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第3章 ハルシュタイン将軍とサリヴァンの娘
73 襲撃犯
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アリシア達5人の支度が整うと、アリシアは5人分の馬を集めてダーマットに幻影の結界を張ってもらった。その中に入ってアリシアは馬に術を掛けていく。馬たちに体力の自動回復と軽量化、更に追い風と空気抵抗軽減と、思いつく限りを掛けた。術を掛ける時はいつも通り精霊王ヴァルターが姿を現し、馬に触れて終わりだ。
そして馬に乗るとエンジュが先頭を走り、その後にアリシア、ダーマット、兵士二人が続いた。術の効果で馬たちはスイスイと進み、夕方には戦線に辿り着いた。この先に合流地点があるはずだが、手前でエンジュが馬を停めた。
「兄さん、どうしたの?」
地面をじっと見つめるエンジュに、アリシアが声を掛ける。しかし後ろから来たダーマットと兵士二人もハッとした顔をした後、地面を見つめた。
何かあるのだろうかとアリシアも注意深く地面を見つめる。この辺りは常に戦いがあった場所なので、兵士達に踏みしめられて草が生えていない。荒野の様な地面には痕跡があった。
「・・・・・・足跡?」
僅かに数人がうろついたような足跡が見える。アリシアの言葉にエンジュが頷いた。
「戦闘の後だ。しかもまだそれほど経ってない」
「え・・・それって」
顔色を青く変えたアリシアに、エンジュは安心させるように笑みを浮かべた。
「血も落ちてないから心配するな。とりあえず進もう」
そう言うとエンジュは再び馬を進ませる。ずっとギャロップで駆けて来たが、ここからはゆっくり行くようだ。エンジュが速足で馬を進ませるので、アリシアも合わせる。
ヴァルターは馬に掛けた自動回復が乗り手にも効くようにしてくれたようで、朝からずっとギャロップで駆けて来たというのに、それほど疲労感もない。気を沢山持っていったな、とは思っていたが、アリシアとしてはありがたい。心の中でヴァルターに礼を伝えながら、辺りを見渡す。
緩やかな坂を上っていくと、地面の起伏で見えなかった先が見えてきた。
「いたな」
エンジュの視線の先をアリシアも辿る。そこにはテントがいくつも張られた軍の野営地と、その周りで警戒に立つ魔国の兵士達が見えた。
こちらに気付いた兵士が奥へ駆けて行き、しばらくするとクラウスが出てきた。今回はいつもの将軍服を着ている。そのお陰で遠目でもすぐにクラウスだと気付いた。
クラウスはアリシア達の姿を確認すると、一旦奥に下がりヴァネサに乗ってこちらに走り寄って来た。
「エンジュ殿!」
「ハルシュタイン将軍!元気そうだな!」
かなりの距離があったというのに、シュヴィートの最高速度であっという間に近くまで駆け寄ってきた。減速して声をかけてきたクラウスに、エンジュは応えつつ苦笑した。
「シュヴィートは相変わらず早ぇな」
「良かった。今朝のアリシアからの手紙に書かれてた奴らだとは思うが、アリシアを返せと喚く奴らが」
クラウスは話しながら視線を巡らせ、アリシアと目が合うとピタリと止めた。後ろにいるダーマットを見ると、頷いてから口を開いた。
「・・・アリシア、だな。ダーマットは後ろにいるし」
「あ」
アリシアは後頭部に手を当てた。髪を後ろで一括りにし、まとめた髪は外套の中に入れている。パッと見ショートカットに見えるだろう。少し大きいが、服もダーマットの物を借りている。
「お久しぶりです、クラウス」
エンジュが言っていた通り、もしかして呆れられただろうか。困惑している様子のクラウスに、アリシアは恥ずかしくなり、誤魔化すように苦笑をした。
しかしアリシアの言葉には応えず、クラウスはじっとアリシアを見つめる。
「あの・・・クラウス?」
「何を着ても可愛いな」
なんでだ、と小さく零すクラウスに、エンジュが吹き出した。ダーマットは呆れた顔をする。
「ほら、俺の言った通りでしょ」
「・・・」
呆れ半分恥ずかしさ半分で、アリシアはどう反応していいか分からない。ヴァネッサの上で腕を組んでマジマジと見つめてくるクラウスから目を逸らし、アリシアは明後日の方向を見やる。笑う兄と呆れる弟。そして兵士二人の前でそんな言動をされては、アリシアが居た堪れない。
「ハルシュタイン将軍、姉さんの事は後で。それよりあっちに戦闘の跡がありましたが」
