと言い置いて、浴室を後にした。
一臣の部屋にはあらかじめきつめにエアコンを入れておいた。これから少々熱くなるからだ。
あとから風呂を出た一臣も、バスローブを羽織っただけで、寝室にやってきた。手には、ミネラルウォーターのペットボトルが二本。
「飲むでしょ?」
「うん。ありがと。」
受け取って、キャップを開ける。のどを潤すと、ベッドサイドのチェストにボトルを置いた。一臣も同じようにして、ベッドに上がってくる。
どちらともなくキスをして、指を絡めあった。徐々に深くなってゆく口づけ。舌を舐められると、それだけで鳥肌が立った。ゾクゾクが腰にわだかまってゆく。ゆっくりと押し倒される。キスは続いた。唾液が飲み込みきれなくなって、あごを伝う。すると、一臣が上半身を起こして、指先でそれを拭った。
「よかった。ちゃんと反応してくれてる。」
嬉しそうにそこを手のひらで撫でられる。ぴくん、と揺れて、また熱くなった。
「一臣さんのえっち。」
「それは君でしょ?俺はまだ余裕あるもの。」
とろんと、とろけた思考で、一臣を見上げる。確かにまだ兆していなかった。悔しくなって、体を起こす。
「今日は僕が口でする。」
宣言すると、一臣はにやりと笑って、バスローブを床に落とした。あらわになったそれに、指を這わせる。それだけでは、一臣は喜ばないのを知っている。ぺろ、と裏側に舌を伸ばし、何度も往復させる。するとやっと一臣が芯を持ち始めた。嬉しくなって、カプリと先端を咥えた。すると、一臣の質量は一気に増えた。少し苦しかったが、咥えられるだけ咥えて、歯を当てないように気を付けながら、口腔と舌で愛撫する。
「のどまで入れなくていいよ。」
一臣が頭の上に手を置いて言う。一生懸命、手と舌で一臣を気持ちよくしてあげようと頑張っていると、ぴくん、と口の中で動いた。それを合図に、一臣が口の中から抜け出てゆく。
「上手になったよね。仕込んだのは俺だけど。」
悪びれずに言って、もういいよ、とどこからともなくローションのボトルを手にした。
「すばるあおむけ。足開いて?」
顔を見ながらしたいから、体位はいつも正常位だった。腰の下にクッションを置かれ、尻を高く上げられる。恥ずかしかったが、これから訪れる快感を思うと、胸が高鳴った。
ドキドキうるさい胸に手を置いて、深く深呼吸する。すると、それを見計らって、一臣が濡れた指を秘部に這わせた。ヌルヌルが気持ちいい。ゆっくりとそこをほぐしてゆく一臣。やがて柔らかくなってくると、指を一つ差し込むのだ。
「んぅ。」
訪れた異物感に小さく呻く。
「痛くない?」
「うん。」
指を深くして、前立腺を刺激する。
「あっ・・・あ・・・。」
指一本の刺激なのに、ペニスは硬く立ち上がり、蜜をこぼし始める。
気持ちいい・・・。
指一つか二つくらいが、痛みも苦しさもなく、快楽のみを追わせてくれる。このままイってしまいそう。そう思った時、指をもう一本咥えさせられた。一臣のは、これよりもう少しだけ大きい。だから、指を三本泣かないで受け入れられないと、一臣は先に進まないのだ。
「んんぅ・・・。」
少し苦しいけど、大丈夫そう。体は一臣に慣れていて、少し苦しいくらいで受け入れるのが好きだった。より、開かれていく感覚を味わえるからだ。
「一臣さん・・・もうほしい・・・。」
「ん。」
一臣はゴムをつけると、ローションを塗り、固く熱いそれを秘所にあてがった。ゆっくりと、先をくぐらせてゆく。
「あー・・・。」
生理的な涙が、目じりを伝って、耳をくすぐる。その間にも、一臣は時間をかけて身を進め、先端を咥えさせた。
一番苦しくて、一番気持ちいい。
太いそれに貫かれて、身じろぎもできない。
