蒼き流れの中で

白い黒猫

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四章 ~力の代償~ カロルの世界

早暁の記憶

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 森の中で幼い頃のマレが一人ゆっくりとある場所を目指して歩いている。温室が見える茂みの所にマレは座り、そこで目を閉じその空気を楽しむ。土の香り、風に揺れる木々から香ってくる生命溢れる緑の香り、柔らかい日差し全てか優しくマレを落ち着かせる。
 自分の能力に誇りをもっているし、周囲から向けられる期待にもシッカリ応えたいと思う意志はある。しかし時折そういったモノが息苦しく、どうしようもなく苦痛に感じてくることがある。周囲にそんな感情を見せるわけにもいかない、誰かに甘える事も出来ずに生きてきたマレはそういう時にここでいつも時間を潰すのが習慣になっていた。あの母の胎内いた時に似た心地よさが此所にあった。ここは母の香りそのものなのだ。神に最も愛されたと言われる美しい母の気を一番感じられる、この場所がマレは好きだった。

 バシッ

 いきなり頬に激しい痛みを感じ、マレは目を開ける。心地よい夢から強引に現実に引き戻されたようだ。明るい茶色の髪の美しい笑みを浮かべた人物がマレを見下ろしている。夢の中と同じような植物と土の香りがマレの鼻腔をくすぐる。
「お寝坊さん、もういい加減に起きなさい」
 ぼんやりとした思考のまま、マレは周囲に視線を巡らせる。そこには天井はなく、優美なラインの鉄骨とガラス、そしてその向こうに息を呑むほど美しい星空が見える。
(星? 夜……)
 何十年ぶりとなるその星空をマレをしばらく見入ってしまう。
「まだ目が覚めませんか? おはようのキスが欲しいとか?」
 ベッドに腰掛けコチラを見下ろすシルワにマレはゆっくり首を横にふり、身体を起こそうとする。これ以上起きずにいたら、キスではなく反対側の頬をひっぱたかれそうだ。思った以上に身体が重くシルワに助けられながらマレは起き上がる。近くで微笑むシルワの視線の中で、マレは何故此所にいるのかをという所から考えていた。
 マレはシルワの元で今日から修行を再開していた。幽閉された年月に手に入れた力は想像以上に手に余る代物だった。ほんの少し扱いを間違えるだけで暴れ出す。もう少しで何かが見えそうだと感じた所にシルワは現れ、強引に終了させられた後から記憶がない。
 改めて辺りを見渡すが周囲はまだ薄暗く、所々におかれた明かりがうっすらと辺りと照らしている。数多くの植物が整然と美しく配されて植えられ庭園のようにも見えた。天井から壁がガラスで出来ている所から、温室であることを気付く。今さっきまで夢をみていたあの温室にマレはいる事実に軽く混乱する。
「頑張り屋さんなのは分かっていましたが、無茶しすぎです」
 シルワの言葉にマレは苦笑する。
「もう少しで、掴めそうな気がしたのですが」
 フンとシルワは笑い、首を横にふる。
「それは貴方の勘違いですよ。疲労で感覚が麻痺していただけでしょう」
 眉を寄せてマレはシルワを見上げる。
「しばらく、訓練は禁止します。コチラでのんびり過ごしなさい」
 その言葉にマレは目を見開き、反抗するように首を横にふる。
「そんな悠長な事している暇なんてありません。お願いです訓練をさせて下さい」
 力の入らぬ手で縋り懇願するマレに、シルワにしては優しい笑みを浮かべるが首を横にふる。
「時間? それならタップリありますから。それとも急ぐ理由があるんですか? さっさと力の制御をマスターして此所から逃げたいとか?」
 マレは慌てて首を横にふり否定する。
「そんな馬鹿な事を私がする訳はないでしょう。此所を出るつもりならば、もうあの時にしています」
 シルワは目を細め『確かにね』と頷く。
「嫌なだけですよ。自分の力でありながら制御できないという状況が」
 シルワは寝ていたために乱れている細い髪を優しく撫で整える。
