116 / 214
十章 ~悔恨の先~ カロルの世界
罪の跡
しおりを挟む
后候補の死の真相はごく一部の人間のみ知る事となり、一般には事故死と処理された。空っぽの棺で葬式は行われ、空の壺が慰霊塔の穴から落とされ、その名を壁に記される。それらは全てローレンス不在の間に行われ、帰ってきたときにはもう全て終わっていた。
ローレンスは三人の女性との伽を終えて久しぶりに戻る。そんな彼を宿舎の入り口で待ち受けていたのはフラーメンだった。その目は落ちくぼみ、頬はこけ一気に老けたように見える。
「フラーメン、申し訳ありませんでした」
そう頭を下げるローレンスに対して何の反応も示してこない。そっと顔を上げて見上げると、身体が凍るかと思う程冷たい目をしたフラーメンの顔があった。
「貴方はいつもそう、私の大切なモノを奪っていく」
フラーメンが何言っているのか分からなかったが、聞き返す事も躊躇われる怖さが相手にはあった。ローレンスが生まれて初めてされる他者からの憎悪の目に動けなくなる。
「シルワ様が、貴方をお呼びです。お待たせしないように」
それだけ言ってフラリとした足取りでフラーメンは去っていった。
執務室へ案内されローレンスは笑顔のシルワに迎えられる。しかしそれは笑顔などでなく憤怒の表情であるのは赤子でも分かる。
元々優しいとは言い難い性格。しかし今の冷静なトーンでシルワの口から出てくる言葉は一切の容赦ない。その一言一言がローレンスの心を血だらけにしていく。
その言葉以上に衝撃を与えたのは妹であった人物と契ってしまったという事実。それを聞き恐怖から身体が震えてくる。
知らぬとはいえ行ってしまった自分の罪。その行為に対するあまりにも惨すぎる結果を前に何も言える事はなかった。加えあまりにも大きすぎる代償は償いきれるものではない。
「兄妹であることは知らなかったようですので、近親相姦の方は貴方を責めないでおきましょう。しかし后候補に手を出し死においやった。子供を身ごもっていた后にもショックを与え流産させた貴方の罪は決して小さくない。その事は分かりますね」
今のローレンスに頷く以外どんな行動が出来るというのか?
「とはいえ魔の者を貴方たちが産み出したという真実を公開するわけにはいきません。したがって貴方は公に罰っせられることはない。
貴方も可愛い妹を穢人として後世まで語り継がせるような事にしたくないでしょう?」
ローレンスは膝の上の手を握りしめる。派遣先で内密に話を聞き、どんな咎でも受けるつもりで帰ってきた。それなのに責めを受ける事もないという状況は、よりローレンスを苦しめる。かといって自分が罪を叫べば被害者である女性を死後さらに貶めてしまう。
「償いたいという気があるなら、返しなさい。失った以上のものを我々に。アクアの因子をもった子供を。女性を多く生み出してくれると助かります。それが今の貴方に出来るただ一つの事。ひたすら交尾を続けて子供を生み出しなさい。それは得意でしょ?
