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六章 ~雛は巣の外にいる~ カロルの世界
心の行き着く先
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二人の子供の意思決定は、研究所内に少なからず衝撃を与えた。后から相手を指名するとか、后の依頼を即刻拒否する女性なんて前代未聞だからだ。カロルを産んだ后が、トゥルボーとの間にも子供をと求められ拒否したと言った事はあったものの。二回目の伽である事と直前に伽による出産で一人亡くなった人がいたため、皆も納得は出来ていたが、最初から拒絶などするような者はおらず殆どの者は依頼を受け、答えを保留した者はいても、結局は皆その名誉ある立場を受け入れた。
ソーリスは執務室に報告に訪れたシルワとマレの表情を見て、つい笑ってしまう、片や憮然とした様子で、片や無表情で執務官の前に立つ。
「流石にお前の娘達だな、色々やらかしてくれる」
ソーリスの嫌味にマレは唇の端だけをあげ応える。
「近親に惹かれるのがお前達一族の特性か?」
ソーリスの言葉にマレは顔を横に振る。
「私の事と、今回の事を一緒にしないで下さい。人を愛した事のない貴方には分からないでしょうが、人は目に見える者に恋します。見えているから相手を理解出来、感じるからこそ惹かれ恋をする。血縁者だけしかいない環境で育てた事にも問題があるでしょうに」
兄妹と分かっていながらに愛してしまうのと、知らずに愛するのではその意味は確かに違うのだろう。
「愛を知らないように言われるのは心外だな、お前をこんなにも愛してやっているのに」
ソーリスの言葉にマレは言い過ぎた事に気が付き詫びようとするが、後半の言葉でその言葉を引っ込めた。
「……今回の件に対してソーリス様とシルワ様のご意見を聞かせて頂きたいのですが」
軽くやり過ごされた事にソーリスは苦笑して肩をすくめる。 無理矢理な身体の関係から始まった今の状況だけに、こう言ったソーリスの言葉はかなり本音であってもマレには通じない。
「どうもこうも、経過を見守るしかないだろう。姉の方も、意思を変更してくる可能性もあるしな」
ソーリスの言葉にややホッとしたマレだったがシルワが続けて言ってきた言葉に表情を硬くする。
「そういう事で、マレ貴方には説得をお願い致します。姉の方が言ってきたように我々とあの子達双方にとって良い方向に行くように」
マレは華やかに笑みを浮かべたような表情で向き直る。暫く無言でシルワを見つめ首を横に振る。ソーリスはそのマレの表情を見てヤレヤレと思う。久しぶりに見るマレの強い拒絶を示す表情である。
「私は伽が公正に行われる事を見守るという役目を果たすのみです」
マレの言葉にシルワは驚いた顔をするが、意味を理解してマレを睥睨する。
「強要しろと言っている訳ではありませんよ。自ら協力して貰えるように説得して欲しいと言っているだけです」
ソーリスは、マレがますます心の壁を高くし始めているのをみて、シルワに『もうそれくらいにしておけ』と止める。シルワは不満そうにソーリスの方を睨んでくる。シルワとしては、自分の研究がますます面白くなりそうな所を、とんだ形で中断されて多少気もたっていたのだろう。いつもの冷静さがない。
「シルワ、考えてみろマレがあの子らに何を語れるというのだ? 『近親相姦はいけません』その言葉に説得力もなにもないだろう」
ソーリスの言葉にシルワだけでなくマレも睨みつけてくる。シルワのようにあからさまではなく、顔は笑っているように見えるのに目だけが笑ってない。シルワ程ではないにしても、なかなか迫力のある表情になっている。ソーリスはその二人に向かって笑う。シルワはともかく、マレがこんな表情をする事がソーリスには楽しかった。いつもの取り澄ました表情よりもズッとこの方が良い。
「まだ、あの子らは幼い。そこまで直ぐに事を進めようとする必要もないだろう。今は子供の時代を楽しませてやれ」
マレの視線の鋭さは変わらず、目を細めてソーリスを見つめ、その目はそのままシルワに移動させ探っているようだ。シルワは珍しくまともな事を言うソーリスも気に入らないようで口を開こうとするが、視線で止める。
