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其の参拾漆
当麻の衢 葦池の戦い
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「池を後ろにするとは大陸の真似事か」置始連兎が
笑みを浮かべながら大伴連吹負に言うと吹負は思いも
寄らなかったことを言われたので思わず
腹立たしく思って「兎団だけで残りの九百はなしで
今日を迎えたのでな」と言い返した。その言葉に
置始連兎には返す言葉がなく「済まぬ。色々あって
遅れているようだ」と応えた。実際に倉歴の陣を
立て直すのに忙しく、紀臣阿閉麻呂には倭古京へ
兵を向かわせる手配をする余裕がなかった。
その事は置始連兎に知らされてはいなかったが、
彼は長い付き合いである紀臣阿閉麻呂から
何となくそのような報せが心に刺し込んで
来るのを感じていた。
大伴連吹負の軍は葦池を背後にして西に向かって
隊列を構えた。右に三輪君高市麻呂が兵数七百で
大坂道より攻めてくる軍の備え、
中央に大伴連吹負と大伴連御行が
来目臣塩籠のもとにいて参陣して来た
来目部の者たち二百名を率いたうえで、
それ以外には置始連兎が百名の兎団、
飛鳥寺の制圧よりついて来ている坂上直熊毛が二百名、
大坂道と石手道より撤退した佐味君少麻呂と
鴨君蝦夷の率いる二百名で合わせて七百。
左に大伴連安麻呂の率いる
乃楽山の生き残りの新兵の三百名と
その後に志願して来た近隣豪族の
子弟たちによる三百名で合わせて六百名。
西の道のあたりから人の話し声や歩く音などが
聞こえて来て、いよいよ始まると思われた頃、
三輪君高市麻呂のところへ村屋社の神主である
三輪速人よりの使いが来て「中つ道に大津宮の兵が
押し寄せると託宣がありました」と告げたので、
即座に三輪君高市麻呂は馬を駆って吹負に
直接これを伝えた。吹負はこの話を受けて時間に
余裕がないことを悟ると、思わず馬を駆って隊列より
少し前へ出てから後ろを振り向いて兵たちと向き合い
「皆の者、北より大津宮の兵がやって来ているそうだ。
事代主神と共にここで西からの敵を蹴散らして、
ついでに北からの敵も追い払おうではないか」と叫んだ。
そこでちょうど時を同じくして大坂道から
伊吉史博士の率いる、石手道から壱岐史韓国の率いる
大津宮の軍が姿を見せた。彼らはここで
待ち合わせたうえで隊列を編成し直してから先へ進む
予定であったのだが、すでに大伴連吹負たちの軍が
二里ほど離れた目の前で陣容を整えて
待ち構えていることに驚いた。しかしながら
出くわした以上は仕方がないので太鼓を打ち鳴らし、
鉦を叩いて突撃を命じた。大伴連吹負の隊から
赤で備えた兎団が真っ先に飛び出して、壱岐史韓国の
弓隊歩兵を薙ぎ倒して戦闘不能に陥れたが、
すぐさま後ろから槍を構えた歩兵が飛び出して来たので、
これを振り払いつつ一時退却することになった。
その事で壱岐史韓国の軍はさらに距離を詰めて来て
一里を過ぎた場所で楯を構え、薙ぎ倒された弓隊とは
別の弓隊で一斉に大伴連吹負たちの
隊に向かって射出を始めた。
右を担当していた三輪君高市麻呂の隊は、
伊吉史博士の軍による弩を活用した攻撃で苦戦を
強いられていた。何とかして弩を食い止めるための
方法はないかと思っていた所、涎かけに褌の
秦造熊の姿が視界に入った。
「そうだ。彼に楯を重ね着させた上で、
馬に乗って突入させれば、弩を構える者たちを
制することが出来るかも知れない」そう思った
三輪君高市麻呂が秦造熊に話をしてみると、
秦造熊は飛鳥寺依頼「ついで」と言われ続けていたのが
癪にさわっていたようで、喜んでこの役を引き受けた。
頼んで置きながらも三輪君高市麻呂は、
彼の身の危険が心配だったので改めて確認をすると、
こちらには神様も味方しているのだから、
相撲人の自分が怖れを抱くのはおかしな話で
あろうと言って、早々に準備をして馬を駆って
