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~一部~ 月が痩せているのは、星が綺麗に瞬くから

一メートルの世界 <3>

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 入社して三年になると、誰もが逞しくなり大概な事は自力で乗り越えられるようになってくる。営業に配属された私の同期の女の子は、なんとアダルト書籍やDVDを扱っている出版社が担当になった。最初こそ現場に電話で決定した商品のタイトル文字を依頼するのに照れていたものの、最近では「『夜の社長室、濡れ濡れ秘密の遊戯』です! 遊戯は『遊ぶ』『戯れる』で書体は――でお願いします!」といった内容の単語でも、ハキハキと現場に指示を飛ばせるほどになっていた。

 私が配属されたのは、営業製作という部署で、営業もしながら、自分で印刷物のデザインもして、版下まで作るという、営業と現場の間になったような所。他の営業とは違い、固定の顧客が相手ということで、ノルマといった要素も強くなく、仕事量も安定していることで比較的自分のリズムを作りやすい事もあり、私には向いているようだ。
 この月日で覚えたのは、微妙な書体の違いの見分け方、網点の濃さによって%の違いを察知すること、そして版下の剥離修正。剥離修正ってなんぞや? というと、印刷基準になるトンボがついた台紙に写植やDTPで印画紙に出力した文字や図版を貼り付けた版下の、ミスした部分の文字だけを薄皮をはぐように切りとり、そこに正しい文字を同じように表皮一枚の状態にしたものを貼り付けるという技。こうすることで、撮影したときフィルムに修正部分に陰が出来ることを防げるというわけだ。
 会社全体でDTPというパソコンでの版下作りが主流になってきていたのだが、私の課は上司がアナログな方々が多いこともあり、そういう職人的な作業が求められる課だった。
 また、お客様も幸いな事か残念な事か分からないけれど、オジサマが多かった。その為、娘な年齢の私はかなり可愛がってもらえた。お仕事等の用事で相手先に伺っても、歓迎され会議室で銘菓と共に出されたお茶を飲みながらTVで相撲観戦を楽しんだり、直帰の時はお客様と飲みに行って奢ってもらったりと平和的関係を築けたと思っている。

 他の人はどうだか知らないけれど、女性が仕事することにおいて、男女の関係とか恋愛といったオカシナ方向に行くことがありえない友好関係って、仕事に集中できて私には非常に気が楽だった。
 世代の違う人と飲みにいくのも、また結構楽しいものである。
 しかし、その関係が、私にとんでもない話を持ってくることになる。
 いつものように、お客様の行きつけの飲み屋に連れていってもらう私。夫婦がやりくりしているようなお店だけれど食べ物が結構美味しく、家庭的空気漂う良いお店である。
 すると、同じ店にそのお客様と課は違うものの仲の良いお友達もいて一緒に飲むことになる。そこでその方と共に三人で楽しく飲むことになった。
「この人はね、誠実な男なんだよ! 奥さんも優しくて素敵な方で!」
 人の良いお客様は、その友達をベタ褒めしはじめ、その後その友達に対して私をさも素敵なお嬢様なように語り出す。私はそれに対してイヤイヤ~と答えながら笑っていた。
「この人にはね、それは良い息子さんがいて! しかも家もこないだ建てた所で、車もあって、両親もこのように素晴らしい方!」
 なんか話がオカシナ方向にいってきたような感じもするが、その時は気にしなかった。
「良い、お舅、お姑さんになることは、俺が自信をもって保証するよ!」
「そうなんですか~」
 とかいって受け流した数日後……私の手元に一通の身上書が届けられる。お酒の席での冗談ではなかったらしい。

