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第1章 精霊がいる薬屋

5、伯爵家のわんぱく坊主

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 リネール男爵夫人からちょっとした仕事をもらってから三日後の今日、私は少し緊張しながら乗合馬車に揺られていた。目的地はもちろん、ナヴァール伯爵家だ。

 伯爵家からの依頼は簡単な軟膏と痛み止めだったので、すぐに調薬が終わり、依頼を受けてから三日という早さで配達に来ることができた。
 今は午後で他の配達は午前中に全て終わらせたので、時間は気にすることなく配達ができる。素敵な伯爵家で美味しいお菓子をいただけたら嬉しいな……そんなことを考えながら馬車に揺られていると、豪華な邸宅が立ち並ぶ通りに着いた。

「ここからは徒歩で向かうよ」

 馬車から降りて周りに誰もいなくなったのでフェリスに声をかけると、フェリスは嬉しそうに私の周りを飛び回り、肩に着地した。

『はーい。調査は僕に任せてね』
「ありがとう。よろしくね。ご令嬢の好きなものと、他にも使えそうな情報があったら集めて欲しい」
『りょうかい!』

 初めて行く場所なので地図を頼りに進んでいくと、この辺りでも一際豪華な門構えの邸宅に辿り着いた。
 ここがナヴァール伯爵家か……もしかしたら、伯爵家の中でも名家なのかもしれない。失礼のないように気をつけないと。

「ヴァレリア薬屋のレイラと申します。伯爵様からのご依頼の品を配達に参りました。こちらがご依頼書です」

 厳しそうな門番さんに緊張しつつ声を掛けると、門番さんは意外にも人懐っこい笑みを浮かべて対応してくれた。

「連絡が来ている。依頼書を確認しても良いか?」
「はい。お願いします」
「そこの詰所で軽い身体検査を受けてもらって、屋敷に確認してから敷地内へ入ることができる。確認にはしばらく時間がかかるため、詰所内のソファに座って待っていてほしい」
 
 詰所の中に入るとまた別の兵士に応接室へ案内され、ソファーに腰掛けるとお茶とクッキーを出してもらえた。詰所でここまでもてなしてもらえるなんて、ナヴァール伯爵家はやっぱり余裕があるみたいだ。

「フェリス、クッキー食べる?」

 応接室に私達だけになったので小声で声を掛けると、フェリスは満面の笑みで頷いた。

『もちろん! 働く前には腹ごしらえをしないとね』

 そんな言葉ばっかり覚えてくるんだから……私は苦笑しつつ、クッキーを一つ手に取って鞄の中に入れた。こうしておけば、鞄の中でフェリスがクッキーを食べられるのだ。いつ誰が入ってくるか分からないので、さすがに見えるところで食べさせることはできない。

『いただきまーす』

 鞄の中からフェリスの楽しそうな声が聞こえてくる。このクッキーはシンプルながらも美味しいらしい。私も一ついただこうかな。
 大きめのクッキーを口に運ぶと、サクッと軽い音がして口の中に甘い幸せが広がった。凄く滑らかで軽いクッキーだ。歯ごたえがあるクッキーも美味しいけど、こういう繊細なクッキーも美味しいな。

 それからお茶を飲んで一息ついていると、応接室のドアがノックされてメイド服姿の女性が入ってきた。

「お待たせいたしました。屋敷へご案内いたしますので、私に付いてきていただけますか?」
「分かりました。よろしくお願いします」

 案内された応接室にいたのは、執事補佐の男性だった。私と同じぐらいの歳に見えて親近感が湧く。

「ヴァレリア薬屋のレイラです。この度はご注文いただきまして、ありがとうございます」
「こちらこそ依頼から数日での対応、誠にありがとうございます。そちらのソファーにお掛けください」

 勧められたソファーは思った以上にふかふかで、体が後ろに倒れそうになってとても驚いた。このソファー、うちにも欲しい。

「ではさっそく薬を見せていただけますか?」
「かしこまりました。こちらが擦り傷によく効く軟膏でございます。そしてこちらが痛みが強い時に使う飲み薬です。軟膏は患部を清潔に洗い流してから薄く塗り、その上から包帯を巻いてください。薬は毎晩ご入浴後に塗り直していただきたいです。痛み止めの方は大人の方なら一日二回まで、子供の場合は一日一回までです。二回飲む場合は必ず半日以上間隔を開けてください」

