蒼き流れの中で

白い黒猫

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四章 ~力の代償~ カロルの世界

一瞬の逢瀬

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 身体中の何処もかしこも痛かった。夢の中でも苦痛に悩まされ、痛みで意識が覚醒していく。
 ゆっくりと目を開けると、ソーリスの華やか過ぎる美貌がマレを見下ろしていた。マレと目が合うとその顔は優しげに笑う。
「目覚めたか、マレ」
 ソーリスの言葉にマレは頷くのも辛いので瞬きで答える。ソーリスの大きな手がマレの頬を優しく撫でる。不本意ながら、その手の温かさに心地良さを感じながらマレは周囲を探るように視線を動かす。ソーリスの背後に広がる風景でマレは相変わらずシルワの温室にいる事を察する。
 シルワが心配そうな顔を浮かべマレに近づいてくるのも見えた。その慈愛に満ちているかのような表情にマレの表情は強張る。シルワの目が細まり、『余計な事を言わないように』と無言でマレを示威する。

 シルワの笑みを目の端で感じながらマレは必死で自分が置かれている状況を考える。戸惑いの目をするマレにソーリスは微笑む。
「安心しろ、シワンは無事だ。お前も相変わらず無茶をするな、身体中の骨が折れていたらしいぞ」
 マレは取り敢えず痛みを感じる身体を無理やり動かしてみる。怪我自体は治癒術で完治しているのを確認し、シルワに視線を向ける。
「私が治療しておきましたからもう元通りになっているはずです。ただ身体にまだショックが残って痛みだけは数日残るかもしれません」
 シルワはマレにニッコリした笑みを返す。そんなシルワにマレは色々問いたい事もあったが、空気を読んであえて何も言葉を発することはしなかった。
「マレ大丈夫ですか? 状況分かっています? 貴方はシワンを守ろうとしてファクルタースを使い私の咎術を発動させてしまったんですよ」
(そうですよね)
 言葉だけでなく、笑顔で念を押してくるシルワにマレは曖昧な笑みを返した。どこからがシルワが仕組んだ事なのか? とマレは自分が体験した事を思い返していた。

 マレが少しずつ体調を取り戻し、与えた課題を難なくこなせるようになったのを確認し、シルワは温室の床に階段を出現させる。この温室・研究所自身がシルワの世界そのもの。ソーリスの宮殿の中では珍しく独立した空間なのだ。階段の先が外に繋がっているとは流石にマレは思わなかったが降りてみて驚愕する。埃の香りのするそこは書庫だった。しかもマレも何度も入った事のあるシルワの書庫ではなかった。
『どうですか? 懐かしいでしょ? 見つけたんですよ! 貴方が教えてくれた枢密文書の書庫!』
 はしゃいだ声をあげ、シルワはマレに笑いかける。そうそこは、かつて数度だけだが、入った事のある寺院の枢密文書が置いてある地下書庫だった。
『面倒くさいので部屋ごと転移してもってきたんですよ!』
 マレはシルワの行動の早さと、大胆過ぎる行動に驚きつつも、とりあえず貢ぎ物は無事に届いた事を認識する。 同時に、何故懐かしい温室が再びマレの前に現れたのか、その理由を理解した。
『貴方だけはここへの入室出来るようにしていますので、読み解くのを手伝って下さいね』
 無邪気に笑い、お願いするかのように顔を傾けるという可愛らしい仕草で話しかけてくるシルワに、マレは冷静に頷く。普段見せない表情で頼ってくる麗人に心踊らせ舞い上がるという無邪気さは、マレにはない。しかしシルワの研究を手伝え見守る事を許して貰える事は素直に嬉しかった。シルワもそんなマレの反応に不満は無いようでニコニコと手をひき中央のテーブルの所にマレを誘う。そのテーブルに大きな箱が置いてある。マレの記憶ではこの部屋にそんな箱が置いてあることはなかった。
『貴方の私物です。流石に洋服はもういらないとは思いますが、私が保管していたものです』
 言葉もなく箱の中を覗いているマレに、シルワは分かっているであろう事を説明する。
『まさか、こうして残っているとは思ってもいませんでした』
 クスリとシルワは笑う。
『捨てる訳はないでしょう。貴方が戻ってくるのは分かっていましたし。そうでなくても私にとっても大切なモノですので』
 顔をクシャっと歪ませマレは顔をふり、そして大きく息を吐く。ソーリスにしても、シルワにしても、人を容赦なく蹂躙しておきながら、こういう優しさを見せてきて、マレの心を別の形で揺り動かす。
『とりあえず、コチラを貴方に戻しておきます。武器の方は別に保管してあります。今の段階での返却は勘弁してくださいね』
 マレもその言葉に頷く。当たり前である、武器を持つ意味が此処にはない。ましてはまだ囚人であるマレに武器の携帯が許される訳がない。
『コレで十分です。ありがとうございます』
 そうつぶやき、マレはそっと一つの袋を取り出し、その中にあるゴツゴツとした手触りを楽しみ、抱きしめる。さらにマレは箱からスケッチブックを取り出して開く。そこに現れる懐かしい風景や人物に目を細める。マレはその紙面をそっと撫でる。シルワは優しげにその様子を見つめる。
『ソーリス様から少し逃げたい時もここを使いなさい。でも今は治療の妨げになるので一日半刻以内の利用にして下さいね』
 そう言いながら優しく抱きしめその髪にキスをした。