姦罪を犯したような貴方には、罪滅ぼしにもならないかもね? 却って嬉しい褒美か……」
冷たく笑うシルワの言葉をただ俯いて聞くことしか出来なかった。執務室を出て、研究所にいる人の視線も刺すように痛い。ローレンスは下を向いたままふらつく足をなんとか動かし宿舎に戻った。
「お帰り ローリー」
声をした方向をみると弟のシワンが見上げていた。その茶色の瞳を哀しみに濡れている。近くでその死を目撃していたらしい弟の目には、いつもの無邪気さは失われていた。
「……マギーは、マギーはどうなったんだ?」
久しぶりに会った弟に一番今聞いてもどうしようもない質問を投げかけてしまい後悔する。シワンは何も答えず兄をジッとただ見つめてくる。
「どうって? 死んだよ。細胞の一つも残すこと許されずその身体は燃やされた。行ってみたら? その場所に木も草も何もない。
なぜ? ローリーはあんな事したの?」
『なぜ?』 それはローレンスが一番自分に問いたい。シワンはそれ以上何も言わない。溜息を一つだけつき隣の自分の部屋へと入ってしまった。
戻った部屋は派遣される前と後で何も変わっていない。しかし大切な友人を失ってしまったという現実が重くローレンスにのしかかってくる。罪悪感、喪失感、焦燥感そういった感情が心の中でうねりローレンスを苦しめる。結局一睡もできずに次の日の朝を迎えた。
食事も取らずローレンスが向かった場所は離宮だった。誰よりもキーラに謝る為に。許して貰える事なんてないのは分かっている。だからこそ一生をかけて償いたかった。だがその謝罪の言葉も決意も受け入れられることはなかった。ローレンスの姿を見てキーラは身体を強ばらせ、怯えたように見つめ返してくるだけ。ローレンスが謝罪の言葉をし始めるとその頬を赤くして物を投げ付けてきた。そして狂ったように叫び出す。
「出て行って! 顔も見たくない! 消えて」
繰り返されるその言葉がローレンスの心を引き裂き続ける。
后がただ事なく興奮させたことでローレンスは部屋を追い出される。彼女に許しを請うことも叶わず、外で呆然とするしかなかった。親代わりで育ててくれたフラーメンからは憎まれ。加害者となった事で友人からも拒絶された。ローレンスはすべてを失った自分を実感する。シワンもローレンスに失望し、軽蔑すらしているのだろう。恋に悩み我を失っている内に、シワンは研究所の立派な一員となっていたようだ。そしてローレンスはというと下働き扱い。命じられる以外の言葉をかけてくる者もいない。しかしそれが自分してかしてしまった罪の結果なのだと受け入れるしかなかった。
一人だけ優しい言葉をかけてくれる人はいた。
「落ち込まないで! というのは無理だろうけど、元気だしなさい」
そう笑いかけてきたのがトゥルボーである事で余計にローレンスは苦しくなる。謝罪の言葉に対しても
「誰が悪い訳ではない。気にするなもう」
あまりにも軽い感じに返される所もローレンスの心を乱す。
「逆に俺は君が羨ましい」
なんて事まで言ってくる相手が信じられなかった。
「羨ましい?! どこが! マギーは死んだのですよ」
トゥルボーを見上げるの悲しそうな愁いを秘めた顔ふぁそこにあった。ローレンスはそれ以上言葉を続けられなくなる。笑顔で接してきたからといって、その死を悲しんでいないわけでもない。ローレンスを怒ってないわけではないだろう。
「申し訳ありません」
柔らかく笑いトゥルボーはローレンスの頭を撫で、顔を横に振る。
「俺は、そこまで命かけてまで人に愛された事もないし、愛した事もない。だから君達が少し羨ましい。
まっ、君達のしたことは、褒められた行動ではないけどな」
トゥルボーは最後少しおどけた口調で言ってきたがローレンス笑えなかった。
「そんな死んだような目をするのはやめなさい。君はまだ若いし、生きているそうだろ?」
今のローレンスにはその言葉も優しさをも痛いだけだった。何も答えないローレンスにトゥルボーは苦笑する。
「あっあと。マレはもう少しで研究所に戻れる。感染も認めらなかったし、あと数日で浄化も無事終了する。良かったな」
「……はい。マレ様はお元気なのですか?」
トゥルボーは顔を少し顰めるが笑みを返す。
「それは君の目で判断しなさい。少なくとも浄化室で、様々な書類を持ち込ませている。あそこで仕事して時間潰している人は初めてらしい。さっき面会して色々話してきたけど、君の事もひどく心配をしていたよ。だから大丈夫な所をマレには示してやって」
