蒼き流れの中で

白い黒猫

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十五章 ~毀れる足下~ キンバリーの世界

支える手

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 ローレンスの眉間にはいつもより深い皺が刻まれている。切られた腕が痛むだけなのか、魔の素が体内に入った為なのかキンバリーには判断がつかない
 イサールに背後から抱かれ支えられた状態のままのキンバリー。どうして良いか分からないずその状態でいるしかできない。
「キンバリー、良いか? 
 ローレンス殿を治療するには君の力が必要だ。泣くのも動揺するのも後にして。冷静になれ」
 イサールの言葉にキンバリーは反射的に頷く。しかしイサールの言葉を聞いてではなく、反射的行動。混乱の中で縋れる者に従がったに過ぎない。
「闇の気はルークスに弱い。発症する前にローレンス殿の身体にある闇の病原菌を死滅させる必要がある。それには君のルークスの力が必要になる」
「だ、だったら。イサールでも」
 キンバリーは自分のせいで、これ以上ローレンスに何かが起こる事が怖かった。
「俺の力だと、強すぎる。かえってローレンス殿の身体に負担をかける危険性もあり難しい。出来るのは君だけだ」
 そのイサールの言葉は実は半分嘘。しかし今ここでイサールが治療に専念して戦場を放棄する訳にはいかない。
 ローレンスの事もだが、イサールにはこの戦場全体の責任もある。早めにローレンスを国に送れるのならば良いが動かせる人間が足りない。ごく一部の人間のみで秘密裏で進行している計画。余計な人員をここで割くことが出来ない。
 さらに、動揺して戦闘不能となっているキンバリーもここでは悩ましい問題だった。戦場から隔離し安全を確保する必要もあった。
 今のキンバリーにそこまで察する事が出来る訳もない。頭を横に振り失敗することへの恐怖から、イサールの腕に縋る。
【キンバリー、私が補助する。共にローレンスを助ける。いいね】
 青い石から聞こえる声にキンバリーは動きを止める。
「はい」
 小さい声でキンバリーは答えるのが精いっぱいだった。
【今は余計な事を考えている場合ではない、治療を始める。気を引き締めて】
 キンバリーは少し落ち着きイサールの腕の中から離れる。改めて自分が子供っぽく情けない姿を晒していた事に気がついたからだ。
「キンバリーこれだけは注意しろ。治療といっても決してローレンス殿と気を交わらせてはならない。ルークスの気のみをローレンス殿に放射するんだ」
 イサールは優しい表情と声で、難易度の高い事を要求してくる。
 ルークスの力を意識したのは最近。まだ二つの能力の使い分けまで出来ていない。
【思い出して、お前は熱を持たない灯りを作り出せると聞いた。あの要領だ。アレでローレンスの身体を包む。そう意識しろ】
 イサールは説明を声に任せローレンスの元に跪いた。ローレンスの腕の切断面を焼き止血処理をする。近くに下がっていたカーテンを引きちぎりそれでローレンスを包みソファーに移動させ寝かせた。その後床に流れた血を浄化し部屋を清めた。

 キンバリーはおずおずとローレンスに近付く。
 直ぐ近くに寄り添う人物の存在を感じる為か、恐怖や動揺は少し治まっていた。
 マグダレンとも違う。ローレンスとも違う。ましてはイサールとも違う心地よい気の香りに包まれていた。海のような生命の内含した水の香りにキンバリーは落ち着いていく。ゆっくりその香りを吸い込み深呼吸をした。
 ローレンスの眼は、側に跪くキンバリーからズレた場所を見つめ頷き微笑む。そこにまるで誰かもう一人いるかのように。その人物の気からローレンスを必ず助けるという、強い想いも伝わってくる。寄り添うそんな気にキンバリーは落ち着いた。
 ローレンスの開いた目がキンバリーを見て細められる。その表情はキンバリーが驚く程あどけなく明るい。視線もキンバリーに向けられたものではない。二人を見守っているアクアの気の巫に向けてのようだ。そこまでローレンスが信頼を置いている人物。キンバリーはその事からも不安は消え覚悟も定まっていく。
 指輪に嵌った青い石越しにキンバリーに気が交わって行くのを感じる。
「ンッ」
 全身に走る不思議な感覚にキンバリーは身体を震わせる。キンバリーからアクアの気が放たれた。
 目を開けローレンスの様子を探る。青い目を細め此方を縋るように求めるような眼差しに、キンバリーは安心させるように微笑んだ。
 ローレンスの唇がキンバリーでない人物の名の形に動く。
【今君を包む気を注視して。分かるか? 今私の気でアグニの気を少し抑えている。アクアに負ける事無く輝くルークスの気を意識して】
 アクアの気がキンバリーのもつ気を明確に色分けられている。
 実行の意思を示す言葉がキンバリーの心に浮かぶ前にその感情は相手に伝わった。相手が小さく微笑む気配を感じる。