「マレ、俺はあの二人に后になることを強要する気はないし。なんだかの圧力をかける事もシルワにさせることはしない。伽の原則は厳守させる。それで良いだろう?」
疑わしげなマレの瞳を真っ直ぐソーリスはうける。
「その言葉を貴方がおっしゃいますか? 伽というものを軽んじていて、気ままに振る舞う貴方が!」
ソーリスは、笑みすらもなくし睨み付けてくるマレの言葉に苦笑する。シルワは話題がマズイ方向へいった事で冷静さを取り戻す。というよりここでシルワだけでも冷静な対処が出来ないと大変な事になるからだ。
「マレあのような事は、もう二度と起こさせませんから」
シルワの言葉等聞いてないようにマレは何も言葉を返すこともなくソーリスを睨み付けたままである。実際あの時、シルワの静止もマレの抵抗も何も役に立たなかったから、そう言う意味での信頼はしていないのだろう。ソーリスが独断で動き出したら誰も止められないし、ソーリスは何をやっても許される立場にある。
ソーリスはフフと笑う。マレのそれが怒りであったとしても、今現在マレの心を占有しているのが自分一人であることにゾクゾクとした快感を覚えていたからだ。立ち上がり、ゆっくりとマレへと近付く。
「別に軽んじていた訳ではない。私なりに伽というものを如何に有益なものにするかを考えての事だが、あのような結果になったことは残念だし、俺も反省している。あんな真似はもう二度としない。誓おう。
――だからもう、もう許してやれ」
マレの頬を撫でながらソーリスは珍しく謝罪の言葉を口にする。以前マレから受けた火傷の傷はもう殆ど残っておらず、男らしい大きな手がマレの小さな頭の左頬を覆う。
マレは目を見開き暫くソーリスを見上げていたが、手を払い、顔をしかめて首を横に振る。
「許しを請うべき相手が違うでしょう」
意外そうな顔をするソーリス。ブリームムの立場であるソーリスが謝罪したという事は大きな意味をもつが、マレは受ける気はないようだ。しかしソーリスはマレから許されようとは考えてもいない。その自分が犯した罪こそがマレとソーリスを繋ぐ絆の一つだからだ。マレに許されてしまったら意味がない。
「許せと言ったのは、意味が違うぞ。
それは俺だけの罪だ、俺だけが背負えば良い。お前までが自分を責める必要は全くない。そうやって私を怒っていれば良い」
ソーリスは悠然と笑う。
マレがソーリスに怒りを感じる分には良い、しかしあのアミークスに対していかなる感情にしても想いをもつ事は余計である。
マレは瞳を見開きソーリスを見上げる。そしてソーリスの語った言葉の裏にある意味を理解したのだろう。その瞳に怯えの感情が宿る。一見マレに『もう苦しむな。その痛みは俺が背負うから』と労りの言葉をかけているようで『反省はしているが、誰にも謝る気はない』と言ったのだ。シルワですらマレ達に申し訳ないという言葉を口にしたというのに。シルワもそのやり取りを見ていて、流石に眉を寄せる。しかしあえて口を挟まず見守る。
マレは何も言い返せず、出来たのは視線を逸らさない事だけだった。暫く見つめ合った後、何かを言おうと口を開いたが直ぐに閉じ、対話をする事を放棄し逃げるように部屋から出ていってしまう。
「連れ戻さなくて良いのですか? クラーテールにマレが心話で泣き付くは嫌なのでは?」
シルワの言葉にソーリスは人の悪い笑みを浮かべ首を横に振る。
「お前はアイツを理解しているようで、分かってないな。マレはクラーテールにああいう弱っている姿を見せる事は絶対ない」
シルワは、そこまでの事に気が付いてなかったのか納得出来ないように首を傾げる。マレは、如何なる時も冷静に対処し人を導くように育てられた為に他者に弱さを晒す事が出来ない。クラーテールに対しては優しさや愛情は示すものの、弱さを示す姿だけは決してみせない。ソーリスに対しても別の意味で弱さを見せたがらず、精一杯強がって接してくる。シルワやソーリスの前で時々素の表情を見せているのも、単にマレの意表をつき引き出しているのにすぎない。
「ところで、ずっと聞きたかったのですが。何故、あんな馬鹿な真似をなさったのですか? あのアミークスをそこまで排除したかった理由が分かりません」