軽い口調で、難しい事を言ってトゥルボーは去っていった。
そしてただ起きて食べて仕事して帰るだけで、誰とも会話しない日が繰り返される。そして宿舎に戻り、思うのは四人で無邪気に楽しんでいた幸せな過去のこと。自分が壊してしまった掛け替えのない世界。
コンコン
そんな時ノックの音が静か過ぎる部屋に響く。ローレンスは恐る恐るドアを開けて絶句する。美しい青い服を着た人物が立っていた。驚かせたのはアミークスの宿舎に似合わないその華麗な衣装ではなく、その人物の顔。頭部は包帯で覆われており、空いている目や口部分の包帯の隙間から焼け爛れた皮膚が見えた。淡い青い瞳がローレンスを見上げ細められる。火傷でで引き攣った唇は笑うように歪んだ。
「私です。マレです」
声でやっと相手がマレだと察した。戸惑いながらも部屋の中へ誘う。部屋を見渡し、マレはローレンスに向き直る
「調子はどうですか?」
その言葉にも、ローレンスはどう反応してよいのか分からずモゴモゴとした言葉を返す。
「……その傷は?」
そんなローレンスに、マレはフッと笑いの声を返す。傷とかいう表現では甘すぎるマレの状態。白かった顔に赤く腫れたような火傷が散っており。衣類から出ている手も白く包帯で覆わられている。あの長く美しかった髪も今はない。
「あの子が残した想いの跡ですね」
「……申し訳ありません」
何度目かになるか分からないその言葉をローレンスはマレにも繰り返す。
「別に大したことない。それに貴方が謝る事でもないですし」
ここでも謝罪を受け付けてもらえない。そしてマレはローレンスに向き直り目を細める。
「貴方に謝りにきました」
その言葉に、ローレンスはマレの見つめ返す。包帯と火傷で覆われたその姿だと表情が分かりつらかった。
「いえ、俺が全て悪いのです。お願いです。俺に謝罪させて下さい!」
そう頭を下げるローレンスにマレはしばらく見つめる。ローレンスは誰かにちゃんと謝罪の言葉をしっかり聞き入れて貰いたかった。その上で断罪して欲しい。
「ローレンス、私に何故謝っています? 貴方は何に対して謝っていますか? 何処に対して悪かったと思っていますか?」
一瞬口ごもるが、ローレンスは深呼吸して気持ちを整理して口を開く。
「私は妹を殺してしまいました」
マレは顔を顰めたように見えた。
「それは結果論でしょ? 貴方は、自分の行動のどの部分に悔いているのですか?」
その言葉にローレンスの脳裏に様々な人の顔が浮かび、消えていく。最後に強く残るのは一つの顔。赤い髪に緑の瞳の女性。それは愛した女性であり、その妹。
「……何であんな事をしたのか……」
ローレンスは弱々しく横に振る。
「何に後悔していますか?」
静な口調だが、尚も聞いてくるマレにローレンスは考えた。
「全てです」
マレは大きく溜息をつく。ローレンスは、マレが今の自分に何を求めているのか分からず戸惑った。
「もし、それがあの子を愛した事も言っているのならば、マギーが可哀想です」
その言葉にローレンスの胸はズキンと痛む。彼女が望む意味では愛せなかった。その愛にローレンスは甘え利用しただけ。
「私が謝りたかった事は。大人になる前に全て貴方にも話すべきだったという事です。全てを初めから知った上で様々な決断をさせるべきでした」
知っていたならば、確かに求められた時、断っていただろう。しかし……ローレンスは頭を横に振り顔を上げた。
「后候補と知りながら関係を持った段階で俺はもう何も言う資格はないです」
マレは淡い青い瞳を細くなり唇が歪む。
「マギーとキリーには貴方との関係を話しておいたのですよ。そして貴方と契った事で生まれる子供に異常が出るリスクが高くなる事も含めて全てを。
それでも、あの子は貴方を求めた」
その言葉にローレンスは愕然とする。そして思い出す。思いつめた様子で自分に迫ってきた妹の姿を。
「貴方は自分も罪に巻き込んだあの子に、何を今想いますか? 愛しさ? 憎しみ?」
憎しみ? 憎める訳がない。だから愛せるのか? 彼女が求めてきたように。それは無理だ。やはり自分が愛したのはキーラ。
「やはり感じるのは後悔なのだと思います」
しかし、先程まで感じていた後悔と意味は違う。マレは何も言わず、ただその瞳にローレンスを映した。
「俺は自分の事でいっぱいいっぱいになっていて、何も見ていなかったマギーの事。彼女の気持ち、悩み、何も。何故もっと向き合ってやれなかったのか」