呆れた顔のままで言うダーマットに、クラウスは現実に戻ったようだ。「ああ」と声を上げてダーマットへ顔を向ける。
「アリシアからの手紙に襲撃について書かれていたから、一応警戒で見回りをさせてたんだ。そしたらアリシアを返せと喚く奴らが攻撃してきたから、そのまま部下に取り押さえさせた。一人、私と一騎打ちがしたいと言ってうるさいから、応えてやったが・・・」
言い淀むクラウスに、アリシアはハッとしてクラウスの全身を確認する。
「クラウス、もしかして怪我を?他の取り押さえた兵士の方々にも怪我は・・・」
「ああ、違うぞ。怪我はない。大丈夫だ。ただハッキリ言っていいのか迷ってな・・・。正直弱すぎて話にならなかった」
「だろうな」
ホッとするアリシアの横で、エンジュが苦笑している。
「手間を掛けさせたな。そいつらは俺が引き取る。俺の妹を攫おうとしたんだ。キッチリ調べて厳しい処罰を受けてもらわないとな」
にこやかに言うエンジュに、クラウスもニッコリと笑みを浮かべた。
「同感だ。エンジュ殿に任せれば大丈夫そうだ。よろしく頼む」
「もちろん」
ヴァネサを野営地に向けて歩かせ始めたクラウスに、エンジュが並ぶ。その後ろにアリシア達も続いた。
「アリシアを返せと言う割には、アリシアの事を良く知らないようだったな。それでいて『私のサリヴァン嬢』と何度も言っては見当違いな話ばかりするから、少しやりすぎた。だが回復はさせたから命に別状はない」
「感謝する。生かしておかないと背後が分からないからな」
前で話す二人の声が聞こえて、アリシアは隣にいるダーマットの顔を見る。ダーマットも同じ事を思ったのか、アリシアの顔を見た。
「・・・ダーマット。私、心当たりがあるんだけど」
「俺も。一人だけ思い出すんだよな」
顔を見合わせて同時にため息を付いた。
「兄さん、私も立ち会いたいんだけど」
「ああ?なんでだよ。やめといた方がいいぞ」
「兄さん、俺と姉さんで、ちょっと心当たりがあるんだ」
ダーマットの言葉に、エンジュが振り返った。
「心当たり?・・・あ」
「思い出した?」
「・・・分かった。一緒に付いてこい」
エンジュは渋い顔をして頷いた。
野営地に着くと、男の怒声が聞こえてきた。「こんな事をして許されると思っているのか」などと言っているようだ。しかし途中から口を塞がれたのか、うー!という唸リ声に変わった。
「気絶してたが、目が覚めたようだな。こっちだ」
簡易厩舎にヴァネサと馬を預けると、クラウスは野営地の中心へと向かう。中央は広場になっていて、そこに魔人の兵士が数人立っている。足元には縛られた人間が十人ほど座らされていた。
こちらに気付いて振り返った一人の兵士が、アリシアと目が合うと手を上げた。
「よう嬢ちゃん。無事で何よりだ」
「バルツァーさん!お久しぶりです。お陰様で」
「アリシアを迎えに行くって言ったら、コイツが行きたがってな。他にも行きたがる奴がいたが、実力で捻じ伏せてついてきたんだ」
呆れた顔で言うクラウスに、アリシアはふふっと笑う。
「嬉しいです。バルツァーさんにはお世話になりましたから」
バルツァーもフッと笑う。
「俺も嬢ちゃんのお陰で千人・・・ああ、変わったんだった。大隊長になれたからな。何かあれば力になるぜ」
「何をおっしゃるんですか。バルツァーさんの実力ですよ」
ギラついた目をしているが、やはり優しい人だ。アリシアはニコニコとバルツァーに言葉を返す。そうしてほんわかした空気になったが、再びうめき声が聞こえた。しかもすぐ近くからだ。
「おう、将軍。目が覚めてうるせぇから猿ぐつわしといたが、どうすんだコイツ」
バルツァーの示す先を、その場の全員が見やる。バルツァーが移動した事で、その足元に縛られて座らされている人物の顔が見えるようになった。アリシアは額に手を当てた。ダーマットは大きなため息をついている。
そこには腕を後ろに拘束され、胡座をかいた状態で足も拘束されている男がいる。水色の髪に緑の瞳の、整った顔立ちをしているが、今は顔を歪めているので台無しだ。
彼はアリシアを見てニヤケつつ抗議をするように目元は険しい。今も猿ぐつわをされた状態で何かを喚いている。
エンジュも嫌そうな顔でアリシアに声をかけた。
「当たりか」
「うん」
「まさか姉さんにあんだけ叩きのめされて、まだ諦めてないなんて・・・」
「知り合いか?」
