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イタリアン・ロースト

コレはコレで

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 会社を出て俺は真っ先に煙草さんの誕生日を祝う予定だった店に向かう。もう店は閉店まで一時間を切っており閑散としていた。俺が店に入ったのに気付いたオーナーが笑顔で迎えてくれるが、ここで繰り広げられるはずだった素敵な時間がもう取り戻す事も不可能と思うと虚しくなる。
 オーナーからケーキとエールを受け取るが、俺のせいで落胆しているであろう煙草さんに会いにいくのが辛い。落ち込ませてサプライズという形を望んでいたわけではないのに、何故こんな事に……。再び猪口に対する怒りがび再燃してくる。

 重い足取りで電車に乗り、煙草さんのアパートのある駅へと向う。電車の中でその間もスマフォを手にどう自然に連絡を入れるか惱が、どう話しても不自然で微妙な結果になりそうに思える。
 煙草さんの住むアパートのもより駅についたところで覚悟を決めて電話をかける。長めのコールのあと繋がる音がするが直ぐに煙草さんの声はしない。
『……もしもし』
 普段では考えられないほどテンション低い声が聞こえる。コレはかなり落ち込んでいる。謝る俺に『お仕事なのですから仕方が無いです』と気遣う言葉発してくるけど抑揚が少なく虚ろな感じに聞こえる。
「ゴメンこんな時間だけど、今から君の部屋に行って良い?」
 なるべく優しい声でそう聞いてみると、また少しの間があく。
『……別に構いませんけど……』
 会ってはくれることに少しホッとするが、いつになくローな口調の煙草さんが怖い。重くなる足取りを必死で動かし煙草さんのアパートに向かう。ベルを鳴らすとドアが少し開き、煙草さんが顔を出す。
「こんな時間に、どうしたの?」
 チロっと見上げるように聞いてくる様子は怒っている訳ではないが機嫌が良いわけでもない。不機嫌な猫のようにジーと俺を見上げている。なんで俺、誕生日にこんな顔させてしまったのかと辛くなる。
「今日は本当に悪かった。そしてこんな時間にゴメン、でも君に今日中に渡したかったから」
 俺はケーキの入った紙袋をソッと渡す。煙草さんはハッとしてそしてジーと紙袋の中を覗き込む。
「あっ」
 そう声をあげ、俺に視線を戻す。煙草さんの目に光が戻る。
「本当はちゃんとしたお店で食事した後に食べるつもりだったけど、俺が突然の残業でそれも出来なくなってしまってゴメン。でもお店にケーキだけは残してもらっておいたんだ。ケーキだけで申し訳ないけれど誕生日おめでとう」
 煙草さんのキラキラした目が潤み出す。
「気に入って貰えると良いけど」
 そう言いながらプレゼントを渡すと、プレゼントの袋をジっと見つめながらフルフルと震えている。
「……ありがとうございます……何と言ったらいいのか……。
 あっ、今日が私の誕生日なんて何故知っているんですか?」
 俺を見上げてくるその瞳は喜びからかウルウルとしていた。そんな泣きそうになる程感動してくれるなんて……。その表情を見ているだけでドキドキしてくる。
「気付かないわけもないし、忘れるわけもない。君のメールアドレスにシッカリ表記されているから」
 なんか言葉を重ねるごとに、煙草さんの瞳がどんどん潤んでいく。俺はその瞳から目が離せなくなってしまう。
「今日ちゃんとお祝い出来なかった分、週末ゆっくり盛大やろう……今日はこんな遅くで本当にゴメン……」
 煙草さんはブルブルと顔を横にふる。そんなに振ったら涙が溢れてしまう。
「ありがとう!! もっとこの私の今喜びを表現したいけど、これ以外の言葉が出てこないけど、すっごく感動したし嬉しい。本当にありがとう……
 人生で一番うれしかったバースデーになりました」
 そんな可愛い事言われると、俺も嬉しくなる。しかし涙目で見上げられる、俺がヤバい。
「その笑顔が見られて俺も嬉しい。じゃあ、もう遅いから……今日は」
