蒼き流れの中で

白い黒猫

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十章 ~悔恨の先~ カロルの世界

大人な愛、子ども愛

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 罰を受けて此処に囚われたカロルにとってこの場所は、さほど嘆くような場所ではなかった。
 部屋はいつでも清潔に保たれていで快適で、可愛いパーウォーという友達もいる。そして大好きなマレや兄は定期的に訪れてくれる。大嫌いなシルワもやってくるが総合的に考えれば良い場所であった。
 しかしそんな楽しいカロルの生活にも陰りが見えてきている。それはパーウォーが日に日に起きている時間が短くなってきて、目に見えて衰弱しているからだ。
 マレは『側で貴方が見守ってあげなさい。それが貴方に出来る最大で唯一の事』と言う。
 出来るのは消化よく滋養の良い餌を与えるだけ。そう言う不安な日々もマレが見守ってくれていたから耐えられた。しかしある日からマレはパタリと訪れなくなってしまう。

 外の世界でなにやら事故があったとかでその後処理の為来られなくなったらしい。シルワだけでなくトゥルボーの訪問まで中止になった事から、かなりの事態が起きたことは理解できた。しかし何が起こったのかは知ることが出来ない。
 講師代行できたイービスから魔の物が出現してそれをマレが対処したという話だけは聞けた。魔の物なんてカロルの記憶のある限り現れたなんて聞いた事ない。それに現れたとしても、何故それをマレが対応するのか? マレがそんな大変な事になっているのに、自分はそこに駆けつけることも出来ない。この牢にいるしかない事が悔しくてたまらなかった。

 ようやく会うことができたマレの姿にカロルは呆然とする。
「カロル?」
 目の前の人物は小首を傾げそう聞いてくる。その声は確かにマレであるが、その姿は余りにも無残で醜い。
 顔は全体的に赤く腫れており赤黒い。爛れたような火傷が散り思わず目を背けたくなるような状況である。
 薄い青い瞳が綺麗な光を宿して居る。その美しい瞳もあまりカロルの気持ちを和らげる効果を与えていない。視線を下げると袖から見えるのは包帯の巻かれた手。あの白く長く美しかった指がどうなっているのか想像するのも恐ろしい。身嗜みは変わらず綺麗なだけに、火傷が目立ちそれが見苦しい。
 マレは事故があったからその後処理もあり暫く講師に来れないとは聞いていた。怪我を負っていたとは聞いていない。しかもここまで酷い跡を残す傷を負っていたとは。治癒術もされずにいるという現実は訳が分からなかった。
「何故!? 誰がマレにそんな目を」
 そう動揺して震えながら訊ねるカロルにマレは困ったように笑う。
「誰とかではなく、事故ですから。こんなの一年もしたら治りますよ。カロルも直ぐ治ったでしょ?」
 カロルは頭をブルブル振る。
「俺あれは罰だ! 状況が違う!
 自分の事分かっているの? 早く治癒術を受けて! 父上の為にも」
 マレは眉を寄せるが、今の顔の状況からそういった心の機微それもわかりにくい。また必死で、そんなマレから顔を背けていたカロルは気付くはずもなかった。
「ソーリス様は……コレはコレで味わいあると楽しんでいるようですが」
 カロルは顔を激しくふり、マレにキッと視線を向ける。
「そんな訳ない! まさかその傷は罰なの?
 シルワのヤツが態と治療せずにそのままにしたんだな! 父上の寵愛を取り戻す為に!」
「違います。シルワ様は私に治療を何度も勧めてくださいましたが、私がそれを断りました。
 この傷は私にとって無かった事などには出来ない、そして向き合うべき悔悟の証なのですよ」
 マレはそんなとんでもない事を言ってくる。
「それに何があったのかしらないけど、そんな事をマレが思う必要はない筈。
 父上の隣で守られ微笑んでいたら良い。俺や父上以外の事で悩むこことはない。そしていつまでも美しい姿で父上を喜ばして!」
 大きく溜息をつくマレ。そして縋りついていたカロルをやや邪険に振り払い離れる。
「貴方から見た私ってそんなに薄っぺらで下らない存在だったのですね」
 マレの冷たい目にカロルは慌てる。しかし何故そんなに怒っているのか分からない。
「薄っぺらなんかじゃない、父上にとっても俺にとっても何者にも替えがたい大切な存在だ!
 分からない? マレがいるだけで意味がある。父に愛され、そして愛して、俺を……」
 カロルの必死な訴えはマレには届かなかった。訴えれば訴える程辛そうな顔をされるだけ。
「私は自分がそんなつまらない価値しかないとされているなんて。それならば、この土地にいる意味などないと思っています」
 大きく溜息をついたマレのそんな言葉に、カロルは驚くしかなかった。
「貴方には私がそのようにしか見えていないのは分かりました。
 ただ、私はそのように生きるつもりはありません。
 私は自分の能力でこの世界で身を立てていくつもりです。そしてそういう意味でソーリス様に認められ、求められたい」
 その言葉がカロルには理解できなかった。
 マレは父から寵愛をうけるという素晴らしい栄誉を受けている。にも関わらずそのことを嫌がり、そんな他の誰かがすればよい事を望むのか?
「マレは、父上を愛していないの?」
 今のマレの言葉から感じた気になる事を聞く。マレはその言葉に目を大きく見開く、しかしその目をすぐに笑みの形へと変化させた。
「敬愛しています」
「ケイアイ?」
 カロルが求める答えと微妙にニュワンスが違って感じた。
「はい。私がこの世界で唯一お仕えしたいと思ったお方。
 ソーリス様以上の方はこの世界どこ探してもいないでしょう」
 マレは目を細めソーリスを想い話しているのだろう。だがその瞳にカロルが求める熱は感じられない。
「ならば、今、父上に愛されていて幸せ?」
 そう聞くとマレは何故か困った顔をする。
「目をかけていただいて光栄だと思います」
 マレは微笑んだようだが、火傷のせいでとてもそのようには見えなかった。だからこそカロルにも見えた。マレの目は微笑んでいない事を。
 どこまでも平行線のままの会話のまま時間は過ぎ、マレは眠るパーウォーを優しく撫で去っていった。

