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其の拾弐
陰陽の占術
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大伴連吹負の話で少し時間が巻き戻された形になったが、
話は再び大海人皇子や他の者たちと同じ時間に戻る。
大海人皇子とその一行は、夜遅く隠評(なばりのこおり)
に入った。隠駅家(なばりのうまや)に火を放って
これを焼き払い、周辺の豪族に人を送って参加を呼びかけたが、
誰一人として応答を得ずに戻って来た。
それからしばらく進んで、いよいよ畿内と畿外の
境界線となる横河まで一行が辿り着いた時に、
突如、黒い雲が東風に乗って流れ来て
龍形のごとく横たわった。
一行が不安に囚われている気配を察した大海人は馬を止め、
松明で自らの手元を照らし出すように命じてから、
懐中より陰陽で吉凶を占う時に用いる式(ちく)を
取り出して、近くに居る者たちを手招いてから、
彼らの目の前でこれを回転させた。結果を見て
大海人はしばらくじっと考え込んでいたが、
やがてゆっくりと諭すように
「天下が二つに割れて内乱が起きるが、
最後に勝利するのは私である」と告げた。
よく分からない不安に囚われていた一行は、
黒い雲の横たわる事象についての意味を得たことで
その不安を解消され、安堵した明るい表情を取り戻した。
さらに先を進んで伊賀評(いがのこおり)に入り、
隠と同様に伊賀駅家(いがのうまや)も焼き払った。
だがここは、大友皇子の母である伊賀采女の里なので、
参加を呼びかけることはせずにさらに先を目指した。
やがて中山と呼ばれる場所まで来た時、大海人を
待ち受ける人たちの姿が見えた。敵なのか味方なのかは
分からない。先に従者の一人を送って訊ねてみることにした。
戻って来た従者の報告によると、待ち受けているのは
伊賀評の官人や在地豪族たちで、数百名でもって
お味方致したいとのことだった。
敵地における有難い申し出に感激した大海人は、
彼らの傍まで近づいた時に馬を降りて、そこに居合わせた
複数の者たちの手を次から次へと握るとともに、
労いと感謝の言葉を掛けてから「残る皆も、
この大海人をよろしくお助け頂きたい」と叫んだ。
この言葉を聞いた人たちは、思いも寄らぬ言葉に心を打たれて、
一層強く自らの心持を引き締めた。
莿萩野(たらの)まで進んだところで夜が明けて、
休憩をすると共に干し飯を戻して簡単な食事を取った。
再び歩き出して、積殖(つむえ)の山口まで来た時に、
鹿深道から馬を駆って馳せて来る一群が見えた。
先頭を走る者が大きく両手を振っている。
そのような何とも危ない乗り方をするような者は、
自らの周辺には高市皇子しか思いつかないので、
敵味方の心配は無用であり、それ以前にそれとなく
彼だと分かったので、大海人も大きく両手を振って応えた。
民直大火(たみのあたいおおひ)、
赤染造徳足(あかそめのみやつことこたり)、
大蔵直広隅(おおくらのあたいひろすみ)、
坂上直国麻呂(さかのうえのあたいくにまろ)、
古市黒麻呂(ふるいちのくろまろ)、
竹田大徳(たけだのだいとく)、
胆香瓦臣安倍(いかごのおみあへ)の七名を引き連れて、
高市皇子が合流した。
大分君恵尺の姿が見えないのと、大津皇子が
どうなったのかを知りたかったので、大海人が尋ねると
「大津皇子はちょうど額田姫王と山陵におりましたので、
大分君恵尺をそちらへ迎えに行かせました。
大津皇子と共に来るでしょう」とだけ言った。
「それにしても、よくぞ駆けつけてくれた」と
改めて感謝を告げると、高市皇子はふざけた様子を見せて
「あちら方に留まって、一戦交えたほうが良かったかなぁ」
などと嘯いてから、大海人の顔を見て笑ったので、