 週の半ばに二人とも明日仕事。このまま淫蕩な夜を過ごす訳にはいかない。紳士に見える笑みを浮かべ辞す言葉を出す事にする。しかし煙草さんは俺の背広の裾をキュッと掴んできて上目遣いでみつめてくる。
「ケーキ一緒に食べませんか?」
 潤んだ熱い視線、俺を離さないという仕草。コレは男にとって溜まらないだろう。それでなくても怒り、呆れ、嘆きといった方向に感情をマックスに振り切ってきた後だけに、コチラも方面に気持ちが傾くのも理性で止められる筈がなかった。
「お言葉に、甘えて」
 俺は邪な下心をニッコリとした笑顔で隠してそう答えた。
 煙草さんの部屋に迎え入れられて最初に感じたのは焼き鳥とアルコール飲料の香り。部屋のテーブルの上には缶詰の焼き鳥と、アップルパイと缶チューハイ。よく分からない組み合わせのモノがのっているが、誕生日に、こんな侘しい食事させてしまった事に申し訳なさを感じる。彼女ならバースデーを祝ってくれる友達もいたはだろうに。
 煙草さんは慌てたようにテーブルの上にプレゼントとケーキの箱を置いて焼き鳥と缶チューハイの缶を冷蔵庫にしまう。いつもな感じお茶目な様子の煙草さんに和む。強引に俺を座らせパタパタとキッチン部分に走っていく。
「座っていて! 今珈琲入れるから」
 テーブルの前に座ってふと見慣れぬモノを見つける。テーブルを囲むように置かれたぬいぐるみ。えらくリアルに作られたペンギン、犬……そしてグレーの猫。
「この子ら、どうしたの? 誕生日プレゼント?」
 マールを思い出させる、少しポッテリとしていてジトっとした目つきの猫。つい手にとってしまう。しかしマールとは違って文句をいうわけでもない。大人しく俺の手に抱き上げられる。
「いえ、以前からいたことはいたの。清酒さんが来ているときはクローゼットの中で待機してもらって……」
 どんなに閉じ込めても出てきて俺と初芽の邪魔をしてきたあの猫と違い、コイツはぬいぐるみだけに大人しくて可愛いものである。部屋の中に珈琲のよい香りが満ちる。俺が一番落ち着く香りが煙草さんから薫ってくる。
「なんでそんな事、別に構わないのに。ぬいぐるみなら俺達を邪魔してこないから、いても気にしないのに」
 俺はブニブニと猫のぬいぐるみの頬を揉む。
「でも、子供っぽいと思われそうで」
 恥しそう俯き加減でに淹れた珈琲を俺の前に置く。
「そういう繕いは、逆に止めて欲しい。俺に対して変に無理されるのって、なんか嫌だ」
 そう言ってから、それがかなり俺の本音である事に気がつく。いつも気をはっていて俺の前ですらいつも意地をはっていた初芽。それが俺には堪らなく嫌だった。
 俺は猫を放り投げ、煙草さんに手を伸ばしその頬を撫でる。
「無理していたわけではないよ、ただ、少しでも清酒さんの前では、大人の女に見せたくて」
 俺の為と言ってくれるところは可愛い。でもありのままの自分を出した煙草さんでいてほしい思う。
「大人な事は分かっているよ。充分に」
 そう言うと何故か煙草さんは、ハハハと困ったように笑った。
 そのまま二人だけの誕生日パーティーを始めることにする。注文していたケーキは思った以上の出来栄えで、煙草さんはそのケーキを見てまた感動して喜びを弾けさせる。二人だけという空間の為他に遠慮する事もなく、二人で身体をくっつけるような位置で誕生日をイチャイチャと祝うというこの状況。コレはコレで良かったのかもしれないとも思う。

 プレゼントのペンダントを煙草さんの首に俺がつけてあげるという行為も、何だろう征服力を満たされるというか妙な快楽を覚える。また付けてあげているときの少し擽ったそうにする様子がまた男にとってそそるものがある。そのペンダントのつけられたうなじにキスをしてしまう。身体を竦め赤くなりながら振り返る煙草さんに『カワイイ似合っているよ』と言いながら今度は唇にキスをする。素直に俺のキスに応えてくる。キスが甘いのはケーキを食べた後だけでないだろう。
「清酒さんゴメンネ。もう電車なくなってしまったよね」