一臣は亀頭を収めると、竿の部分も残らず挿入した。ぱちゅん、と尻と一臣の肌が触れる。一臣はさらにその奥をえぐるように小さく突いた。
「あっ!あ、あ、っ・・・んっ!」
深い部分に与えらえる小さな律動に、声が止まらない。指をくの字に曲げて口元にやると、一臣が見とがめて、噛まないで、聞かせて、と囁いた。
「んっ、んっ、あ・・・奥・・・きもちい・・・。」
擦られる前立腺と、奥への刺激に、達してしまいそうだ。
中がヒクヒクとうねりだす。一臣が、出してもいいよ、と枕もとからタオルを手にした。
「一緒がいい・・・。」
「じゃぁちょっと頑張ってつきあって?」
頷くと、一臣の腰使いが変わった。大きく引いては勢い良く突き入れられる。摩擦で、中が焼けるように熱い。ぱちゅぱちゅと水の音がする。恥ずかしいなんて、思っている余裕などない。シーツを握りしめて、快感の波を必死にたえる。
「あっーあーっ・・・んっ、う。あーあーっ。」
あられもない嬌声が、口からほとばしる。
「あっ、やだ、かずおみさんっ・・・まだっ?」
「もう・・・イクっ。」
ずるっと一臣が抜け出ていき、ギリギリのところで、最奥を突き上げらえた。
「うぁっ、あっ!あー・・・。」
「つっ・・・くぅ。」
声が重なる。一臣の腹を、白濁で濡らしていた。独特の匂いがあたりに漂う。一臣は、しばらく抜かずに体を沈めたまま背中に腕を回して抱きしめてくれた。
耳元に、よかった?と囁く。かあぁっと耳が熱くなる。コク、と小さくうなずくと、一臣は頬に軽いキスをした。目じりにたまった涙を舐められる。
「ふふ。しょっぱい。」
やがて、一臣が抜け出ていき、喪失感と充足感を得る。
一臣はゴムを処理し、タオルで腹を拭うと、もう一回する?と聞いてきた。
「ん・・・もう充分。」
「すばるは淡白だなぁ。」
「・・・誰と比べてるの?」
俺ですよ、と髪を梳き始める。これをされると、すぐに眠たくなってしまう。
「シャワー浴びよ?汗すごい・・・。」
「うん。」
一臣は頷いたが手を止めない。
「一臣さん、眠くなっちゃうから。」
手を捕まえて抗議すると、やっと一臣がしかたないなぁと手をどける。
「終わった後はいちゃいちゃしたいです。」
一臣が不貞腐れる。
「じゃぁお水とって。喉からから。」
良く鳴いてたもんね、と一臣がキャップを開けて渡してくれる。それにまた耳を熱くしながら水でのどを潤す。
「あー美味し。」
「ん。俺も。」
一臣も、ボトルを手にし、一気にごくごくと半分以上を飲んでしまった。
「すばる、完全に中だけでイケるようになったもんね。」
「誰がこんな体にしたんですかー。」
俺でーす。と一臣が笑う。
よかった。二回目なんて持ち掛けるから、満足してないかと思ったけど、そうでもないみたい。
あふ、とあくびが出る。射精の後は眠くなる。
「一臣さん、シャワー・・・。」
「はいはい。」
手を引いて起こしてくれ、汚したタオルとバスローブを持って、階下へとふらつく足取りで向かった。
翌朝。早速ネットで、保健所の電話番号を調べる。調べている途中で、日曜日に、猫の譲渡会があるのを知った。
夏に生まれる子猫が多いようで、丁度生後一ヶ月くらいの子猫を、飼い主がマッチングして引き渡すらしかった。赤ちゃんが育てにくければ、普通の餌が食べられるようになるまで、預かっていてくれるパターンもあるようだ。これなら、生まれも育ちもわかるし、保健所に捨てられた猫よりは、安全な気がした。どちらにせよ、飼いきれない子猫はどうなるかわからない。一臣に話してみることにした。
「譲渡会?」
「うん。区役所の庭で、日曜日にあるらしいんだ。行ってみる価値あると思わない?」
一臣は唸ったが、すばるがそうしたいなら一緒に行くよと、了承してくれた。
