みこともぢ

降守鳳都

文字の大きさ
上 下
3 / 9
3

『あ』と『ん』 其の二

しおりを挟む
 夏の山は、未だ神々の列に加わっていない存在たちが、生きている人々の棲む場所で過ごしているので静かである。

 神々の列に加わっていない存在とは、言い換えるならば亡霊のことである。また、亡霊とは生まれ直す状態にない生命の停止によって身体を失った人のことである。

 つまり、彼らは生まれ直すことが出来ないので、夏に山から生きている人々の棲む場所に来て、生まれ直すことが出来るようになる手掛かりを探すのである。

 ここで、手掛かりになるようなものが、生きている人々から差し出されたならば幸いなわけだが、そのようなことはほとんどなく、彼らはただふらふらと夏の間を過ごし、夏が終わればまた山へ引き戻されるばかりである。

 神々が山を降りて人々の棲む場所で過ごすのは春と秋なので、山の景観は春においては花の色で鮮やかとなり、秋は落葉の色を鮮烈に放つ。

 これらの色彩は、未だ神々の列に加わっていない存在たちの情念の為せる業なのである。

 さて、難しい話はここまでにして、その後のチエンとテンに視点を戻すことにする。

 静かな夏の山の夜景は、彼らの心情に何も影響しない。チエンは肌でそれを感じるばかりであり、テンは人ではないので細やかな心象の機微など持ち合わせてはいないからである。

 また、チエンはテンの背に腰かけているだけなので、危険な状態に陥ることはないし、テンは獣なので生命の危機に対する反射能力は人のそれを超えているし、山道は基本的に獣道なわけなので、テンにすれば普通の道を歩いているに等しい。

 ようするにチエンは極めて安全な状況にあると言ってよい。勿論、自らによってではなくテンによってそうなっているわけではあるが、ともかく安全である。

 アルノ奥山は名前ほど深い森を有した山ではなく、高さもたいしたことのない山であり、ヤマア族が常に出入りしているので、神々の列に加わっていない存在でさえも生きている人と間違われてしまうほどに、当たり前の山の概念からかけ離れている山であるのだが、ハヤテが停止したことによって忌まわしい場所となったのと、刻が夜になっていることもあって、チエンとテン以外は今のところ人は誰も居ない。勿論、山の神は居るし、その他の獣たちや夜行生物などは活動している。

 彼らはまだ山の神の居場所まで到達していないので、山の神が本当に居るのかどうかについて、半信半疑の心でもって山を登っている。

 山の中腹に少し開けた場所があった。ふとそこでテンが立ち止まったので、チエンがどうしたものかと耳をそばだてると、熱によって起こる破裂音がかすかに聞こえた。

 そうか、テンは燃え上がる棲み家を見ているのだな。チエンが心で呟いたすぐ後で、テンがぽつりとこう言った。「もう戻れないのだな。チエン」

 テンの言葉に寂しい気持ちが揺り返しそうになったので、チエンが右足の踵でテンの腹を軽く蹴ると、チエンの気持ちを察したうえでテンは「先へ進もう」と言って再び動き出した。

 開けた場所の天には星が美しく瞬いていて、燃え尽きた流れ星が昼のような光を一瞬放って流れ落ちたのだが、チエンは目が見えず、テンは気にならないので、彼らにはあってもないことのように片付けられてしまったが、この現象からこの後のチエンとテンの進むべき道を予見した者がいた。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

悪役令嬢は処刑されました

菜花
ファンタジー
王家の命で王太子と婚約したペネロペ。しかしそれは不幸な婚約と言う他なく、最終的にペネロペは冤罪で処刑される。彼女の処刑後の話と、転生後の話。カクヨム様でも投稿しています。

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

絶対に間違えないから

mahiro
恋愛
あれは事故だった。 けれど、その場には彼女と仲の悪かった私がおり、日頃の行いの悪さのせいで彼女を階段から突き落とした犯人は私だと誰もが思ったーーー私の初恋であった貴方さえも。 だから、貴方は彼女を失うことになった私を許さず、私を死へ追いやった………はずだった。 何故か私はあのときの記憶を持ったまま6歳の頃の私に戻ってきたのだ。 どうして戻ってこれたのか分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。 私はもう彼らとは出会わず、日頃の行いの悪さを見直し、平穏な生活を目指す!そう決めたはずなのに...……。

処理中です...