 三年目と半ばを超えたあたりから、お客様からお見合いの話をよくもってこられるようになった。まだまだ恋愛を飛び越えて結婚というものをする気持ちもなかった事と、そんな気持ちで会ってしまうのは相手の方に失礼な気がする。何かあった時に紹介して下さったお客様の顔を潰すことになってしまっても申し訳ない気がして、誰とも会う事もなく丁重にお断りしつづけた。
「モノは試しに会えば良かったのに、美味しいもの食べて、楽しそうじゃん!」
 今日のランチは何故か黒くんまでが一緒にいる。打ち合わせ室で信子先輩らと向き合って食べていた所に、人懐っこい丸い目でやってきた。ニコニコしながら、持ってきたコンビニ袋を机に置き、私の隣に座ってそのまま会話に参加していた。やはり営業なせいか、こういう行動が本当に自然。どんな集団にもスッと入ってきて自然に溶け込んでくる能力は凄いと思う。
「無理無理無理、結婚ありきで行き成り会う関係なんて怖すぎるよ~。しかもダメだった場合、その紹介して下さったお客様にも申し訳ないですし……」
「たしかに、見合いが趣味の叔母さんとかが持ってきたものなら、ダメ元な所があるから気楽に会えるけど、月ちゃんの場合、大抵お客様の友達の息子さんを本気で薦めてくるようなものばかりだから、辛いよね」
 やはり、こういう気持ちは女性である信子先輩の方が分かってくれる。
「しかもですよ、本人に会う前から親と同居前提なものばかりなのですよ! 引きますよね」
「確かに……」
 信子先輩はキッチリと描かれた眉を顰め、苦笑する。
「あれ? 月ちゃんはお姑さんとの同居なんて真っ平御免派なの?」
 黒くんは不思議そうに聞いてくる。
「そういうわけではないよ。ただね、先に親の方が前面に出てこられると戸惑ってしまうものよね。結婚相手の情報のよりも、両親の趣味とか、住む家とか、持っている車とか、式場とかの話が先に出てきて」
「結果的に同じ所に着地するなら、どういう経過でも同じ気もするけどな」
 黒くんは、そう言っておにぎりにかぶりつく。牛丼弁当に加え、まだ食べるという事に素直に感心してしまう。やはりこうやって美味しそうに食べる人の姿ってなんか良い物である。
「結婚するのは、私とその息子だよ~! せめて先にソコから話を進めさせてもらいたいのよね」
 信子先輩は笑う。私も結婚している姉がいるから分かってはいるものの、結婚というのは結局家と家の間で交わされる契約。相手の家族全員と確かな絆を作り上げるなんて無理な事。ならばせめて夫となる相手とはキチンと向き合った信頼関係を築いておきたいものである。
「まあ、女性なら、まずその条件だけを前面に出されたら引くよね。それに月ちゃんって、普通の恋愛でも奥手な方だけになおさらかもね~」
「確かにね~」 
 何故か黒くんも、深く頷く。
 まあ、否定はしないけど、どうも皆の中では恋愛ベタで通っているようだ。私が恋愛したいモードに突入できないでいるのも、この会社の『恋せよ若人!』なムードにも若干ひいてしまっている所があるのですが。
 信子先輩の所は別として、その他のカップルがミュージカル映画か! という位にフトした一瞬というタイミングで恋愛が始まり、そしてドラマ? という感じの熱く激しい(ドロドロな)恋をして別れていき、また別の人と……。なんて感じだったりする。恋愛が終わったからと、会社を辞めるとかいうセンチメンタルな人もいない為、社内に元彼、元彼女関係の男女がわんさといるし、ある男性の彼女と元彼女が仲良く? 机並べて仕事していたりする。
 シックスティーンビートの社内で、フォービートで行動する私がついていける筈かない。そりゃ恋もしたいし、恋愛もしたいけどね。
「そういえばさ、月ちゃん、聞いたよ! 聞いたよ!」
 何故か黒くんが嬉しそうに私に話かけてくる。そんな社内で話題になるほどの事、私はしてないはずだが、私は信子先輩に「何?」と目で聞くけど「知らない」と首を振られてしまう。
「ん? なにを?」
「今度、月ちゃんがコンパ開くって言うじゃない? 何で俺を誘ってくれないかな~」
 黒くんの言葉に首を傾げる。コンパ? 私が? いつ? 誰と?
「え!? 何、その情報、知らないよ」
「またまた~上の高森物産さんの女の子と、飲み会するって聞いたよ~!」
 高森物産とは、私達が過ごす営業部のあるビルを共につかっている会社で、うちの会社が五階で、高森物産は六階にある。エレベーターですれ違うことも多く、仲良くなり飲みに行くことになったのだ。
「……ああ……それ……でも……女子会だよ」
 どこで、コンパという噂になったのか? 間違えた情報に訂正をいれとおく。 
「なんで 同期のアタシも呼んでくれないのよ、水くさいわ~」
 黒くんがおネエ言葉で参加を求めてくる。確かにウチの会社にはいないタイプの、お嬢様っぽい可愛い子が多かったけど、女子会といっても乱入するつもりなのね……この男は。先日私の同期の女の子と別れてしまったばかりだし。次の彼女を求めて着々と行動を開始しているようだ。
「盛り上げるからさ~♪ お願い、俺も行かせて!」
 まあ、女子限定と約束したわけでもないし、酒クセが悪いわけでもなく、女性に失礼な事をいうタイプでもないので良いかと、信子先輩に目で相談すると、『いいんじゃない 別に』と首を縦にふってくる。
 早速メールを上の階にいるであろう女の子に打つと『大勢の方が楽しいですから、是非是非そのお友達もいらして下さい~楽しみです♪』とすぐに返事がくる。
 そのメールを見て、ホクホクした顔をする黒くん。
「さすが 月ちゃん ありがとう! 持つべきものは良い友達だね」
 あまりにも無邪気に喜んでいる黒くんを私はシゲシゲと眺める。このアンテナの良さ、行動力、これが、殆ど途切れることなく彼女が居つづける秘訣なのねと、密かに納得。
 恋愛にしろ、夢にしろ、強く望んだ人の所にくるというものだろう。自分には出来ないけど、人と積極的に関わっていこうとするこの男は凄いと思う。
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