蒼き流れの中で

白い黒猫

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十章 ~悔恨の先~ カロルの世界

后は笑う

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 夢の中で叫び暴れ自分の声で目が覚めた。
 暗くドロドロした夢から覚めると、美しい装飾で彩られた寝室で目覚める。フラムモーは華麗だがどこかうら寂しい部屋を見回しながら無意識にお腹を擦る。スッカリと癖になった仕草。しかしそこにあるのは空っぽの身体。ペッタンコのそこにはもう子供はいない。けれどついこうして撫でてしまう。起きてしまうと悪夢を見るのが怖くてそのまま部屋をただ見つめて時間を過ごす。
 薄暗い部屋が、ゆっくりと太陽の光によって現実の色を取り戻していった。しかしフラムモーの心が明るくなることはない。

 朝になると、数人の侍女が微笑みながら部屋にやってくる。フラムモーに華やかなドレスに着替えさせ、髪を整え結い上げて笑いかけてくる。

「今日も良い天気ですよ! 素敵な一日になります」
「フラムモー様は、本当に美しい」

 その言葉にフラムモーは虚ろな笑顔を返す。その反応に侍女らも笑みを作りつつもそれ以上踏み込んで来ることもしない。フラムモーの妹の死の事件から、皆腫れ物に触るかのように扱う。優しく柔らかく、そして距離をとり。その事を寂しいとは思わない。むしろそっとしておいてくれる事で助かっていた。
 夫であるソーリスが毎日贈ってくる花にも興味なさげで。シワンや、トゥルボーがそれぞれ慰めの言葉をかけても、それにぼんやりとした反応をしめすだけ。ただただ嘆きながらフラムモーを抱きしめるフラーメンに対しても何の反応も示さない。フラムモー感情を無くしてしまったように見える。
 ただその原因となったローレンスがひどく焦燥した様子で訪れた時だけ反応を見せた。妹を抱いてしまった事を後悔し、結果フラムモーから大切な存在を奪ってしまったことを謝罪に激昂した。興奮した様子で手元にあるものを投げつけてきた言葉にならない言葉を叫び続ける。そのような状態だから皆は距離をとり見守るしかなくなっていた。

 フラムモーは周りを困らせているのは分かっていたが、自分でもどうしようもなかったのだ。全てがフラムモーにとって大切な存在、いや一部であった筈のものが永遠に失われた現実を突き付けてくる。必死にその現実に声をあげて否定したいが、自分の感覚がそれを嫌という程その事実肯定してくる。当たり前のように感じていた愛しい気配、鼓動、温かさ、それらが一切感じられない。他の人には当たり前の一人の感覚。しかしずっと二人で生きてきたフラムモーにとっては恐怖を覚える絶望的な感覚だった。

 今の自分の痛み、苦しみ、切なさを唯一分かってくれる存在はもういない。フラムモーは今日も部屋でボンヤリと一人時間を過ごす。

 そんな日々を惰性で過ごしていたある日、離宮に訪問してくる存在がいた。その名を聞き、フラムモーの身体は強張り震えるが、断る訳にもいかない。そして部屋に入ってきたその姿を見て目を見開き小さく悲鳴を上げてしまう。

