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其の弐拾参
飛鳥寺奇襲
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「高市皇子が不破より来たぞ。いっぱいの兵が押し寄せて来るぞ」
秦造熊(はだのみやつこくま)は牛の頭を模した
褌一丁の姿で馬に跨り、大声を上げながら、
馬首をあちこちへ巡らせて、飛鳥寺の西にある
槻の樹下の広場を狂ったように駆け回った。
居合わせた兵たちは、彼が敵なのか、味方なのかの
判別は勿論の事、正気なのかそうでないのかも分からないまま、
彼の言葉に怖れを抱くと共に、反射的に我先にと
西や南の門を目掛けて走って行き、そのまま外へと逃げ出した。
居合わせた官人たちが必死に呼び止めても、広場の意味が
混乱するための空間となり果てているのだから
焼け石に水である。狂ったように馬を駆る褌一丁の男
つまり秦造熊を捕えて彼を押し込めれば事態は収まるわけだが、
官人たちもあっけに取られて思考そのものが
停止している状態に陥っていた。
その間にも得体の知れない褌姿の大男は狂ったように
大声を上げながら「高市皇子だぞ。誰一人逃さないぞ」と、
さらに怖ろしい言い方でもって混乱をさらに掻き立てる。
或る者は秦造熊が相撲人であることに気づくと、
さらにそれを狂ったように大声で「神の使いが来た」と叫び、
また別の或る者は「相撲人だそ」と叫び出した。
神聖な儀式に携わる者、さらに加えて言うならば、
大地の下にある根底の国から沸き上がってくる禍々しき魂を
足で踏みつけて押し返す能力を持つ者が、
嘘事を大声で叫ぶとは到底思えない。
また、ほとんどの者たちがほぼ強制的に
連れ出されて来ているので、留まるよりは逃げ去る方の
優先順位が高いのだから、取るべき行動は一つしかない。
半刻も経たないうちに広場の大友軍の兵は数十名の官人と
統率者だけになった。その広場へ大伴連吹負と二人の甥、
吹負に賛同した者たち十名ほどが突入した。
吹負の姿を見た坂上直熊毛(さかのうえのあたいくまけ)は
即座に左右に居合わせた官人を斬り捨てて、
「高市皇子がいらっしゃたぞ」と叫んだ。
彼の配下の者たちがその言葉を受けて、それぞれが
手近にいる官人たちを手当り次第屠ってから、
広場に出て来て呆然と立ち尽くしていた
穂積臣五百枝(ほづみのおみいおえ)と
物部首日向(もののべのおびとひむか)を捕縛して、
留守司の高坂王(たかさかのおおきみ)と
稚狭王(わかさのおおきみ)の両名は背後より
剣で威嚇されながら歩かされて、
大伴連吹負の前に連れ出された。両名の表情に反抗する
意欲が失せているのを確認した吹負は、
右手を胸に置いてから外側へ軽く動かして、
威嚇を解くように命じてから、動揺して青ざめた顔で
立ち尽くす二人に向かって「ご両名には我が父である
大海人皇子に従って頂きたい」と語り掛けた。
大伴連吹負は甲をわざと前のめりに被って
顔が見えないようにしていたので、二人は本当に
高市皇子が来たのだと思い込んだ。それで両名が即座に
「あい分かった」と応えた。返事を受けた大伴連吹負は
甲を脱いで被り直した。高坂王と稚狭王は
「えっ、高市皇子ではない。誰だこの男は…」と
同じことを思ってから顔を見合わせた。
それを見て大伴連吹負は「大伴連吹負であります。
ご両名にはお心変わりがないようにお願い申し上げます」
と堂々たる態度で言い放った。
そうするうちに人を遣わして呼び出した
小墾田の兵庫で武器の手配をしていた
穂積臣百足(ほづみのおみももたり)がふてくされた態度で
馬に乗ってやって来た。馬から降りるように命じても
不敵な笑みを浮かべて応じないので、業を煮やした
吹負の部下が馬から引き摺り下ろすと、
その態度に不満と憤りを感じていた者たちが
一斉に矢を射かけた。虫の域で痙攣している躰は、
さらに別の複数の者たちによって腹立ちを紛らすために
斬りつけられ、穂積臣百足は血の海の上に
横たわる肉塊になり果てた。
こうして飛鳥寺の奇襲は成功し、倭古京は馬来田の
策によって制圧に成功した。吹負はすぐに
大伴連安麻呂(おおとものむらじやすまろ)、
坂上直老(さかのうえのあたいおきな)、
佐味君宿那麻呂(さみのきみすくなまろ)の三名を呼び出して、
不破の大海人皇子に倭古京制圧の知らせを
伝えるように命じた。命を受けた三名は、
即座にその場を立ち去って不破目掛けて馬を走らせて去った。
彼らが去った後で「何とか上手くいった」と
吹負は心の中で呟くと共に安堵したが、ここから先は
吹負自身によって切り開いて行かなければならない。
吹負本人は勿論の事、その周囲の者たち全員が
言い様のない不安に包まれながらも、
それ以上に初戦の成功にただ酔い痴れた。
ここから先において吹負は身の丈に応じて
危機的状況に見舞われながらも、時には人の力や
知恵を借り受けて、時には偶然に救われて、