シルワの質問にソーリスは苦笑いし否定する。死を求めたわけでもなく、その死を喜んだわけでもない。とはいえ悲しんだわけでもないが、殺す気まではなく、ただ少しだけその存在にむかつきチョットだけ悪戯をしただけだ。相手が伽の最中の無防備な状況であっても。ソーリスの強引な介入により、お腹の中の子供は予想以上に強く成長し母胎を壊し始めた。
「あの者の死に様を見て、やっと分かったよ。クラーテールが何故アレに脅威を覚えたのか」
苦笑いをするソーリスに、シルワはその最期の情景を思い返し、顔を歪める。
「でも私には分かりません。あの者は最期こそ凄まじくマレの心に強烈に存在を刻みつけましたが、何故貴方もクラーテールもそこまであの者を嫌がるのか。マレの取り巻きの一人にしか過ぎない人物を」
マレが唯一、クラーテール以外に側にいる事を許した人物だからだ。それ故にクラーテールはあのアミークスの存在を警戒した。能力はそれなりにあるものの、それ以外は平凡なあのアミークスにだけ、マレが何故か心を許していた。
会話をするわけでもなく、二人で並んで座っている姿をよく見掛けた。おそらく、クラーテールが過剰に反応しなければソーリスは気付けなかった程穏やかで細やかな関係にあったあの存在。あの者がただマレにまとわりついていると思っていた。しかし良くみるとマレが側においていたのだ。正確に言うならば他の取り巻きは優しげな笑みと言葉で巧みに遠下げていたのに、その人物は追い払わなかった。そのアミークスに対してマレが抱いている感情は何だったのか今となっては知る由もない。他の取り巻きとは異なり煩くないからだけだったのか、単なる友情だったのか、それ以外のものだったのか。
あまりにも惨い死にショックを受けそれを嘆きながらも誰にも泣きつくこともできず一人で耐えているマレを労るように抱き締めながら、クラーテールがどこかホッとしたような嬉しげな顔で笑っていたのをみて苦笑するしかなかった。クラーテールにとっては、邪魔な存在が消え、マレの心がソーリスから離れ一石二鳥の美味しい展開だったのだろう。
「俺にも分からない。
しかしシルワ今回の件で余計な行動をするなよ。何かを守ろうとしているマレは厄介だ。大事な共同研究者を失いたくはないだろ?」
シルワは目を細めチラリとソーリスを見あげ、唇を歪ませる。
「マレも時々、青臭く面倒になる」
ソーリスはクククと笑う。
「そこがあの年代の面白い所だろ。アイツの倫理観といった感覚はズレているとはいえ、俺達よりアミークスに近い。俺達が忘れていた感覚を思い出させてくれる。マレはモノの加減を測る良い物差しだろう?」
最もらしい事を言っているが、そういうソーリスが、マレどころかシルワの想像をも上回る事をしでかしてくる一番の厄介者である。シルワは舌打ちをする。ソーリスだけには、良識とか常識のありかたを諭されたくないものである。
「貴方と違って、私には良識と友愛の心があります。貴方よりかなり若いので、世間と感覚もズレもありません」
ソーリスは目を細めシルワを見下ろす。そんなソーリスをチラリと見上げた時に、シルワの頭に何かひらめくモノがあった。なによりも平和に穏便に事を進めるように事を運べる予感に薄い唇の口角を上げる。ソーリスはそんなシルワは眉を寄せ、何も言わなかった。意味こそ違えど、マレを必要としているのは、シルワも同じ事。自分より馬鹿な真似はしない事を理解していたからだ。
それよりもソーリスは、こんな感じで出ていったマレを、後でどうやって迎えてやるべきかという事を考えていた。どんなに感情をかき乱されようが、最終的にはソーリスの私室に戻るしかない。そのマレを優しくただ抱きしめて冷えた身体を暖めてやるべきなのか、ソッとしておいてやるべきなのか、何も余計な事を考える隙も与えない程ベッドで蕩けさせてやるのか? ソッとするのが一番無難なのだろうが……ソーリスは悩むまでもないその問題に一つの結論を出しニヤリと笑った。