 銀の長い髪はなく、火傷で包帯だらけで無残な姿となったマレ。華麗なブルーの衣装着ているだけに余計に異様さが際立っていた。その姿に怯えるフラムモーを気にする様子もなく侍女にお茶を頼み近づいてくる。そしてニッコリ笑ったかのような素振りをみせる。
「驚かしてしてまったようで、申し訳ありません」
 フラムモーは慌てて頭を横に振る。何故マレがこんな姿になったか嫌というほどわかっているからだ。
「何故、治癒術で傷を無くしてしまわないのですか?」
 恐る恐る訪ねるフラムモーにマレは笑う。
 数週間で消えるような傷ならばともかく、しかも顔にも負ってしまったような傷は普通消す。しかもマレはあのソーリスの恋人なのだ。ブリームムの恋人がこんな醜い姿のまま放置されるなんて有り得ない。
「必要ないですよね。断りました。別に命に関わるほどでもないですし、傷を無理に消す事の必要性って何ですか?」
 そう言われると、何も返せなくなる。今のフラムモーも、美しく着飾り華やかな恰好をしている。しかしその心に深く広く広がる哀傷を隠せる訳もない。
 何故かマレは向かいではなくフラムモーの隣に座った。そしてそっと手を握ってくる。その手も包帯が巻かれている事にフラムモーは身体を竦ませる。その身体の緊張を気付いた筈だがマレは気にする様子もない。間近な距離でフラムモーを見つめてくる。
「如何お過ごしですかフラムモー様」
 その名で敬称までつけられて呼ばれる事にフラムモーの表情が強張る。火傷だらけのマレの姿を見ているのも辛いので視線を逸らしソファーの正面の窓の外へと向けた。
「問題なく過ごさせていただいています」
 そう答えるフラムモーにマレは目を細める。
「ただ、悲劇に浸って自分を慰めていると」
 思いもしなかったトゲのある言葉にフラーメンは思わずマレの顔を見返してしまう。その淡い青の瞳はどこまでも静かで、何か悪意をもって言ったようではなかった。部屋に控えていた侍女も慌てる。マレを責めるような視線を向けてくるが、マレと目が合うとその動きを止める。
「あ。あの、マレ様?」
「そうやって、いつまで現実から目を逸らし現実から逃げているつもりですか?」《マギー、嘆いたところで現実変わりませんよ》
「どうして……」
 言葉と同時にフラムモーに聞こえてきたマレの心話に鼓動が早くなる。身体が震えるが、それは激しいショックと同時に堪えようもない喜びだった。『マギー』と自分の名で呼ばれる事の幸せ。姉がフラムモーの名で呼ばれ続ける事以上の苦痛を感じ続けていた。やっと自分の名前を呼ばれ方で、少女は自分を取り戻す。
「どんなに否定しようが、現実は変わらない。受け入れなさい」
 フラムモーはマレの言葉に涙を溢れさせその身体に抱きつき泣き始める。ショックが大きすぎて泣く事すらも出来なかったが、今マレの前で初めて泣く事が出来た。
 マレは火傷だらけの身体を乱暴に掴まれた事で痛みから顔を顰める。しかし声には出さず娘の背に手を回し抱きしめ返す。
《こんなつもりじゃなかった! なぜキリーが死ななきゃならなかったの! なんでこんな事になったの?》 

