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第106話 イ号第103潜水艦
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デ・ノーアトゥーンにあって、属領首府が定めた、根拠地隊将兵のための幾つかの料理屋兼宿のうち、「銀月亭」の一室のテーブルには、海軍第三種軍装を着込んだ一団がいた。
ほかの個室やテーブルにいる将兵たちが陽気に騒いでいるのに比べ、その一団は、ただ黙々と料理を口に運んでいた。
彼らは、一様に頬がこけ、顔色が青白く不健康そうな趣である。
かと言って生気が失せている訳ではなく、目は爛々と光り輝き、いかにも実戦を潜り抜けて来た強者のようであった。
「ねえアンタ。あの人たち、ちょっと変わっているわね。」
銀月亭の女将、セシルが、調理場にいた亭主のピーターに話し掛けた。
銀月亭は、ピーターとセシル、今年16歳になる娘のアレッテ一家が中心となり、住み込みの料理人と女給を使って切り盛りされていた。
「ああ、あの連中な。ほかの海軍さんに聞いたんだが、センスイカンっていう艦の乗組員らしい。何でも、水中を潜って行く軍艦だそうだ。」
ピーターは、調理の手を休まずに答えた。
「へえ、あの人たちの艦って、鉄製だろ。それが水中に潜るって、よく分かんないわね。魔術かしら。」
「さあな。お城の人は『物理魔術』とか言ってたけどな。俺にも分からんよ。ほれ、二品出来上がりだ。持って行ってくれ。」
ピーターは、話を断ち切るように、セシルへ料理を渡した。
「はいよ。」
セシルは、我に返ったように料理を受け取り盆へ載せると、客席へ向かって行った。
彼女に素性を怪しまれたのは、イ号第103潜水艦の乗組員たちで、およそ日光とは縁遠い艦内生活を長期間強いられることから、ほかの潜水艦乗り同様、運動不足に加え、生鮮食料品摂取不足からくるビタミン欠乏症のため、痩せて不健康そのものの表情をしていたのである。
ただ、ほかの艦艇と違い、普段から艦長以下同じ場所で生活をし、同じ食事を摂っていることから家族的雰囲気が強く、銀月亭でも、航海長が下士官兵とともに、個室でテーブルを囲んでいたのである。
何しろ、横須賀出航後、5、6日で生鮮食料品が底を尽き、こちらの世界へ転移後も、給糧艦浦賀から多少の補給を受けたのみで、基本、缶詰食生活を送っていただけに、交代で上陸して口にする食べ物は、何でも美味い。
「何じゃ、あいつら。湿気た面ァしやがって。」
トイレに立った下士官が開け放たれたドアから個室の中を覗き、酔った口調で呟いた。
「ほら、イの103の連中です。絡んじゃだめですよ。」
傍らの兵隊がなだめる様に言った。
「分かってらぁ。」
彼はそう応じると、自席へ戻って行った。
やがて、時刻が11時を回る頃、将兵たちは各々の定められた宿泊先へと向かい始めた。
艦隊がデ・ノーアトゥーンに出入りし、将兵が街で飲食や宿泊を始めてだいぶ日数が経ち、特に、民家に分宿している将兵は、その家の住民たちと懇意になる者も多かったので、上陸し飲食する度に、土産代わりに飲食物を持参する者が多かった。
ちなみに、艦の酒保で売られている日用品などは、こちらの世界では貴重なものもあったから、持参すれば重宝されると思われたが、上陸時に余計な物を持ち出すことは元々禁じられており、所持品検査もあったから、おいそれと持って行くとは出来なかった。
そんな訳で、飲食属領首府持ちで自腹を切る必要もないことから、料理屋で何某かの料理を小分けしてもらい、分宿先へ持参することが流行っていた。
だから、持ち帰りの注文が殺到する将兵たちの引き上げる頃合いが、料理屋にとって、ある意味最も忙しいときとなっていたのである。
