蒼き流れの中で

白い黒猫

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七章 ~何かの予兆~ キンバリーの世界

守りたいもの

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 牢獄での悲劇は夜明け前に収束したが、牢獄内で浄化の炎の為に、この日はいつもより早く空を赤く染まった。そして日が昇った後に街道に一人の囚人の遺体が転がっていた。排気口に隠れていた囚人の一人で、あの奇妙な石に触れた事があるがために仲間に殺され捨てられた。またそれ以外にも、盗賊が仲間によって殺され燃やされるという事件も多発する。
 イサールは神殿側には囚人が腐人化したのは戦いの最中仲間が放った矢により石を体内に受けて放置された事が原因であろうという事を説明はした。しかし一般には手にしている人を腐人とする危険性がある石をならず者が持っているという事を告知したようだ。神殿が政治的に判断して、隠すと公表する事、どちらが神殿の利になるかを計算した上の判断であろう。
 実際ならずものが隠しもっている怪しげな石が、人を化物にするという知らせは国中を震撼させ、憲兵や自警団による、ならずもの狩りが執拗に行われるようになり、そういった者が国内で活動する事も苦しくなる。また石を手に救いを求め、神殿に駆け込んでくるならず者まで現れるようになり、結果国内の治安は格段に良くなったように見えた。

