上 下
51 / 52
第1章

52話

しおりを挟む
 俺は困惑した。なんせ、そんなことを言われたのは生まれて初めてだから。
 
「ム、ムー。そ、そそ、それは、どういう意味だ?」
 
 ムーも困惑していた。
 
「そ、そそそ、そんな大した深い意味は、な、ないです……。た、単に私も荷物をまとめましたし、別々の所にいなくてもいいのでは? と思っただけです……」
 
 俺は自分の考えていたことを後悔した。俺は何を期待して……。
 この話はもうやめよう。はあ~、この場に勝瑞も神もいなくてよかった。
 もしあの二人がいれば笑い者だけでは済まない仕打ちを受けていただろう。最悪の場合、俺は人間以下の扱いに……。考えるだけで寒気がする。この話ももうやめよう。
 
「それもそうだな。態々別荘まで俺を起こしに来るのも手間だもんな」
 
 そう言ってはみたものの、恥ずかしさが拭えるわけもなくムーの顔を見ることができなくなっていた。
 そんな俺が取る行動は一つ。ムーの顔を見ることなく静かに眠りにつくことだ。だから足が勝手に無理に別荘へと行こうとしていたがムーは服を掴んだまま放さなかった。
 
「よ、吉野川さん? どうしてそんなに早く別荘に行きたがっているのですか?」
 
 確信をつかれた俺は、精一杯に誤魔化した。
 
「今日は頭を使いすぎてもう眠たいからな。早く寝たいんだよな」
 
 無理はないはずと、思いながらもムーの顔を見られないからムーがどう受け取ったかは分からない。
 
「そうですか。では、ここの蝋燭を消し終わったら一緒に別荘へ行きますしょう」
 
 今だけは一人で別荘へ向かいたかった。だけど、こんな夜中にムーを一人きりにするのもという葛藤の末、俺はムーと一緒に別荘へ向かうことに決めた。
 会話は最低限にして、横に並べばどうしても顔を伺ってしまうから前と後ろになりたいな。
 ムーが蝋燭を消している間に手伝うこともなく一人そんなことを考えていた。そして俺は一つの案を思いついた。
 
「お待たせしました。蝋燭全て消し終わったので別荘へ向かいましょう」

「ムー。ムーも今日は疲れているだろう? 安心はできないかもしれないが、別荘までおぶるよ」
 
 歩き出そうとしていたムーを、背中越しに声だけで足止めをした。
 ムーは固まっていたのか、しばらく何も言わなかった。
 
「え? あ、あの、ど、どういうことですか? わ、私は大丈夫なので、早く行きましょう」
 
 ムーの「どういうことですか?」が俺の心には響いていた。
 こんなおっさんにおぶられても誰も嬉しくないよな。逆に気持ち悪いよな。
 心に傷をつけられた俺は、その場に座り込んだ。というよりは、力が抜けた感覚だった。
 それでもムーを待たせていると思った瞬間に申し訳ない気持ちが込み上げ、力は戻ってきたのだが、立ちあがろうとした瞬間に俺の背中に何かが触れ、蛇のように首に長い何かが巻き付いた。
 この状況で本当に蛇が巻き付いたならホラーもいい所だが、感触的にそれは人の腕だった。
 
「ム、ムー? いいのか?」
 
「私のことを気遣ってくれるのは嬉しいですけど、無理はしないでください。吉野川さんに倒れられても私じゃどうしようもできないので……」
 
 そう言われた俺の心に恥ずかしいという気持ちは、いつの間にか消え去っていた。
 
「ありがとう、ムー。ムーこそ無理なんかしないでくれよ。もしムーに何かあったら勝瑞に合わせる顔がないからな」
 
 俺がそう言ってからムーは口を開くことはなかった。まあいいか、そう思いながら夜の草原を歩いていた。響くのは風に揺られて音を奏でる草木と俺の足音だけ。
 別荘まではそう遠くなくて、着いてムーに声をかけるも反応はなかった。どういうことかは何となくで分かった。この状態で二階に上る自信はないから、ムーには悪いけど今日はソファーで我慢してもらおう。
 ムーをソファーに降ろし二階から客人用の布団を一枚拝借し、ムーの上へ被せた。
 ムーとは何だかんだ結構一緒にいるけどここまで深く眠っているムーの姿を見るのは初めてだな。
 眠気のせいか、無意識にムーの顔へと俺は手を伸ばしていた。頬に触れて、ムーが「う~ん」と声を出し漸く我に返った。瞬時にムーの頬から手を離し何事もなかったように二階へと上がった。
 ベッドに入りよくよく考えれば、誰もいなかったのだからないもしていない雰囲気を出す必要はなかった。疲労のせいで変な行動を取りすぎていた。
 今日はぐっすり寝よう。出発は最悪、昼になってもいいや。
 そう脳内で言い聞かせていたが、こういう時ってなんでか眠られないのだよな……。
 結局、俺は知らないうちに眠っていたけど朝は途轍もなく無不足だった。
しおりを挟む

処理中です...