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其の拾参

鈴鹿関

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高市皇子も無事に合流して、大山を越えて
鈴鹿評(すずかのこおり)に入った。
道中において高市皇子より群臣会議の話の遣り取りを
聞いた大海人は、紀臣大人(きのおみうし)の発言が
心に引っ掛かった。「はたして、小子部とやらが帰順を
申し出て来たら、下手に動かさずに様子を見た方が
良いのではないか。伏兵ではなく帰順を申し出ることも
あるかも知れないが、ともかくいずれにせよ形ばかりは
保つことにしよう」と思い、中臣連金の発言に対しては
「許されぬ言い様だ。事が落ち着いた後に生かして
おいても意味がないかも知れない」と思った。
その他にもあれこれと思いを巡らせているうちに
鈴鹿評家(すずかのこおりのみやけ)が見えてきた。
評家の前にいる者たちが手を翳してこちらを
伺っているのが見えたので、手を挙げて応えると
「おおっ」と声が上がった。どうやらお味方頂けるようである。

待ち受けていたのは伊勢国司(くにのみこともち)の
長官である三宅連石床(みやけのむらじいわとこ)、
伊勢国司の次官である三輪君子首(みわのきみこびと)、
倭姫王の湯沐邑を管理する役所の長である
田中臣足麻呂(たなかのおみたりまろ)、
美濃国主稲(しゅとう)の高田首新家(たかだのおびとにいのみ)の
四名であり、高田首新家のみが大海人の身内にあたる。

三宅連石床がいたわりの言葉を述べてから
「伊勢国は大海人皇子にお味方致します。
つきましては鈴鹿関の守りとして、伊賀の方々を
お与え頂きたい」と言った。大海人は要望を聞きながらも、
三宅連石床の傍らに居る、紀伊国でよく見かける
白い狗に跨っている金色の髪に碧眼の子供が
気になって仕方なかったが、彼について聞く暇はなく、
続けて田中臣足麻呂が「お貸しした馬を返して頂いて、
鸕野讃良皇女と草壁皇子、忍壁皇子には輿を
準備致しました。それから…」の言葉に続けて、
三輪君子首が「ご心配なく、馬はこちらで手配してありますので、
みなさんそちらへお乗り換え下さい」と言った。

話が一段落着いてから、それぞれ打ち合わせや馬の
引継ぎなどのために動き出した。そこで、三宅連石床が
「大海人皇子、お話があるのですが」と大海人に話しかけた。
大海人も傍らの子供について聞きたかったので
「何であろうか」と受けたところ、
「私の傍らにおりますのは、出雲狛と申します。
どうか、御供として連れていって貰えませんか」と言った。
大海人は出雲狛を一瞥してから
「先ほどから気になってはいたのだが、子供ではないのか」と
問いかけると、三宅連石床ではなく
出雲狛が「子供ではない。これでも十八だ」と答えた。
「そうか、十八か。では子供ではないな。失礼した」と
大海人が返すと、三宅連石床が話を始めた
「彼は、私が偶然に山の中で出会った者です。
行く宛も無いような感じだったので私が育てました。
出雲狛という名前は私が与えましたが、
本当の所は何者なのかよく分かりません」
大海人はそれを聞いて笑いながら「何者かよく分からない者を
私に預けたいとは、面白いことを言うではないか。
寝首を掻かれるかも知れないが連れていけと言うのだな」と
言ったところ、三宅連石床は両手を振ってこれを否定してから
「彼には人並み以上の博識がありますので、
是非とも大海人皇子の下で働かせたいと思いまして、
お願いした次第です」と言った。そう聞いてから
出雲狛の容貌を観察し、その目をじっと見てみると、
なるほど確かなようである。このように言えるのは、
隠評における式(ちく)の一事からも察することが出来るが、
大海人は占術全般を学んでおり、顔相学についての
見識もあった。「分かった。連れて行こう」と
大海人が返事をすると、それまで何をするでもなく
立っていた高田首新家が、彼の後ろで実に見事な装飾の
施されている鞘に収められた一振りの剣を捧げ持って、
片膝をついて腰を屈め畏まって控えている者から、
丁重にそれを受け取って大海人皇子と
真っ直ぐに向きを合わせ「申し訳ありません。
なかなか機会が見出せなかったもので…。
大海人皇子、こちらをお佩き下さい」と言ってから、
これまた片膝をついて腰を屈め畏まって、
恭しく両手で捧げ持ち差し出した。
大海人はその剣の鞘を左手でしっかりと掴んでから、
右手でもって鞘から抜いてみた。見事な刀身の剣である。
そこで「これは、どうしたのか」と問いかけると、
馬の引継ぎや輿の準備を終えてちょうど戻って来た
田中臣足麻呂が語り始めた。
「大海人皇子が吉野を出立される数日前ぐらいに、
倭姫王(やまとひめのおおきみ)に倭姫命(やまとひめのみこと)
より夢告がありまして、湯沐邑の糧米を馬に乗せて
運び莵田評家にて待たせておいて、
皇子一行に提供するようにと告げられたそうです。
また、後の日に再び夢告がありまして、
倭武尊(やまとたけるのみこと)に託した
素戔嗚尊(すさのおのみこと)より継承された
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を倭武尊が
祭られている社殿に準備しておくので、
皇子にはそれを佩いて頂いて、
この度の戦に必ずや勝利して頂くようにとのことでした」

