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其の伍拾漆
太政大臣の誕生
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太政大臣の官職は、天智天皇が大友皇子を大王に
するために新たに作り出された官職である。
これは大友皇子の母が伊賀采女という身分の低い女性で
あったゆえの措置であったとも言われているが、
そうであるならば太政大臣なる官職に大友皇子を
据えることも果たしてどうなのか?
と言うことが言えなくもないので、
大海人皇子の存在の取り扱いに一つのはっきりとした
方向性を明らかにするために作り出された
官職であると思われる。
これと類似したものに、少し時代を遡るが
聖徳太子の摂政がある。
なお、聖徳太子は摂政と同時に
皇太子であると定められたわけだが、
当時は摂政も皇太子も確立されていたわけではなく、
さらに聖徳太子と言うのも
実名ではなく厩戸皇子が実名である。
私たちのほとんどが、聖徳太子が摂政となり
皇太子に定められた。と覚えさせられているわけだが、
実際のところは厩戸皇子が天皇とならずに推古天皇が
天皇となって、厩戸皇子が次の天皇になる約束(皇太子)
をして貰ったうえで、摂政つまり政治を行う
ということなのである。
これは、当時の天皇即ち大王には、地方の有力豪族を
まとめる必要があったので、三十歳を過ぎないと大王に
なれないと言う慣例があったから、このような措置が
設けられたわけだが、そうであるに関わらず摂政+皇太子
という条件を付与して厩戸皇子に実質的に大王のような
権限が与えられたのは、彼の人物が傑出していた
ゆえの特例とも言えるのである。
そのように予定していたところ、予想に反して
聖徳太子は推古天皇よりに先に亡くなる。
そのことによって摂政+皇太子の措置が無駄に
なってしまったことで話がややこしくなったのである。
ちなみに野球に例えるならば、厩戸皇子は、
蘇我大連馬子という監督に抜擢されて、二軍に在籍しながら
一軍の試合に出て好成績を出していた状態で、
将来は問題なく一軍で活躍するであろうと思われたところ、
二軍在籍中に亡くなってしまったという感じになる。
ここで話を大友皇子に戻す。彼の太政大臣就任は、
近似的な摂政就任という聖徳太子のケースと違って、
彼の能力評価からして少し飛躍している感じがする。
それは大海人皇子というしっかりとした実績のある
政治を行える者が存在している状態でありながら、
わざわざ30歳に満たない彼のために新たに太政大臣
という官職を作り出して、彼より一段上の立場としての
後見を置かずに政治を行わせることにしたのだから、
どうも違和感が大きい。
流れから考えて、大海人皇子を太政大臣に
就任させるならば、話はすっきりとしてくるのだが、
そのような気配はまったくなくて、
大友皇子の太政大臣への就任とその後に
天智天皇は病床において、
大海人皇子に大王位を譲る意志などまったく示さずに、
「後事を託す」といった感じで、明確に後見役を
依頼しているとも言えない様子である。
この流れに対して、大海人皇子がどのような心情を
抱いたかについての資料はない。その言葉を受けて、
大王の依頼を退けて出家を申し出ている。
ようするに引退することを選んだわけである。
当時はメディアなども存在しないし、ほとんど身内に
等しいので芝居を打つ必要などまったくない。
また、大海人皇子がのちに大友皇子による挑発行為に
よって追い込まれた時に言った
「このまま、むざむざと殺されてなるものか」という
はっきりとした心情の吐露を率直に受け止めるならば、
心情を隠して帝位簒奪を狙っていた
と想定するのは少し無理がある。
また、大海人皇子がどう思うにせよ、大化改新より
始まって新しい政の構築に携わりこれを推し進めた
中心人物である天智天皇の考えは絶対なので、
太政大臣という発想が生み出してこれを確立することや、
慣例を度外視して大友皇子をこの官職につけて
次代の大王とすることも、逆らうことなど
許されるものではない話なのである。
圧倒的な権威と権力を有する指導者が去ったあと、
それまで積み上げられたことが瓦解してしまうのは
想定できる話であるが、それよりも質が悪いのは、
瓦解する事なくその権威と権力が次の世代に続いて、
積み上げられたものを崩していくばかりの指導者が、
不測の事態の時においてもその場限りに
空辣な言葉を投げかけるだけで、他に代わりがないと
思い込ませて権威と権力を不適切に
取り扱う状態を継続することである。
太政大臣という地位は、その後においては摂政に
等しいものではなく、名誉職のようなものになるわけだが、
現在の内閣総理大臣もほとんど有名無実化して
太政大臣と等しい感じに成り果てている。
大化改新以前の大王のように、有力者の声によってのみ
存在出来るかのような状態である。
時代の転換期となっているような気がしてならない。
するために新たに作り出された官職である。
これは大友皇子の母が伊賀采女という身分の低い女性で
あったゆえの措置であったとも言われているが、
そうであるならば太政大臣なる官職に大友皇子を
据えることも果たしてどうなのか?
