蒼き流れの中で

白い黒猫

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九章 ~鼓動の先~ キンバリーの世界

守るべき者

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 院の最奥にあるその場所は高位の者が住まう場所。そしてローレンスの職場であり、彼にとっても本当の意味で聖域である。その場所に足を踏み入れる事の出来るモノはごく一握りの選ばれた人間のみ。ローレンスは鋭い視線と神経を周囲に巡らせながら回廊を歩く。そんな姿に警護が敬礼し背筋を伸ばしてくるのを、頷き視線で答え先の部屋を目指す。華麗な彫刻を施された大きな扉がローレンスの為に音なく開かれる。その部屋の照明は落されているものの、中央奥に革張りの一人がけのソファー、その前に大きな木のテーブルと木の椅子だけが置かれ調度品は少ないが、壁面天井は細やかで美しい彫刻が施されていて部屋そのものが芸術品で、華麗ではあるが品のある空間を作り出していた。この部屋は中央のソファーに座った人物を引き立てるよう部屋全体がデザインされている。
 ローレンスが深く息を吸い込むと落ち着いた上品な香の残り香が鼻腔を擽る。お香の香りに混じりローレンスが敬愛する人物の醸し出す気の匂い。ローレンスが最も好きな香りで部屋に視線を巡らせ異常がない事を確認する。そして部屋の奥へ足を進め彫刻に溶け込み上手く隠された扉を空けさらに奥へと入っていく。より濃くなるその香りにローレンスは心落ち着くのを感じる。
 一つずつ部屋を見て周り問題ない事を確認し一つの部屋に入り眉を寄せる。大きな天蓋つきのベッドが一つだけあり、それは整えられていて快適に主がそこで休めるようになっている。その部屋も静かなモノで人の気配がない。この部屋に関しては人がいない事が問題なのだ。ローレンスは溜息をつき、部屋を出て書庫となっている部屋の扉を開けると、そこに求める人物はいた。大理石に床に横たわっていて、本がその隣に落ちている。声をかけるが返事はなく近付き確認すると眠っているようだ。顔にかかる髪をそっと払いその顔を確認するが、瞳は閉じていて起きる気配もない。毎日の職務は楽でなくこんな形で読書をして寝てしまうならばベッドで休めば良いと思うのだが、この人物は時間があれば読書をしたり勉強の時間に当てたりと休むという事を知らないかのように行動する。
 ローレンスは苦笑して落ちていた本をソッと手をとり丁寧にそれを近くにある台に置く。そして再び床の上で寝ている人物の所に戻り優しく抱き上げ寝室に移動してベッドに横たえ掛け布団をかけ、微笑みその身体を撫でる。すると嬉しそうに口角をあげ甘える表情を見せる。この空間だからこそ見られる寛いたこの姿。床の上に座り込み本を夢中で読んでしまうところ、仕事に集中してしまうと整頓という概念が抜け落ちてしまうところ。実はそんな人間臭い所があるこの人物のそういう所も好きで、嬉しくて思わず笑いが漏れるのを感じた。他に誰もいないとはいえ、仕事中。ローレンスは慌てて顔を引き締める。
「ありがとう、ローレンス」
 眠っていたと思ったが、やはり動かした事で起こしてしまったようだ。高く澄んでいながら柔らかい声がローレンスの耳に届く。
「いい加減、ちゃんとベッドで寝る事を覚えてください」
 掛け布団に包まれた姿で見上げてくる瞳は親愛に満ちていた。二人っきりの時だけ見せてくれるこの表情に、ローレンスは目を細める。
「いつもは真面目に寝ている。でもローレンスが警護の時だと気が緩んで夜更かししてしまう」
 ローレンスはその言葉にフッと笑ってしまう。
「ならいいですが、夜更かしするならば身を冷やさないようにもう少し暖かい格好でお願いします」
 小言を言うローレンスに相手もクスクスと笑う。
「分かった、そうするよ……」
 そう答え目を閉じる。硬い床よりベッドの方が居心地も良いのだろう表情は柔らかい。モゾモゾ身体を動かし身体を丸め好みの体位となると『んっ』と納得したような小さな声を出し満足そうな表情でスースーと静かな呼吸で眠り始める。ローレンスはそれを見守ってからソッとその部屋を後にした。その瞬間景色がグニャリと歪む。ローレンスは慌てて戻ろうとするが気持ち悪く揺れる世界がそれを許さない。寝室どころか建物も消え失せて忌まわしきあの荒野に立っている自分を認識する。ローレンスは自分が護るべき者の名を呼ぶ。足元を見ると赤く広がる血の跡。そこには誰も居ないがローレンスの記憶がその大地を濡らし広がるその血の水溜りの形が意味する事を蘇らす。
 護る事も適わず、そしてその屍を抱きしめることもできず、失った愛しい存在の、哀しき跡。ローレンスは絶望から慟哭するしかなかった。