嵐のようなひと時を終え、夜兎亭や銀月亭ほかの指定料理屋では、従業員たちが、ほっと一息ついていた。
「ねえ、ソーニャさん。」
「ああ、何か他人行儀ね。ソーニャでいいわよ。」
「呼び捨てはちょっと…。じゃあ、ソーニャ姉さん。」
「ソーニャか姉さんかどっちかにしてくれない。」
ソーニャは、改まって呼ばれることがむず痒いらしい。
「…姉さん。いつも閉店間際はああなの?」
ブリギッテが訊いた。
「そうよ、いつもああなのよ。どうかした?」
ソーニャが
「何を今更。」
という体で答えた。
「ああいう時って、いちいち注文を聞くんじゃなくって、何か簡単で持ち運びやすい物を作り置きして渡したらどうかしら。」
ブリギッテの提案に
「あら、良いこと言うじゃない。料理長や宿主と相談して何か考えましょうか。アンタもアイディアを出して頂戴。」
と、ソーニャは意外に乗り気であった。
「分かったわ。何か考えましょう。どうせなら楽をしなくちゃ。」
「だめよ、若い頃から楽ばかり覚えてちゃ。」
諫めるようにソーニャが言うと、ブリギッテは
「テヘッ。」
と言って、小さく舌を出した。
根拠地隊将兵たちが分宿先へ入り、料理屋や通りの店の灯りが消えると、街は静まり返って、犬の遠吠えと根拠地隊、属領首府合同の巡羅の足音だけが、街角に響いた。
沖合では、月光のほか、出雲以下の艦艇で最低限灯された明かりが、海面を
照らしていた。
その中で、デ・ノーアトゥーン港の桟橋に上手く横付けされていたイ号第103潜水艦の艦橋では、当直の士官と下士官兵のほか、非直の将兵の何人かが、休息と喫煙のために艦外へ出ていた。
現在は、「艦内休息丙法」であり、艦橋を降りたラッタルの傍には
艦内休息丙法 艦橋休息制限ナシ 艦上厠使用差支ナシ
と墨書きされた白札がぶら下がっていた。
だから、艦内にいた非直(休息中)の将兵が、思い思いに艦橋へ上がり、休息を取り、思う存分煙草を吸っていたのである。
何とも平和なひと時であった。
ほかの個室やテーブルにいる将兵たちが陽気に騒いでいるのに比べ、その一団は、ただ黙々と料理を口に運んでいた。
彼らは、一様に頬がこけ、顔色が青白く不健康そうな趣である。
かと言って生気が失せている訳ではなく、目は爛々と光り輝き、いかにも実戦を潜り抜けて来た強者のようであった。
「ねえアンタ。あの人たち、ちょっと変わっているわね。」
銀月亭の女将、セシルが、調理場にいた亭主のピーターに話し掛けた。
銀月亭は、ピーターとセシル、今年16歳になる娘のアレッテ一家が中心となり、住み込みの料理人と女給を使って切り盛りされていた。
「ああ、あの連中な。ほかの海軍さんに聞いたんだが、センスイカンっていう艦の乗組員らしい。何でも、水中を潜って行く軍艦だそうだ。」
ピーターは、調理の手を休まずに答えた。
「へえ、あの人たちの艦って、鉄製だろ。それが水中に潜るって、よく分かんないわね。魔術かしら。」
「さあな。お城の人は『物理魔術』とか言ってたけどな。俺にも分からんよ。ほれ、二品出来上がりだ。持って行ってくれ。」
ピーターは、話を断ち切るように、セシルへ料理を渡した。
「はいよ。」
セシルは、我に返ったように料理を受け取り盆へ載せると、客席へ向かって行った。
彼女に素性を怪しまれたのは、イ号第103潜水艦の乗組員たちで、およそ日光とは縁遠い艦内生活を長期間強いられることから、ほかの潜水艦乗り同様、運動不足に加え、生鮮食料品摂取不足からくるビタミン欠乏症のため、痩せて不健康そのものの表情をしていたのである。
ただ、ほかの艦艇と違い、普段から艦長以下同じ場所で生活をし、同じ食事を摂っていることから家族的雰囲気が強く、銀月亭でも、航海長が下士官兵とともに、個室でテーブルを囲んでいたのである。