「気持ちは分かりますが、貴方は修行の前にすべき事がありますね。 どうですか、この部屋。私の温室を貴方の為に改装したんですよ。素敵でしょ? 新しい貴方の檻」
 マレは、楽しそうに笑うシルワの顔をジッと見つめ返す。シルワによって能力を殆ど封印されているのをマレは感じる。この状態でこのシルワの懐ともいうべき此所にいさせられているという事について、どうしたものかとマレは考える。とはいえソーリスの檻よりかは快適ではありそうだ。マレは静かに周囲を見渡し、深呼吸をして温室の空気を味わう。
 シルワはマレの背中に手をまわし、そっとベッドの外へと誘う。マレは大人しくシルワに従い東の端にある見晴台のソファーに腰を下ろす。
「時間の無駄と、貴方は言いましたが、貴方はどれほど眠っていたのか分かりますか?」
 シルワは、テーブルの上にあった水差しからコップに水を注ぎマレに手渡しながら聞いてくる。マレは検討がつかず首を傾げる。
 マレは修行を始めたのが早朝だった。時間を気にしていなかったが一日が終わった所でシルワに止められ、そのまま意識を無くしたという状況を判断する。シルワの言い方だと一晩という状況ではないだろうと考え答えを導き出す。
「丸一日寝ていたわけですか」
 マレの言葉に、シルワは苦笑する。
「一週間ですよ」
 その言葉にマレは固まる。一週間も無駄にしてしまったという事実に呆然としたからだ。
「ついでに言わせてもらいますが、その前に貴方は三日寝ずにぶっ通しで修行をしてましたから。倒れるのも無理はないですよね」
 そういいながら、手に持った水を飲みなさいと仕草で促す。しかしマレは動けなかった。
「あの巫山戯た部屋のとんだ弊害ですね。まず貴方がすべきことは健全な人間としてのリズムを取り戻すこと。いいですか?」
 シルワはマレの隣にそっと座り、ショックを受け何も言えずコップの水面を見つめるマレを観察する
「マレ、俯くのではなく、前を見なさい」
 ハッと顔をあげ見つめ返してくるマレにシルワは苦笑する。
「私の顔にみとれるのもいいですが、私が見せたいのは彼方」
 シルワはまっすぐ東の空を指さす。そこにはただ闇が広がっているだけだ。マレはシルワが自分に何を見せたいのか分からず、探るようにチラリとシルワを見つめるが何かを企んでいるという様子もなく真面目な顔で東の空をジッとみつめている。
「どうですか? 夜の闇の色は」
 シルワの言葉にハッとした顔をして、マレは闇を見つめる。修練場の壁と天井でつくられた闇ではなく、天空が作り出す本当の夜の闇の中にいる事に言葉にならない喜びが湧き起こってくる。シルワが、言葉もなく真っ直ぐ前を見入っているマレの顔にソッと手をやり、唇を指で撫でる。マレは驚いた顔にシルワは柔らかい笑みを浮かべる。
「唇がカサカサになっていますよ。水を飲みなさい。睡眠は十分とりました。次に貴方が欲しているのはそれでしょう?」
 素直にマレは水を飲む。コップの水はマレが感動する程美味しく、身体に染み渡るにつれ活力が広がっていくようだった。満足げにあどけなく笑うマレをシルワにしては優しい表情で見つめる。
「今日だけは、夜起きているのを許してあげます。というより貴方にこの景色を見せたくて無理やり起こしたのですが」
 マレとシルワが見つめる先で、ゆっくりと光が見え始め闇を空と大陸に染め分けていく。無彩色だった風景にだんだんと朱の色が差し、やがてソレが景色本来の色へと変わっていくのをマレは静かに見つめていた。それまでに様々な時に見つめた朝焼けの風景が同時にマレの中で湧き起こってくる。淡い蒼い瞳から涙がこぼれていった。
「綺麗ですね」
 シルワの言葉に、マレは静かに頷く。
「いいですか? 今日から貴方はこうして日の出と日没をしっかり見る事、そして太陽が昇っている間は眠ることを禁じます。思う存分、光を浴びなさい。そして太陽が沈んでいる間は睡眠以外の活動を一切禁止します」
 素直にシルワの言葉に頷いていたマレだったが、最後の部分で眉をひそめる。
「流石に日没後すぐに活動を禁止というのは」
 シルワは露骨に拒否の態度をみせるマレにニヤリと笑う。
「子供には丁度よいでしょ」
