蒼き流れの中で

白い黒猫

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八章 ~親の願いと子の想い~ カロルの世界

絵の中の母親

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 シワンはまるで骨董品を扱っているかのように、鞄から布の包みをだし、その包みを丁寧な仕草で広げる。その様子を見てクラーテールは頬を緩ませる。
「本ありがとうございました。面白かったです」
 中に入っていた小説が書かれている本を恭しくクラーテールに差し出すシワンにクラーテールは顔を横に振る。
「それ、返さなくていいよ。あげる」
 シワンはその言葉が嬉しいが、恐縮してしまう。この小説は印刷されたものではなく、手書きで書き写されたもの。と言うことは貴重なもののはず。それに外の世界で書かれた小説の為、コチラでは他の人に見せる事も出来ない為、シワンが一人しか楽しめない。こんな面白い物語独り占めしては申し訳ないし、もっと他の人も読める場所に置くべきだとも思ったので首を横に振る。
「その本ね、私の所にあっても意味はないんだ。言語の問題でね」
 苦笑するクラーテールにシワンは首を傾げる。
「コレは、私が手元にある本や記憶にある物語をソチラの言語で訳して書き写したもの。だからこっちにあっても意味がない。それに神語でこんな大衆小説を綴ったなんてバレたら怒られる」
 シワンはクラーテールの言葉にジワリとした喜びと感動を覚える。 
「僕の為に?」
 クラーテールは肩をすくめ笑う。
「そういう感じだから、持ってこられる量は少なくてごめんね」
 ただ、外の世界を知りたいといっただけでそこまで手を掛けさせてしまった事に申し訳ないと思ったものの、そこまでしてくれたら事が嬉しかった。
「ありがとうございます。大事にします
 ……クラーテールは、普段は違う言葉で話しているの? こちらの言葉っていつ覚えたの?」
 シワンは気になってしまった事を聞いてみる。
「この言語は私達にとっては古代文字のひとつ。聖書とかの原本はこの言語だったから、元々読む事は出来た。神の言葉だから心で読み口にしてはならないと教えられてきたから、それを口語調で活用するのに戸惑いもあったし苦労したよ。
 しかも堅苦しい文法でしか接してない言語だったから、使いこなすのが大変で!
 最初は罵倒の言葉が解らず口喧嘩も出来なかった。シルワ様に色々な蔑みの言葉を教えてもらったから、もう大丈夫だけどね」
 何故人を罵倒する言葉が必要なのか? そして何故シルワ様がその言葉をクラーテールに学ばせたのか? そして誰に対して使ったのか?  気になるけれどもシワンには怖くて聞けなかったから、当たり障りなさそうな所から聞くことにする
「……カミって? 何?」
 首を傾けシルワンに困ったようにクラーテールは笑う。
「人が集団で生きていく為に都合よいシステムに宗教というものがあって、その核となる要素。人の身では決して敵わない存在を作りだし、その存在が見張り、見守りとする事で、正しき生き方を強いてその集団の思想を統一していた。
 その人を超えた存在を神とした」
「……精霊なようなもの?」
 どんなモノにも精霊が宿っているからこそ、全てのモノに敬意を払い感謝して生きろ。それが、シワンが今まで学んできた倫理である。
「ま、似たようなモノかな。身近な考え方は、死んだ家族や仲間が見守ってくれているから、絶望するな、恥ることなきよう正しく生きろ。とか。それがもっと力と存在感を持ち饒舌にさせた感じ」
 忌々しそうに語るクラーテールに、シワンは困った顔になる。
「クラーテールは嫌いなの? カミが」
 傷付いたようにクラーテールは顔をグシャリと歪める。
「嫌いではないよ。ただその存在を穢し傲慢に生きるヤツが嫌いなだけ。結局人が運用するから、素晴らしくもなるものが何でも人によって滅茶苦茶になる」
  遠くを睨み付けるようにクラーテールはそうつぶやく。あっけらかんとしているようで、時々思い詰めたような顔をする。
「そうそうクラーテール。あのね、先日マレ様に」
 最もクラーテールが喜ぶであろう話題に切り替える事にする。クラーテールの虚ろになっていた瞳は光を戻しシワンを注視する。
「絵を頂きました」
 クラーテールが目を丸くする。
「絵?」
 シワンはその時の喜びが甦り再び嬉しくなってくる。
「お母さんの絵。マレ様は僕たちが持っていたほうが良いだろうと仰って」
 その絵により初めて見ることの出来たシワンの母親は、優しそうな女性だった。絵を見詰める自分とローレンスに向かって柔らかく笑いかけていた。木炭で描かれたその絵はモノトーンなのに暖かみがあり、その体温を感じられるような気もした。初めて目にした母親の姿はシワンにとって感動という簡単な言葉では言い表せられない強くそして心地よい衝撃を与えた。
「やっと母親と会えた! そんな感じがして嬉しかった」
 ハアと喜びのため息をつくシワンにクラーテールがぎこちなく笑い、その髪を撫でた。その暖かさが心地よくシワンはそのままクラーテールに抱きつき甘えてしまう。クラーテールの瞳が揺れ、必死に震える身体を抑えていたのにはシワンは気が付かなかった
「ねえ、クラーテールはお母さんの事知っている? どんな人だったの?」
 シワンを生むことにとって母親が亡くなった事もあり、周りに聞きにくい所があった。しかし母親の絵を見たことで、シワンの中での母親への感情が爆発して、求める気持ちが止まらない。クラーテールがその小さい身体を強く抱き締める。
「最高の女性だった。誰よりも暖かくで優しくて、強い。こんな我が儘な私を柔らかく受け止めてくれて、マレも彼女だけには心を開いた……。
 口にした事はなかったけど、大好きだった。愛してた……。二人でダリーを。
 知ってる? マレは特別な相手しか絵を描かない。相手へ愛しいという気持ちがなければ描く気持ちになれないから。それだけ、私達にとって特別な存在だった。そしてシワン。君は彼女にそっくりだ。思い遣りがあって、賢くて……」
 シワンは大人しく抱き締められる安心感に身体を委ねる。
「母は僕のせいで、死んだ……僕を産まなければ母はまだ生きていた」
 ずっと心の中で苦しめ続けていた思いを口にして、シワンは心臓が掴まれるような痛みを感じシルワンが産まれるべきではなかったという言葉を誰に言われた訳でもないが、自分が産まれる事で失ってしまったモノの大きさを常に感じ続けていた。もし自分がいなければ、兄のローレンスはそのまま母に抱かれて成長することが出来た。抱き締められていた腕の力が弛み、身体が離されシルワンは不安になり見上げてみて、涙を流すクラーテールの表情に驚く。クラーテールはしゃがみシワンの顔の高さに視線を合わせて優しく笑い首を横に振る。
「違うよ。逆だよ。君が彼女を生かしている。この世界に。
 未来へ彼女を繋いでいる。分からない? その身体の細胞一つ一つに彼女かいる。感じない? 常に一緒に世界を感じ見つめている。母子とはそういうものだよ。ダリーの希望で未来なんだよ、君が」
 生まれて始めて面と向かって、存在を肯定されたことに、シワンの心は震えた。嬉しくても涙が流れる事を初めて知った瞬間でもあった。子供のように大声を出してシワンは泣いた。クラーテールがそんな子供をただ優しく抱き締めつづけた。少年が落ち着くまでの時間を。そんな二人を風が優しく撫でていった。
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