それに釣られて大海人も笑いながら
「その方が良かったかも知れないなぁ」と言い返した。
その遣り取りを聞いていた一同は、それまでの緊張や
不安などなかったかのように笑い出した。高市皇子が
合流することは、しっかりとした指揮系統を持つことが
出来るようになることであり、何よりも人質同然と
なっている我が子の無事が保障されたことにもなる。
さて、残るは大津皇子である。高市皇子の話から
額田姫王のところに居るならば、まず心配はないと
思われるが、実際に会わないことには安心は出来ない。
「どうぞ無事で会えますように」と願いを込めながら
大海人と一行は道を急いだ。
額田姫王は鸕野讃良皇女以前の大海人皇子の妻であり、
二人の間には大友皇子の妻である
十市皇女(とおちのひめみこ)が生まれている。
その後、額田姫王は亡くなった大王の妻となったので、
大津皇子は義母の傍と言いつつも、ただの義母よりも
心情的にはもう一層近しい関係の義母の傍に居たことになる。
また、壬申の乱においては、一般的によくある週刊誌的な、
言い換えるならば野卑な詮索に基づく視点から、
万葉集巻一の二十、二十一の雑歌・贈答歌を取り上げて、
これを戦乱の原因とする場合がある。
万葉集巻一の二十、二十一の雑歌・贈答歌
天皇、蒲生野に遊猟しましし時、額田王(額田姫王)の作れる歌
あかねさす 紫野行き標野行き
野守は見ずや 君が袖振る
皇太子の答へませる御歌
むらさきの にほへる妹を憎くあらば
人妻ゆゑに われ恋ひめやも
当時の男女関係は、概念が確定していない
恋愛至上主義を軸に展開するものであり、
心の機微に対する感性も実に細やかなものであったので、
この歌の遣り取りについてもお互いの心の交流として、
人がとやかく言う問題ではないのである。
また、この歌が万葉集に選ばれるところからも、
不倫云々とかそれはけしからぬとかの狭量な視点を
超えた感覚がそこにあることを認めて、
現代の私たちもそのような視点に
自らの心を置くことで反省することに気づかされるのである。
話は再び大海人皇子や他の者たちと同じ時間に戻る。
大海人皇子とその一行は、夜遅く隠評(なばりのこおり)
に入った。隠駅家(なばりのうまや)に火を放って
これを焼き払い、周辺の豪族に人を送って参加を呼びかけたが、
誰一人として応答を得ずに戻って来た。
それからしばらく進んで、いよいよ畿内と畿外の
境界線となる横河まで一行が辿り着いた時に、
突如、黒い雲が東風に乗って流れ来て
龍形のごとく横たわった。
一行が不安に囚われている気配を察した大海人は馬を止め、
松明で自らの手元を照らし出すように命じてから、
懐中より陰陽で吉凶を占う時に用いる式(ちく)を
取り出して、近くに居る者たちを手招いてから、
彼らの目の前でこれを回転させた。結果を見て
大海人はしばらくじっと考え込んでいたが、
やがてゆっくりと諭すように
「天下が二つに割れて内乱が起きるが、
最後に勝利するのは私である」と告げた。
よく分からない不安に囚われていた一行は、
黒い雲の横たわる事象についての意味を得たことで
その不安を解消され、安堵した明るい表情を取り戻した。
さらに先を進んで伊賀評(いがのこおり)に入り、
隠と同様に伊賀駅家(いがのうまや)も焼き払った。
だがここは、大友皇子の母である伊賀采女の里なので、
参加を呼びかけることはせずにさらに先を目指した。
やがて中山と呼ばれる場所まで来た時、大海人を
待ち受ける人たちの姿が見えた。敵なのか味方なのかは
分からない。先に従者の一人を送って訊ねてみることにした。
戻って来た従者の報告によると、待ち受けているのは
伊賀評の官人や在地豪族たちで、数百名でもって
お味方致したいとのことだった。
敵地における有難い申し出に感激した大海人は、