 そう言いながら少し身体を離して火照った感じで赤くした顔で見上げてくる。
「そうだね、今日はもう帰れないかな?」
 俺が澄まして応えると煙草さんは、俺の身体を軽く抱きしめてくる。
「……じゃあ、お風呂入る?」
 『じゃあ、泊まる?』とか、『ならばこのまま一緒にいよう』とか色々な言葉を考えたのだろう。そして結果自分で思っていた以上に大胆な言葉を言ってしまったようでバタバタ慌て出す。
「そうだね。だったら一緒に入る?」
 そう訊ねると、湯あたりしたのかというくらい顔を真っ赤にさせて顔を横にブルブルふる。
「一人で入って!! うちのお風呂狭いので!! お風呂用意してきますね! あと私は先に入ったので、大丈夫です! はい!」
 そういって俺から逃げだすように離れていってしまった。煙草さんの場合逆にここまで意識させてしまうと照れすぎてセックスに持ち込めない。ここは素直にお風呂に入る事にした。そしてお風呂で今日の仕事での疲れと汗とを落しサッパリした気分でリビングに戻ると、煙草さんは俺の壁にかけている背広をジーと可愛く見つめている。そして手を伸ばして背広の胸のところを撫でている。その動作がなんともエロく感じてニヤリとしてしまう。
「俺のスーツ見つめ、何を考えているの?」
 俺がそう声かけると身体を震わせて驚き、俺の方を見て顔を赤くする。その目が腰にタオルを巻いただけの俺の身体の上を慌ただしく動く。
「そんなに、照れられると、俺の方が恥ずかしくなるよ」
「清酒さんの着替え今後のためにも用意しとかないとね。そんな格好のままじゃ寒いよね、私の洋服でも何か羽織る?」
 照れて外していた視線を俺に戻し、顔を傾げそう訊ねてくる。羽織るモノよりも煙草さんが欲しい。
「確かに着替えが置いてあると、もっと気兼ねなく泊まれるていいかも。まあ今日はこのままで勘弁して。
 でさ、湯冷めしないように暖めて、タバさん」
 そう言いながら少し屈んで煙草さんにキスをする。煙草さんの腕が俺の身体に巻き付いてきてギュッと抱きしめてくる。誕生日を祝った事がそんなに嬉しかったのだろうか? この夜の煙草さんはいつになく積極的だった。俺の名前を何度も呼び『好き』『大好き』を繰り返す。そんな事されると俺も堪らない。平日なのにドップリ長く深く愛し合ってしまった。
 次の日の朝、一旦部屋に戻るために朝五時すぎに煙草さんと早過ぎる朝食を食べ部屋を出る事にする。
「ごめんね加減してあげらなくて。平日なのに」
 玄関で謝る俺に煙草さんは顔を横にふる。
「私もそうしたかったから」
 そうやって恥ずかしそうに言い俺を見上げる。見つめあっているとその顔がフッと真剣な表情になる。その顔がやけに大人っぽく見えた。
「……あの、清酒さん」
 煙草さんが視線をそらす。らしくなく何か言いにくそうに言葉をそこで止める。
「なに?」
 俺は優しく見える笑みで続きを待つが、煙草さんは困ったような顔をして俯くだけで言葉を続けない。
「どうかした?」
 そう聞きながら、煙草さんの頬を撫でる。煙草さんは撫でられた猫のように目を細める。
「……お仕事がんばってね。……寝不足だと思うけど」
 顔を少し赤らめ唇を少し尖らせそういう煙草さんはいつもの煙草さんだった。俺はフフっとつい声出し笑ってしまう。
「煙草さんこそ、身体の方大丈夫? 今日は無理しないで頑張ってね。まだ仕事まで時間あるから煙草さんはゆっくりして」
 そう囁きその突き出した唇にキスする。
「……いってらっしゃい」
 照れを隠しそう言ってくるその言葉がなんか嬉しい。
「なんかその言葉良いよね。嬉しい。
 じゃあ、行ってきます」
 俺の言葉に嬉しそうな笑み浮かべ手を振って送り出してくれた。俺は電車の中で『いってらっしゃい』という煙草さんの言葉を思い出しムズムズとした嬉しさにニヤニヤしていた。週末まであと二日。しかし昨晩煙草さんから貰った元気で頑張れそうだ。俺は電車を降りて着替える為に自分の部屋へと急いだ。
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