キーラへの想いに気が付いてから、ローレンスはキーラしか見ていなかった。彼女の笑う顔、話す顔……。その横でその妹がどんな顔していたかも覚えていない。
『ずっとローリーの事見ていたから分かる』
頭の中でそんな言葉が蘇る。自分は何と人として最低な事をしてきたのだろうか? その事に気付きローレンスは力なく床に崩れ落ちる。マレはそんなローレンスに寄り添うように跪く。
「今からでもちゃんと向き合いなさい。あの子とも、貴方自身とも」
マレは静かな視線をローレンスに落とす。
「もう、全て遅い」
「ならば、一生目を逸らして生きるつもり? あの子という存在から。それが貴方の答えですか? あの子に対する想い?」
ローレンスはハッと顔をあげて、マレを見あげる。
マレの青い瞳は真っ直ぐローレンスを見詰めている。愚かさも弱さもそしてその優しさも全てひっくるめて認めながらも見守る大人の目だった。縋るようにその存在を見上げる。
「俺はどう、償えば……許される? あの子から」
マレはその言葉に顔を横にゆっくりと振る。
「貴方が求めているのは、単なる許し?」
ローレンスは顔を激しく横にふった。欲しいのは罰である。自分が納得できる。
「ならば、トコトン足掻いて苦しみなさい。罪から目を背ける為でなく、向き合う為に」
マレはそう言いながらローレンスの頬に手を添え撫でる。
「そして自分がすべきこと、守るべきモノを見つけなさい。
目を閉じる事も、耳を塞ぐ事も、私は許さない。男なら戦いなさいトコトン」
そう囁いてから、マレは立ち上がり、話は終わったとばかりに帰っていった。しばらく床に手をついたままの恰好でマレの言葉を考えた。
拳を強く握る。ゆっくりと立ち上がった。ローレンの目は変わらず哀の色を帯びている。しかし決意を秘めたその瞳は先ほどとは異なり今をシッカリ見つめていた。
ローレンスは三人の女性との伽を終えて久しぶりに戻る。そんな彼を宿舎の入り口で待ち受けていたのはフラーメンだった。その目は落ちくぼみ、頬はこけ一気に老けたように見える。
「フラーメン、申し訳ありませんでした」
そう頭を下げるローレンスに対して何の反応も示してこない。そっと顔を上げて見上げると、身体が凍るかと思う程冷たい目をしたフラーメンの顔があった。
「貴方はいつもそう、私の大切なモノを奪っていく」
フラーメンが何言っているのか分からなかったが、聞き返す事も躊躇われる怖さが相手にはあった。ローレンスが生まれて初めてされる他者からの憎悪の目に動けなくなる。
「シルワ様が、貴方をお呼びです。お待たせしないように」
それだけ言ってフラリとした足取りでフラーメンは去っていった。
執務室へ案内されローレンスは笑顔のシルワに迎えられる。しかしそれは笑顔などでなく憤怒の表情であるのは赤子でも分かる。
元々優しいとは言い難い性格。しかし今の冷静なトーンでシルワの口から出てくる言葉は一切の容赦ない。その一言一言がローレンスの心を血だらけにしていく。
その言葉以上に衝撃を与えたのは妹であった人物と契ってしまったという事実。それを聞き恐怖から身体が震えてくる。
知らぬとはいえ行ってしまった自分の罪。その行為に対するあまりにも惨すぎる結果を前に何も言える事はなかった。加えあまりにも大きすぎる代償は償いきれるものではない。
「兄妹であることは知らなかったようですので、近親相姦の方は貴方を責めないでおきましょう。しかし后候補に手を出し死においやった。子供を身ごもっていた后にもショックを与え流産させた貴方の罪は決して小さくない。その事は分かりますね」
今のローレンスに頷く以外どんな行動が出来るというのか?
「とはいえ魔の者を貴方たちが産み出したという真実を公開するわけにはいきません。したがって貴方は公に罰っせられることはない。
貴方も可愛い妹を穢人として後世まで語り継がせるような事にしたくないでしょう?」
ローレンスは膝の上の手を握りしめる。派遣先で内密に話を聞き、どんな咎でも受けるつもりで帰ってきた。それなのに責めを受ける事もないという状況は、よりローレンスを苦しめる。かといって自分が罪を叫べば被害者である女性を死後さらに貶めてしまう。
「償いたいという気があるなら、返しなさい。失った以上のものを我々に。アクアの因子をもった子供を。女性を多く生み出してくれると助かります。それが今の貴方に出来るただ一つの事。ひたすら交尾を続けて子供を生み出しなさい。それは得意でしょ?
