蒼き流れの中で

白い黒猫

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七章 ~何かの予兆~ キンバリーの世界

聖女の憂鬱

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 十二本の白い大理石の柱に囲まれたその丸い空間は中央が少し盛り上がっておりそこに豊かな湯を湛えた陶器の浴槽がある。浴槽は蓮の花を象った形をしており、十二枚お花弁それぞれに人が寝転び入浴するのに快適な形状をしている。中央には雄蕊のような十二本のオブジェがあり、そこからお湯が絶えず流れ続けている。
 形状からも複数の人間が入って楽しむ場所なのだろうが、いまこちらを利用しているのはマグダレン一人。正確には人は他に六人いるが、それはマグダレンのお世話をするた為にここにいる女性神官である。身体を浄めるのという作業を終え、漸く今解放され花弁の一枚で入浴を楽しんでいる所である。
 一人で寝転ぶように湯に入るマグダレンを、離れた所からソッとその様子を六人の若い女性らはどこか恍惚な表情を浮かべ見守っていた。おそらくはここは高位の神官用の浴場である。まだ湯編みの時間でないとはいえ、ただ訪れた放浪の巫に対してとは思えない破格の扱いである。
 マグダレンは熱く向けられたそれらの視線を遮断するように目を瞑り、大きく満足げな溜め息を吐く。このように敬まわれ、かしずかれるのは昔から苦手であるが、久し振りにこのような広い浴場での入浴は心地よかった。
 お湯から手を出し、顔を撫でそのまま頭部に移動させ長い赤い髪に滑らせる。その途中に手に当たる額のサークレットの感触にマグダレンは苦く笑う。

 このサークレットの所為で、イサールと訪れた中央神殿において聖女扱いである。マグダレンのこのアクセサリーを見たとたんに神殿の人は皆跪き敬いの視線を向けてきた。そして最上級のおもてなしを受け今この状況になっているのである。イサールも腹立たしい事に、必死で否定するマグダレンの隣で、ひれ伏す人達に穏やかに微笑む。
『どうかそんな畏まらないで下さい。マグダレン様は気さくな方で、そのような堅苦しい扱いが苦手です。我々は、ただ見聞を広める為に旅をしていてコチラに立ち寄っただけですので、そのように大仰な歓迎など不要ですから』
 そんな事を言った為に、聖女であることを暗に肯定した形になってしまった。
 『聖女・聖人』とは神の国からの使者で、時おり人の世に舞い降りる巨大な力を持つ聖なる存在で、悪に苦しめられた人を救う。どちらかというと伝説上の人物である。この世界に神などいないし、そんな人物なんて実際はいない。しかし国が様々な原因で荒れた時、人がその登場を本気で願い求める存在でもある。
 宗教関係者は、このサークレットに描かれた文様を見て、マグダレンを聖女と勘違いしそうになる人が多い。

