欠けている

白い黒猫

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     分かれ道

合わないピースの形と足りないピースの形

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 人と取っ組み合いの喧嘩なんてした事がない。基本にお坊ちゃまとして育っていた事もあるけれど、何故か女性として生きている時の方がこんな状況にばかり陥っているのだろうか?

 最初こそは、常気を逸した目でコチラに向かってきて暴行と暴言を吐いてくる賢治にビビって自分を守る事が必死だったが、相手のテンションがうつってくるものなのか、単に不条理過ぎる言い分にだんだん頭にくるようになったのか、気が付けば怒鳴り返していた。そんな時に目の端で何かが動くのを感じる。その人物は二人の間に割り込んでくるように入ってくる。

パシッ

 突然部屋の中にそんな鋭い音がする。チョット前までの喧噪が嘘のようにシンとなる。
 あれ程激昂していた賢治も、香織にひっぱたかれ一気にトーンダウンした。賢治は鍵をかけたものの、その扉の鍵なんてコイン一つで開けることができるので、リビングへの扉は開け放たれていた。

「ケンちゃん、何しているの!」

 香織は二人の間に割り込み、私を守るように立ち静かにそう賢治を叱った。背をむけているから分からないが、その声は凜とした響きがあり大声ではないものの香織の怒りの感情を感じる。
 何かに取り憑かれていたような賢治の目に、人間らしい感情が戻る。

「あ、香織。ゴメン」

 賢治は、ひっぱたいた香織の手を気にし、その手を心配そうに持ちながらそう謝る。本来なら、『謝る相手と気にするところをはそこか!』と私はツッコム所だけど、実際こういう状況の時って何もいえない。

「謝る相手が違うでしょう」

 香織が冷静に、賢治に指摘してくれた。そしてふりむき私を見て、申し訳なさそうに眉を顰める。棚にぶつかったときに壊れたガラスの置物で手を切っていたようで、気が付くと血が流れていた。そして頬がズキズキと痛む。賢治の顔をみると見事なほど、真っ赤に香織の手形がついている。それはそれで痛そうに見えた。

「薫ちゃん大丈夫? ごめんね、怪我してるね。血まで……」

 私は香織が謝ることでもないので、首を横にふる。香織は大きく溜息をつき、キッ後ろを振り向く。

「薫ちゃんの手当は、ケンちゃんがしなさい! 話はその後で聞きます! 薫ちゃん、こっちにきて。冷やすモノもってくるから」

 私の手を優しく取り、私をリビングへと導く。賢治は大人しくその後についてくる。何も言葉を発しないところが、少し心配になる。香織は私をソファーに座らせ、台所に向かった。賢治は救急箱をどこからかもってきて私の隣に座る。

「申し訳なかった」

 男らしくない小さい声が聞こえる。見上げると、賢治は真っ直ぐ私の顔をみて真剣な表情でコチラを見ていた。

「思わずキレてしまって、とんでもない事をした。本当に申し訳ない」

 今度はハッキリとした口調で頭を下げ謝ってくる。理不尽な事をされたものの、賢治自身に対しての怒りというのは元々なかったので、私は首を横にふる。

「いえ、私も考えなしでしたので、貴方に不快な思いをさせて、ゴメンナサイ」

 賢治はその言葉に顔を苦痛に歪ませる。しかし何も言葉を返さずに、私の手の手当を始める。香織がアイスノンをもってきて、私に手渡し頬を冷やすように指示をする。賢治の頬もかなり痛そうなので、ソチラも冷やしたほうがとも思うものの、香織は賢治をチラリとみつめ、再びキッチンに戻っていく。
 長い男らしい指をもつ手が、器用に私の手の傷を消毒しガーゼを当て包帯を巻いていくのを私はただ静かに見ていた。

「縫う必要はないとは思うけれど、痛みがひどいようなら病院に行って下さい。もちろんその治療費はお支払いいたしますので、他に痛むところはありませんか?」

 若干背中とかも痛かったが、私は首を横に振った。そして自分の頬にあてていたアイスノンを賢治に渡す。賢治はキョトンとそれをみる。

「いえ、貴方の方も冷やしたほうがいいかと思って。商売柄頬を腫らせていくわけにもいきませんよね?」

 その言葉に、賢治がフっと笑う。久しぶりにみる作ってない笑みに感じた。そして私の手ごともってそのアイスノンを私の頬に戻す。

 コトっと音がして、テーブルの上に香織の良いお茶が三つ置かれる。
 香織はそのままトレイをテーブルの下の置き、ソファーに座り私達に向き合う。

「二人とも、何があったのか、話してもらえるわよね」

 香織は、そう切り出してきた。私はどう答えるべきか分からず、賢治の顔をチラリと見る。賢治は一瞬だけ私の顔を見たが、その後は香織の顔だけを見つめる。そして小さく溜息をつき、事の顛末を淡々とした口調で語り出す。感情とか一切入ってない報告ともいうべき内容の淡々とした説明。そこに彼の苦悩の深さを逆に感じる。
 香織を、その内容をジッと聞きながらだんだんと表情を青ざめさせていく。そして口を抑え小さく呻き声をあげる。しかし俯くことはせずに話しをする賢治の姿を見つめ続ける。賢治も話している間、香織から目をまったく逸らすこともなく、二人はここに私がいる事も忘れているように見つめ合っている。
 賢治が話し終えても、二人は黙って視線を合わせたまま。これが、夫婦というものなのだろうか、強すぎる想いで繋がっている二人の姿を見せつけられる。