譲渡会当日。猫用のバスケットを買って、飼い主に渡す謝礼も用意して、会場へ向かった。会場は、猫を引き渡したい飼い主が七組ほどいたが、欲しいという人はまばらで、あとは冷やかしに愛でているだけのようだった。そんな中、訳ありですとプレートのついたゲージがあった。見ると、左右で目の色が違う、綺麗な毛足の短い白猫が一匹おさまっていた。一見して、何が訳ありなのかわからない。しばらく気になってみていると、飼い主の方から声をかけてきた。ふくよかな女性だ。
「こんにちは。どんな猫ちゃんをお探しですか?」
「どんな・・・って特に決めてなくて。相性が良ければ。」
素直にそう言うと、その飼い主は、この猫は片耳が聞こえないんです。と言った。
「オッドアイ、って言うんですが、左右で目の色が違う猫は、片方の耳が生まれつき聞こえない子が多いそうなんです。この子も、青い目の方の左耳が聞こえていません。でも、片方聞こえているので、普通の猫ちゃんと同じように飼うことはできます。青と金の目の色の猫は、日本では『金銀目』と言って、縁起がいいんですよ。」
白猫は、ゲージの中にちょこんと座り、こちらを見上げていた。
「触っても・・・大丈夫ですか?」
しゃがんで、ゲージの隙間から指を入れる。
「はい。・・・猫を飼ったことはありますか?」
「初めてなんです。」
そっと指先で額のあたりを撫でる。子猫は大人しくしていた。すり、と耳の付け根を指に摺り寄せてくる。
「じゃぁ、もう少し大きくなってからの方がいいかもしれませんね。今、離乳食が少し硬めになってきたところです。お世話するのは、あなたですか?」
「はい。」
頷くと、飼い主は思案気に子猫を見た。
「バスケット、用意してくれたんですね。事前に勉強は?」
「少ししました。本当の赤ちゃんだったら、こまめにミルクをあげて、排せつも手伝わないといけないって。」
「この子はもう一人でトイレはできます。砂でトイレをするのを覚えていますから、トレーニングは楽だと思います。
バスケットのほかに用意したものはありますか?」
「まだこれから。いい子がいたら、買いに行こうと思って。」
「最初は、トイレと子猫用のミルクと餌があれば大丈夫です。
おもちゃは、この子が気に入っているのがあるので、一緒に差し上げます。・・・どうでしょう?あなたなら信用できそうです。きっとあなたに幸福を運んでくれます。」
信用できそう、そう言われて、コクと唾液を飲み込んだ。飼い主の方だって、信用して可愛がってくれるだろう人に渡したいはず。見た目はとてもきれいで、大人しそうな猫だった。
一臣を振り返る。
「耳が聞こえていないのは、獣医に診てもらったんですか?」
「はい。ですから間違いありません。」
一臣はそうですか、と吐息交じりに応えた。
「どうする?」
「・・・だって、目が合っちゃったんだよ。可愛い。」
他にも猫は三十匹ほどいたが、訳ありのこの子から目が離せなかった。
「では、その動物病院を教えてください。何かあった時に成育歴が分かる方が安心ですから。」
「もらってくれるんですか!?」
飼い主の表情がぱぁっと明るくなった。訳あり、というくらいだから、飼い主の方も望み薄で連れてきていたのだろう。ほかの譲渡者の中からは少し離れたところにゲージを置いているところを見ても、そんな心情が見て取れた。
「今、夏休みだから、付きっきりでお世話できます。連れて帰ったらだめですか?」
「普段はどなたか家にいますか?」
「普段は、学校と仕事で、平日は家を空けてます。僕は帰るのは五時過ぎです。」
「この子の性格にもよりますが、淋しいといたずらしたりするかも知れませんね。猫は自由な生き物ですから、日中誰もいなければ、たいがい寝て過ごすとは思いますが。まだ子猫で元気が有り余ってますので。」
いたずらかぁ。どんなことするんだろう?