その危機をその都度回避していくことになる。
だが、そのようなことは未だ彼は知る由もない。
秦造熊(はだのみやつこくま)は牛の頭を模した
褌一丁の姿で馬に跨り、大声を上げながら、
馬首をあちこちへ巡らせて、飛鳥寺の西にある
槻の樹下の広場を狂ったように駆け回った。
居合わせた兵たちは、彼が敵なのか、味方なのかの
判別は勿論の事、正気なのかそうでないのかも分からないまま、
彼の言葉に怖れを抱くと共に、反射的に我先にと
西や南の門を目掛けて走って行き、そのまま外へと逃げ出した。
居合わせた官人たちが必死に呼び止めても、広場の意味が
混乱するための空間となり果てているのだから
焼け石に水である。狂ったように馬を駆る褌一丁の男
つまり秦造熊を捕えて彼を押し込めれば事態は収まるわけだが、
官人たちもあっけに取られて思考そのものが
停止している状態に陥っていた。
その間にも得体の知れない褌姿の大男は狂ったように
大声を上げながら「高市皇子だぞ。誰一人逃さないぞ」と、
さらに怖ろしい言い方でもって混乱をさらに掻き立てる。
或る者は秦造熊が相撲人であることに気づくと、
さらにそれを狂ったように大声で「神の使いが来た」と叫び、
また別の或る者は「相撲人だそ」と叫び出した。
神聖な儀式に携わる者、さらに加えて言うならば、
大地の下にある根底の国から沸き上がってくる禍々しき魂を
足で踏みつけて押し返す能力を持つ者が、
嘘事を大声で叫ぶとは到底思えない。
また、ほとんどの者たちがほぼ強制的に
連れ出されて来ているので、留まるよりは逃げ去る方の
優先順位が高いのだから、取るべき行動は一つしかない。
半刻も経たないうちに広場の大友軍の兵は数十名の官人と
統率者だけになった。その広場へ大伴連吹負と二人の甥、
吹負に賛同した者たち十名ほどが突入した。
吹負の姿を見た坂上直熊毛(さかのうえのあたいくまけ)は
即座に左右に居合わせた官人を斬り捨てて、
「高市皇子がいらっしゃたぞ」と叫んだ。
彼の配下の者たちがその言葉を受けて、それぞれが
手近にいる官人たちを手当り次第屠ってから、
広場に出て来て呆然と立ち尽くしていた
穂積臣五百枝(ほづみのおみいおえ)と
物部首日向(もののべのおびとひむか)を捕縛して、
留守司の高坂王(たかさかのおおきみ)と
稚狭王(わかさのおおきみ)の両名は背後より
剣で威嚇されながら歩かされて、
大伴連吹負の前に連れ出された。両名の表情に反抗する
意欲が失せているのを確認した吹負は、
右手を胸に置いてから外側へ軽く動かして、
威嚇を解くように命じてから、動揺して青ざめた顔で
立ち尽くす二人に向かって「ご両名には我が父である
大海人皇子に従って頂きたい」と語り掛けた。
大伴連吹負は甲をわざと前のめりに被って
顔が見えないようにしていたので、二人は本当に
高市皇子が来たのだと思い込んだ。それで両名が即座に
「あい分かった」と応えた。返事を受けた大伴連吹負は
甲を脱いで被り直した。高坂王と稚狭王は
「えっ、高市皇子ではない。誰だこの男は…」と
同じことを思ってから顔を見合わせた。
それを見て大伴連吹負は「大伴連吹負であります。
ご両名にはお心変わりがないようにお願い申し上げます」
と堂々たる態度で言い放った。
そうするうちに人を遣わして呼び出した
小墾田の兵庫で武器の手配をしていた
穂積臣百足(ほづみのおみももたり)がふてくされた態度で
馬に乗ってやって来た。馬から降りるように命じても
不敵な笑みを浮かべて応じないので、業を煮やした
吹負の部下が馬から引き摺り下ろすと、
その態度に不満と憤りを感じていた者たちが
一斉に矢を射かけた。虫の域で痙攣している躰は、
さらに別の複数の者たちによって腹立ちを紛らすために
斬りつけられ、穂積臣百足は血の海の上に
横たわる肉塊になり果てた。
こうして飛鳥寺の奇襲は成功し、倭古京は馬来田の
策によって制圧に成功した。吹負はすぐに
大伴連安麻呂(おおとものむらじやすまろ)、
坂上直老(さかのうえのあたいおきな)、
佐味君宿那麻呂(さみのきみすくなまろ)の三名を呼び出して、
不破の大海人皇子に倭古京制圧の知らせを
伝えるように命じた。命を受けた三名は、
即座にその場を立ち去って不破目掛けて馬を走らせて去った。
彼らが去った後で「何とか上手くいった」と
吹負は心の中で呟くと共に安堵したが、ここから先は
吹負自身によって切り開いて行かなければならない。
吹負本人は勿論の事、その周囲の者たち全員が
言い様のない不安に包まれながらも、
それ以上に初戦の成功にただ酔い痴れた。
ここから先において吹負は身の丈に応じて
危機的状況に見舞われながらも、時には人の力や
知恵を借り受けて、時には偶然に救われて、
その危機をその都度回避していくことになる。
だが、そのようなことは未だ彼は知る由もない。
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