姦罪を犯したような貴方には、罪滅ぼしにもならないかもね? 却って嬉しい褒美か……」
冷たく笑うシルワの言葉をただ俯いて聞くことしか出来なかった。執務室を出て、研究所にいる人の視線も刺すように痛い。ローレンスは下を向いたままふらつく足をなんとか動かし宿舎に戻った。
「お帰り ローリー」
声をした方向をみると弟のシワンが見上げていた。その茶色の瞳を哀しみに濡れている。近くでその死を目撃していたらしい弟の目には、いつもの無邪気さは失われていた。
「……マギーは、マギーはどうなったんだ?」
久しぶりに会った弟に一番今聞いてもどうしようもない質問を投げかけてしまい後悔する。シワンは何も答えず兄をジッとただ見つめてくる。
「どうって? 死んだよ。細胞の一つも残すこと許されずその身体は燃やされた。行ってみたら? その場所に木も草も何もない。
なぜ? ローリーはあんな事したの?」
『なぜ?』 それはローレンスが一番自分に問いたい。シワンはそれ以上何も言わない。溜息を一つだけつき隣の自分の部屋へと入ってしまった。
戻った部屋は派遣される前と後で何も変わっていない。しかし大切な友人を失ってしまったという現実が重くローレンスにのしかかってくる。罪悪感、喪失感、焦燥感そういった感情が心の中でうねりローレンスを苦しめる。結局一睡もできずに次の日の朝を迎えた。
食事も取らずローレンスが向かった場所は離宮だった。誰よりもキーラに謝る為に。許して貰える事なんてないのは分かっている。だからこそ一生をかけて償いたかった。だがその謝罪の言葉も決意も受け入れられることはなかった。ローレンスの姿を見てキーラは身体を強ばらせ、怯えたように見つめ返してくるだけ。ローレンスが謝罪の言葉をし始めるとその頬を赤くして物を投げ付けてきた。そして狂ったように叫び出す。
「出て行って! 顔も見たくない! 消えて」
繰り返されるその言葉がローレンスの心を引き裂き続ける。
后がただ事なく興奮させたことでローレンスは部屋を追い出される。彼女に許しを請うことも叶わず、外で呆然とするしかなかった。親代わりで育ててくれたフラーメンからは憎まれ。加害者となった事で友人からも拒絶された。ローレンスはすべてを失った自分を実感する。シワンもローレンスに失望し、軽蔑すらしているのだろう。恋に悩み我を失っている内に、シワンは研究所の立派な一員となっていたようだ。そしてローレンスはというと下働き扱い。命じられる以外の言葉をかけてくる者もいない。しかしそれが自分してかしてしまった罪の結果なのだと受け入れるしかなかった。
一人だけ優しい言葉をかけてくれる人はいた。
「落ち込まないで! というのは無理だろうけど、元気だしなさい」
そう笑いかけてきたのがトゥルボーである事で余計にローレンスは苦しくなる。謝罪の言葉に対しても
「誰が悪い訳ではない。気にするなもう」
あまりにも軽い感じに返される所もローレンスの心を乱す。
「逆に俺は君が羨ましい」
なんて事まで言ってくる相手が信じられなかった。
「羨ましい?! どこが! マギーは死んだのですよ」
トゥルボーを見上げるの悲しそうな愁いを秘めた顔ふぁそこにあった。ローレンスはそれ以上言葉を続けられなくなる。笑顔で接してきたからといって、その死を悲しんでいないわけでもない。ローレンスを怒ってないわけではないだろう。
「申し訳ありません」
柔らかく笑いトゥルボーはローレンスの頭を撫で、顔を横に振る。
「俺は、そこまで命かけてまで人に愛された事もないし、愛した事もない。だから君達が少し羨ましい。
まっ、君達のしたことは、褒められた行動ではないけどな」
トゥルボーは最後少しおどけた口調で言ってきたがローレンス笑えなかった。
「そんな死んだような目をするのはやめなさい。君はまだ若いし、生きているそうだろ?」
今のローレンスにはその言葉も優しさをも痛いだけだった。何も答えないローレンスにトゥルボーは苦笑する。
