蒼き流れの中で

白い黒猫

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四章 ~力の代償~ カロルの世界

面白くない日常

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 カロルには、大人の世界というのが良く分からない。
 ブリームム統率者であるソーリスから愛されるという最高の栄誉を獲ているマレが、何故時折遠くをみるように切なそうな顔をするのか? 何故罪を犯したのか? そもそもどんな罪を犯したのか? 
 森での父とシルワの会話からマレは赦免され自由の身になったように聞こえた。しかし、マレは相変わらず奥宮にいる。更に面白くない事に会話を交わす事も出来ず、毎日静かにベッドに横たわるマレの寝顔を眺める事しか出来ない。あの時から一週間も経つのに、マレは眠り続けているからだ。

 ソーリスは、『そのうち目を覚ますだろう』と軽い口調で言い、心配をしていない所から大変な状態ではないのであろうとは思うが、カロルは今の状況が寂しくて堪らない。

 眠れぬ夜に、カロルは通いなれた奧宮への道を進み、そっと扉を開けて中をみる。父の気配がしない事に少しホッとしながら、ベッドに近づく。静かに眠るマレの表情と、寝息の音に何処か安堵の気持ちが広がるのを感じた。

 カロルはそのままベッドに登り、マレの顔を近くで見つめながらその頬を撫でる。この込み上げてくるなんとも切ないような気持ちは何なのだろうかと考える。そっと顔を近づけ、少し開いたマレの唇に触るだけのキスを落とす。それだけで、カロルの中に言葉にならない幸福感が広がってくる。本当はあの優しい声で名前を呼んでもらいたい。その細い腕で抱きしめてもらいたい。

 カロルは掛け布団を上げ、中に潜り込みマレの身体に甘えるように身をよせて、直にその体温を味わう。そうしてもマレは目を覚ます様子もなく昏々と眠り続ける。
 反応がないのは悲くて、さらにマレの身体を強く抱きしめた。マレの身体の暖かさと香りを感じながらカロルはマレに抱きついた体勢のまま目を瞑る。
(すごく落ち着く)
 カロルはそのまま心地よい眠りの世界へ堕ちていった。

 ※   ※   ※

 少しずつ意識が覚醒していくのをカロルは感じた。
 何かの気配に目を開ける。間近に瞳を閉じたマレの美しい顔。そして背後に忌々しい存在の気配も感じる。身体を緊張させたカロルは後頭部に激しい痛みを感じ、顔を歪めた。何者かに髪の毛をわしづかみで引っ張られたのだ。ベッドから引きずられ落とされ床に座り込み、見上げると冷たい笑みを浮かべるシルワが見下ろしていた。最高の目覚めと最悪の目覚めを同時に体験することが出来るというのも愕きである。
「朝の授業をサボって、こういう所で惰眠をむさぼっているとは良い身分ですね」
 あまりの心地よさにスッカリ寝込んでいたようだ。若干ぼんやりとした頭をふりカロルは改めてシルワを睨み付ける。しかしシルワはもうカロルに興味を無くしたのか、ベッドの上に視線をうつし腰掛けた。手を伸ばしマレのその滑らかな頬を撫でる。その事でも許せないカロルだったが、シルワの親指がマレの唇をそっと撫でるのを見て、激しい怒りがこみ上げる。
「触るな!」
 シルワはカロルの方を見向きもしないで、マレを見つめ続けている。物語に出てきた聖母のように美しいシルワが、慈愛に満ちた表情で天使のように愛らしいマレを見つめる。その純美な光景は、カロルに何の感動も与える事がない。
「マレの回復が遅れているのは何故かと思っていたのですが、貴方が必要以上に接触していたからですね」
 そのシルワの言葉に、カロルは小さくない打撃を受ける。
「俺はマレを普通にお見舞いしているだけで、変な事してないよ!」
 シルワは目を細め、嫌なうっすらとした笑いを見せる。
「変な事ね……お子様が何を言っているのか」
 カロルはその言葉の違った意味を意識して、顔を赤らめる。首を横に激しくふり反論しようとするが、シルワの言葉の方が早かった。
「貴方はその無自覚にまき散らしているファクルタースがどれだけ人に影響与えているのか分かっているのですか?
 健常者ならまだ耐えられますが、気が弱まっている人にはどれだけの悪影響があるのか」
 『そんな事はありえない』とかいった言葉を返したかったが、その根拠がカロルにはないために、何も言い返せなかった。
「かなりの遅刻になりましたが、修練場にいきなさい、そこで先に瞑想を一刻程やること。今の貴方はまず雑念を払う事が必要なので」
 そのシルワの言葉にカロルはかなり躊躇した様子をみせる。授業が嫌なのもあるが、それ以上にシルワをこのままマレと二人っきりにさせても良いのかという不安感からである。
 能力は高いとはいえまだ子供のカロルと、この宮殿で上位のノービリスにのみ与えられる爵位を受けているシルワに逆らえないという立場の弱さがあった。
 父の恋人であるマレに、流石のシルワも下手に手出しは出来ないだろうとカロルは自分に言い聞かせる。
(大人になったら、お前なんて排除してやるから、覚えてろよ)
 思っている事が丸出しなのも気にせず、カロルは形だけの礼の所作をして背を向ける。シルワはそんなカロルに嘲るような笑いを返し、『サッサといきなさい!』という感じで手を払い部屋から追っ払った。