「香織」

 賢治の呼びかけに、香織がビクっと動き、その瞳から涙がスッとこぼれる。静かに賢治が立ち上がり香織に近づき横に座り抱きしめる。

「ケンちゃん……私は貴方を……ずっと追い詰めていたのね」

 賢治は首を横にふる。

「違う! 香織。俺は君と最高の家族を作りたかっただけだ」

 香織はその言葉に痛みそうな顔をする。

「私は、家族が欲しいから、貴方と結婚したわけではない。子供が欲しいから結婚したわけでもない」

(貴方が好きだから結婚した。だから貴方の子供が欲しかった)
 
 そういう香織の心の声を私は感じる。
 香織は手をそっと賢治の赤い頬に当てて、なだめるように、子供に言い聞かせるような口調で賢治に語る。
 
「貴方と一緒に生きたいと思ったから……二人でいることが家族ではないの?」

「分かっている……しかし」

 香織の言葉を遮るように賢治は言葉を発する。いつになく必死な様子だ。
 私はというと、勝手に帰るわけにもいかず、かといって言葉をかける訳にもいかず、ただ息を殺しその二人の会話を聞いている。
 同時に私達三人の関係と、賢治が提案してきた事について考える。精子を持たない賢治、満たされない空っぽの子宮を持つ香織、子宮を持たず精子をもつ私。私は子宮を持つ香織がどうしようもなく羨ましく、賢治は自分には持てなかった生殖能力を捨てようとしている私に激しい妬心を抱く。香織はポッカリとした心と子宮を抱え耐えているだけ。

「君は馬鹿な事というけれど、この方法ならば、俺達は皆欲しいモノを手に入れることができる。俺の為に君が子供を諦めるというのが許せないんだ!」

 欲しいモノ。恐らくは賢治が最もソレを欲していて、香織が慟哭の末諦め、私はあえて考える事も放棄し見ないようにしたモノ。それを賢治は三人で力を合わせれば手に入ると力説する。ようやく会話は、私を含めた三人の話題になるものの、私はその会話に迂闊に口を挟めず、ただ二人の顔を交互に見つめるしかできない。

「でも、そうすることで、薫ちゃんにもリスクを負わせるなんてことは出来ない」

 香織は、そう言い気遣うように私をチラリと見る。
 私の戸籍には絶対に、父親として子供の存在は記せない。そうなると女性になる道が閉ざされる。(現在では子供が成人した段階で戸籍の性別変更は可能)
 しかし賢治は首をふり、私を縋るように見て、香織に視線を戻し必死な表情で訴えるように肩を持つ。

「薫さんも俺も血液型は同じAB型だ。しかも君のお母さんによく似ている。だから誰も怪しまない。俺達だけでない。高梨さんも俺の両親までも幸せに出来る。それに薫さん! 君も、ソレで思い残す事もなく前に進めるのではないか? 君も諦めることはなく全てを手にいれられる」

 狡い言い方である。確かに、生殖能力を失う前に子供を作る事が出来るのは堪らない魅力である、自分のDNAを持つ存在を生み出せる。しかしそれは誰にも明かす事は出来ず、大きな秘密を一つ抱えていく。
 同時に、三人だけでなく子供を何よりも心待ちにしている存在をちらつかせてきている。
 そこを突かれると、香織も何も言い返せないだろう。結婚というものは二人だけの問題ではない。『二人で生きていく、貴方だけがいればいい』そう言い張って生きていけるものでもない。賢治の両親も、香織との会話の口ぶりから孫を何よりも心待ちにしているようだ。息子の実情を知らずに……。

 私の心が激しく揺れる。逃げる事は簡単である。しかし私だけの問題でないだけに私を迷わせる。倫理的観点で、法律的観点で考えると結論は簡単ではあるけれど、ソレで割り切れるならば人間は苦労しない。賢治の必死な視線を浴びながら、私と香織は顔を見合わせ悩む。香織の瞳も私同様激しく揺れ動いているのが分かった。どうすれば私は良いのだろうか? 

 私は抱えきれない感情や想いで息苦しくなり、大きく深呼吸をした。
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