今日の夜。学校で

倉木元貴

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9話

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「羽山、大丈夫なのか?」
 
「大丈夫だよ……理科室も……きっと何も起きないよ……」
 
 羽山の様子がおかしい。
 いつからおかしかったのだろうか。体育館を一緒に覗いている時はいつも通りだった。それから、渡り廊下を渡っている時に覇気をなくして校舎に戻って……いつもの羽山に比べれば、今日はずっとおかしかった。
 って、そうじゃない。今は羽山をどうにかしないと。
 校長室の電気が付いた頃は、僕も心臓がバクバク鳴って冷や汗も出ていた。でも、時間とともに、心臓の音も冷や汗も引いていた。僕よりも強心臓な羽山に限って、まだ焦って息が整わないとは考えづらい。となると、これは羽山の持病。そうだとしたら僕にできることはない。
 いやある。
 僕にできること。それは、怒られるのを覚悟して、校長室にいる人に助けを求めることだ。
 壁にもたれかかって、荒く呼吸をし、汗を垂れ流して、今にも意識が飛びそうな羽山を、背中で抱えて、校長室を目指した。
 
「羽山、大丈夫か?」
 
「……大丈夫だよ……ちょっと横になれば、直ぐに治るから」
 
 羽山は今横になっているつもりなのだろうか。
 僕に背負われていることも分からないなんて、余程状態が悪化しているのだな。でも安心してくれ、もうすぐ校長室だ。
 いざ校長室の目の前に立てば、緊張でドアをノックしていいのか不安になる。普段から中に入ることなんてなく、6年間ここの学校に通っているけど、中に入ったのは片手で収まるくらいだ。
 僕が意を決してノックをしようとした時だった。
 
「そこに誰かいるのかね」
 
 中から声がした。
 その声はよく聞く声だけど、一方的に聞かされることが多い声だ。集会や朝会そんな時以外に聞くことのない校長先生の声だった。
 校長室の電気が付いていたから、そうではないだろうかと思っていたけど、それを目の前にすると緊張する。
 
「先生! 助けてください!」
 
 扉を開けて中に入る勇気はなく、外からそう声をかけた。
 
「うちの生徒かね。一体どうしたんだ」
 
 校長室の扉のすりガラスに、黒く大きな人影が映った。
 恐れ慄いて後退しそうになるが、羽山のピンチだと言い聞かせ我を保った。
 ガチャ 
 と音を立て扉が開いた。中からは無性髭を生やした白髪でメガネをかけた校長先生が出てきた。
 
「先生! 羽山の様子が変なんです」
 
 校長先生は僕から羽山を受け取ると、校長室に設置してある2人掛けのソファーに寝ころばせた。「保健室に行くから、様子を見ておいて」と、僕に羽山を任せて、鍵がたくさんついた木の板を持って、校長室を出ていった。
 羽山を任された僕は、帽子と靴と靴下を脱がして、肩を軽く揺らした。
 
「羽山……大丈夫?」
 
 荒く、全身で息をしている羽山は、僕の言葉が聞こえてないのか無反応だった。
 校長先生が帰ってきて、冷凍庫にでもあった保冷剤を使って身体を冷やし始めて。
 
「こんなことは君に頼むべきじゃないけど、福井商店前の自動販売機で、飲み物を買ってきて欲しい」
 
 校長先生はズボンのポケットから財布を取り出し、僕に夏目漱石を手渡した。
 こんな大金を手にしたことがない僕は、手を振るわせながら夏目漱石を受け取った。
 無くさないようにと手で強く握りながら、中央階段に置いてある靴を履いて、中央出入り口から外に出た。ここから自動販売機までは一直線だ。この距離からでも自動販売機の明るい灯りが漏れ出している。その明かりを目掛けて僕は走った。
 自動販売機に行くには、学校前の道路を横断しないといけない。普段は信号が赤に変わってから渡っているが、今回ばかりは大目に見てほしい。警察がいないかも要確認だ。
 自動販売機を前に僕は悩んでいた。羽山のために何を買えばいいのか。校長先生から千円を預かったけど、何本買えばいいのか。
 僕が羽山と話をするようになったのは昨日の今日の話だ。好みなんて何も知らない。僕らの教室に行けば、好みのものくらいは書いているだろうけど、気にも留めていなかったいなかったから、なんて書いてあったのか覚えていない。
 悩んでいる暇なんてないと分かっているけど、迂闊に自動販売機のボタンを押すことはできない。
 ここは、無難な水とお茶、それからポカリにしよう。
 買いすぎだと怒られるのだろうか。でも1人1本分あれば最悪なんとかなるだろうと思ってだ。
 500ミリリットルのペットボトルを3本抱えて、学校に戻った。僕が校舎の中に入ろうとしていたら、校門を車のライトで明るく照らしている人がいた。
 誰か来たんだろうか。
 疑問に思いながらも、今は早く飲み物を届けるのが先だ。
 普段は走れない廊下を全力で走った。慣れてない事をするから、何度か足を滑らせて転びそうになった。校長室の手前では、勢いに乗りすぎて通り過ぎそうになるし、止まる時に足を滑らせて太ももを痛めた。
 校長室の扉は開いていたから、ノックもせずにそのまま入った。
 
「買ってきました!」

「ありがとう。そこの机の上に置いといて」

 校長先生にそう言われ、ペットボトルを、眠っている羽山の隣にある、膝くらいの高さの机に並べる。
 
「先生……羽山は大丈夫なのですか?」
 
 羽山の顔あたりをうちわで仰いでいる校長先生に尋ねた。
 
「今は落ち着いているよ。もう少し遅かったら、危なかったかもしれない」
 
 安心感もあってか「よかった」の言葉と共にため息が出た。
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