弩による矢の攻撃を打ち払い、打ち払い、
敵兵たちを次々と戦闘不能にしていった。
全身が楯となった大男が槍を振り回しながら
馬を駆って突進して来るわけだから、逃げずに
居ることのほうが難しい。伊吉史博士の軍は、
三輪君高市麻呂の隊の前を離れて、方向を変えて
大伴連吹負たちの隊へと向かって行った。
左の大伴連安麻呂たちの隊は戦闘開始以来、
大伴連吹負の隊に向けてさらに距離を縮めよう
とする壱岐史韓国の軍の側面目掛けて攻撃を
続けていたが、一向に埒が明かない状態が続いていた。
近隣豪族の子弟は戦慣れしていたが、それ以外は
ほとんど戦慣れしていない者たちばかりである。
壱岐史韓国の軍はそれを見抜いてか、
一部の兵だけを残して安麻呂たちの攻撃をあしらい
続けることに終始することを決めたらしく、
安麻呂たちはこれといった一撃を与えることも
出来ないまま実地訓練さながらの
状態に陥ってしまっていた。
さて、左右がこのような状態になった結果、
大津宮の軍のほとんどが中央の吹負の隊へと
殺到することになった。弓による矢は飛んで来るは、
弩による矢は飛んで来るは、歩兵による槍が
伸びて来るはで、ここだけが戦場なのかといった
有様のなかで、またしても乃楽山のごとくに
なってしまうのかと吹負は押し寄せる敵を前に
不安でいっぱい、いっぱいの状態である。兎団は
北より押し寄せる伊吉史博士の軍を追い払うのに
手一杯で動きが取れない。思えば猛者は
兎団ぐらいしか居ないのである。果たして
どうしたものかと思っていたところへ、
来目部より参加した屈強そうな一人の男が
吹負の前に現れて「私が突入して敵を攪乱
いたしますので、その後で騎兵を投入して
戦況を変えては如何でしょうか」と言ったので、
吹負は「あい分かった。よろしく頼む」と言って
了承した。男はすぐさま壱岐史韓国の軍へ向かって
声を上げて突入していき、次から次へと一気に
七人ほどを斬り伏せていった。それを見た
壱岐史韓国の軍の兵は怖れを抱き、浮足立って
背中を見せ始めた。それを見て吹負は男に
支持された通りに伊吉史博士の軍を追い払うのに
手一杯の兎団に向かって「置始連兎と兎団よ、
そちらは適当に切り上げてあれを追い落とせ」
と命じたので置始連兎は無茶を言うなと思いつつも
兎団を半分に割いて吹負の依頼に応じた。
それと同時に全軍が勢いづいているのを見て
「今回の戦は百姓を殺すためのものではない。
国の元凶を倒すためのものである。
妄りに百姓を殺してはならぬぞ」と呼び掛けた。
そこへ先ほどの来目部より参加した屈強そうな男が
見事に敵を攪乱して戻って来たので「名は何と申す」
と吹負が訊ねると、男は剣から血を振り払って
鞘に収めてから「申すような名はございません」と応えた。
吹負はそれを受けて静かに頷き、敵軍の中に居る
壱岐史韓国を指さして「分かった。では勇者来目。
倭武尊の如き者よ。あそこに見えるは壱岐史韓国である。
この戦を終わらせるためにあの男を射よ」と命じた。
勇者来目は即座に弓を構え、矢を引き絞って
壱岐史韓国を狙って矢を放った。矢は壱岐史韓国の甲に
見事に当たり、その反動で旗に突き刺さったので、
壱岐史韓国は慌てて馬首を後ろに回して逃げ出した。
背中を見せた壱岐史韓国目掛けて勇者来目が
さらに続けて矢を放つと、二人の距離は二里を
超えているにも関わらず壱岐史韓国の躰の
右を掠めたので、壱岐史韓国はさらに激しく馬に鞭打ち
必死懸命に走り去って行く。
それを目にした吹負は全軍に向かって
「大津宮の壱岐史韓国が逃げて行くぞ。
挨拶がわりに弓を持つ者は一斉に射掛けよ」と叫んだ。
壱岐史韓国が逃げたと聞いた伊吉史博士の軍も
浮足立って次々と逃げ去って行く。
こうして河内からの大津宮の軍は
悉く退却していった。彼らの姿が完全に
見えなくなってから、吹負たちは負傷した者を助けつつ、
倭古京へと引き揚げた。倭古京へ着いた一同を
荒田尾直赤麻呂らが迎え入れると共に、
