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第四種接近遭遇

猪口令糖?

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 私は落ち着かないモゾモゾした気持ちを持て余しながら日常生活を過ごしていた。
 気分もホワンホワンとしていて、ほろ酔い気分に似た状態。実際私は酔っぱらっていたのかもしれない。お酒でなく清酒さんという存在に。
 そして我に返ると、桜がそこら中で咲き乱れ、季節は春爛漫となっていた。
 お試し期間とやらは、一ヶ月弱でうやむやとなり、気が付けば本格的に恋人係生活に突入。
 週末はどちらかの部屋で過ごし、一緒に朝食を食べデートを楽しむ。それはもうウキウキラブラブな生活である。
 一昨日も桜の咲いた公園でデート。
 私の手作りの弁当広げ、水筒に入った清酒さんが淹れてきてくれた珈琲を楽しみイチャイチャする。そんな週末を楽しんでいた。
 何だろうこの洋画のラブロマンスのような素敵な恋愛は。
 本人は真面目だが青春コントのような高校時代の恋愛。ラブコメみたいで今だから笑える大学時代の恋愛とエライ違いである。
 今までの恋人が悪いのではなく、清酒さんが素敵過ぎるのかもしれない。いつもは冷静でクールな大人。
 普段はそうなのに二人きりだと、チョット、嫌、とってもエロくなる。そのギャップにもドキドキする。

「最近、えらく上機嫌だけよね。そういう企画だけど、何か文章のテンションが高くない?」
 井上先輩が、原稿のチェックをしながら時にそんな事を言われてしまった。
 人間って単純な生物である。幸せだと世界が輝いて薔薇色になる。それが行動にも文章にも現れていたようだ。
「春ですから!」
 そう誤魔化しておく。慕っている井上先輩とはいえ、流石に清酒さんとお付き合いを始めた事は秘密にしている。
 知られてしまうと清酒さんが仕事がしにくくなりそうだから。
「頭の中に?
 さては、彼氏が出来たとか」
 冷たい先輩の言葉に私はハハハと誤魔化し笑いをする。
 彼氏が出来たからと、仕事中も浮かれていたわけではない。弛んでいては社会人として失格だと。気を引き締める。
「まあ、楽しんでいるなら良いけど。悪い男に捕まっていたりしないでね」
 冗談と思って私は笑うけれど、先輩の目は真剣である。
「大丈夫ですよ! 人見る目ありますから!」
 私は先輩の不安を払拭するために力強く答える。何故か先輩はヤレヤレという感じで首を横にふる。
「アンタお人好しだから、ダメ男にフラリとしそうで。相手の男も私がチェックしようか?」
 私はどれだけ危なっかしい人に思われているのだろうか? 首を傾げてしまう。
 『彼氏が出来たら、悪い男じゃないかみてあげる』
 玲奈さんにもそう言われている。コレは別の理由だろう。
「こんにちは。マメゾンの清酒です」
 タイミングが良いのか、悪いのか清酒さんがここで来社して少し慌てた。
 咄嗟に業務用な笑顔を清酒さんの方に向き直る。そして清酒さんが一人ではないのをみて首を小さく傾げてしまう。
 清酒さんが、ミディアムヘアーの小柄の可愛らしい女性を連れていたから。淡いピンクのフワフワしたワンピースがよく似合っている。
「あれ? 清酒くん、とうとう担当変更?」
 その姿に気が付いた羽毛田編集長が、私より先に清酒さんに声をかけ近付いていく。その編集長の言葉に、清酒さんからそんな話を聞いてなかったから驚く。
 清酒さんはその言葉に苦笑して首を横にふった。しかし清酒さんの否定の意思をみて少し納得する。
「いえ、残念ながら今年も移動はありませんでした。変わり映えしない顔がここに通いますがご勘弁してください」
 私は、担当変更になった訳でもない事にもホッとした。しかしやたら存在感のあるその隣の女の子が気になる。
 目はつぶらで大きいのに、更にツケマやアイメイクで大きく見せている。
 唇にも頬にも輝きを与えるメークで全体キラキラというよりキランキランとした印象。
 今風の頬にピンクのチーク。ガーリーなワンピースという事もあり、お人形さんのように見えた。

