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第9話 邂逅

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  向こう側の世界の白い闇

  帆船ティアマト号

 ミズガルズ王国公船ティアマト号は、3本マスト、王国では大型船で、伴走の中型船アスターテ号を従え、グリトニル王国の属領であるブリーデヴァンガル島の属領首都でもあるデ・ノーアトゥーン港を目指していた。

 ティアマト号の主客は
 ミズガルズ王国第二王女 イザベラ・ラーシュニン・ファン・ミズガルズ
である。

 今年18歳のイザベラは、北部連合5王国の一つ、アースガルズ王国の第一王子へ嫁いだ姉同様、縁戚関係強化のため、グリトニル王国本国から、ブリーデヴァンガル島へ属領主代官兼属領首長として赴任する、王国第二王子
  セーデルリンド・グレーゲルソン・ファン・グリトニル辺境伯
へ嫁ぐことが予定されている。

 近々、辺境伯の着任式典名目で、属領首都デ・ノーアトゥーンのフェンサリル城を会場として、盛大なお披露目会が予定されている。

 グリトニル辺境伯は今年22歳、名君の器の誉れも高く、いずれ5王国のいずれかの王位を継ぐとの噂がもっぱらであった。

 姫に同行しているのは、
  侍従 アールト・フランク・ファン・デイク男爵
で、すでに60歳を超え老域に達しているが、若かりし頃は「鬼神」と恐れられた熟練の魔術師である。

 そのほかに、身辺の警護と世話掛かりを兼ねた近侍の女性
  アニタ(王国騎士)・22歳
  ドーラ(従騎士) ・19歳
  ハンナ(従騎士) ・17歳
  ヒルダ(従騎士) ・17歳
が付き従っている。

 アニタは正式な騎士で、相応の経験があり、ドーラも世話係として数年の経験を持つが、ハンナとヒルダは、軍から転身してまだ2年目で、まごつくことが多い。
 だから、近侍というより、年の近い話し相手感覚の存在であった。

 王都クラズヘイムを出発し、陸路1日と海路が3日目になる。
 海路が4日行程なので、遅くとも明日の午後までには、ブリーデヴァンガル島属領都にして最大の港町でもあるデ・ノーアトゥーンに入港し、そのまま、属領主の居城フェンサリル城で姫の歓迎夜会が催される筈であった。

「海は穏やかでございますな。ただ、随分と霧が出てまいったようでございます。」

 アールトがのんびりとした口調でイザベラ姫に言った。

 今、一同は、ティアマト号の艦尾艦長室手前の右舷側に設けられた貴賓室で過ごしている。
 部屋の真ん中に置かれた小さな円卓に向かってイザベラが椅子に腰掛け、侍女たちは文字どおり側に侍り、アールトは、右舷に設けられた窓から外を眺めている。

 3日前の船出以来、さしたる困難もなく航海は続き、アールトが最も懸念した姫の船酔いは、今のところ抑えられている。

 何しろ、今回の船旅が、姫にとっては沿岸の遊覧以外、初めての本格的船旅となる上、デ・ノーアトゥーンに入港以降、すぐさま貴族への挨拶やら、歓迎夜会への出席やら、行事が目白押しだからである。

「海神よ。あと1日、海を鎮めてくれ。」

 アールトの切実な願いだった。

「アールト、そう言えばビフレスト海峡諸島では、海賊が出没するのでそうですね。」

 イザベラが、一瞬ギクリとする質問を浴びせて来た。

「いかにも。商船などを襲う、不逞の輩がちらほら出没するとの噂は聞き及びます。」

 アールトは否定するでもなく、平然と答えた。

「本艦は王国屈指の軍艦でありますし、伴走船のアスターテ号もおります故、姫様におかれましては、努々ゆめゆめご心配など召されぬよう。この老体が姫様の安着を保障いたしまする。」