 勘違いされるのが嫌なら、このサークレットを外せば良いのだが、コレがタチの悪い事に外せない。厳密に顔や髪を洗う時になどに外すことは出来るのだが、外したままの状態で放置する事が出来ない。離れようとする前にマグダレンの意志とは関係なく手が動きこのアクセサリーを装着しているのだ。その忌々しい暗示を何とか解除しようとしても、マグダレンの力ではどうしようもない。マグダレンにとっては聖なる印のついたアクセサリーどころか、着けたら最後外せないとなると、寧ろ呪いのアクセサリーなのだ。マグダレンはその憎々しいそのサークレットについた印章によって先程守られたという事実も腹立たしかった。
 この静かな湯殿の空気を感じる事で、何とか気を落ち着けさせる。水と戯れるという事はマグダレンにとって最大の癒しの時間でもある。マグダレンは水に気を放ち開放して、浮遊感のある漂う感覚を楽しむ。マグダレンは指先で自分の身体をそっと撫でていく。かつて受けた愛撫を再現するように。
《レン、マグダレン》
 漂う先に、愛しい声を聞きゆっくりと口角をあげる。先程の事を心配しているのだろう。いつもよりもその声が固い。
《大丈夫だよ! あんな奴等にやられる私だと思う?》
 愛する人の心配している様子にマグダレンはつい唇を綻ばせる。
《詳細が分かるまで……馬鹿な真似はしないで》
 つくづくこういう面では信用がない自分にマグダレンは笑ってしまう。
《そんなにお人好しでない事は。わかっているでしょ、私が一番に思うのは貴方。そしてキンバリーの事。それ以外の事に命をかける事はしない》
 相手の笑う気配がして、それが嬉しくて笑ってしまう。チラリと『ローレンスは?』という言葉が微か伝わるが、からかうのを止めたようだ。
《ところでアイツは何? 何故ここによこしたの?》
 ここでは誰も邪魔されることがないので、マグダレンはそう切り出す。
《手紙に書いたと思うけど、その理由は》
 手紙は読んだ。その行間に書かれていた言葉も理解したつもりだったけれど、それでも直接言葉としてマグダレンは聞きたかった。
《万が一の時の為》
 マグダレンの意志は伝わっていたのだろう。マグダレンが一番聞きたくないが、本意である言葉を告げてきた。
《そんな事は起こらない! 私がさせない!》
 マグダレンは目をあけ、宙を睨み付ける。その言葉に相手が困ったように笑う気配がする。
《そこまで万能だと自分で思っているの? どんな人間でも他人を守ることには限界がある。
 それに守るというのは、あの子を背に庇いひたすら戦う事だけならば、考えを改めて! そんな守り方だと、保護者が倒れたら、その後庇護者も倒れるしかない。それに子供は親の思うように動いてくれるほど甘い存在ではない。
 親の役割は、子供が何かあった時に自分自身で最善の道を選択出来るようにする事では? あの子が自分で未来を考える時に選べる選択肢を一つでも増やしてあげるべき。個人的感情だけでその道の一つを潰してどうする?》
 マグダレンは、何の言葉も返せなかった。理性では理解出来るが、心がどうしようもなく拒絶する。
《アイツがそんなに嫌なの?》
 その質問にマグダレンは悩む。正直な気持ち好きではない。得体が知れない、気持ち悪い、苦手……それらの感情を総合的に判断すると嫌いということになるだろう。心話はあえて、言葉を文章にしなくても感情がそのまま伝わってしまいやすい。フフと笑う相手の気配。マグダレンを馬鹿にしているのではなく、愛情の籠もったあの目で笑っているのだろう。
《まあ、そう毛嫌いしないで。アイツは付き合ってみるとなかなか面白い男だよ。話をしていても分かりやすくて気持ち良い。
 それに、何よりも利用できると思わない?》
 マグダレンは、目を細めて天使の彫刻の施された柱に支えられたドーム型の天井を見上げる。
《あの男がそんな可愛いタマか? なんか食えない男だぞ》
 クスクスと相手が笑っている。
《まあ、その点はまず向き合って判断して。しばらく旅を一緒にするのだから。
 それは置いといて、調査の方をお願いして良いかな? 出来る限り情報が欲しい。あいつも探るだろうが。お前からの情報が欲しい》
 マグダレンは、大きく溜息をつく。相手の関心が、今使命と感じているであろう方へと向けられたのが分かったからだ。マグダレン達と使命、天秤にかけるとしたらどちらを選ぶのだろうか? そんな下らない疑問が浮かび、それを振り払うようにマグダレンは頭を横に振った。
《分かった、調べてはみる。
 でもその事で私達が頭を悩ます必要はないでしょ? 遠い未来の事なんて》
《まだ、彼らに出来る事があるというのが嬉しい。だからこそ私がやり遂げたい》
 マグダレンはその言葉に、目を再び閉じる。そしてお湯を両手ですくい頭から被る。
《そろそろ行かないといけない。今回の怪しい石の事についても、何か分かったら教えて。何者が作ったのかも気になるから》
 誰かの気配を相手の近くに感じる。
《分かった……愛している。だから無理をするな》
《分かっている。だから、もう無茶はしない。もう貴方を悲しませるような事はしない》
 マグダレンはその言葉に、安堵と悲しみを同時に感じ頷く。どうしようもない悲しみを感じるのは離れているからではない。本音で本気の言葉だと分かっているが、それは半分嘘である事を感じていたから。マグダレンにとって相手が全てだが、相手にとってマグダレンは全てではない。マグダレンはその人物の為ならば他の全てを捨てることが出来るが、相手は違う。責任感が強く優しすぎるのだ。他の要素を完全に捨てる事ができない。場合によってマグダレン以外の事にも命をかけることを厭わない。それが悔しいのだ。マグダレンは湯から手を出し、顔を覆う。気分を落ち着ける為に深呼吸をした。感情的になっている場合ではない。落ち着かないといけないと言い聞かせる。
 手をはずし、ゆっくりと目を開ける。マグダレンは立ち上がり、控えていた女性神官の方を向く。神官は慌てて布を持ち近づき、自らマグダレンの身体を拭こうとするがそれをやんわりと断りその布を受けとり自分で身体を拭きながら浴槽から出る。ガウンを着せられ、別室に案内されベッドに寝転ぶように促される。女性達は甲斐甲斐しく、マグダレンの身体に香油を塗りマッサージを施したり、髪に残っている水分を布で包み乾かしたり、冷たい飲み物をストローで飲ませてくれたりと世話をする。
「私の連れは、今何をしていますか?」
 イサールに心話で話しかければ早いのだが、こういう霰ない格好をしているときにあの男に心話で話すのは躊躇われる。会話していると、若干相手の周囲の様子が分かるからだ。しかも、他の巫にこうして接触されていると、その会話が彼女らにも漏れてしまう。
「マグダレン様のように湯殿で寛がれておられると思います。殿方なのでもうサロンでお待ちかもしれませんが」
 丁寧にマグダレンの髪に香油をつけ櫛を通している神官が、ニッコリと柔らかく笑う。神職につくもの特有の、上品で純美な笑みで、年齢のわりにあどけなくて無防備で何とも可愛らしい。もしかして、イサールにもこのように美しく若い女性が世話をしたのではないかとマグダレンは心配になる。
 流石にもう手を出していることはないとは思うが、クギを刺さねばとマグダレンは考え溜め息をつく。
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