 カロルは心の中で膨れあがっていく不安・不満・恐怖を持て余し、一番晒けだしやすい兄に漏らす。トゥルボーは苦笑した。
「まず、マレに謝れ」
 カロルは何故マレに謝らなければならないのか分からない。むしろトゥルボーに働きかけてマレの火傷を消してしまいたかった。
「何故? マレがあんな姿のままいるなんてオカシイよ!
 マレは美しくないといけない! 父さんの恋人であるのだから」
 トゥルボーはフーと息を吐く。
「まるでマレは容姿だけが価値あるかのような言い方だ。まさかそんな侮辱的な言葉をマレに言ってないよな?」
 カロルの動揺した目の動きでトゥルボーも察する。
「でもそういう意味ではない! 嫌なんだ! マレが傷ついているの!
 あんな醜い傷を負っていることで人からバカにされるだろう? 父上もあんなマレを抱きたくなくなるかも……」
 ジッと兄に真っ直ぐ見つめられカロルの声は小さくなる。
「確かにマレのあの傷を嘲笑うヤツもいる。その事で父の恋人に相応しくないから辞退するよう迫る人も」
 カロルは心配している事態が起こっている事に心が痛くなる。マレはそんな誹謗中傷に晒されているのに、何も自分が出来ていない事に。
「しかしそんな事マレにとっては小さな問題だろう」
 カロルは反論しようと顔上げる。
「あんな傷が無ければそんな事も言われなくても良かったのに?」
 もしかして、恋人関係を解消する為に傷を残した? そんな考えが頭に過ぎる。
「あそこまで顔に傷を負っても父の寵愛が変わらない。逆にその事が周りにマレが単なる父上の愛人ではないことを知らしめたとも言える」
「……父上はマレのあの姿を気にいっているというの?
 あれで構わないと思っているの?」
 憮然としたカロルの物言いにトゥルボーは笑い顔を横にふる。
「恐らくは、マレ本人よりも、そしてお前と同じくらいあの怪我を面白くないと思っているだろう」
「ならば!」
 言葉を遮り叫ぶ弟を宥めるように頭を撫でる。
「相手の全て、痛みも苦悩もすべて認め受け入れるって、それこそ大きな愛だと思わないか?
 無理やり傷を消すことは父には可能だろう。だがマレが未来に向かいそして現実に向き合う為に必要。そう思ったからこそ父も共にあの傷を受け入れることを選択した。
 そもそも父上は俺に指示を飛ばし事態の処理をさせれば良い。しかし現場にマレを向かわせ、限界まで救出作業に従事させる。マレも父上の想いを理解した上で、無理はしたけど無茶はせず冷静に行動していた。
 俺はそれを近くで見て二人の関係の深さと強さを実感した」