と言うことが言えなくもないので、
大海人皇子の存在の取り扱いに一つのはっきりとした
方向性を明らかにするために作り出された
官職であると思われる。
これと類似したものに、少し時代を遡るが
聖徳太子の摂政がある。
なお、聖徳太子は摂政と同時に
皇太子であると定められたわけだが、
当時は摂政も皇太子も確立されていたわけではなく、
さらに聖徳太子と言うのも
実名ではなく厩戸皇子が実名である。
私たちのほとんどが、聖徳太子が摂政となり
皇太子に定められた。と覚えさせられているわけだが、
実際のところは厩戸皇子が天皇とならずに推古天皇が
天皇となって、厩戸皇子が次の天皇になる約束(皇太子)
をして貰ったうえで、摂政つまり政治を行う
ということなのである。
これは、当時の天皇即ち大王には、地方の有力豪族を
まとめる必要があったので、三十歳を過ぎないと大王に
なれないと言う慣例があったから、このような措置が
設けられたわけだが、そうであるに関わらず摂政+皇太子
という条件を付与して厩戸皇子に実質的に大王のような
権限が与えられたのは、彼の人物が傑出していた
ゆえの特例とも言えるのである。
そのように予定していたところ、予想に反して
聖徳太子は推古天皇よりに先に亡くなる。
そのことによって摂政+皇太子の措置が無駄に
なってしまったことで話がややこしくなったのである。
ちなみに野球に例えるならば、厩戸皇子は、
蘇我大連馬子という監督に抜擢されて、二軍に在籍しながら
一軍の試合に出て好成績を出していた状態で、
将来は問題なく一軍で活躍するであろうと思われたところ、
二軍在籍中に亡くなってしまったという感じになる。
ここで話を大友皇子に戻す。彼の太政大臣就任は、
近似的な摂政就任という聖徳太子のケースと違って、
彼の能力評価からして少し飛躍している感じがする。
それは大海人皇子というしっかりとした実績のある
政治を行える者が存在している状態でありながら、
わざわざ30歳に満たない彼のために新たに太政大臣
という官職を作り出して、彼より一段上の立場としての
後見を置かずに政治を行わせることにしたのだから、
どうも違和感が大きい。
流れから考えて、大海人皇子を太政大臣に
就任させるならば、話はすっきりとしてくるのだが、
そのような気配はまったくなくて、
大友皇子の太政大臣への就任とその後に
天智天皇は病床において、
大海人皇子に大王位を譲る意志などまったく示さずに、
「後事を託す」といった感じで、明確に後見役を
依頼しているとも言えない様子である。
この流れに対して、大海人皇子がどのような心情を
抱いたかについての資料はない。その言葉を受けて、
大王の依頼を退けて出家を申し出ている。
ようするに引退することを選んだわけである。
当時はメディアなども存在しないし、ほとんど身内に
等しいので芝居を打つ必要などまったくない。
また、大海人皇子がのちに大友皇子による挑発行為に
よって追い込まれた時に言った
「このまま、むざむざと殺されてなるものか」という
はっきりとした心情の吐露を率直に受け止めるならば、
心情を隠して帝位簒奪を狙っていた
と想定するのは少し無理がある。
また、大海人皇子がどう思うにせよ、大化改新より
始まって新しい政の構築に携わりこれを推し進めた
中心人物である天智天皇の考えは絶対なので、
太政大臣という発想が生み出してこれを確立することや、
慣例を度外視して大友皇子をこの官職につけて
次代の大王とすることも、逆らうことなど
許されるものではない話なのである。
圧倒的な権威と権力を有する指導者が去ったあと、
それまで積み上げられたことが瓦解してしまうのは
想定できる話であるが、それよりも質が悪いのは、
瓦解する事なくその権威と権力が次の世代に続いて、
積み上げられたものを崩していくばかりの指導者が、
不測の事態の時においてもその場限りに
空辣な言葉を投げかけるだけで、他に代わりがないと
思い込ませて権威と権力を不適切に
取り扱う状態を継続することである。
太政大臣という地位は、その後においては摂政に
等しいものではなく、名誉職のようなものになるわけだが、
現在の内閣総理大臣もほとんど有名無実化して
太政大臣と等しい感じに成り果てている。
大化改新以前の大王のように、有力者の声によってのみ
存在出来るかのような状態である。
時代の転換期となっているような気がしてならない。
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