 マレは、決して自惚れている訳ではないが、シルワには気に入られていると自覚している。それは研究材料という意味ではあるのだろう。しかしその冷静な距離感が、ソーリスとの関係とは異なり容認出来た。マレの予想を上にいく行動で驚かされる事はあるものの、それなりに良い友好関係を築いてきたと思っていた。
 そろそろ、修行を再開しても良いのでは? とは思わなくもないがシルワにとっては、その書庫で最も欲している研究について書かれた文書の内容の方が重要だったようで、翻訳を優先させられた。『一年以内に修行を終わらせろ!』というソーリスの命令も一年くらいまでに終わらせろとシルワの中では認識されているようだ。マレとしてはシルワとの関係を壊すわけにもいかないし、マレの都合や意志をシルワがすんなりと受け入れてもらえるとも思えなかった。とは言えこの檻はマレにとっては不快な場所ではなく、精神的には解放された世界で情報、外界へとの繋がりのある自由を満喫していた。
 そんな時だった。シワンがこの温室にお見舞いに訪れたのは。シルワがマレに与えたご褒美のようなモノとマレは理解する。ソーリスとシルワは似ているが、人を支配する際の飴と鞭の使い分けはシルワの方が上手い。マレの喜ぶツボというのを良く理解しているのがシルワの方なのだろう。
 シワンは撫で心地のよい細くて柔らかい焦げ茶の髪をした鳶色の瞳の子供で、性格はシャイながらも一生懸命マレに話しかける様子が可愛く、マレの顔にも自然に零れる笑みが浮かぶ。また彼の醸し出す土の気が、懐かしい人物によく似ていてマレを切なくさせる。
 カロルとは違った愛しさをこの子らにマレは感じる。自分の子供と愛しい人の子供、どちらが愛しいとかというのは難しい所である。どちらも堪らなく可愛いし愛しい。
『修行は進んでいますか?』
 マレの言葉に、顔を赤くしながらもシワンは頷く。
『はい。でもローレンス達は、時々暴走させて大変みたいですが』
 自分一人が先んじて制御出来たことを暗に自慢している様子が子供っぽくて可愛い。
『ベントゥスとアグニは、勢いがある分制御が難しいですからね』
 シワンが選ばれた理由をマレは察する。つまりは他の三人はまだ力を使いこなせておらず暴走する事がある為、研究所に入れることをシルワが躊躇ったのだろう。
『そうだ、良い物をあげます。こないだのお見舞いのささやかなお礼です。四人で分けて下さいね』
 マレは最近肌身離さず持っている布袋から四つ青い石を選び、シワンに渡す。
 シワンは、両手で大切そうにもった四つの石を見つめる。
『この石は何か心地良い。マレ様の香りがします』
 マレはその言葉にホウと声を出し感心する。
『シワン、貴方は鋭い感覚をもっていますね。その通りコレは私の力を込めた石です。私の能力は調和、調整の力をもつので、貴方達四人の修行の助けになる筈です。貴方の場合はその石を通すことでさらに力を深めることも出来るはず。貴方のテラの力は私のファクルタースと相性が良いので』
 マレの言葉にシワンははにかんだような顔で笑う。その表情につい微笑んでしまう。なんとも穏やかで愉しい時間もシワンが去ることで終わりを告げる。まだ物足りなさそうに、何度も振り返りながらシワンが去っていくのをマレは手を振り見送った。
 扉が閉まり空間が再び閉じられるのを確認してから、立ち上がり噴水の所へと向かう。その水に手をつけ目を瞑シルワンに持たせた石を通して感じてくる外の様子に静かに心を委ねる。