 何処が深く強い愛?
 愛しているならば、それこそ擦り傷一つ負わせること無く守る。愛している人を不安にさせないのが愛なのでは? とカロルは思う。
「お前にはまだ難しいか。でもこれだけは言っておく。
 マレは守ってもらわなきゃ駄目な程弱くない。それに無茶してバカすることもない。
 お前がマレを気にする気持ちはわかるが、それよりする事より他にあるだろ?」
 黙りこんだままのカロルにトゥルボーは困ったように笑う。
「俺だって今回のような事はゴメンだ。もうマレをあんな目には合わさない。あの傷は俺にも責任がある」
 カロルはマレが何故あれほどの傷を負ったのか? 誰からも聞く事が出来なかったから、注視してその続きを待つことにする。
「あの傷は、俺の后になる予定の人物を救う為に負ったものだ。
 マレはあの子に寄り沿い最後まで守ろうとした。しかし俺が出来ることは遠くからその様子を見つめることだけ。マレの傷は私にとっても簡単に消すことができない、そして忘れることもできない記憶の跡だ」
 初めて聞かされる事実に、カロルは考える。
「だったら、何故マレをそんな危険な目に合わさず、兄上が后を救わなかったのですか?」
 弟の素朴な疑問に、兄は顔を辛そうに顰める。
「それが守る、救うという事に難しさともいえる。
 あの時あの子が救いを求めたのは俺ではなかった。
 俺の出来る事も、マレとは違ってあの子を救う事ではなかった。その苦しみが早く終わるように殺してあげることだけ」
 その言葉はカロルの心に何かチクリとした痛みを与える。

 ソーリスの行動も、トゥルボーの行動も、それは愛とは思えない。何故自分より力のある二人は、愛する相手が危険にさらされているのに何もしなかったのか? 理解できない。自分ならばマレが危険に晒されていたりしたら動く。その相手を殺しそしてマレを自らの手で守るのに……。

 黙り込んでしまったカロルの頭を撫でトゥルボーは笑う。
「カロル。お前はお前の考えはあるだろう。だが人を守る、救うという事はお前が考えている以上に難しい。
 お前だから伝えておく。後悔をしないためにも言っておく。大切にしたいという相手とシッカリ向き合う事だ。相手が何を想いそして考えているのかを理解し認めてやれ。でないと救うどころか失う事になるぞ」
 トゥルボーはそう言って去っていった。この部屋から出る事が出来ないカロルは再びこの部屋に取り残される。
 大きく溜息をつきパーウォー専用のベッドに視線を向ける。もう数日目を殆ど覚まさない。なんとか水だけを飲んでくれる状況。今はまだ呼吸をしているが、もういつそれが止まってもおかしくはない。カロルはそっと近付きその身体を撫でた。自分の大切な存在が喪われようとしている事実に震える。どうしようもない恐怖がカロルの心を支配する。兄と話したところで紛らわす事の出来なかった不安と恐怖は積もっていき重みをもってきた。
 どうすれば大切なモノを喪わずに済む? カロルの脳裏に【治癒術】の言葉が浮かび上がる。高い能力と高度な制御技術を持つという者のみ、治癒術を学ぶ権利を与えられる術。学士の称号を取れねば学ぶ権利すら与えられないとする技能である。

『相手の呼吸、鼓動、気を感じ意識しろ。そこに自分の気を優しく流し込み交わらせ患部の細胞に働きかけ再生を促していく感じで進めるんだ。
 これは相手の細胞に干渉する術。それだけに繊細な力の制御能力が求められる、発して終わる他の術とは比べ物にならない高度な術なんだ』

 治癒術の出来る己を誇るかのように言うイービスの顔が蘇る。あのイービスですら修得していると思うと、今のカロルに不可能には思えない。まずパーウォーで試して、上手くいけば自分がマレを元通りにする。そうすればとりあえずは自分が求めていた世界に手っ取り早く戻れる筈。
 カロルは頭を横に振る。いや自分がパーウォーもマレも助ける! それだけ……。
 カロルはパーウォーにソッと触り、深呼吸を大きくする。
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