 スー

 息を吸って吐きキンバリーは集中する為に目を瞑じた。感覚のみの視点で気を見つめる。ローレンスの身体。キンバリーを包む光を帯びたアクアの気。己の持つアグニとルークスの気。ルークスの気に働きかけ集めていく。乱れそうになっても、そっと力を添えて補助してくれる存在がいるので、もう恐怖はなかった。集め支配をしたルークスの気をゆっくり動かし、ローレンスへと移動させる。
 ルークスの気に触れ、ローレンスは苦しげに身を捩る。ルークスに混入したアグニの気は、アクアの力で相殺してくれているようだ。だからアグニの気で傷つけている訳ではない。
【大丈夫。私を信じて】
 そう話しかける心話に委ねるように、ローレンスは身体の力を抜いた。しかし実際にルークスを浴びると身体を強張らせ震えだした。ローレンスは小さい声で一つの言葉を繰り返す。まるで祈りのように。誰かの名前のようだ。
 ローレンスは苦しいのか、眉を寄せ身体を震わせている。そんなローレンスに気の放射を躊躇ってしまうキンバリーをに叱咤する心話が響く。キンバリーは気を引き締め気を操りローレンスへ、祈りの想いと共にルークスを注いだ。

 イサールの貼った結界の為もあるが、外の喧騒は全く聞こえない。部屋の中は静寂に、包まれている。その所為でローレンスの乱れた息遣いが異様に部屋に響いて聞こえた。

 一心に言葉もなくルークスの気を操るキンバリー。そんなキンバリーを援助しつつ心話で二人に声をかけ続ける人物。
 心話は救うことを前提にローレンスを振り起こし続ける。その声はキンバリーの気持ちも強くした。指輪を介して交わった水の巫の強い想い。

 傾注し行う施術は時間の概念と、己の限界に対する正常な判断を奪う。
【キンバリー無理をするな。もういい!】
 そう話しかける声すら無視してキンバリーはローレンスに向き合いつづける。部屋で何か弾ける音がした。その音にキンバリーはハッと我にかえる。
【キンバリー、もう充分だ。良くやった休め】
 その声に緊張が解ける。
 フッと目の前が真っ白になるのをキンバリーは感じる。身体が傾くがキンバリーにはどうしようもなかった。自分の身体とは思えない程手足が重く動かない。
 倒れる! そう思った瞬間に背後から大きな腕が伸びてきて支えられるのを感じた。
「ぉとぅさん?」
 そう掠れた声を出すのが精一杯。温かく大きな腕がキンバリーを軽々と持ち上げ移動し抱きしめてくれる。感じるのは安心感のみ。キンバリーはその温もりの中で意識を飛ばした。

 良く分からない言語の会話が聞こえる。空間の震える妙な感覚でキンバリーは完全に覚醒した。目を覚ますと大きな胸の中に抱きしめられていた状態でることに気が付く。
「お姫様起きたか? あ、急に動くと危ないぞ。無理はするな」