 シワンに石を渡したのは、純粋に四人の能力をより安定させるという意図と四人を見守りたいという意志だけでなく、より多くの目を得る為でもあった。石はマレの分身とも言えるものだけに、ファクルタースを封じられた状態で外の様子を探るには最高のアイテムでもあった。
 別にこの時にシワンに持たせた石で気配を探っていたのは、この後起こる事を想定していた訳ではない。ただより違った形で世界を楽しみたかっただけである。
 そして研究所の外で起こった最悪な事態を目撃する。ノービリスであるカロルが相手だと、アミークスでしかない二人の未来など見えている。いくら二人が結界をはったとしても無事ではすむわけはない。マレの焦燥に石が反応する。二人を守るように石から結界が発動した。
「 !」
 同時にシルワの結界が二人を守るのを確認する。マレはそのタイミングの悪さに舌打ちをする。しかしマレは状況をただ見守る事しか出来ない。流石シルワの結界である。カロルの凄まじい炎を前にしてもビクともせず二人を守る。
 二人が無事であったことをホッとしたのと同時に、久しぶりに近い距離で感じる愛しい気に心が震える。石を通して伝わる愛する者の確かな存在に一瞬マレの意識が目の前で起っている事態から逸れる。
《――――!》 
 自分の名を呼ぶ懐かしき心話の響きにマレの心が熱くなるのを感じた。カロルなど研究所の近くで様々なファクルタースが一気に発動した事でシルワの結界が少し緩み、外界と繋がりが出来たようだ。何よりも石が温室の外にあることも大きいのだろう。
《相変わらず馬鹿を》
 マレの言葉に相手が微笑むのを感じる。前々から無茶をする人物だった。こういう時はマレよりも行動がいつも早いことを思い出す。
《やっと、繋がった!》
 素直に喜びを弾けさせる言葉に、マレは唇が緩むのを感じた。
《そんな不安になる事なんて何もない、私達はいつも一緒》
 そう相手に答えて、マレは我に返る。ここが何処だったかを改めて思い出したからだ。
 一旦通話を止め、周囲に気配を見る。ジッと部屋の様子を探るシルワのファクルタースを感じる。次の瞬間にマレの身体はぶっとび石柱に叩き付けられる。マレは痛む身体をとっさに起こし辺りを見渡し近くにあったスベード(土掘り用シャベル)を手にとり防御体勢をとる。
《!》
《下がれ!》
 マレは慌てている相手を叱咤し黙らせる。
 シルワからいきなり攻撃をうけた事だけは理解できた。しかし理由が分からない。何故このタイミングでシルワがマレを攻撃してくるのか。シルワを相手にスベードで抵抗する事は出来るとも思えない。しかし丸腰で戦いに挑むほどの勇気はない。結界を貼りたいが貼れば咎が発動して戦いどころではなくなる可能性もある。
《今は動くな! 全てが台無しになる! 退け!》
 そして手にしていた石を噴水の水の中に投げる。強引に繋がりを切りシルワの次の攻撃にマレは備えた。下手に心を繋げたままだと相手にも影響が出るからだ。
 緊張しながら身構えるマレを再び激しい衝撃が襲ってくる。全身を締め付けてくる圧迫感にスベードを抱きしめるような体勢のまま空中に身体が浮き上がる。
「うっ」
 マレの口からそんな苦悶の声しか上がらない。戦闘において結界を貼ることしか能がないと言われるテラのファクルタース。しかしシルワは結界そのものを武器として利用してきているようだ。じわじわと締め付けてくる圧にマレは危機感を覚える。ファクルタースを発動させたのも自己防御反応からだった。その直後に感じるのは身体中の骨が砕ける激痛、そして意識は暗転した。
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