何しろ、横須賀出航後、5、6日で生鮮食料品が底を尽き、こちらの世界へ転移後も、給糧艦浦賀から多少の補給を受けたのみで、基本、缶詰食生活を送っていただけに、交代で上陸して口にする食べ物は、何でも美味い。
「何じゃ、あいつら。湿気た面ァしやがって。」
トイレに立った下士官が開け放たれたドアから個室の中を覗き、酔った口調で呟いた。
「ほら、イの103の連中です。絡んじゃだめですよ。」
傍らの兵隊がなだめる様に言った。
「分かってらぁ。」
彼はそう応じると、自席へ戻って行った。
やがて、時刻が11時を回る頃、将兵たちは各々の定められた宿泊先へと向かい始めた。
艦隊がデ・ノーアトゥーンに出入りし、将兵が街で飲食や宿泊を始めてだいぶ日数が経ち、特に、民家に分宿している将兵は、その家の住民たちと懇意になる者も多かったので、上陸し飲食する度に、土産代わりに飲食物を持参する者が多かった。
ちなみに、艦の酒保で売られている日用品などは、こちらの世界では貴重なものもあったから、持参すれば重宝されると思われたが、上陸時に余計な物を持ち出すことは元々禁じられており、所持品検査もあったから、おいそれと持って行くとは出来なかった。
そんな訳で、飲食属領首府持ちで自腹を切る必要もないことから、料理屋で何某かの料理を小分けしてもらい、分宿先へ持参することが流行っていた。
だから、持ち帰りの注文が殺到する将兵たちの引き上げる頃合いが、料理屋にとって、ある意味最も忙しいときとなっていたのである。
嵐のようなひと時を終え、夜兎亭や銀月亭ほかの指定料理屋では、従業員たちが、ほっと一息ついていた。
「ねえ、ソーニャさん。」
「ああ、何か他人行儀ね。ソーニャでいいわよ。」
「呼び捨てはちょっと…。じゃあ、ソーニャ姉さん。」
「ソーニャか姉さんかどっちかにしてくれない。」
ソーニャは、改まって呼ばれることがむず痒いらしい。
「…姉さん。いつも閉店間際はああなの?」
ブリギッテが訊いた。
「そうよ、いつもああなのよ。どうかした?」
ソーニャが
「何を今更。」
という体で答えた。
「ああいう時って、いちいち注文を聞くんじゃなくって、何か簡単で持ち運びやすい物を作り置きして渡したらどうかしら。」
ブリギッテの提案に
「あら、良いこと言うじゃない。料理長や宿主と相談して何か考えましょうか。アンタもアイディアを出して頂戴。」
と、ソーニャは意外に乗り気であった。
「分かったわ。何か考えましょう。どうせなら楽をしなくちゃ。」
「だめよ、若い頃から楽ばかり覚えてちゃ。」
諫めるようにソーニャが言うと、ブリギッテは
「テヘッ。」
と言って、小さく舌を出した。
根拠地隊将兵たちが分宿先へ入り、料理屋や通りの店の灯りが消えると、街は静まり返って、犬の遠吠えと根拠地隊、属領首府合同の巡羅の足音だけが、街角に響いた。
沖合では、月光のほか、出雲以下の艦艇で最低限灯された明かりが、海面を
照らしていた。
その中で、デ・ノーアトゥーン港の桟橋に上手く横付けされていたイ号第103潜水艦の艦橋では、当直の士官と下士官兵のほか、非直の将兵の何人かが、休息と喫煙のために艦外へ出ていた。
現在は、「艦内休息丙法」であり、艦橋を降りたラッタルの傍には
艦内休息丙法 艦橋休息制限ナシ 艦上厠使用差支ナシ
と墨書きされた白札がぶら下がっていた。
だから、艦内にいた非直(休息中)の将兵が、思い思いに艦橋へ上がり、休息を取り、思う存分煙草を吸っていたのである。
何とも平和なひと時であった。
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