「子供って、もう私は伽もすませた身ですよ」
 反論してくるマレをククと笑ってうける。
「私に言わせれば、百年も生きてない人間なんて、ヒヨッコですよ。まあ、日没後三刻は起きていても許してあげます。それ以降起きているようでしたら強制的に寝かしてあげましょう」
 とりあえず要求は通った事もあるが、シルワの人の悪い笑みにそれ以上の反論を控えることにした。適度な反論は楽しんでもらえるが、度を越すとやり込められるだけ。シルワと会話するにはコツがいる。
「ところで、私はいつまでその生活を此方ですれば良いのでしょうか?」
 シルワはその言葉に、考える素振りをしてから、マレを目を細めて見つめる。
「貴方はどれほど早く、適応するかにもよりますが、とりあえず一ヶ月くらいはと思っています。そんなに此所を早く出て、ソーリス様の腕の中に戻りたいのですか。可愛いですね」
 マレの顔に朱が走る。シルワはその様子を嬉しそうに見つめる。
「此所なら貴方も退屈することはないでしょう? というか退屈はさせません。修行の成果をあえて遅らせてここで気ままに過ごすというのも手ですよ。ここにいる限りソーリス様は貴方に手を出せない。そういう契約です」
 マレは溜息を大きくつく。
「それは、シルワ様の願望ですか?」
 シルワは首を傾げマレを見る。意味が分からないという感じで。マレには、シルワとソーリスの関係が読み切れないところがあった。マレの目からみて二人は最高のパートナーである。馴れ合うでもなく、かといって反発し合うでもなく相手を認め余計な干渉もすることもない良い距離感で付き合っている。二人が結婚するといっても愕きはしない。だが恋愛的な要素においてはどうなのかが見えないのだ。ソーリスの恋人という立場となったマレをシルワはどう見ているのか?
「私の希望知りたいですか? 出来たらもっともっと、貴方をソーリス様の気で染め上げたいという事ですかね。でもこういう事はジックリと時間をかけていくべきことですから」
 その言葉にマレは黙り込む。
「貴方が何を気にされているのか分かりませんが、私は貴方とソーリス様の関係は、心から歓迎していますよ」
 探るように見つめるマレに向かってシルワはニッコリ笑う。シルワは嘘をつくという事は基本的にはしない人物である。人をあえて、勘違いさせる方向に誘導する事はあっても。単純にソーリスとマレの関係を面白がっているととれる態度にマレはいささかの戸惑いを覚える。その笑顔は本当に笑っているのであろう。しかし優しげで美しいのだが、それがどうしてこんな凄みを人に与えるのかが謎である。
「確認させて頂いても宜しいですか?」
 シルワは、首を傾けマレを見下ろす。視線だけで『言ってみなさい』と告げる。
「封印以外に貴方の気を身体に感じます、どの条件で術が発動するのかを、予め教えて下さい」
 自分の胸を指差し、そういった事を言うマレにシルワは『ああ』と頷き、クスリと笑う。
「そんなに大変な事はないですよ、私に一切逆らう事をしなければ大丈夫ですから」
 マレは表情をあえて変えなかったが。シルワはその顔を見てククククと笑う。
「冗談ですよ。本音ではありますが」
 マレは無表情のままシルワの言葉の続きを待つ。
「今の所は……この部屋から出る事。ファクルタースを使用した訓練、遊び、コレだけです。
 貴方が日中眠り呆けるとか、夜寝ないといった事は含まれていないので安心して下さい。ただその場合は叩き起こすなどの対応をさせてもらいますので、私は暴力や強制が嫌いなのでそういった事をさせないで下さいね」
 楽しそうに自分を見つめるシルワの顔を眺めながら大きく深呼吸をする。 

 シルワは仕事があるのだろう、それ以上は何も言わずに去っていった。
 すれ違いで侍従がお茶を持ってやってくる。おそらくはシルワに命じられて用意されたのだろう。マレはお礼を言いお茶を受け取り、芳しき香りを楽しみながら時間とともに陰を動かし変わっていく風景を見つめていた。
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