 自分を抱きしめてたのがソーレであった事に今更だが気が付く。倒れそうになった自分を支え抱き寄せたのは、父親である人物ではなかった事に少し落胆した。呆けていた思考が少しずつ纏っていき、キンバリーは目に映る部屋の様子を見てハッとする。部屋から大切な存在が消えていた。
「ローレンスは何処?!」
  身体を反転させ、ソーレに縋るように聞く。急に動いた事で眩暈を感じたが、そんなことを気にしてられなかった。
「だから言わんこっちゃない。落ち着け。
 ローレンス殿は無事だ。より完璧に治療出来る場所に移送しただけだ」
  無事という言葉に、キンバリーの身体の力が抜ける。ソーレに身を委ねるようにもたれ込んだ。そんなキンバリーを優しくソーレは抱きしめその背中を撫でる。
「お嬢ちゃんはよくやった。
 穢れの治療は、闇の素が重要な器官までを侵食しないように食い止める事が重要になる。ルークスの気によって寛解させる事しかない。
 お嬢ちゃんがした治療が早かった事もあるから、完全寛解までそこまで時間もかからないだろう」
  優しいソーレの言葉と仕草にキンバリーの気持ちも漸く落ち着く事が出来た。

 ソーレが治癒術をかけてくれたことで、キンバリーは自分の足で立ち上がる事が出来た。ソーレの探査術と説明を受け、戦いの終了を知る。この戦いにおいて無力過ぎた自分を恥じた。
  イサールらと合流し、聖戦軍のいる皆の元に戻る。イサールやマグダレン同様崇められ、崇拝の目を向けられる事にキンバリーは居心地の悪さを覚えた。
 マグダレンがいて、イサールがいて、ローレンスがいない事にも違和感しかない。

 イサールは戦いが終わると、一変して引いた形で事後処理にあたる。それは無責任な行動ではなく寧ろ逆の意味があった。ここが元々住んでいた彼らの場所であり、今後の世界を作るのもここで生きる人だからである。
 聖人の後押しでこの機会にここでの権力を得ようという者も退け、政治的問題には不加入の姿勢を貫いた。

 マグダレンも清廉な笑みを浮かべ、平和と協調を説き欲に動く人たちを煙に巻く。

 キンバリーもマグダレンに倣い、慣れぬ笑みで様々な思惑を持った人を受け流した。
 利権問題についての話し合い自体は、思ったよりも楽に終わる。
 今回の戦いにおいて中心に行動したダライ皇国のベルナルド神官長が、戦果を求めるという事を一切しなかった。その事が他の国が権利を求め難くなったことがある。
 大陸で一番の大国であるダライが動かないとなると、他の国は動けない。
 会議を中心となって進めるバシリオ提督とベルナルド神官長の二人が、ガッチリと場を支配していたこともある。揉める隙すら与えない徹底的な状況だった。
 タイプが真逆にも見える二人。予め話合いがなされていたのか? 政治的意見の合致によるものか? そこに何だかの友情が生まれたからか? 二人の息のあった進行がなされ会議は終わる。
 元々この地にいた海賊らが管理。産物である鉱物は今回聖戦軍に参加した国には関税は低く取引される。

 キンバリーの目から見ても、悪くない落とし所に思えたので、静かに観ているだけだった。正直この会議で決定する事は、キンバリーの未来にはまったく関係ない。
 それよりもキンバリーは漠然とした自分の今後の事が気になる。

 旅を終えた自分にどういう生活が待っているのか? ローレンスは今何処にいるのか? ローレンスとマグダレンの三人で里に帰るのか? それともイサールの国にいるらしい父親に逢いにいくのか?
 チラリと横に座るマグダレンの様子を探る。
 慈愛を感じる笑みを浮かべマグダレンは会場を見守るかのような視線を向けている。いかにも聖女らしい雰囲気を醸し出しているが、キンバリーにはそれが見知らぬ別人に見えた。

 会議がの後は、今回事態を引き起こしたジャグエ家の反証一切許されない公開裁判が行われた。領主らの火刑による公開処刑までを見守り三人の役割は終える。

 三人は伝説の存在に相応しく、ソッと皆の前から静かに去った。
 三人に戻り、キンバリーは複雑な感情を抱きながら森の中で二人と向き合った。そこにいつものような穏やかな会話はない。
 イサールはいつもの柔らかい笑みを二人に向けているが、マグダレンはいつも以上に物憂げな表情をキンバリーに返す。
「さあ、キミーか」
 マグダレンはそう言って、華やかな表情で笑う。しかしキンバリーにはその顔は泣いているように見えた。
「送ります」
 イサールはそう微笑み、二人に転送術をかける為に抱きよせた。