彼らの傍まで近づいた時に馬を降りて、そこに居合わせた
複数の者たちの手を次から次へと握るとともに、
労いと感謝の言葉を掛けてから「残る皆も、
この大海人をよろしくお助け頂きたい」と叫んだ。
この言葉を聞いた人たちは、思いも寄らぬ言葉に心を打たれて、
一層強く自らの心持を引き締めた。
莿萩野(たらの)まで進んだところで夜が明けて、
休憩をすると共に干し飯を戻して簡単な食事を取った。
再び歩き出して、積殖(つむえ)の山口まで来た時に、
鹿深道から馬を駆って馳せて来る一群が見えた。
先頭を走る者が大きく両手を振っている。
そのような何とも危ない乗り方をするような者は、
自らの周辺には高市皇子しか思いつかないので、
敵味方の心配は無用であり、それ以前にそれとなく
彼だと分かったので、大海人も大きく両手を振って応えた。
民直大火(たみのあたいおおひ)、
赤染造徳足(あかそめのみやつことこたり)、
大蔵直広隅(おおくらのあたいひろすみ)、
坂上直国麻呂(さかのうえのあたいくにまろ)、
古市黒麻呂(ふるいちのくろまろ)、
竹田大徳(たけだのだいとく)、
胆香瓦臣安倍(いかごのおみあへ)の七名を引き連れて、
高市皇子が合流した。
大分君恵尺の姿が見えないのと、大津皇子が
どうなったのかを知りたかったので、大海人が尋ねると
「大津皇子はちょうど額田姫王と山陵におりましたので、
大分君恵尺をそちらへ迎えに行かせました。
大津皇子と共に来るでしょう」とだけ言った。
「それにしても、よくぞ駆けつけてくれた」と
改めて感謝を告げると、高市皇子はふざけた様子を見せて
「あちら方に留まって、一戦交えたほうが良かったかなぁ」
などと嘯いてから、大海人の顔を見て笑ったので、
それに釣られて大海人も笑いながら
「その方が良かったかも知れないなぁ」と言い返した。
その遣り取りを聞いていた一同は、それまでの緊張や
不安などなかったかのように笑い出した。高市皇子が
合流することは、しっかりとした指揮系統を持つことが
出来るようになることであり、何よりも人質同然と
なっている我が子の無事が保障されたことにもなる。
さて、残るは大津皇子である。高市皇子の話から
額田姫王のところに居るならば、まず心配はないと
思われるが、実際に会わないことには安心は出来ない。
「どうぞ無事で会えますように」と願いを込めながら
大海人と一行は道を急いだ。
額田姫王は鸕野讃良皇女以前の大海人皇子の妻であり、
二人の間には大友皇子の妻である
十市皇女(とおちのひめみこ)が生まれている。
その後、額田姫王は亡くなった大王の妻となったので、
大津皇子は義母の傍と言いつつも、ただの義母よりも
心情的にはもう一層近しい関係の義母の傍に居たことになる。
また、壬申の乱においては、一般的によくある週刊誌的な、
言い換えるならば野卑な詮索に基づく視点から、
万葉集巻一の二十、二十一の雑歌・贈答歌を取り上げて、
これを戦乱の原因とする場合がある。
万葉集巻一の二十、二十一の雑歌・贈答歌
天皇、蒲生野に遊猟しましし時、額田王(額田姫王)の作れる歌
あかねさす 紫野行き標野行き
野守は見ずや 君が袖振る
皇太子の答へませる御歌
むらさきの にほへる妹を憎くあらば
人妻ゆゑに われ恋ひめやも
当時の男女関係は、概念が確定していない
恋愛至上主義を軸に展開するものであり、
心の機微に対する感性も実に細やかなものであったので、
この歌の遣り取りについてもお互いの心の交流として、
人がとやかく言う問題ではないのである。
また、この歌が万葉集に選ばれるところからも、
不倫云々とかそれはけしからぬとかの狭量な視点を
超えた感覚がそこにあることを認めて、
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