蒼き流れの中で

白い黒猫

文字の大きさ
上 下
97 / 214
間章 ~狭間の世界4~

命令という名の慟哭

しおりを挟む
 洞窟の中には埃だけでなく、血や体液などのすえた臭いが漂い、どんよりとしている。洞窟の外で明明と燃えて周囲を染めているのは死んだ仲間の遺体を燃やす炎。中でも外でも漂うのは死の香り。
 激痛に苦しむ相手に少年は気をゆっくりと流し込み口角をあげた笑みのような表情を浮かべる。少年は命の流れを感じながら気を交わらせ傷口の再生を試みる。パックリと裂けた傷が深い為にそこに直接働きかける施術はよけいに苦痛を感じているのだろう、手当を受けている男は叫ぶ。男にとってこのまま手当せずに死なせてあげる方が楽なのは分かっているものの少年はその男を手当する。その男を地獄のような世界に呼び戻す為に命を救う。傷を塞いだ所まで治癒させ少年は手を離す。そして次の人の手当を行おうとして立ち上がり目眩を感じながらも、次の怪我人の手当をしていく。
「もう、休んでください。後は私がいたしますから」
 兄である青年が近づきそう声を掛けてくるのに少年は顔を横にふる。青年は他人がいる前では、兄弟でありながら弟に敬語を使ってくる。
「お前達は余計な事はするな。遺体の浄化が済んだら交代で眠れといっただろ!」
 少年も兄である青年へとそういう言葉を返しその言葉を退ける。兄が自分を案じているというのは分かるものの、あえて冷たく返す言葉に青年は眉を寄せる。
「お前にはお前の役割がある。それをしっかり果たす事が何よりも大切だ。ここで無理をしてその役割を疎かにする気か?
 命令だ、休め」
 青年は少年を、睨んでくる。それは不満ではなく弟を心配しての事であるのは理解しているが、少年は、話は終わったとばかりに青年に背を向ける。青年も優れた治癒術の使い手であるが、ここでその役割まで担わせるわけにはいかなかった。高い戦闘力をもち戦いにおいて主力でもある人物に、戦い以上に力を消耗する治療までさせられなかった。
「自分の役割の重要さを、理解できてないのは貴方でしょうに。皆の道標で希望であることを」
 少年はその言葉に苦笑するしかない。その存在そのものも奇跡と言われた唯一最高の力を持つと言われた少年だが、ここではそんなの全く役に立たない。皆、すがるように少年についてきてくれているものの、仲間を守って導くには少年の力は不足していた。圧倒的な悪意をもって襲ってくる敵に対して無力すぎた。もう半数の味方を犠牲にしてしまった。残りの人間も同じ運命を辿るのも時間の問題。少年は己の使命の重さと、己の無力さからくる失望感に押しつぶされそうになっていた。
 皆を本当の意味で安堵させ、敵を余裕でぶちのめす事の出来る力が欲しい。しかしこの状況でそんなもの手に入るはずもない。
 皆への言葉には神の救いと、奇跡を口にしているがそれを口にする少年は、とうの昔にそんなモノへの望みを捨てていた。

 今、少年の頭にあるのは死の恐怖だけだ。自分の死に対してではない、寧ろ皆の犠牲となることで、この日々から逃れる事に淡い憧れすら抱いている。このまま魔に喰われる奴らの糧になるか、穢され堕ちるよりも、その死は甘美な幸福に思える。
 しかしそれは愛するモノを道連れにしていく事を意味している。自分が死ねば、そのモノはこの世界への希望を失い躊躇う事もなく死を選ぶだろう。
 最後の治癒を終え少年はため息をつく。気が緩んだとたんに視界が歪む。地面にそのまま倒れそうになるのを伸びてきた腕が掴み温かい胸に抱きこまれる。
「休めといった筈だ」
 少年は自分を支えている兄にそう文句を言う。青年が代わりに、周囲に指示を与えているのを、朦朧としながら少年はその声を聞いていた。
 分かっていた、兄が治療している自分をずっと見守っていたことを。妹が意識を飛ばす程眠りに入っている時は、兄は眠る事はない。そして兄が眠っている時は妹が少年を守っていた。こんな状況でありながら、二人にとって少年を守る事それが何よりも最優先される事。こんなにも無力で守る価値もない存在であるのに……。その事も少年を追いつめてもいる。
「私を休ませたいならば、貴方も休んでください。
一緒に休みましょう。身体も冷え切っている」
 青年はもう指一本動かすのすら辛い程疲弊した少年を抱き上げ焚火のそばへと連れていき抱いたまま岩壁を背に座る。
「私は元々体温が低い」
 そう言い返すものの、その包まれた身体の温かさに心地良さを覚え少年は目を閉じる。
「貴方の気が心地良い。それが俺を癒してくれる」
 もう少年に仕事をさせる気はないからだろうが、青年はそう言って抱きしめている腕に力を込める。兄弟といいつつ、もう生まれ持った能力により上下関係がハッキリできていた。気が付けば二人は対等ではありえなくなっていて、兄は弟の臣下という立場を崩す事はない。
《いい機会だ、貴方にだけ頼みたい事がある》
 少年は飛びそうになる意識を奮い立て青年に心話で話しかける。青年は閉じていた目を開け視線を腕の中の少年に向ける。
《俺の事よりも皆の事を第一に考えろ。万が一の時は私を切り捨て、自分が代わりに皆を導いていくという選択肢を持て!》
 密着させている青年の身体の血が騒めくのを少年は感じる。明らかな怒りの感情である。
《誤解するな。これは要請ではなく命令だ》
 重い身体を上げ少年は青年と顔を合わせる。
《そんな事態は起きない。嫌起こさせない》
 少年は口角を上げる。
《お前は現実からそうして逃げ続ける気か? 俺にすべてを押し付けて楽な位置にいる事で。
 絶対なんて事はない。それに俺の死も今の状況においてはあり得ない事でもない。分かるだろ? 今この集団にとって失うと痛いのは俺とお前のどちらなのか。冷静に判断しろ》
 何も言い返せない青年に満足し少年はその頬を撫で頬笑み、再びその胸に凭れかかる。
《あとコレは、個人的な俺からの頼みだ》
《……なんだ》
《もし俺の身に何かあったら、あの子を頼む。見守ってくれ。俺はアイツの枷にしかなれない》
 返事はなかったが青年の腕に力が込められたのを確認して少年はそのまま意識を手放した。極度の疲労でもう限界だった。そのまま深い眠りへと落ちていった。
 青年は細く小さいその身体をそっと自分の着ているケープで少年の身体も包みそっと抱きしめる。そして背後に手をやりフードを手繰り寄せ深くかぶり自分の顔を隠す。皆に気取られないように、身体を細かく震わせつづける。青年は泣いていた。流れる涙をふく事もせずに青年はそっと泣き続けた。
 少年は口にしはしていないが、皆で集団自死をすることも視野に入れて未来を考え悩み苦しんでいるのだろう。それに気が付いていながら、都合のよい希望を押し付け、追いつめている事を分かってはいた。しかし青年もまた少年に縋る事でなんとか今を生きている。少年を失い自分がリーダーとして生きていく? そんな事が可能だとは青年には思えなかった。おそらく少年が倒れたところで、この集団の最後に一つだけ残った希望は消える。青年は腕の中の少年の髪に唇を押し付けその身体を抱きしめた。
しおりを挟む

処理中です...