 ベッドの中でカッと目を覚まし、ローレンスは現実に戻って来たことに気付き、ホッとするような、虚しいような感情に襲われる。室内に視線を巡らせると、薄暗い宿屋の薄汚れた天井と壁が見える。
 風を感じ窓の方を見ると窓枠に座り男が何やら月明かりで紙をジッと見入っている。男のものとは思えない柔らかに見える髪、暗い部屋の中でも明るく輝く瞳。男のローレンスが見ても見惚れる程美しいと思う。かといって華奢さはなく陽気なその風貌は儚さとか、か弱さといった要素が皆無で、庇護欲というのを全く感じない。
 見つめていたローレンスの視線に気付いたのだろう。イサールはローレンスの方に視線を向け優雅に笑う。
「申し訳ありません、もしかして起こしてしまいましたか?」
 ローレンスは笑みを作り身体を起こして頭を横に振る。
「いや、嫌な夢……喉が乾いて目を覚ましただけだ」
 納得したようにイサールは頷く。そして紙を革の書類入れにしまいそれを自分のベッドに投げ、棚の水差しの所に視線を向け立ち上がる。ローレンスは仕草で大丈夫だと示し起き上がり、自分で動きコップに水を入れ飲み干す。
「イサール殿こそ寝ないで何を?」
 ローレンスは書類入れをチラリと見ながらそう尋ねる。イサールはニコリと笑い手を優雅に振ると、ランプに火が灯る。部屋が揺れる炎が作りだす独特の光に照らされる。イサールは風の能力者だと思うが、器用に属性以外の能力も使ってくる。
「面白い技術だな」
「貴方がたの石と同じ原理ですよ。我々はこのように印章というモノを使っています。言葉と図形に能力を込めて意味を持たせるという感じと言えば良いのでしょうか? ただこちらの場合は言語という要素使ってしまっている為か汎用性が低く能力も限定的です。コレにしても火付け石と変わらない」
 イサールは指につけられた細やかな細工の施された指輪のある手を掲げてローレンスに見せる。
「今度その技術教えてくれないか?」
「いいですよ、旅しながらおいおいと。
 実はずっと貴方にお話ししたい事があって。あの書類が気になっていらっしゃったのでは?」
 そう言うイサールにローレンスは笑ってしまう。何を見ているかな? とは思ったがそこまで気になった訳ではない。
「書類は別に、それより貴方の話したい内容の方が気になるかな?」
 イサールは楽しそうに笑う。
「この旅が終わったら、俺の下で働いてくれませんか? 俺を、いえ俺達を助けて欲しい」
 想定外過ぎる言葉にローレンスは返事に困る。落ち着く為に深呼吸をする。
「申し訳ない。私にはもう仕えている方がいる。その方以外仕える気はない」
 イサールは頷くが目はジッとローレンスを見つめたままだ。
「仕えて傅いて欲しいと言っているのではありません、友として助けて欲しい。というか貴方の知恵をお借りしたい。
 滅びの道を進む私達を助ける為に」
ローレンスは『滅び』と言う不穏な言葉を口にしたイサールの顔を思わず見つめてしまう。イサールは真面目な顔をしているものの、その表情に緊迫感がない。それにどう反応するか迷う所である。
「『滅び』という割に呑気な様子ですね」
 ローレンスは思ったままを口にするとイサールは目を丸くする。そして笑う。
「まあ、俺の生きている間は大丈夫でしょう。時間はタップリあるのでその間に対策を見つけていこうかと思っています」
 どこか惚けた言い分である。
「貴方はそうでしょう。しかし私は老い先短い身。
 そんな私に何を求める?」
 イサールは目を細める。
「貴方は巫の能力の研究をしていると聞いています。しかもウチの研究者とは違う角度から検証を続け、現在こうして旅を続けながら研究をしている。広い世界を知る貴方の視野は、新しい発想を見せてくれそうだ」
 イサールはそう言いながら、書類入れから二枚の紙を見せる。
「それに、この問題は我々だけの問題ではないのでは?」
 出された書類の内容に目を向け直ぐにイサールは眉を寄せ。その懐かしき字を見つめながら手が震えそうになるのを堪える。
「この書類を作成した者は?」
 内容よりも、その事が気になった。
「研究所で主任を務めているモノでなかなか優秀な人物です」
 ニコニコと笑うイサールの表情を探るようにローレンスは見つめるが、何か企んでいるようには見えなかった。
「その人物は元気なのか?」
 そう聞くとイサールは『あっ』という顔をするが直ぐに柔らかく笑い頷く。
「あっそうか、そうでしたよね。
 保護した当時かなりの重体でしたが、治療により元気になりましたよ。そしてそのまま我々の所に残り研究をしています。出来たら一緒に連れて旅をしたかったのですが自由に動けない身なので」
 ローレンスは、複雑な気持ちで息を吐き、イサールの表情を伺う。ローレンスが死んだモノと諦めていた弟が生きていた事を知っていながら、このタイミングでソレを明かしてくる事の意味に悩む。イサールはそんなローレンスの様子を気にする事もなく静に書類を見つめている。
 ローレンスも仕方がなく書類に視線を戻す。そして読み進めていくにつれ、その内容に顔を強ばるのを感じた。思わずイサールを見上げてしまう。しかしイサールは長閑に『どうですか?』と聞いてくる。笑いながら明るくそんな感じの事を言うイサールを見て、ローレンスは察する。イサールの目的を。彼は偶然ローレンス達の前に現れたのではないと。自分達の事もシッカリ調査され、それがデータとして示されているこの書類を見ると、最初から対話する為にやってきたと見るべきだ。
 それは誰の意思が働いての事なのか? イサールが仕掛けて来たことなのか? それとも……。ローレンスは目を細めイサールを見つめるが、あっけらかんとした表情からは読み取る事は難しい。
 もう一度息を吐き、再び衝撃的な内容が書かれた書類に視線を戻した。そこに他のメッセージがないのか? ジックリと文字を追ってみたが、書かれた内容以上の事は見つける事が出来なかった。 
「コチラは直ぐにどうだという話ではないので、取り敢えず、緊急度の高いコチラでの問題をなんとかしますか。
 あとこれらは貴方の弟さんが纏められた資料です。参考になると思いますので渡しておきます」
 イサールはニッコリ笑って、書類入れをイサールへと渡した。
「じゃあ、そろそろ寝ますか、お休みなさい」
 そう挨拶して自分のベッドへと入っていった。ローレンスはその書類入れの重さを感じながら大きく深呼吸をした。
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