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第69話 ソーニャと花川海軍特務少尉

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 兵隊の前では、虚勢を張るくらいでなくてはならない。
 それが将校、士官である。

「確かに、孤独感から気弱になっていたのかも知れない。」

 鹿島少尉はそう思った。

 一方の花川少尉の方も、兵隊たちは、今は物珍しさと戦捷が意識を高揚させているものの、時間の経過で本来作戦と元の日本への気掛かりが増し、それが一気に噴出すれば、手が付けられないのではないかという不安があった。

 そのようになった時、指揮官が毅然としなければ、軍は秩序を失った烏合の衆と化すであろう。
 
 指揮官たる者、敵の空襲や砲撃の中でも、悠然と煙草を燻らすくらいの胆力を見せねばならない。
 兵隊は指揮官を見ている。
 指揮官が浮き足立てば部下も浮き足立つ。
 指揮官が希望を失えば、部下も希望を失う。
 
「八甲田山死の行軍」のとき、遭難した青森歩兵第五連隊では、将校が

「天は我を見捨てた。」

と言った途端に、周囲の兵隊が、あたかも機関銃で撃たれたように、バタバタと倒れて行ったとの逸話もある。
 
「目標が大事だな。偉い人たちはどうするのか。」

 花川は、兵隊たちの統率のほか、訓練や休養、補給にも目を配らなければならない高級軍人に、少し同情した。 

 ガラーン ガラーン…

 街の鐘が、日付の変わる30分前を告げた。
 デ・ノーアトゥーンの街では、每正時のほか、午後11時30分には、日付が変わる予告として鐘が鳴らされる。
 ちなみに、今日は、日本の暦では大晦日であるが、こちらの世界ではただの普通の日である。
 日本のように印刷されたカレンダーがある様子もなく、時計すら見当たらず、日にちや時間は、日の出、日没といった現象のほか、専ら属領主府が鐘の合図で庶民に知らせている模様であった。

 何かにつけ

「5分前。」

で急かされる海軍生活を送って来た花川にとっては、のんびりとして羨ましいのかどうだか、よく分からなかった。

 いずれにせよ、陸海軍の将兵は

「23:30までに宴を切り上げ、各自の宿舎へ戻るべし。」

と指示されてたから、酒場や料理屋では、それぞれの班の引率者が取りまとめる形で勘定を済ませ、点呼を取り、列を組んでそれぞれの宿舎へと戻って行った。

「日が変わるまでに宿舎へ戻らなければならない。路上での放歌呻吟無用のこと。」

とも指示されていたから、午前0時を回って外をふらついているところを巡羅に見つかれば、即刻上陸止め(外出禁止)である。
 へべれけになって千鳥足の兵隊もいたが、そこは同じ班の者が両脇を抱え、引き摺りながらでも宿舎へ戻って行った。

 鹿島少尉は、陸軍将校ではあるが、現在は仮の姿なので、花川少尉に礼を言ってから、目立たないように冒険者ギルドへ戻って行った。

 当の花川少尉の投宿先は、属領主府指定の夜兎亭であったから、ほかの将兵たちのように、あたふたと投宿先へ戻る必要はない。

「ハナカワさんは、ウチに泊まるんでしたわよね。」
「うん、お世話になります。」
「じゃあ、アタシと一杯付き合ってよ。」
「後片付けとかで忙しいんじゃあないのかい?」
「妹のターニャもいるしね、大丈夫よ。たまには息抜きさせてもらうわ。」
「じゃあ、ご相伴に与るとしようか。」

 花川は、多少呂律が怪しくなるほどには飲んでいたが、何故か頭の中はすっきりしている。
 だが、油断して飲み過ぎると、いきなりガクンと酔いが回り、撃沈する羽目になることは経験で分かっていた。

「まあ、あれだ。お手柔らかに頼む。」
「あら、ご謙遜を。なかなかイケるクチよね、あなたは。」
「いやあ、すったらことないさ。酔う時は酔うもんだべさ。」

 酔った時、花川は出身である北海道の方言が出てしまう癖があった。
「言葉の理」の魔術を介すると方言がどうなるのかは、聞いたソーニャにしか分からないが、尋ねてどうなるものでもないと思い、黙っておくことにした。