「あっあと。マレはもう少しで研究所に戻れる。感染も認めらなかったし、あと数日で浄化も無事終了する。良かったな」
「……はい。マレ様はお元気なのですか?」
トゥルボーは顔を少し顰めるが笑みを返す。
「それは君の目で判断しなさい。少なくとも浄化室で、様々な書類を持ち込ませている。あそこで仕事して時間潰している人は初めてらしい。さっき面会して色々話してきたけど、君の事もひどく心配をしていたよ。だから大丈夫な所をマレには示してやって」
軽い口調で、難しい事を言ってトゥルボーは去っていった。
そしてただ起きて食べて仕事して帰るだけで、誰とも会話しない日が繰り返される。そして宿舎に戻り、思うのは四人で無邪気に楽しんでいた幸せな過去のこと。自分が壊してしまった掛け替えのない世界。
コンコン
そんな時ノックの音が静か過ぎる部屋に響く。ローレンスは恐る恐るドアを開けて絶句する。美しい青い服を着た人物が立っていた。驚かせたのはアミークスの宿舎に似合わないその華麗な衣装ではなく、その人物の顔。頭部は包帯で覆われており、空いている目や口部分の包帯の隙間から焼け爛れた皮膚が見えた。淡い青い瞳がローレンスを見上げ細められる。火傷でで引き攣った唇は笑うように歪んだ。
「私です。マレです」
声でやっと相手がマレだと察した。戸惑いながらも部屋の中へ誘う。部屋を見渡し、マレはローレンスに向き直る
「調子はどうですか?」
その言葉にも、ローレンスはどう反応してよいのか分からずモゴモゴとした言葉を返す。
「……その傷は?」
そんなローレンスに、マレはフッと笑いの声を返す。傷とかいう表現では甘すぎるマレの状態。白かった顔に赤く腫れたような火傷が散っており。衣類から出ている手も白く包帯で覆わられている。あの長く美しかった髪も今はない。
「あの子が残した想いの跡ですね」
「……申し訳ありません」
何度目かになるか分からないその言葉をローレンスはマレにも繰り返す。
「別に大したことない。それに貴方が謝る事でもないですし」
ここでも謝罪を受け付けてもらえない。そしてマレはローレンスに向き直り目を細める。
「貴方に謝りにきました」
その言葉に、ローレンスはマレの見つめ返す。包帯と火傷で覆われたその姿だと表情が分かりつらかった。
「いえ、俺が全て悪いのです。お願いです。俺に謝罪させて下さい!」
そう頭を下げるローレンスにマレはしばらく見つめる。ローレンスは誰かにちゃんと謝罪の言葉をしっかり聞き入れて貰いたかった。その上で断罪して欲しい。
「ローレンス、私に何故謝っています? 貴方は何に対して謝っていますか? 何処に対して悪かったと思っていますか?」
一瞬口ごもるが、ローレンスは深呼吸して気持ちを整理して口を開く。
「私は妹を殺してしまいました」
マレは顔を顰めたように見えた。
「それは結果論でしょ? 貴方は、自分の行動のどの部分に悔いているのですか?」
その言葉にローレンスの脳裏に様々な人の顔が浮かび、消えていく。最後に強く残るのは一つの顔。赤い髪に緑の瞳の女性。それは愛した女性であり、その妹。
「……何であんな事をしたのか……」
ローレンスは弱々しく横に振る。
「何に後悔していますか?」
静な口調だが、尚も聞いてくるマレにローレンスは考えた。
「全てです」
マレは大きく溜息をつく。ローレンスは、マレが今の自分に何を求めているのか分からず戸惑った。
「もし、それがあの子を愛した事も言っているのならば、マギーが可哀想です」
その言葉にローレンスの胸はズキンと痛む。彼女が望む意味では愛せなかった。その愛にローレンスは甘え利用しただけ。
「私が謝りたかった事は。大人になる前に全て貴方にも話すべきだったという事です。全てを初めから知った上で様々な決断をさせるべきでした」
知っていたならば、確かに求められた時、断っていただろう。しかし……ローレンスは頭を横に振り顔を上げた。