 これを最後にカロルはマレとまともに会う事が一切できなくなる。部屋に封が施されてしまうとカロルにはどうしようもない。シルワが手回ししたのが確実で、ますますシルワに対する恨みを募らせることになる。

 マレが目覚めたというのはシルワの研究所内にある修練場に通っている時に研究員の会話から知る。訓練が終わると同時に奧宮に走るが、部屋そのものが消失していた。本当に何もなくなってしまったその空間に呆然と立ち尽くす。元々はマレを収監するためだけに作られた部屋だったので、その役割を終えた事でソーリスが必要ないということで処分したのだ。宮殿そのものが、ソーリスにうおちそうして作り出したものであることはカロルも理解していたが、改めてその凄さを実感した瞬間でもあった。数日かけて奧宮中探しまくるがマレの姿も気配も何処にも感じられなかった。父の気配を感じ、マレの事を聞こうと近づこうとするが隣にシルワがいる事に気付きカロルはその場所を逃げるしかなかった。ここ数日マレを探していたために、カロルはシルワを始めとして全ての授業をサボっていた。今捕まるとそれこそ研究室に閉じ込められてマレを探すどころか何もできなくなってしまうのを怖れたからだ。

 カロルは森の中をがむしゃらに走る。気が付けば滝壺へと辿り着く。ここはマレが最後に元気な姿を見た場所。静かに水を湛えるこの空間を見つめていると少しカロルの心が落ち着いてくるのを感じる。
 苔蒸した岩、湛える水、風に揺れる木々それらが醸し出す香りをカロルは思いっきり吸い込む。マレの香りに少し似ている良い香り。泉のほとりに膝を抱えた格好で座り込み目を瞑りその空気をカロルは楽しむ。
『ハハオヤのタイナイにいるみたいで気持ちいい』
 マレの言葉が蘇る。
(水の香り、ハハオヤのタイナイにも水がある、ということは水はハハオヤの香り?)
『そんなに暴れないで、オカアサンが苦しくなるから。外に出てきたら一緒に遊んであげるから、今は良い子にしてね』
 カロルの頭の中にそんな言葉が浮かんでくる。誰の言葉で何時聞いたのだろう? カロルは考える。でもその声は心地よく穏やかな気持ちにさせてくれた。昔に水の香りに包まれて聞こえてきたというのも思い出す。
(コレはハハオヤの言葉だ)
 その声はくぐもっていたけれど、今考えるとマレの声だったようにも思えてくる。カロルはその答えが欲しくて記憶の森の中を踏み出そうとする。

 ガサ

 その思考を妨害するかのように近くの茂みが揺れる。
 カロルは目を開ける。草むらから飛び出してきた白い兎がカロルの姿を見て固まるように動かなくなる。
「待って~」
 続けて赤い髪の子供二人が草むらから飛び出してきて、その一人が兎を抱き上げる。そして改めてカロルがいる事に気が付きキョトンと見つめてくる。

 先日聖殿にいた子供の二人である事に気が付いた。どうやら二人は楽しげに兎をおいかけ遊んでいたようだ。真っ赤で波打つ長い髪と、碧の瞳をもつ二人の子供は驚く程よく似ている。似ているというレベルではなく、何から何まで同じ姿をしているように見える。カロルはアミークスの年齢はよく分からない、見た目からいうとカロルよりも上には見える。そして自分とよく似た髪と碧の瞳を持つ。その事も気に食わない。仲良い感じで二人だけで顔を見合わせ言葉もなく何だかのコミュニケ-ションを図っている二人の様子も苛つかせる。
 二人は鏡のように同じタイミングで顔を動かし見つめ合いカロルへと視線を戻し無邪気な笑みを浮かべ、礼の姿勢をとる。

 他のノービリスならその様子を微笑ましく感じるのだろうが、カロルはその二人に嫌悪感しか覚えない。
「何しにきた、邪魔!」
 カロルの突然の怒声に、二人の赤毛のアミークスは同じように目を丸くして、唇を突き出したムッとした顔を見せる。二人がまったく同じ顔でそういう顔をしてくるだけに、カロルからしてみたら小憎たらしさも二倍である。
「さっさと、失せろ!」
 カロルの言葉に、アミークスの子供は生意気にも睨み付けてくるが、黙ってウサギを抱いたまま去っていった。折角癒されかけていたカロルの気持ちだったが、とんだ邪魔がはいり台無しである。 
 カロルはこんなにつまらなく腹立たしい毎日を過ごしているのに、何故あの子供達はそんなにも愉しそうにしているか? 何故カロルだけが不幸なのかが分からない。
「マレ、逢いたいよ……」
 カロルは一人になった空間で、そう呟く。その言葉に応える声があるはずもなく、ただ風の音だけが辺りを包む。何もかもが面白くない。夜中まで森をがむしゃらに走りまくって明け方に自分のベッドに戻る。気持ちは晴れることもなく、苛立った気持ちのままベッドに入ることにした。
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