兵三千を率いた紀臣阿閉麻呂の本隊が到着して、
飛鳥寺の西の広場に陣を構えていることを告げた。
笑みを浮かべながら大伴連吹負に言うと吹負は思いも
寄らなかったことを言われたので思わず
腹立たしく思って「兎団だけで残りの九百はなしで
今日を迎えたのでな」と言い返した。その言葉に
置始連兎には返す言葉がなく「済まぬ。色々あって
遅れているようだ」と応えた。実際に倉歴の陣を
立て直すのに忙しく、紀臣阿閉麻呂には倭古京へ
兵を向かわせる手配をする余裕がなかった。
その事は置始連兎に知らされてはいなかったが、
彼は長い付き合いである紀臣阿閉麻呂から
何となくそのような報せが心に刺し込んで
来るのを感じていた。
大伴連吹負の軍は葦池を背後にして西に向かって
隊列を構えた。右に三輪君高市麻呂が兵数七百で
大坂道より攻めてくる軍の備え、
中央に大伴連吹負と大伴連御行が
来目臣塩籠のもとにいて参陣して来た
来目部の者たち二百名を率いたうえで、
それ以外には置始連兎が百名の兎団、
飛鳥寺の制圧よりついて来ている坂上直熊毛が二百名、
大坂道と石手道より撤退した佐味君少麻呂と
鴨君蝦夷の率いる二百名で合わせて七百。
左に大伴連安麻呂の率いる
乃楽山の生き残りの新兵の三百名と
その後に志願して来た近隣豪族の
子弟たちによる三百名で合わせて六百名。
西の道のあたりから人の話し声や歩く音などが
聞こえて来て、いよいよ始まると思われた頃、
三輪君高市麻呂のところへ村屋社の神主である
三輪速人よりの使いが来て「中つ道に大津宮の兵が
押し寄せると託宣がありました」と告げたので、
即座に三輪君高市麻呂は馬を駆って吹負に
直接これを伝えた。吹負はこの話を受けて時間に
余裕がないことを悟ると、思わず馬を駆って隊列より
少し前へ出てから後ろを振り向いて兵たちと向き合い
「皆の者、北より大津宮の兵がやって来ているそうだ。
事代主神と共にここで西からの敵を蹴散らして、
ついでに北からの敵も追い払おうではないか」と叫んだ。
そこでちょうど時を同じくして大坂道から
伊吉史博士の率いる、石手道から壱岐史韓国の率いる
大津宮の軍が姿を見せた。彼らはここで
待ち合わせたうえで隊列を編成し直してから先へ進む
予定であったのだが、すでに大伴連吹負たちの軍が
二里ほど離れた目の前で陣容を整えて
待ち構えていることに驚いた。しかしながら
出くわした以上は仕方がないので太鼓を打ち鳴らし、
鉦を叩いて突撃を命じた。大伴連吹負の隊から
赤で備えた兎団が真っ先に飛び出して、壱岐史韓国の
弓隊歩兵を薙ぎ倒して戦闘不能に陥れたが、
すぐさま後ろから槍を構えた歩兵が飛び出して来たので、
これを振り払いつつ一時退却することになった。
その事で壱岐史韓国の軍はさらに距離を詰めて来て
一里を過ぎた場所で楯を構え、薙ぎ倒された弓隊とは
別の弓隊で一斉に大伴連吹負たちの
隊に向かって射出を始めた。
右を担当していた三輪君高市麻呂の隊は、
伊吉史博士の軍による弩を活用した攻撃で苦戦を
強いられていた。何とかして弩を食い止めるための
方法はないかと思っていた所、涎かけに褌の
秦造熊の姿が視界に入った。
「そうだ。彼に楯を重ね着させた上で、
馬に乗って突入させれば、弩を構える者たちを
制することが出来るかも知れない」そう思った
三輪君高市麻呂が秦造熊に話をしてみると、
秦造熊は飛鳥寺依頼「ついで」と言われ続けていたのが
癪にさわっていたようで、喜んでこの役を引き受けた。
頼んで置きながらも三輪君高市麻呂は、
彼の身の危険が心配だったので改めて確認をすると、
こちらには神様も味方しているのだから、
相撲人の自分が怖れを抱くのはおかしな話で
あろうと言って、早々に準備をして馬を駆って
弩による矢の攻撃を打ち払い、打ち払い、
敵兵たちを次々と戦闘不能にしていった。
全身が楯となった大男が槍を振り回しながら
馬を駆って突進して来るわけだから、逃げずに
居ることのほうが難しい。伊吉史博士の軍は、