「后候補と知りながら関係を持った段階で俺はもう何も言う資格はないです」
マレは淡い青い瞳を細くなり唇が歪む。
「マギーとキリーには貴方との関係を話しておいたのですよ。そして貴方と契った事で生まれる子供に異常が出るリスクが高くなる事も含めて全てを。
それでも、あの子は貴方を求めた」
その言葉にローレンスは愕然とする。そして思い出す。思いつめた様子で自分に迫ってきた妹の姿を。
「貴方は自分も罪に巻き込んだあの子に、何を今想いますか? 愛しさ? 憎しみ?」
憎しみ? 憎める訳がない。だから愛せるのか? 彼女が求めてきたように。それは無理だ。やはり自分が愛したのはキーラ。
「やはり感じるのは後悔なのだと思います」
しかし、先程まで感じていた後悔と意味は違う。マレは何も言わず、ただその瞳にローレンスを映した。
「俺は自分の事でいっぱいいっぱいになっていて、何も見ていなかったマギーの事。彼女の気持ち、悩み、何も。何故もっと向き合ってやれなかったのか」
キーラへの想いに気が付いてから、ローレンスはキーラしか見ていなかった。彼女の笑う顔、話す顔……。その横でその妹がどんな顔していたかも覚えていない。
『ずっとローリーの事見ていたから分かる』
頭の中でそんな言葉が蘇る。自分は何と人として最低な事をしてきたのだろうか? その事に気付きローレンスは力なく床に崩れ落ちる。マレはそんなローレンスに寄り添うように跪く。
「今からでもちゃんと向き合いなさい。あの子とも、貴方自身とも」
マレは静かな視線をローレンスに落とす。
「もう、全て遅い」
「ならば、一生目を逸らして生きるつもり? あの子という存在から。それが貴方の答えですか? あの子に対する想い?」
ローレンスはハッと顔をあげて、マレを見あげる。
マレの青い瞳は真っ直ぐローレンスを見詰めている。愚かさも弱さもそしてその優しさも全てひっくるめて認めながらも見守る大人の目だった。縋るようにその存在を見上げる。
「俺はどう、償えば……許される? あの子から」
マレはその言葉に顔を横にゆっくりと振る。
「貴方が求めているのは、単なる許し?」
ローレンスは顔を激しく横にふった。欲しいのは罰である。自分が納得できる。
「ならば、トコトン足掻いて苦しみなさい。罪から目を背ける為でなく、向き合う為に」
マレはそう言いながらローレンスの頬に手を添え撫でる。
「そして自分がすべきこと、守るべきモノを見つけなさい。
目を閉じる事も、耳を塞ぐ事も、私は許さない。男なら戦いなさいトコトン」
そう囁いてから、マレは立ち上がり、話は終わったとばかりに帰っていった。しばらく床に手をついたままの恰好でマレの言葉を考えた。
拳を強く握る。ゆっくりと立ち上がった。ローレンの目は変わらず哀の色を帯びている。しかし決意を秘めたその瞳は先ほどとは異なり今をシッカリ見つめていた。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
眠れない夜の雲をくぐって
ほしのことば
恋愛
♡完結まで毎日投稿♡
女子高生のアカネと29歳社会人のウミは、とある喫茶店のバイトと常連客。
一目惚れをしてウミに思いを寄せるアカネはある日、ウミと高校生活を共にするという不思議な夢をみる。
最初はただの幸せな夢だと思っていたアカネだが、段々とそれが現実とリンクしているのではないだろうかと疑うようになる。
アカネが高校を卒業するタイミングで2人は、やっと夢で繋がっていたことを確かめ合う。夢で繋がっていた時間は、現実では初めて話す2人の距離をすぐに縮めてくれた。
現実で繋がってから2人が紡いで行く時間と思い。お互いの幸せを願い合う2人が選ぶ、切ない『ハッピーエンド』とは。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる