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フジワラとの出会い

崖っぷちにいる私

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「そんなに悩んで躊躇っているなら今日はやめたらどうですか?
 ちょっと邪魔……いえ……出来たらこちらに戻ってそこを空けていただけると助かるのですが」

 比喩的な表現ではなく文字通り崖っぷちに立つ私に、初対面の男がいきなり声をかけてきた。
 私が今いるのは慈悲心鳥ジヒシンチョウ崖。肩に鳥を乗せた誰だか知らない侍の像が見つめる先にある手すりを超えた外側。
 そこから飛び降りようとしているのだから、人から注意されても仕方がないことだとは思う。
 普通に自殺を咎めて叱ってきていたのなら理解出来た。しかし、邪魔だから退けといわれるとは思わなかった。

「はぁ?!」

 怒りから女らしさ皆無な低い声でそう返してしまったのは仕方がなかった事だと思う。
 私が今ここにいるのは、軽い気持ちなどではなく、気持ちをしっかり固めて全ての段取りを完璧に終わらせてのこと。
 覚悟を持ってきたとはいえ、崖の端に立っていざ遥か下で激しく波打つ海を見下ろすと身体が竦んでしまう。それは生理現象なようなもので仕方がない。
 身体が勝手に感じる震えを克服しつつ、飛び降りるためのに気持ちを固めていたところで邪魔された。 

 自殺しよう。
 そういう結論に至ったのは絶望からくる衝動的な感情ではなく、今自分が置かれている状況を俯瞰で冷静かつ理論的に考えた末の事。 
 誰にも迷惑をかけずに無様な姿も晒すことなく世界からコッソリ去る。それが出来るのが自殺という選択だっただけ。

 仕事を辞め、長く付き合っていた恋人にも別れを告げ、かつて家族と過ごしてきた家を売り、万全の準備をしてから私は自分の誕生日である七月十一日の今日を人生最後の日ときめた。私の三十歳の誕生日だから、自分が生まれた日に、世界から去るのは一番自然な事。
 それは綿密な計画の仕上げとも言うべき段階で水を差してきたのが、今話しかけてきた男。 
 
 私の睨みに相手の男は困ったような表情を返してきた。話しかけられて困っているのはコチラだというのに。

 崖の柵越しにしばらく無言で見つめあってしまう。
 私は男を観察する。目は切れ上がって、鼻筋は通っているので、まぁ、整った顔だとは思う。
 しかし穏やかそうには見えるが表情が読み取れない為に人間味を感じない。
 身長は175センチくらい細身で、長い白いシャツにジーンズという格好。風にはためくシャツの白さのせいで、白衣を着た医者のようにも見えてしまう。
 全体的なイメージは優しそうだが気弱にも見える。

 長い髪を後ろで結んでいることから若くも見えたが、学生とまではいかないようだ。私より少し若いそんな所だろう。
 男には自殺希望者と遭遇してしまった事の衝撃とか、焦り、変な正義感とか感じられない。
 どこか物憂げで覇気も感じられない態度も私をムカつかせる。

 つい声かけに反応してしてしまってから、私は相手がどういう人間なのか考える。
 こういう自殺の名所には、自殺しようとしている人を止める活動をしている人がいることがあるという。この男をその手の人間なのだろうか?

「貴方は何者? 警察か何か?」
 こんな髪型の警察は居ないだろうとは思うが聞いてみる。
 男は何故か苦笑いして顔を横に振る。
「いや……一般人で……怪しい者ではありません。
 って突然こんな所で話かけてきたら怪しく感じますよね。
 フジラと言います。
 別に貴女の邪魔をする気はないんです。でも出来たらは止めませんか?
 貴女ここで自殺してしまうと何か妙な事になりそうで……」
「は?」
 フジラという男が言わんとしている言葉の意味が理解出来ず今度は先程とは違った抜けるようなトーンの「は?」を返してしまった。

 このまま男を無視して飛び降りでも良かったのだが、男の言い分も気になりそれを曖昧にしたままにするのもモヤモヤが残り気持ち悪い。
 話を聞くために口を開いた時、地面から気持ち悪い振動を感じる。
「え。地震?」
 反射的につい近くの手すり縋りついてしまう。自殺をしようとしているのだから、そのまま落ちたらいいのだろうが、この行動はとっさの条件反射のようなもの。
 俯いていたので、足元の地面がひび割れて崩れていっているのが見える。
「危ない!」
 男の声が聞こえて、フジワラの手が私の腕が私の方へと伸ばされる。私もその腕につい縋る。
 フジワラが私を抱きしめるようにして手摺の内側へと引き寄せてくれた。
 二人で抱きあった姿勢のまま手摺の内側で座り込む。揺れが激しく立ってられなかったこともある。
 助かったと感じたのは一瞬だった。地面のヒビは生き物のように広がり、硝子細工のように砕けている。不安定な足元の為に動く事も出来ず、私が出来たのはフジワラに抱きつくことだけだった。
 フジワラも私を庇うように抱きしめてくれた。
 私とフジワラの身体は、抱きしめあったまま崖の下まで堕ちていく。崩れていく地面と共に。
 落下しているというのに不思議と恐怖は感じなかった。唐突すぎる出来事であったことと、護るように私を包む温もりがあったから。抱きしめるられたフジワラの身体から感じだのはフローラルな柔軟剤の香りと清潔なシャンプーの香り。
 それが私が人生最後から三番目に覚えた感覚。次に自分とフジワラの身体が潰れる音が聞こえ、視界がブラックアウトした。後に感じたのは闇だけ……。
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