三輪君高市麻呂の隊の前を離れて、方向を変えて
大伴連吹負たちの隊へと向かって行った。
左の大伴連安麻呂たちの隊は戦闘開始以来、
大伴連吹負の隊に向けてさらに距離を縮めよう
とする壱岐史韓国の軍の側面目掛けて攻撃を
続けていたが、一向に埒が明かない状態が続いていた。
近隣豪族の子弟は戦慣れしていたが、それ以外は
ほとんど戦慣れしていない者たちばかりである。
壱岐史韓国の軍はそれを見抜いてか、
一部の兵だけを残して安麻呂たちの攻撃をあしらい
続けることに終始することを決めたらしく、
安麻呂たちはこれといった一撃を与えることも
出来ないまま実地訓練さながらの
状態に陥ってしまっていた。
さて、左右がこのような状態になった結果、
大津宮の軍のほとんどが中央の吹負の隊へと
殺到することになった。弓による矢は飛んで来るは、
弩による矢は飛んで来るは、歩兵による槍が
伸びて来るはで、ここだけが戦場なのかといった
有様のなかで、またしても乃楽山のごとくに
なってしまうのかと吹負は押し寄せる敵を前に
不安でいっぱい、いっぱいの状態である。兎団は
北より押し寄せる伊吉史博士の軍を追い払うのに
手一杯で動きが取れない。思えば猛者は
兎団ぐらいしか居ないのである。果たして
どうしたものかと思っていたところへ、
来目部より参加した屈強そうな一人の男が
吹負の前に現れて「私が突入して敵を攪乱
いたしますので、その後で騎兵を投入して
戦況を変えては如何でしょうか」と言ったので、
吹負は「あい分かった。よろしく頼む」と言って
了承した。男はすぐさま壱岐史韓国の軍へ向かって
声を上げて突入していき、次から次へと一気に
七人ほどを斬り伏せていった。それを見た
壱岐史韓国の軍の兵は怖れを抱き、浮足立って
背中を見せ始めた。それを見て吹負は男に
支持された通りに伊吉史博士の軍を追い払うのに
手一杯の兎団に向かって「置始連兎と兎団よ、
そちらは適当に切り上げてあれを追い落とせ」
と命じたので置始連兎は無茶を言うなと思いつつも
兎団を半分に割いて吹負の依頼に応じた。
それと同時に全軍が勢いづいているのを見て
「今回の戦は百姓を殺すためのものではない。
国の元凶を倒すためのものである。
妄りに百姓を殺してはならぬぞ」と呼び掛けた。
そこへ先ほどの来目部より参加した屈強そうな男が
見事に敵を攪乱して戻って来たので「名は何と申す」
と吹負が訊ねると、男は剣から血を振り払って
鞘に収めてから「申すような名はございません」と応えた。
吹負はそれを受けて静かに頷き、敵軍の中に居る
壱岐史韓国を指さして「分かった。では勇者来目。
倭武尊の如き者よ。あそこに見えるは壱岐史韓国である。
この戦を終わらせるためにあの男を射よ」と命じた。
勇者来目は即座に弓を構え、矢を引き絞って
壱岐史韓国を狙って矢を放った。矢は壱岐史韓国の甲に
見事に当たり、その反動で旗に突き刺さったので、
壱岐史韓国は慌てて馬首を後ろに回して逃げ出した。
背中を見せた壱岐史韓国目掛けて勇者来目が
さらに続けて矢を放つと、二人の距離は二里を
超えているにも関わらず壱岐史韓国の躰の
右を掠めたので、壱岐史韓国はさらに激しく馬に鞭打ち
必死懸命に走り去って行く。
それを目にした吹負は全軍に向かって
「大津宮の壱岐史韓国が逃げて行くぞ。
挨拶がわりに弓を持つ者は一斉に射掛けよ」と叫んだ。
壱岐史韓国が逃げたと聞いた伊吉史博士の軍も
浮足立って次々と逃げ去って行く。
こうして河内からの大津宮の軍は
悉く退却していった。彼らの姿が完全に
見えなくなってから、吹負たちは負傷した者を助けつつ、
倭古京へと引き揚げた。倭古京へ着いた一同を
荒田尾直赤麻呂らが迎え入れると共に、
兵三千を率いた紀臣阿閉麻呂の本隊が到着して、
飛鳥寺の西の広場に陣を構えていることを告げた。
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