少し眉をひそめたのを見て取って、飼い主の女性も、困ったという顔をした。
「爪で家具を傷つけたり、ソファーやベッドにおしっこをしてしまったり。猫を飼うのは大変ですよ。でも、いたずらされても、許せるくらい可愛がってくれる方でないと・・・。」
それはそうだ。
家主の一臣を見上げると、それは少し困ったなという顔をしていた。
「ソファーは撥水のカバー掛けたら大丈夫だよ。布団は洗えば済むんだし、普段寝室を開けっぱなしにしなければいいんだし。」
解決策を模索する。
「カーテンをよじ登ったりもするかもしれません。うちの子は小さいときよくやってましたから。」
「一臣さん、キャットタワー買うのはどう?上るとこあったら、カーテンは大丈夫かも。」
「リビングに置くの?」
「うん。飼うとなったら猫仕様にしないとだめだよ。」
飼いたいと言い出したのは一臣で、自分はもう腹を決めていた。
「この子、僕が飼います。」
そう伝えると、女性は、目に涙を浮かべた。指先で拭いながら、ありがとう、と言った。
「この譲渡会に来るのは三度目なんです。今日駄目だったら、家で飼おうと思っていたんですが。決めてくれてありがとうございます。」
女性があんまりぺこぺこと頭を下げるので、少し困ってしまった。女性に謝礼を渡すと、中を見て返された。
「このお金は、必要なものを買うために使ってあげてください。もし、トイレ以外でおしっこをするのが続くときは、去勢をすると頻度が減るかもしれません。雄猫はマーキングも本能ですので。」
女性は財布から、猫の診察券を出して、手渡してきた。
「この近くの動物病院です。」
そういえば性別を気にしていなかったが、どうやら雄猫のようだった。ふらっと来てしまったんだな、と自分に呆れる。
ともあれ、その白猫は、バスケットに収まり、インプレッサの後部座席にシートベルトで固定されていた。これからホームセンターに向かうのだ。
飼い主の女性は、姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。
「名前どうしようか?」
一臣が運転しながら声をかける。
「僕もう決めてある。アルテミス。アルで、いいよね?」
「アル?・・・月?」
そう、と頷いた。
「女神さまの名前じゃなかった?」
「そうだけど、名前は初めから決めてて。」
「え?来る前から?」
うん、と頷く。
「本当は、雌猫がよかったんだ。男には雌猫、女には雄猫がよくなつくって読んだから。でももう、気にしないことにする。」
猫にまで、女の子がよかったと押し付けるのは、酷だと思ったからだ。何より自分がそうされて辛い思いをしてきたから。
「ちゃんとお世話したら、なついてくれないかな。」
「それは、性格によると思う。」
「そっか、そうだよね。」
そんなことを話しているうちに、目的のホームセンターについた。小さいながらも、ペットも扱っている店舗で、ペット用品が充実していると、事前に調べてあった。バスケットもここで買ったのだ。車の窓を少しずつ開けて、急いで店内に入る。トイレと、猫用ミルクと、子猫用の缶詰とカリカリ。
爪とぎと、かまくら型のベッド。一臣は、キャットタワーの配達を依頼していた。
気温は高い、すぐに車に戻らないと。大急ぎで買い物を済ませ、後部座席の空いている方に荷物を積み込んだ。
「タワーの配達今日の午後には大丈夫だって。」
「ほんと?早いね!」
なんだかワクワクしてきた。
「アルー、もうすぐお家だからね。」
呼びかけると、不思議なことに、アルテミスはミャウと返事をした。
「えーすごい!もう自分の名前覚えたのかな?」
「偶然だよ偶然。」
一臣は冷静だ。それでもなんだかうれしくなって、早く帰ろう?と一臣を急かした。
ホームセンターの軽トラが、キャットタワーを運んできてくれ、指定の場所に設置までしていってくれた。トイレは、リビングの隅に、寝床はとりあえずソファーの隣に置いてみた。餌場はキッチンの隅。
アルは家の中を探検し始めた。一通り探検を済ませ、腹が減ったのか、ミャウミャウと鳴いている。缶詰を開けてやると、顔を突っ込んで食べ始めた。食べ慣れているのだろうか。臭いを確認すると、一心不乱だ。きれいな顔が餌まみれだった。それがおかしくて、ふふと笑ってしまった。一臣も、その様子を後ろから見ている。
「すごいね。お腹空かしてたんだね。」
「一回の量って、どれくらいなんだろう?カリカリの方には月齢と、グラムが書いてあるけど・・・。」