 アイドルにでもなれるのではないかと思う程可愛いい。スーツ姿の清酒さんとの組み合わせがなんか不思議である。芸能人とマネージャーのようだ。
 この雑然とした編集部で、チョットしたパーティーでも大丈夫な感じの装いが浮いていた。
 編集社の皆も同じようにその子が気になるのか注目している。その視線に晒されながらもニコニコ出来ている。そういう所から、かなりの強い心臓の持ち主なのか、慣れているのか。
「あらら、今年も駄目だったのか、残念だったね~ボクとしては嬉しいけどね」
「そう言って頂けるのは嬉しいです。でも今年こそは行けると思っていたのですが。なかなか」
 編集長だけは気にしてないのか、清酒さんと話を続けている。
「そう言えば、先日の企画。
 君のお陰で良い感じに進んでいるよ――」
 話題は仕事の事になったので、私は井上先輩から離れ席に戻り自分の作業をすることにする。
 田邉さんも加わり、四月の特集号の具体的な話になっているので長引きそうだ。
 清酒さんはもう関係ない筈だが、最初の橋渡しという重要な役割を担ってくれた。経過を説明して上手く進んでいる事を伝えたかったのだろう。
 話が終わったら声をかけてくるだろうから私はパソコンに向かう。いつものように冗談を交え会話を楽しむ三人。
 一緒にきた女の子が少し焦れたような表情になってくる。清酒さんに甘えるような感じで近付き腕をそっと触ってきた。私はその馴れ馴れしい動作にンッ?と思う。
 清酒さんは若干眉をよせその子の方を向く。その子は清酒さんが顔を向けてくれた事で嬉しそうだ。
 清酒さんは小さくため息を付き編集長の方に視線を戻す。そして会話を再開させてしまう。その子は不満気な表情に戻るけれど、すぐに深呼吸をして笑みを作る。
「あの! 私、今度マメゾンの営業部に配属された、チョコと申します」
 突然三人の会話を遮って挨拶してきた女の子にポカンとしてみる編集長と田邉さん。しかしその子は二人の視線を受けて満足そうだ。頭をペコリと下げてからニッコリと華やかで綺麗な笑みを浮かべる。
 綺麗な女の子特有の、自分を一番良く見せる具合が分かって作っている笑み。
「チョコレートです」
 そう言いながら、何故か名刺を二人にスッと差し出す。 
 編集長も田邉さんも、苦笑しながらもその名刺を受け取り、名刺は返さず名乗り挨拶だけを返す。
「すいません。礼儀知らずで。
 毎年この時期恒例の新人顔見せです。四月よりウチにコレが配属されました。しかしこのようにまだまだ学生気分が抜けない子供なので、色々鍛えてやって下さい。
 チョコレートです」
 清酒さんはそう、その女の子を紹介する。私の耳が可笑しいのだろうか?『チョコ』とか『チョコレート』としか聴こえない。
 清酒さんの所は、新人に全ての取引先を挨拶周りさせる。客先を覚えさせるとともに、度胸付けさせる研修をの為のようだ。今年の新人さんはこう言う感じかの女の子なのか、と繁々観察してしまう。
 恐れ知らずで、視野が狭い。まだ社会人として丁度良い装いが解らず全力でお洒落し過ぎてドレスコードがズレている。
 色んな意味で幼くそこが『カワイイのう~』と上から目線で思ってしまった。
「え~! 子供じゃないですよ~。名刺も作法に乗っ取って渡せましたし!」
 明るく元気だが、社会人としてどうかと思う幼い言動に編集部の皆は笑う。その子は自分の言葉が好意をもって受け止められていると思ったのか、得意気である。本当に笑われた事に気が付いてない。
 井上先輩だけは顔をしかめている。
 彼女は社会人としてのマナーには厳しい。私も入社時から今に至るまで、厳しく細かく指導されている。そんな先輩からみて、指導しがいのあり過ぎる状態なのだろう、マメゾンの新人は。編集長は名刺を見て面白そうにニコニコする。
「『ちょく れいこ』ってチョコレートみたいで美味しそうな名前だね~」
 編集長の若干セクハラスレスレの言葉。
「そうなんです~よくそう言われて困るんです~。でも~雰囲気はチョコレートよりもマカロンとか可愛い御菓子のイメージなのですけどね」
 そんなとんでもない言葉を返す。ここにも珍名な人が。しかもフルネームで珍名とは、親は何を考えていたのだろう。
 彼女はむしろそれを楽しんでいるようだ。嬉しげな声で返しつつ、自分で自分を可愛いと凄い発言をする。
「しかも『ちょく』って『お猪口ちょこ』と書いて『ちょく』なんだ!」
 田邊さんが会話に加わる。その女の子名前の漢字が気になっていただけに判明してスッキリする。成る程と、私は頭のメモリーカードに『猪口』と入力。それに『チョク』とふりがなを振り心に刻む。
 会った人の名前を覚えるのはこの業界で重要だからだ。『れいこ』は『玲子?』『礼子?』『麗子?』かなと、考えていた。
「珍しいでしょ? 大抵『ちょこ』か『いのくち』さんって言われます♪
  でも呼び方はチョコでも構いませんよ~」
 これが昔清酒さんの言っていた珍名のいい所。そのネタだけで最初の五分は会話が困らない。珍名で生きてきただけに笑いネタも多い。
「しかし、清酒と猪口なんて面白い組み合わせだね~凄い名コンビの誕生かな?」
 田邉さんの言葉に猪口さんはキャッキャと笑う。
「名物ペア目指して頑張ります♪」
 清酒さんの腕に抱きつくように絡め、その言葉を笑顔で言い放った。それまでその子の言動を微笑ましく生暖く見守っていた私の眉が寄るのを感じる。
 『ね♪』と甘えたように清酒さんを見上げるけれど清酒さんは不快げに眉を寄せ、腕を引き抜いた。
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