 ガルモンの街は一週間前と変わらず活気に満ちていたが、今回の事件で生まれた自警団が、執拗にならず者を狩る事をしている為に、普段素行が悪いだけの乱暴者までも卑屈な静かな人間のふりをして、普通の人もより善良な市民を演じている事で何処か不自然で気持ち悪い平和に満ちている。
 巫の旅装束姿のローレンスとキンバリーはその雑踏の中をゆっくりと歩く。職人街で装備を受け取り鍛冶屋へと足を踏み入れた。
 剣を頼んだ工房に入ると、年老いたあの鍛冶屋は、その時は作業をしておらず、机に向かい俯いていた。二人が来た事に気が付きゆっくりと顔を上げられる。そしてローレンスの姿見ると深く頭を下げる。そして机の上にある三本の剣を捧げるように持ちローレンスに差し出してきた。老人の目は数日前に会った時とは異なり、深い苦悩と哀しみに充ちている。
「どうかしたのか? 私はただ品物も取りに来ただけなのだが」
 剣を受け取りローレンスはそう質問する。鍛冶屋はもう一度頭を下げてからゆっくりと顔を上げる。
「この剣で、アンタは何を倒しなさる?」
 一人言のような老人の嗄れた声が低く響く。
「倒すのではない。浄化するのだ。闇を帯びてしまった身体を」
 ローレンスの言葉に、老人は膝をつき、地面にうつ伏し震え出す。
「アンタはやはり、いや貴方様は聖人様ですよね?」
 キンバリーは戸惑うようにローレンスを見上げると、ローレンスは静かな表情で首を振り否定する。しかし地面をジッと見ている男には見えていない。
「牢獄を浄化して下さった聖女様と、共に旅をされていたと噂を聞きました」
 キンバリーは、マグダレンがそのような形で神殿にお世話になっている事を思い出す。
「確かに私の仲間はあの戦いに参加した。しかしそれはあくまでも巫の勤めを果たしただけ。特別な事ではない」
 鍛冶屋はジッとローレンスを見上げ目を細める。
「剣を見れば分かります。貴方がたが単なる巫ではないことを。だからこそ、貴方様がたに頼みたい! 今回事件を引き起こしたワケの分からない輩を見つけて倒して欲しい。そして二度とあんな事起きないようにしてください!」
 ローレンスは頭を床に擦り付けんばかりに頭を下げる老人の元に膝をつきその身体を起こす。そして視線をあわせてその顔を覗き込む。
「何があったのか、話してもらえるか?」
 ローレンスの言葉に老人は顔をしかめる。
「わしには、馬鹿な孫がおりました。根は悪くないのですが、頭に血が登りやすく問題を起こす事も少なくはなく、しまいには相手に大怪我させて刑に服していたのですが……」
 続きを老人は言わなかったがどうなったのかは、二人には理解出来た。
「愚かだったが、神の怒りに触れる程の悪事をしたわけではない。でも葬式すらしてもらえないような罪を犯した訳でもない。ちょっとだけ人生に躓き、来年には街に戻りやり直す筈だった。それが何でこんな事に」
 闇に陥った者は、その身体は完全滅却されるので遺体は残らない事と、神に背いた者という印象を強く与えられる為に、神殿も葬儀を拒絶する事が多い。
「大丈夫だ。貴方のお孫さんは巫により身も心も浄化されて天国にいる。神は見て下さり理解している」
 ローレンスは気休めにしかならないが、そう老人に言葉をかける。老人はその言葉に低く声を上げ泣き出す。暫く泣いていたが、鍛冶屋は落ち着いたのか顔をゆっくり上げる。
「ワシらは、化け物に対しては何の力もない。だから、そんな弱く無力なワシらの代わりに、こんな事をしでかした奴らを見つけて裁いてくれ」
 ローレンスは真っ直ぐ見つめてくる老人の顔を真剣な表情で見つめ返す。ゆっくり頷こうとする前にキンバリーの声が工房内に響く。
「貴方は無力ではない。貴方に鍛えられた剣を見ればわかる。魂で剣に向き合っているって。そんな剣だからこそ私達も、魔の者と向き合える。貴方のような方がいるから、私達は歩める」
 鞘から剣を抜き、それを見つめながらキンバリーは凛とした声でそう老人に語りかける。
「素晴らしい仕事をして下さりありがとうございます。貴方の想いと共にこれからは魔の者を浄化します」
 浄美な笑みを浮かべているキンバリーに、老人は聖母を見たかのように目を細め拝むような仕草をする。ローレンスもその表情をみて拝む事は流石にしなかったが憧憬の視線をおくる。その顔はかつてローレンスが仕えた人物そのものに見えた。その人物も声を荒らげる事をも、視線で威圧する訳でもなく、静かな言葉と柔らかい表情通りだけで人を惹きつけ、従わせ導いた。人に使え従うべく育ったローレンスとは異なり、キンバリーは人の上に立ち人を導くべく生まれた存在であるように思えた。
 老人が、見た目幼い子供であるキンバリーにすがり穏やかで無邪気な表情をする光景はある意味異様ではあったが、ローレンスはほっとする。老人の悲しみはまだまだ癒えないだろうが、その心は再び彼本来の輝きを取り戻した事が嬉しかった。受け取りを固辞する老人に、お金をシッカリ支払い二人は工房を後にする。
「ラリー、どうかしたの?」
 先程からチラッとキンバリーを見てくるローレンスの行動が不思議に思えたのだろう。
「いや、さっきのような言動をするのを見ると、年の功というのを感じるな、ああいう事を言うようになったのかと」
 ローレンスの言葉にキンバリーはどう反応を返すべきか悩む。年の功と言われても、その年月が自分にとってどれ程の財産となっているのか実感として分からない。
「私ああ言ったけれど、良かったのかな……。そして私は全うに成長出来ているのかな?」
 チロっとローレンスを見上げ、キンバリーは訊ねる。ローレンスはその、まだ迷いのある子供らしい表情に、先ほどとは逆にどこか安堵の感情を抱く。
「ああ、俺がそれは保障する。鍛冶屋の目を見れば分かっただろ? 視線は前へと戻った。それにお前は真っすぐ正しく成長している」
 キンバリーはローレンスの言葉に、照れたように俯く。ローレンスはその表情にというよりも、自分自身に矛盾した感情に対して戸惑う。マグダレンと二人で良き成長を求め願っているキンバリー。しかし、どこかでキンバリーが変わらず子供らしさを持ち続け、このようにローレンスを頼り甘える事が嬉しくてたまらない。同時に成長した結果、自分を必要としないで離れていく事が怖くて堪らないという感情も膨らんできている。
「お前はお前のペースでいい。ちゃんと行くべき場所が分かって歩いているから」
 ローレンスはそんな言葉をキンバリーにかけながら、キンバリーの頭をグシャグシャと荒く撫でる。お前は大人だと言いつつ、まだまだ子供という態度で接する。我ながらやっている事はバラバラだと感じ、ローレンスは苦笑した。
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