 ソーニャが、先ほどとは違う琥珀色の酒を小さなガラスの器に入れて持って来た。
 彼女自身の分もある。 

「アタシたちだけで乾杯しましょうか。」
「よしきた。乾杯!」

 兵隊たちと飲んでいた時とは違い、発声は控え目である。
 
 二人は、器をカチンと合わせ、乾杯した。

「ハナカワさんって、名前は何て言うの?」

 ソーニャが聞いた。

「俺の名はカズヒサっていうんだ。日本の文字で書くと…こう…だな。」

 花川がテーブルの上に「和久」と、指で水滴を引っ張り、漢字で書いて見せた。

「この名前はね『平和が長く続く』って意味があるんだ。兵隊の俺が言うと皮肉だろ?」
「あら、素敵な名前じゃない。」
「ソーニャさんは、姓名はひっくるめて何ていうんだい?」

 花川が逆に聞いた。

「アタシはね、『ソーニャ・ラムソン・タルトゥ』っていうの。あ、ラムソンっていうのは父親の名前なの。アタシの故郷では、父親の名前をどこかにくっ付けることになっているのね。だから、タルトゥが姓ってことになるわ。」
「ああ、そうなのか。」
 
「ねえ。ぶっちゃけ聞くけど、ハナカワさんって独身なの?」

 少し改まってソーニャが聞いた。

「ああ。三十路手前で独身だよ。おかげで自由を満喫できるって訳さ。」
「へえ。そうは見えないわ。ホントにホント?」
「食いつくねぇ、ソーニャさん。独身ってのは本当だよ。」
「あら、意味深ね。やっぱり彼女さんはいるってことね。」

 ソーニャは少しガッカリした様子で言った。

「いや、そうじゃなくて、正確にはいたことがあるんだよ。婚約者がね。」
「いたってことは、振られて婚約解消ってことかしら。見る目がない女だったのね。」
「いやいや、それもそうじゃなくて、気立ての良い娘だったよ。」
「じゃあ何で結婚しなかったの?」

 ソーニャはグイグイ押してくる。

「良い娘だったんだけどね。病気には勝てなかったのさ。」
「あら…ご免なさい。アタシったら何て無思慮なことを聞いちゃって…。」

 ソーニャは、バツが悪そうに頭を下げた。

「いやあ、昔の話だ。気にしないでよ。それに、戦争が始まる前の話だから、却って良かったとも思う。軍人はいつ死んでもおかしくはない。若くして未亡人とか、可哀想だしね。」
「そう言ってくれると助かるわ。はい、器が乾いているわよ。」

 そう言って彼女は、空いた花川の器に酒を注いだ。

「そういうソーニャさんはどうなんだい。器量が良いから、周りの男が放っておかないだろうに。」

 それを聞いたソーニャにスッと暗い影が走ったかと思うと、少し遠い目をして

「アタシはねえ、亭主がいたの。でもね、属領主府が旧公国派を鎮圧するとかって時に労役に駆り出されてね。それっきり還って来なかったのよ。事故で死んじゃったんだって、一緒に労役に行っていた村の衆が知らせてくれたの。目の前が真っ暗になったわ。だって、結婚してからまだ3か月しか経っていなかったのよ。だから子供もいないの。」

と言った。

「やべっ。今度は俺が地雷を踏んじまったかな。」

 花川は焦った。
 しかし、ソーニャは構わず続けた。

「アタシはその話を信じ切れなくて、自分で亭主を探そうと思ってデ・ノーアトゥーンの街へ来たって訳。でもね、あちこち探し回って、同じ現場にいたって人が見つかる度に話を聞くんだけど、亭主が陣地構築現場の事故で亡くなったって話がどんどん真実味を帯びて行って、正直絶望したわ。」

「どっかで聞いたような話だ。」

 花川は少し考えてから、万里の長城修築に関連した「孟姜女の伝説」を思い出した。

「あれは、孟姜女が修築現場で亡き夫の遺骨を見付け、故郷で手厚く葬ってから、後追いで命を絶つんだっけな。」

 重ね合わせると縁起でもない話になりそうなので、少し話題を変えてみることにした。

「良ければ、ソーニャさんの故郷の話とかを聞かせちゃくれないか。俺たちは、こっちの世界じゃ、デ・ノーアトゥーンの街しか知らないんだ。」
「あら、ご免なさい。ちょっと湿った話しになっちゃったわね。いいわよ。話してあげる。」

 ソーニャは、気を取り直したように話を始めた。

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