『マギー!怖がらないで! 私が助けてあげるから』

 そうあの時最後に聞いた声。マレから逃げたい為に我武者羅に気を放ち暴れる少女に触れてきたモノ。それは双子の姉の声と心だった。
 興奮状態になっていた為に、あの時自分が何をしてどうなったのか覚えていない。目が覚めたら離宮におりフラムモーとなっていた。誰もが自分をフラムモーと呼び、その妹の死を慰めてくる。そして何よりも恐ろしい事は、いつも感じていた姉の気配が全くないことだった。
《キリーは? キリーはどうなったの?》
 そうマレに恐ろしいが聞いてみる。それを一番理解しているのはマレだからだ。
《私に聞かなくても理解できているでしょ?》
 マレはそんな言葉を返してくる
「分からない! 何故こうなったのか!」 
《何でキリーがいないの! ここに何でいないの!》
 そう言い張るフラムモーにマレは小さく溜息をつく。
「あの森であの子は死んだ」
《お前たちは双子だから、密接に繋がっている。同じ人物として生まれる筈なのに分離して二人になった。だから心が繋がっている。ああいう現象を起こしたのは初めてだった?》
 フラムモーは震える身体をマレに押し付ける。
《ならば、何故ここにキリーの心はないの?》
「間に合いませんでした」
《貴方の心が移動した段階で、魔のモノは私を攻撃してきた。それをあの娘は止めようと……。その手で自分のお腹を裂き飛び出して来たモノを掴んで。だからアイツらはあの子をも攻撃し喰い始めた。それで腐化が始まった》
 フラムモーはその言葉に身体が震えてくる。
「人間のまま死なせてあげたかったから殺しました」
 静かに語るマレの声。顔の表情は火傷と包帯の為隠れている。だがその目に強い痛みと悲しみを感じ、フラムモーは黙り込む。自分がした事のとんでもない結末に何が言えるのか? 姉の人生を文字通り奪い、愛する人を傷つけた。さらに親であるマレにも深い傷を身体と心に負わせている。そして尚も多くの人を欺いている。
「貴女はどうしたい?」
 マレの言葉に顔を上げる。
「私はどうすればよい? どうすべきなの?!」
 縋るようにいう娘にマレはフッと息をはく。
「それは貴女が決める事。貴女の人生だ」
 『貴女の人生』って姉妹どちらの事を指しているのか? フラムモーは思う。
《貴女がどの未来を選んでも見守りましょう。キリーの人生を引き継ぐのか? マギーとしての人生を取り戻すのか? もしマギーとして生きたいならばそれを証明してあげます。
 過ちをした事についてはもう怒るつもりは無い。今更言ってもどうしようもなから。でも自分の罪から目を背け逃げるつもりならば許さない》
 フラムモーは優しく抱きしめてきたマレの腕の中で身体を強ばらせる。自分の罪を知っているマレの前ではもう誤魔化しも何も通用しない。
 身体を離し改めて見つめ合う。マレの淡い青い瞳はどこまでも静かで優しくも見える。だからといってその優しさに甘えて生きる事は許されない。同時に罪を知る人がいることで、どこかホッとしている自分もいる。
「マレ様、色々ありがとうございました。目が覚めました」
 目を細めマレは微笑む。
「それは良かったです」《貴女の思うやり方でキリーを弔い、傷つけた人に償いなさい》
 フラムモーは静かに頷く。そんな娘の頭をマレは優しく撫でて笑うように顔の筋肉を動かす。
 仕草表情は優しい。だが今のフラムモーにとって一番厳しく、心を抉るような事も言ってくるマレ。しかし今のフラムモーが最も欲していた言葉だった。
 誰もマギーとしての自分を認識してくれなくなった世界でただ一人それを気付いてくれた事。そしてその罪も知り糾弾し贖罪を求めてくれる存在。罪が自分だけのモノでなくなったことで少し楽になる。
 自分はどうするべきなのか? 自分がキーラでないことを公表して罪を晒すべきか? しかしそうすることは、この世界からキーラの存在を完全に失なわせてしまう事になる。フラムモーはマレの去った部屋で一人悩んだ。そうしている内に日は傾きまた世界は暗くなっていく。
 一人で侍女に見守られながら食べる夕餉も終わった。風呂で身体を清められ絹の寝着を身に着け鏡の前で髪の手入れをされた。マレが訪ねてきたこと以外は、昨日までとまったく変わらない一日が終わろうとしている。
 フラムモーは無表情で鏡に映る自分を見つめる。赤い髪に緑の瞳の女性。それを見て、フラムモーと呼ばれるこの女性は誰なのだろうか? とも思う。ここにいる侍女からしてみたら、かつての名前が何だったのかなんて関係なくフラムモーという后。
 でも少女にとっては、その顔・身体は姉のキーラである。その証拠に右の腕の所に縦にうっすらと長い傷がある。昔妹を庇って崖から落ちた時についた傷。そして左手の親指に昔少女が工作したときに失敗してナイフで付けてしまった傷がない。改めて自分の右手を見つめそれを動かす。この身体は生きている。
「フラムモー様?!」
 気が付くと、自分は泣いていたようだ。昼間に気持ち爆発させた事で、感情が戻ってきたようだ。心配している侍女達に頭を横に振る。
「皆に、今まで色々心配かけて申し訳ありません。もう大丈夫です」
 そう応え柔らかく笑う。その瞳を涙で潤ませながらもフラムモーは笑った。
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