しかしマレはその夜ソーリスの部屋には戻らなかった。シルワは宛がった書庫で一晩過ごしたようだ。あそこなら封術もシッカリしている為にクラーテールにも感情が漏れにくい事から一人で動揺した気分を落ち着けるには最適な場所だったからだ。マレが本当の意味で弱さをさらけ出し、心を裸に出来る場所は誰の所でもなくあの薄暗い部屋だけなのだろう。表面上はいつものように仕事をして過ごすマレにソーリスは余計な事はせずに、一週間程はソっとしてやる事にした。
~~~六章 完~~~
ソーリスは執務室に報告に訪れたシルワとマレの表情を見て、つい笑ってしまう、片や憮然とした様子で、片や無表情で執務官の前に立つ。
「流石にお前の娘達だな、色々やらかしてくれる」
ソーリスの嫌味にマレは唇の端だけをあげ応える。
「近親に惹かれるのがお前達一族の特性か?」
ソーリスの言葉にマレは顔を横に振る。
「私の事と、今回の事を一緒にしないで下さい。人を愛した事のない貴方には分からないでしょうが、人は目に見える者に恋します。見えているから相手を理解出来、感じるからこそ惹かれ恋をする。血縁者だけしかいない環境で育てた事にも問題があるでしょうに」
兄妹と分かっていながらに愛してしまうのと、知らずに愛するのではその意味は確かに違うのだろう。
「愛を知らないように言われるのは心外だな、お前をこんなにも愛してやっているのに」
ソーリスの言葉にマレは言い過ぎた事に気が付き詫びようとするが、後半の言葉でその言葉を引っ込めた。
「……今回の件に対してソーリス様とシルワ様のご意見を聞かせて頂きたいのですが」
軽くやり過ごされた事にソーリスは苦笑して肩をすくめる。 無理矢理な身体の関係から始まった今の状況だけに、こう言ったソーリスの言葉はかなり本音であってもマレには通じない。
「どうもこうも、経過を見守るしかないだろう。姉の方も、意思を変更してくる可能性もあるしな」
ソーリスの言葉にややホッとしたマレだったがシルワが続けて言ってきた言葉に表情を硬くする。
「そういう事で、マレ貴方には説得をお願い致します。姉の方が言ってきたように我々とあの子達双方にとって良い方向に行くように」
マレは華やかに笑みを浮かべたような表情で向き直る。暫く無言でシルワを見つめ首を横に振る。ソーリスはそのマレの表情を見てヤレヤレと思う。久しぶりに見るマレの強い拒絶を示す表情である。
「私は伽が公正に行われる事を見守るという役目を果たすのみです」
マレの言葉にシルワは驚いた顔をするが、意味を理解してマレを睥睨する。
「強要しろと言っている訳ではありませんよ。自ら協力して貰えるように説得して欲しいと言っているだけです」
ソーリスは、マレがますます心の壁を高くし始めているのをみて、シルワに『もうそれくらいにしておけ』と止める。シルワは不満そうにソーリスの方を睨んでくる。シルワとしては、自分の研究がますます面白くなりそうな所を、とんだ形で中断されて多少気もたっていたのだろう。いつもの冷静さがない。
「シルワ、考えてみろマレがあの子らに何を語れるというのだ? 『近親相姦はいけません』その言葉に説得力もなにもないだろう」
ソーリスの言葉にシルワだけでなくマレも睨みつけてくる。シルワのようにあからさまではなく、顔は笑っているように見えるのに目だけが笑ってない。シルワ程ではないにしても、なかなか迫力のある表情になっている。ソーリスはその二人に向かって笑う。シルワはともかく、マレがこんな表情をする事がソーリスには楽しかった。いつもの取り澄ました表情よりもズッとこの方が良い。
「まだ、あの子らは幼い。そこまで直ぐに事を進めようとする必要もないだろう。今は子供の時代を楽しませてやれ」
マレの視線の鋭さは変わらず、目を細めてソーリスを見つめ、その目はそのままシルワに移動させ探っているようだ。シルワは珍しくまともな事を言うソーリスも気に入らないようで口を開こうとするが、視線で止める。
「マレ、俺はあの二人に后になることを強要する気はないし。なんだかの圧力をかける事もシルワにさせることはしない。伽の原則は厳守させる。それで良いだろう?」
疑わしげなマレの瞳を真っ直ぐソーリスはうける。
「その言葉を貴方がおっしゃいますか? 伽というものを軽んじていて、気ままに振る舞う貴方が!」