 私が説明しながら薬をテーブルの上に置いていくと、執事補佐の男性はメモを取りながら薬を確認し、数分で検品を終えて受け取ってくれた。

「高品質の薬をありがとうございます。代金を持って参りますので少々お待ちください」

 そうして男性が出て行ったので部屋には私だけになり、緊張から解放されて少し体の力を抜いた。
 案内された応接室の内装を見回すと、豪華な内装が目に入る。お洒落な壁紙に小さいながらも品のあるシャンデリア、部屋の壁には絵が飾られていて、大きな花瓶には花が生けてある。

 伯爵家ってこんなに格が違うんだね。今まで配達してきた貴族家は子爵家までだったから、その違いに驚く。
 大きな窓から見える綺麗な庭園には、美しい花々が咲き乱れ、見るだけで心を華やかに――

 ――え、あんなところに……男の子?

 そんな美しい庭園にある、綺麗に整えられた大きな一本の木の枝に、八歳ぐらいに見える男の子が得意げな様子で立っていた。

「危なくないのかな……」

 思わずそう呟くと、私とほぼ同時にこの屋敷の使用人達も男の子に気づいたようで、悲鳴に近いような声が窓越しに聞こえてくる。

「お坊ちゃまっ!! 危険ですから降りてください!」
「お、落ちて頭でも打たれたら……!」
「な、何かクッションになるものを持ってこい!」

 お坊ちゃまってことは、伯爵様のご子息なのか。凄くわんぱくな子なんだね……多分今回の依頼の薬はあの子用だろう。

「あっ……、危ないっ!」

 使用人が集まってきているから大丈夫だろうと高を括っていたら、突然男の子が足を滑らせて木から落ちた。咄嗟に木の幹に手を伸ばしたけどそれで勢いが弱まるはずもなく、一瞬のうちにどしんっと地面と激突した衝撃音が聞こえてくる。

「お坊ちゃまっ!」

 私は男の子が落ちたのを認識したと同時に、応接室の窓を開け放って外に飛び出していた。ここが一階で良かった。

「ヴァレリア薬屋の者です! 薬を持っていますのでご子息に近づいても良いでしょうか!」

 良かった。男の子は泣き叫んでいるけど、気を失ったりはしてないみたいだ。ここまで騒げるならそこまで心配はいらないだろう。

「わ、分かりました。薬師の方、よろしくお願いします」

 その場にいた使用人の中で一番身分が高いのだろう男性が許可を出してくれたので、私は男の子に近づいた。

「痛いよぉ……ひっ、……っ痛い……」
「初めまして。私は薬師です。怪我の状態を見ても良いでしょうか?」

 男の子の専属メイドだろう女性の隣にしゃがみ込んでそう声をかけると、男の子は泣きながらも薬師という言葉を信用してくれたのか、首を縦に振った。

 大きな怪我は三か所だ。木の幹を必死に掴もうとしたからか、右手の指先が摩擦で酷いことになっている。幸いそこまで力を入れられなかったのか、爪が剥がれているところはないようだ。
 そしてそれよりも酷いのが左足だ。足を滑らせた時に枝で切ったのか、大きな切り傷があり、いまだに血が流れ続けている。
 それから右足も……多分ここが一番酷い。ぱっと見では分からないけど、骨折してるはずだ。足の向きが少しおかしい。

「すみません。清潔な水と布、消毒液、包帯、骨折の添え木になるような木の板、これら五つがあれば持ってきていただけますか? それから薬を飲むためのコップと水もお願いします」

 私は後ろで右往左往している使用人達にそう告げて、鞄から薬箱を取り出した。配達では追加の薬を頼まれることもあり、基本的な薬は一通り持ち歩いているのだ。

 ヴァレリアさんからも、薬の処方に関しては一人前だと言われている。大丈夫、私にもできるはずだ。私は一度深呼吸をしてドキドキとうるさい心臓を落ち着かせ、男の子に向き直った。
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