話を聞いた大海人は熱田宮にある天叢雲剣が、
どのようにして倭武尊が祭られている社殿に
移動出来るだろうかと不思議に思っていたところ、
高田首新家が恐る恐る「天叢雲剣は、私が熱田宮より
お預かりして、こちらまで運ぶ予定でしたが、
ちょうど倭武尊が祭られている社殿の近くまで来ましたので、
戦勝を祈願するのに祓いの儀式を頼もうと
三方に乗せたところ、田中臣足麻呂さまが参りまして
大層驚かれましたので、話を聞いてみると
なるほどそういうことなのかと改めて
神々の御加護を確信致した次第です」と顛末を話した。
「なるほど、半分は人力で半分は倭姫命の力と言うわけか」と
大海人は言って、天叢雲剣を改めて両手で恭しく捧げ持ち、
感謝の言葉を述べて腰に佩いてから
「そう言えば、先ほどの話からすると、
私は馬盗人にはならないと言うことだな」と言って笑ったので、
「勿論で御座います。すべて神のお導きで御座います」と
田中臣足麻呂が笑顔で応えた。伊賀評で味方に入った
官人や豪族たちを鈴鹿評家に残して、
大海人一行は先を目指すために出立した。

川曲の坂本で日没となった。鸕野讃良皇女が
疲れたと言うので小休止することになった。
輿に乗っているので疲れることなどないと思われるのだが、
さほど広くはない空間に三人も乗っているのだから
仕方のないことである。
「そもそもあの者たちが輿を破壊するからいけないのです」
鸕野讃良皇女に目配せされながら言われて、
大伴朴本連大国とその一党は恐縮するばかりであったが、
大海人は鸕野讃良皇女のその言い様を聞いて
笑いが込み上げてきて「一番つぼにはまって喜んだのは
自分ではないか」と思わず言いそうになったが、
言えば鸕野讃良皇女が不機嫌になると困るので堪えた。
ちなみに大伴朴本連大国とその一党は、
鈴鹿関までの話だったが、この際なので大海人皇子の下で
一働きしたいと申し出たので、引き続き従ってくることになった。
一行はしばらくのんびりとするつもりであったが、
雨が降り出しそうになったので、
重い腰を上げて先を急ぐことにした。

予測通りに雷鳴が轟き始めて、ぽつりぽつりと雨粒が
落ちて来たかと思ったら、すぐに激しい雨となって
一行の上に降り注いだ。一行はずぶ濡れになりながら
急ぎ足で先を急いだ。あまりにも急いだので、
輿が上下左右に激しく揺れ動いて、中にいる三人の
「わぁ」、「あれっ」、「揺れ過ぎだ」、「ああっ」などと
言った叫び声が外まで響いてきていたのだが、
誰も気づく様子はなく、輿を運ぶ者たちも激しい雨に
視界を遮られてそれどころではなかった。
どうにかしてやっと三重評家(みえのこおりのみやけ)に
着いたのでここで夜を明かすことにした。
新しく建て替えたので使われなくなった
古い道具置き場の小屋に火を放ち、
一行は濡れた躰を乾かしてから、皆が疲れ果てた心に
誘われて泥のように眠りに入っていった。

同じ頃、ようやく鈴鹿関に大分君恵尺と大津皇子と
従者たちがやって来た。先頭にいた
山辺君安麻呂(やまべのきみやすまろ)が、
関守に対して「私は山辺…」と言いかけたところ、
「山部王でいらっしゃいますか」と関守が問いかけたので、
山辺君安麻呂はその問いかけに乗って「い、いかにもそうだ」と
取り繕った。返事を受けた関守が
「お隣にいらっしゃるのはどなたですか」とさらに
問いかけてきたので、大分君稚臣(おおきだのきみわかみ)は
「い、石川王だ」とぎこちなく答えた。
関守は一同を物珍しく見ながら「申し訳ございませんが、
鈴鹿関は大海人皇子にお味方することになりましたので、
大津宮の方々をお通しするわけには参りません」と応えた。
その応えに一同は安堵しながらも「そうか。それは良いことを
聞いた。我ら一同は大海人皇子にお味方するために
駆けつけた次第である」と引き続き芝居を続けた。
堂々として威厳に満ちた山辺君安麻呂の態度に関守は
山部王と信じ込んでいながらも「それは真でありますか」と
それゆえに念を押す。その言葉を受けて山辺君安麻呂と
大分君稚臣は興が乗ったらしく王のごとき勢いでもって
二人が声を揃えて「信じないと申すならば、
力づくでも押し通る。天地神明に誓って真の話だ」と
畳みかけると、関守は勢いに押されて、怖れ畏みながら
身を小さくして「わ、分かりました。お通り下さい」と
通行を許可した。一同は交渉を終えた二人を先頭に堂々と
関の通用口を通り抜けた。その一番後ろで、
従者のごとく付き従っている、大分君恵尺と大津皇子を
見抜いた者は誰もいなかった。
彼らが関を通り抜けた後、伊賀で合流した官人の一人が闇の中、
人目を気にするように辺りを見回してから、
西の山中へ飛び込んで走り去って行ったが、
誰一人としてその出来事に気づいた者は居なかった。
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