 ※   ※   ※

 闇に穢される事、普通の人間にとっても恐るべき出来事。だが巫が感じる恐怖に比べたら甘いものだろう。普通の人間だと腐化は一気に進み恐怖に支配される時間も一瞬で済むからだ。
 だが巫は違う。ジワジワと魔に犯されていく自分を感じつうけなければならない。だからこそ巫は穢されたら、その恐怖の時間を短くする為に自分で自分を浄化を実行する。それが出来ない場合は仲間がそれを即座に行うのがセオリー。
 先日の戦いにおいても、自ら炎に飛び込んでいった巫らの気持ちもよく分かる。
 仲間を浄化させるという苦行を強いる事をさせない。少しでも早く恐怖の時間を終わらせる為。出来る限り自らで処理をするのだ。

 ローレンスは自分が穢れ、自らの手で浄化を行うすべを奪われた時に感じた感情は絶望だった。
 巫のまま死ぬ事すら許せなくなることへの深い激しい恐怖。不様に取り乱さないようにする事が精一杯だった。
 その状態のローレンスを救ったのは、イサールの「治療は可能」の言葉ではない。それは敬愛する人物の声だった。
 ずっと求め続けていた存在が、自分に真っ直ぐ向け語りかけてくる。その事に心が歓喜に震えた。
 チリチリと身体中の細胞が焼かれるような治療の痛みに苦しみながらも、ローレンスは悦びに心を満たしていた。
 ボヤけて色を無くしていく視界。薄れていく視界の中でもローレンスの瞳は、自分を見つめ微笑む愛しき人の影をしっかり捉えていた。縛られているように、腕が動かせない事がもどかしい。縋りその身体に触れたかった。せめてもとその名を呼び続ける。

 この時間は一瞬のようでも、丸一日くらいあったかのようでもあった。絶え間なく痛みに晒され、思考も視界も徐々に薄れていく。
 気がつくと眩しすぎる真っ白な世界に一人放り出されていた。

 上下左右も曖昧な空間でローレンスは想う。ココは死後の世界なのかと。 それとも夢なのか?
 夢としたら、いつからが夢だったのか? 治療可能という言葉が発せられたと事すら夢だった? 堕人に咬まれた時から? この旅そのもの全てが?  いや大昔亜種に襲われたあの後の全てが幻?

 誰かが会話している声が聴こえる。見知らぬ言葉でその内容は理解出来ない。その声で覚醒していく意識。自分が輝く球体の中で全裸で横たわっている事に気がつく。
 身体はベッドにベルトで縛られているようだ。動かせる顔を捻り周りの様子を伺う。金に光る球体の向こうに誰かがいることに気がつく。顎のラインで切りそろえられた銀の髪をもつ人物。淡い青い瞳がローレンスと目を合ったことで細められる。
 細く小さい赤い唇がローレンスの名前の形に、動く。
 髪の色が変わり果てているが、それ以外は殆ど全く変わらないその姿。ローレンスを嗄れた声で、相手の名前を呼ぶ。
「ローレンス。もう大丈夫」
 淡い青い瞳はローレンスを映し潤む。ローレンスの青い瞳からは涙が流れる。しかし今のローレンスにはその涙を拭う事は一切出来ない。そのまま流れるままにするしかない。泪は止まるどころか、絶えることなく溢れて流れる。
 そんなローレンスに相手は泣くのではなく微笑んでくる。美しいが繕った笑みではない。ごく一部の親しい相手にのみ見せる人間的な温かみのある笑み。それを変わらず自分に向けてくれる事に心が踊る。いつもならもっと感情をコントロールできるのだろう。しかし強すぎる恐怖、怒り、嘆きからの覚醒。状況が判断しきれていないことからくる混乱。それがローレンスの理性を失わせていて、子供のように感情をむき出しの常態にさせていた。
 腕を失った事など、今のローレンスには些細な事に思える。それ以上のモノを自分は取り戻したのだから。最愛の存在が再びローレンスの元に戻ってきた。
「ローレンス、貴方に話さなければならない事がある。
 だから……今は耐えて治療に専念して」
 そう話しかけてくる美しい人にローレンスは頷く。
「ああ、勿論だ。
 でもその前にお前に触りたい。抱きしめたい」
 銀の髪の人物は、その言葉に何故か悲しそうな笑みを返したが頷いた。
 
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