蒼き流れの中で

白い黒猫

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間章 ~狭間の世界6~

楽園を前に

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 以前より追手の手が緩んできたものの、油断が出来ない日は相変わらずだった。仕掛けた罠に敵が嵌り吹き飛ぶ気配を感じ青年は大きく息を吐く。追手との距離を想ったよりも稼げている事に安堵する。石を使いコチラの気配を偽装し、石に接触した敵を石とともに粉砕するという手を使って攪乱するという手はかなり成功しているようだ。
 故郷を追われ三年の月日が経った。それなのにまだ追い掛けて来る事の執拗さに気持ち悪い。それだけの敵意を相手に抱かせる事をしてしまったということだろう。
 青年は蒼い目を閉じて周囲の気配を探り敵の存在がいない事を改めて確認してから、離れた所で見張りをする男に合図を送り自分は下がる事にする。
 楽園を与えるといっている神様とやらは、直接助けるつもりはないようだ。それは少年のみに存在を示しているようだ、唯一仲間でその存在を察している少女は日に日に苛立ちを深めている。青年に認識出来るのはその存在が心話で話かけて来たらしいことによる少年のリアクション。笑ったり、苦笑したり、眉を寄せ怪訝な顔を見せたりと身内以外では珍しい素直な感情を見せている。その相手の気配というには僅か過ぎる何かが無ければ少年の妄想を疑ってしまう所だろう。認識出来ないのに限らずその存在はシッカリ感じる。その不気味さが青年を悩ませ、少女を不安にさせていた。本当に味方なのかどうかがまったく読めないのだ。

 火を囲み休息している仲間の所に戻りホッとする。妹に抱きしめられながら眠る弟の姿。妹は眠ってはいないようで、双子の兄を愛し気に撫でながらその存在を慈しんでいるようだ。
 少年は儀式として毎日説法を説き、気力が尽きそうな仲間を鼓舞して旅を続ける。仲間の敬虔な信仰心とは異なり、たた自己修練の一貫として真面目にルーティンを行っているだけのようで、その瞳には以前の様な熱意も神に対する愛もない。
 聖騎士として育った青年も少女も同じかもしれない、過酷過ぎる旅により神への愛も信頼も枯渇してしまった。二人の心を支えているのも、希望を与えているのも、必死になれるのは神のお陰ではなく、少年の存在によるものである。
 実際この集団も神というより少年を神の遣いであるかのように崇めており、かつての穏やかな信仰心とはかけ離れたモノへと変容してしまっている。その分少年に対する精神的負担は増しているのが現状で、皆が望む導き手を必死に演じている。
 この長き逃亡生活は少女と青年二人と少年との関係にも大きな変化をもたらした。
 共に苦しい局面を悩み決断を下す事で、主従という冷静で穏やかな立場を貫いていた二人の間に肉親の情というものを呼び起こし、絆は深まったもののより生々しい感情を交わす関係にもなった。もはや以前の冷静な関係に戻れるのか? というと怪しい。青年にだけ見せてくれる苛立ち、弱さ。その事に自分の存在意義を見いだし、悦びを感じている自分の歪んだ感情にも気が付いていた。法主となる為に育てられ常に完璧で揺ぎ無かった主が、自分にだけ見せる人間としての表情に何故か安堵するのだ。こんな熾烈な環境になりやっと家族らしい関以前の関係の方が異様だとも言える。
 そして妹は? 周囲など気にする様子もなく双子の兄を抱きしめ微笑んでいる姿を、青年は静かに見つめる。
 弟は眠っているとはいえ、そんな人に身を任せ触らせ続けることなんて普通は許さない。相手が妹だからだ。唯一例外があるとしたら青年だが、青年が弟を抱きしめるのとは違う何かをそこに感じる。元々双子として生まれた二人には、青年にもそこに入る事の出来ないような絆があった。同様聖騎士として仕えていた少女と青年だが、常に穏やかに冷静に見える弟の感情の微妙な襞を誰よりも察する事が出来るのは少女の方だった。感情的で一人突っ走りがちに見える言動をして聖騎士として資質が問われる事も多い妹だが、それは誰よりも弟の心を受けての行動だと青年だけは気が付いていた。
 感情を殺し生きている半身の横で思いっきり笑い怒り泣く事で互いにバランスをとってきていたのだ。そしてより深い強い苦悩と哀しみと怒りを溜め込む事となったこの旅の中で、妹は逆に感情を抑えるようになった。激しいその想いを翠の瞳に宿らせて、ただジッと黙ったまま双子の兄を見つめる。それと共に増えたのはこのように二人が身体を寄せ合う姿。
 弟が兄や妹と限られた相手限定ではあるが人間臭い顔を見せるようになった事は悪い事とは思わないが、妹が本来の部下という立場を忘れ、より近い関係となろうとしているように見え注意すべきかと悩んでいる。自分も同様な事をしている自覚もあったし、その変化をあえて妹に注意することで、彼女の中にある想いに気付かせるべきではないようにも思えるからだ。その感情の名を表現することが青年には怖かった。親愛とか家族愛か同胞愛とかいった単純な名前では言い表せない。
 少女が青年の視線に気が付き、無邪気な笑みを浮かべてくる。『交代?』赤い唇が音を出さずそう伝えてくる。心話で接触している少年を起こす事を恐れたのだろう。身体の刺激より精神的刺激の方が覚醒を促しやすいからだ。少年も見張りに出るつもりだったようだが、戦う以上に力を使う治療で疲弊している少年を少しでも休ませたかった。眠る子供を受け取るように優しく少年を引き継ぎ、妹を送り出した。
 腕の中の弟を見るとシッカリ熟睡しているようで目を覚ます様子もない事にホッとする。逆にいうとそれだけ疲れ果てているということだろう。精神的な追い詰めは、謎の存在感とのやり取りにより軽減したものの、色々な意味で限界なのだ。不安な要素が多かろうとそれに賭けるしかないのも現実なのだろう。それに今までいたような権威と欲に腐敗しきった見苦しい場所ではなく、少年がゼロから作り上げる世界も見てみたいとも思う。そこで自分は弟を主として、その隣に寄り添い楽園を築き上げていく。それはそれで甘美な未来にも思えた。
 青年は抱きしめる腕につい力を込めてしまう。少年が身を小さな声をあげたので慌てて緩め、子供をあやすかのように優しく叩く。弟は甘えるかのように青年の胸に頬を擦り寄せてくる。落ち着く位置を見つけたのかそのまま再び深い眠りに落ちていくのを青年は息を殺しジッと見守った。その穏やかな呼吸の音を感じながら、希望ある未来を夢想し瞳を閉じしばしの休息を味わう。青年も少年の身体の温もりと、彼の醸し出す柔らかく落ち着く気の香りを感じながら眠りに落ちていった。

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