「この季節だし、残したら捨てて、次から食べた分だけ出すようにしたら?」
そうだね、と頷く。冷房が効いているとはいえ、缶詰の餌はすぐに傷みそうだった。食べ終わったアルの顔を、濡らしたタオルおしぼりで拭いてやる。
「本当はこういうの、母猫の仕事だよね。」
子猫なのに、なんだか可哀そうだった。
「その分すばるが面倒見てあげたらいいじゃない。」
一臣が能天気に言ってくる。
「学校始まるまでに、自分で顔を綺麗にできるようになるか、カリカリが食べられるようになるかしないと、困るよ。」
「それもそうだ。」
一臣はどこか他人事で。
「僕がいないときは、一臣さんがすることだってあるんだから、ちゃんと勉強してよー。」
ぶーとため息をつくと、一臣ははいはい、と笑った。
「ところですばる、お昼ご飯どうする?」
「えっ?あ・・・すぐにできるのパスタくらいしかないよ。
ナポリタンでいい?」
ピーマンとベーコンは冷蔵庫にあったはず。
「うん。手伝うことある?」
「アルのこと見てて。」
一臣は、ソファーによじ登って眠る体制を作り始めたアルをひょいと抱き上げて膝に乗せた。アルはそのまま、眠るつもりになったようだった。その背中を一臣が撫でる。
その手は僕のものなんだけどなー・・・。
思いながら、パスタを茹でるお湯を沸かし始めた。
お湯が沸く間、ソファーの一臣の隣に座る。アルは真っ白ではなく、尻尾にうっすらと薄茶色の縞々があった。可愛い。
「あ。首輪買わなかったね。」
「すぐに大きくなるだろうし、必要なら後で買えばいいよ。
外に出すつもりはないんでしょう?」
「うん。外猫は寿命が短いんだって。家と外両方だと、たぶん十年くらいしか生きられないと思う。完全家猫なら二十年くらいだって。あとで、獣医さんに診てもらった方がいいの?健康診断とか、除虫とか。」
「えらいな、すばる。そんなことまでちゃんと調べたの?・・・二十年か・・・長い付き合いになるんだね。」
「だって、お世話するの僕だし?」
一臣さん可愛がるだけの担当でしょ!と怒って見せる。
「わかった。じゃぁ、トイレもたまには掃除するよ。」
「たまには?」
一臣は、うん、と頷いた。
夏休みが終わるころ、アルはきちんとトイレを覚え、子猫用のカリカリを食べるようになっていた。猫の成長は早い。
アルをもらってきた翌週には、バスケットに入れて自転車に乗せ、診察券をもらった動物病院まで行ってきた。一臣が、平日には車を出せないからだ。暑い中アルにも可哀そうなことをしたが、健康診断と除虫は早い方がいいと思ったので、半ば無理矢理行くことにしたのだった。幸いアルに蚤やマダニはついておらず、室内飼いの子猫なら寄生虫の心配もないだろうということだった。ただ、やはり左耳は聞こえないようで。医師が言うには、全く聞こえていないわけではなく、難聴のようだと言っていた。その動物病院には、ペットホテルが併設されていて、かかったことのあるなしにかかわらず、利用できるとのことだった。
よかった。預ければ泊りの旅行もできないことはないんだな。
そう思い、動物病院を後にした。野良猫と、譲渡会でもらった猫の健康診断は無料とのことで、ありがたくタダで診てもらった。
アルは順調に大きくなっていた。夜は、リビングのエアコンを切ってしまうので、仕方なく一臣の部屋で一緒に寝ることになった。今のところ、特に粗相をされたりとかはない。ただ、爪が引っ掛かるのか、枕のタオルが糸だらけになってしまった。そのタオルは、諦めてアルにあげることにし、足元で寝てもらうことにしたのだった。最初は淋しかったのか、顔の方に来たりもしたが、今は落ち着いて足元で寝てくれている。蹴り落さないか気を使うが、こちらも徐々に慣れてきた。さすがに金曜の夜だけは、リビングのソファーで寝てもらっていたが。相手が猫とはいえ、見られるのは恥ずかしい。
一臣も、猫のいる生活に慣れた様だった。
アルは大人しい性格で、一緒にもらってきたお気に入りの猫じゃらしで遊ぶほかは、特に何かするでもなく、キャットタワーの上に登って、人間の生活を見下ろしていた。
餌の時間は、朝晩二回。水と一緒に与えていた。このペースなら、学校が始まっても大丈夫そうだと言えた。
アルの絵を何枚か描いた。学校祭には、アルを出そうと思い始めていて、チャンスがあれば写真を撮らせてもらっていた。
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