ソーリスは、笑みすらもなくし睨み付けてくるマレの言葉に苦笑する。シルワは話題がマズイ方向へいった事で冷静さを取り戻す。というよりここでシルワだけでも冷静な対処が出来ないと大変な事になるからだ。
「マレあのような事は、もう二度と起こさせませんから」
シルワの言葉等聞いてないようにマレは何も言葉を返すこともなくソーリスを睨み付けたままである。実際あの時、シルワの静止もマレの抵抗も何も役に立たなかったから、そう言う意味での信頼はしていないのだろう。ソーリスが独断で動き出したら誰も止められないし、ソーリスは何をやっても許される立場にある。
ソーリスはフフと笑う。マレのそれが怒りであったとしても、今現在マレの心を占有しているのが自分一人であることにゾクゾクとした快感を覚えていたからだ。立ち上がり、ゆっくりとマレへと近付く。
「別に軽んじていた訳ではない。私なりに伽というものを如何に有益なものにするかを考えての事だが、あのような結果になったことは残念だし、俺も反省している。あんな真似はもう二度としない。誓おう。
――だからもう、もう許してやれ」
マレの頬を撫でながらソーリスは珍しく謝罪の言葉を口にする。以前マレから受けた火傷の傷はもう殆ど残っておらず、男らしい大きな手がマレの小さな頭の左頬を覆う。
マレは目を見開き暫くソーリスを見上げていたが、手を払い、顔をしかめて首を横に振る。
「許しを請うべき相手が違うでしょう」
意外そうな顔をするソーリス。ブリームムの立場であるソーリスが謝罪したという事は大きな意味をもつが、マレは受ける気はないようだ。しかしソーリスはマレから許されようとは考えてもいない。その自分が犯した罪こそがマレとソーリスを繋ぐ絆の一つだからだ。マレに許されてしまったら意味がない。
「許せと言ったのは、意味が違うぞ。
それは俺だけの罪だ、俺だけが背負えば良い。お前までが自分を責める必要は全くない。そうやって私を怒っていれば良い」
ソーリスは悠然と笑う。
マレがソーリスに怒りを感じる分には良い、しかしあのアミークスに対していかなる感情にしても想いをもつ事は余計である。
マレは瞳を見開きソーリスを見上げる。そしてソーリスの語った言葉の裏にある意味を理解したのだろう。その瞳に怯えの感情が宿る。一見マレに『もう苦しむな。その痛みは俺が背負うから』と労りの言葉をかけているようで『反省はしているが、誰にも謝る気はない』と言ったのだ。シルワですらマレ達に申し訳ないという言葉を口にしたというのに。シルワもそのやり取りを見ていて、流石に眉を寄せる。しかしあえて口を挟まず見守る。
マレは何も言い返せず、出来たのは視線を逸らさない事だけだった。暫く見つめ合った後、何かを言おうと口を開いたが直ぐに閉じ、対話をする事を放棄し逃げるように部屋から出ていってしまう。
「連れ戻さなくて良いのですか? クラーテールにマレが心話で泣き付くは嫌なのでは?」
シルワの言葉にソーリスは人の悪い笑みを浮かべ首を横に振る。
「お前はアイツを理解しているようで、分かってないな。マレはクラーテールにああいう弱っている姿を見せる事は絶対ない」
シルワは、そこまでの事に気が付いてなかったのか納得出来ないように首を傾げる。マレは、如何なる時も冷静に対処し人を導くように育てられた為に他者に弱さを晒す事が出来ない。クラーテールに対しては優しさや愛情は示すものの、弱さを示す姿だけは決してみせない。ソーリスに対しても別の意味で弱さを見せたがらず、精一杯強がって接してくる。シルワやソーリスの前で時々素の表情を見せているのも、単にマレの意表をつき引き出しているのにすぎない。
「ところで、ずっと聞きたかったのですが。何故、あんな馬鹿な真似をなさったのですか? あのアミークスをそこまで排除したかった理由が分かりません」
シルワの質問にソーリスは苦笑いし否定する。死を求めたわけでもなく、その死を喜んだわけでもない。とはいえ悲しんだわけでもないが、殺す気まではなく、ただ少しだけその存在にむかつきチョットだけ悪戯をしただけだ。相手が伽の最中の無防備な状況であっても。ソーリスの強引な介入により、お腹の中の子供は予想以上に強く成長し母胎を壊し始めた。