「無論信じておりますわ、アールト爺や。」

 イザベラはそう言って

「フフッ」

と微笑んだ。

 彼女は幼少の折、まだ壮年のアールトを「爺や」と呼んでは戸惑わせたのであった。

「それにしても…。」

 イザベラはアールトの背中越しに外を眺めながら

「ひどい霧が出たものね。まるで白い闇の中にいるみたい。」

 溜息混じりにそう言った。

「『白い闇の向こう側に別の世界がある。』と祖母が申しておりました。」

 ハンナが思い出したように言うと

「ハンナ、余計なことは口にするものではありません。」

 アニタがたしなめるように言った。

 しかし、ハンナの言葉を聞いたイザベルは

「あら、別に良いじゃない。『別の世界』って、死者の国とかじゃないんでしょう。何があるのでしょうね、却って楽しそうだわ。」

と言って、愉快そうに

「フフフ」

と笑った。

「いずれにせよ、海を航海する者にとっての霧は、厄介者に違いございません。」

 アールトが話を決め打ちするように述べた。

「そうね、何も見えないっていうのは、鬱陶しいには違いないですものね。」

 ここはイザベラも賛成する。

「それにしても、グリトニル辺境伯様って、どんな方なのかしら。お噂を伺う限りでは、素敵な方らしいですけど。」

 イザベラにとっては、霧よりもこちらの方が重大な関心事だった。

 何しろ、未来の夫とはいえ、噂の外は、絵師の描いた油絵しか情報がないのだから、彼女にしてみれば、楽しみと不安が半々といったところである。

「ねえ、アールト。気晴らしに、上甲板へ出てみませんこと。」

 突然、イザベラが言い出した。

「しかし、この天気では何も見えないでしょうし、そう気晴らしになるとも思えませぬが。」

 アールトは当然のことを言ったが

「それでも陰気な部屋の中よりはマシだわ。」

と、イザベルは少しむくれた様子で言った。

「仕方ありませんな。アニタ、姫に何か羽織る物を出してくれ。霧は時に肌を刺す。」

 アールトは、侍女のアニタへ、イザベラの服装の準備を命じると、自分は布の肩掛け鞄を取り出し、紐を首に通して襷掛けにした。

「あら、爺やも存外大袈裟ね。ちょっと甲板へ出るだけなのに。」

 イザベラが、少し冷やかしっぽく言うと

「姫様、これでございますよ。」

と言ってアールトは、片眼用の遠眼鏡を鞄から取り出して見せた。

「それこそ、霧で何も見えないでしょうに。」

 イザベラが皮肉っぽく言う。

「こんな霧、すぐに晴れるやも知れませぬ。」

 アールトはそう言ってから

「お前たちも付いて来るが良い。」

と侍女たちに向かって命じた。

「では姫様、参りましょうか。」

 アールトがイザベラを促し、一同は上甲板へ向かった。



  北東本面輸送艦隊

   令川丸艦橋 12月24日 15:45

  ジリリリりり
  
 艦橋の壁掛け電話が鳴った。
 当直士官が応対し、通話内容を復唱、報告して来る。

「電探室から艦橋、反射波!右30度方向、電測距離10ヒトマル。」

 令川丸の進行方向右舷30度、距離10㎞にレーダーが何かを捉えたのである。

 報告を聞いた南郷艦長が、直接電話に掛かった。

「数は分かるか。進路と速度はどうだ。」

 矢継ぎ早に質問を繰り出す。

「数は2乃至ないし3、進路300度方向、本艦の進路へ向かいつつあり。速度は推定5乃至6㌩。」

 目標の速度は、こちらの半分ほどである。

「ええと、頭の中だけだと分かりづらいな」

 そう言うと南郷は、ポケットから手帳を取り出し、鉛筆で簡単に図を描いてみた。

「このままの進路だと、あと30分前後で進路が交差します。」

 南郷が計算し終える前に、素早く計算を済ませた当直士官が報告を寄越した。

「分かった。」

 返事をした南郷は、内心苦笑しながら、手帳をポケットにしまった。

「距離が近いようだが、なぜもっと遠くで探知できなかったんだ?」

 南郷の質問に

「衰調が速くて深いため、反射波が弱かったのだと推察されます。おそらくは、木造船か何かだと思われます。」

と電探士から回答が返って来た。

 南郷は質問を重ねる。

「ほかは艦どうだ。目標に気付いているか。」
「分かりません。霧のため可視信号が不能のため確認できず。隊内電話なら交信可能。」

 先ほど、南郷から電波発射をきつく止められたため、大谷地が少し遠慮がちに返答した。

「やむを得ん。隊内電話にて、各艦の状況を確認しろ。特に、逆探の探知状況に注意せよ。」

 南郷は命じた。
 
「了解しました。隊内電話で各艦の状況を確認します。」

 大谷地が復唱し、同じ命令を当直士官に下達した。

 逆探とは、敵のレーダー波を探知する装置である。海防艦は、これを装備しているが、令川丸は載せていない。

 また、電探も令川丸は旧式で対空・対水上兼用の二一号電探であるが、海防艦は、水上専用の二二号電探と、対空専用の一三号電探をそれぞれ搭載しており、能力差があった。

「各艦、電探にて目標を補足中。電測結果は、ほぼ本艦と同一。なお、逆探に反応なし。」

 隊内電話に掛かっていた当直士官から、報告が入った。
 
 一応、目標からレーダー波が検出されていないということになる。

「畜生め。霧がなければ、もうとっくに目視できる筈なのに。」

 南郷は内心で毒付いてみたが、そうであれば相手からもこちらが見とおせることに気付き、苦笑した。

「いかんいかん。どうも負け戦が続くと気が短くなっていかん。」

 気分もそうだが、南郷は身体も熱くなって来ているように思えた。

 気が付くと、頭にもにびっしり汗をかいている。
 ふと隣を見ると、大谷地副長も、艦内帽を脱ぎ、ハンカチで汗を拭っている。
 いや、南郷や大谷地だけでなく、艦橋にいる将兵たちが同じように汗を拭っている。

「暑いなぁ。暖房の効きすぎだろうか。」

  汗を拭きながら、南郷が大谷地に話し掛けた。
 令川丸は、元は欧米航路用の貨物船だから、艦内の暖房は、ほかの艦艇より優れている。
 しかし、それも程度の問題である。

「いや、こりゃ堪らん。ちょっと失礼する。」

 南郷はそう言うと、手袋を外し、着ていた外套を脱いで椅子に引っ掛けたが、それでも暑い。

「副長、外套を脱いで構わんから、兵隊たちにも伝えさせろ。見ているだけで、こっちも暑苦しい。」

 そう言うと南郷は、艦内帽を脱いでまた額の汗を拭った。


 汗を拭きながら彼は、遠くで砲声を聞いたような気がした。
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