「あの者の死に様を見て、やっと分かったよ。クラーテールが何故アレに脅威を覚えたのか」
苦笑いをするソーリスに、シルワはその最期の情景を思い返し、顔を歪める。
「でも私には分かりません。あの者は最期こそ凄まじくマレの心に強烈に存在を刻みつけましたが、何故貴方もクラーテールもそこまであの者を嫌がるのか。マレの取り巻きの一人にしか過ぎない人物を」
マレが唯一、クラーテール以外に側にいる事を許した人物だからだ。それ故にクラーテールはあのアミークスの存在を警戒した。能力はそれなりにあるものの、それ以外は平凡なあのアミークスにだけ、マレが何故か心を許していた。
会話をするわけでもなく、二人で並んで座っている姿をよく見掛けた。おそらく、クラーテールが過剰に反応しなければソーリスは気付けなかった程穏やかで細やかな関係にあったあの存在。あの者がただマレにまとわりついていると思っていた。しかし良くみるとマレが側においていたのだ。正確に言うならば他の取り巻きは優しげな笑みと言葉で巧みに遠下げていたのに、その人物は追い払わなかった。そのアミークスに対してマレが抱いている感情は何だったのか今となっては知る由もない。他の取り巻きとは異なり煩くないからだけだったのか、単なる友情だったのか、それ以外のものだったのか。
あまりにも惨い死にショックを受けそれを嘆きながらも誰にも泣きつくこともできず一人で耐えているマレを労るように抱き締めながら、クラーテールがどこかホッとしたような嬉しげな顔で笑っていたのをみて苦笑するしかなかった。クラーテールにとっては、邪魔な存在が消え、マレの心がソーリスから離れ一石二鳥の美味しい展開だったのだろう。
「俺にも分からない。
しかしシルワ今回の件で余計な行動をするなよ。何かを守ろうとしているマレは厄介だ。大事な共同研究者を失いたくはないだろ?」
シルワは目を細めチラリとソーリスを見あげ、唇を歪ませる。
「マレも時々、青臭く面倒になる」
ソーリスはクククと笑う。
「そこがあの年代の面白い所だろ。アイツの倫理観といった感覚はズレているとはいえ、俺達よりアミークスに近い。俺達が忘れていた感覚を思い出させてくれる。マレはモノの加減を測る良い物差しだろう?」
最もらしい事を言っているが、そういうソーリスが、マレどころかシルワの想像をも上回る事をしでかしてくる一番の厄介者である。シルワは舌打ちをする。ソーリスだけには、良識とか常識のありかたを諭されたくないものである。
「貴方と違って、私には良識と友愛の心があります。貴方よりかなり若いので、世間と感覚もズレもありません」
ソーリスは目を細めシルワを見下ろす。そんなソーリスをチラリと見上げた時に、シルワの頭に何かひらめくモノがあった。なによりも平和に穏便に事を進めるように事を運べる予感に薄い唇の口角を上げる。ソーリスはそんなシルワは眉を寄せ、何も言わなかった。意味こそ違えど、マレを必要としているのは、シルワも同じ事。自分より馬鹿な真似はしない事を理解していたからだ。
それよりもソーリスは、こんな感じで出ていったマレを、後でどうやって迎えてやるべきかという事を考えていた。どんなに感情をかき乱されようが、最終的にはソーリスの私室に戻るしかない。そのマレを優しくただ抱きしめて冷えた身体を暖めてやるべきなのか、ソッとしておいてやるべきなのか、何も余計な事を考える隙も与えない程ベッドで蕩けさせてやるのか? ソッとするのが一番無難なのだろうが……ソーリスは悩むまでもないその問題に一つの結論を出しニヤリと笑った。
しかしマレはその夜ソーリスの部屋には戻らなかった。シルワは宛がった書庫で一晩過ごしたようだ。あそこなら封術もシッカリしている為にクラーテールにも感情が漏れにくい事から一人で動揺した気分を落ち着けるには最適な場所だったからだ。マレが本当の意味で弱さをさらけ出し、心を裸に出来る場所は誰の所でもなくあの薄暗い部屋だけなのだろう。表面上はいつものように仕事をして過ごすマレにソーリスは余計な事はせずに、一週間程はソっとしてやる事にした。
~~~六章 完~~~
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