クラウスが眉を寄せて聞いてくるが、アリシアは現状に脱力してすぐに返事が出来ない。なんて答えようかと考えていると、ダーマットが変わりに説明してくれた。
「姉さんの学生時代のストーカー貴族です。ルアンキリに留学して、姉さんと同級生だったフィリップ=ルンドバリ。エファンカラ国ルンドバリ伯爵家三男。姉さんの後をつけて一人になったところで声をかけてきたり、いきなり抱きついてきたり、何処かに連れて行こうとしたりを繰り返して、その度に姉さんにボコボコにされてたんです」
「ちょっと、ダーマット。ボコボコにはしてないわよ」
「抱きつかれた時はしてたじゃん」
「あれは・・・だって、気持ち悪かったから」
「そうか」
クラウスが小さく言うと、辺りはビリビリとした空気へと変わった。スラリと音がして、アリシアはまさかと思い顔を向ける。やはりクラウスが剣を抜いていた。
ルンドバリも異様な雰囲気に静かになった。
「駄目ですよ!?」
「何が」
「何がじゃないです!そんな強烈な殺気出して剣まで抜いて!殺してはいけませんって!」
「残ってる奴らから話を聞けば良い。一騎打ちを願い出たのはコイツだ。私が勝ったのだから、その後殺されたとしても誰も文句は言わない」
ダーマットが必死にクラウスを止めるが、聞き入れるつもりはなさそうだ。ルンドバリを睨みつけている。
ルンドバリもガタガタと体を震わせている。クラウスが本気になったと分かったのだろう。
他の魔人の兵士も、エンジュが連れて来た二人の兵士も将軍の本気の殺気に緊張した顔をしたまま動かない。しかし彼らは戦場で慣れているはずなので、この殺気に逆らってまで助けようとする気がないのだろう。バルツァーは殺気を物ともせず、のんびりとした様子でクラウスを眺めている。
アリシアもダーマット同様、クラウスの様子に顔を青くさせていた。
神聖ルアンキリでアリシアに付きまとう男達の話題が出て、クラウスは殺気を出していたのに、うっかりクラウスの前で話してしまった。
囮の方に襲撃があったと聞いてから、アリシアは不安でここに辿り着くまで余裕なんてなかった。そしてクラウスに会えた事で安心した。その上で襲撃犯の正体に気を取られ、すっかり忘れていた。
恐らくダーマットも襲撃犯を気にするあまり、うっかりしていたのだろう。
「ハルシュタイン将軍。アリシアの前で殺すのか」
エンジュの言葉に、クラウスはピクリと反応した。
「いくらサリヴァン出身で護身術も扱えるって言っても、殺人を見たことはない。父さんと俺がアリシアに見せなかった。俺達兄弟の中で、アリシアが一番エルフの血が濃いからな。エルフの前で殺人はご法度とされている」
その言葉に、クラウスはエンジュへと顔を向ける。クラウスの殺気は変わらずだ。しかし真正面から受けているはずのエンジュは、普段通りに言葉を続ける。
「ま、俺もハルシュタイン将軍には同感だ。ここでソイツを殺しても、証言は他の奴から取れば良い。国家間問題にもならない。俺が証言するんだからな。父さんのお陰で、人類連合内でのサリヴァンの影響力はエファンカラ貴族よりも強い」
エンジュはそこで一旦言葉を止めてアリシアへ視線を向ける。
「ただ、ソイツを殺すハルシュタイン将軍を目の前で見たアリシアが、どう思うかだ。俺は変に関係が拗れないか心配なんだよ。ぶっちゃけソイツはどうでもいい。人類連合に連れて帰ったところで、死刑は間違いないんだからな」
「兄さん・・・」
エンジュの兄らしい思い遣りに、アリシアはジーンとする。
ルンドバリはエンジュの言う通り、死刑となるだろう。ようやく終わった戦争を再び引き起こすような事を仕出かしたのだ。冷静なクラウス相手だからこそ、この程度で済んでいるのだ。本来軍人は血気盛んである。
しかし処刑が今アリシアの目の前で行われるか、知らない場所で行われるか、アリシアにとって大きな問題だ。
エンジュの言う通り、アリシアは人が殺される所を見たことがない。人が血を流すところを見るのも嫌だ。今も怖い。クラウスが目の前で彼を殺して、アリシアがどう感じるかなんて自分でも分からない。
アリシアは足を進める。護身術の鍛錬で『殺気にも慣れとかないといざという時に動けないぞ』と言うエンジュから散々浴びせられているので、殺気にはある程度慣れている。
今はクラウスが怖くて近寄れない、という程度だ。少し弱まったが、いまだ殺気を放つクラウスに気力でなんとか近寄り、剣を持つ腕に触れる。
「クラウス、私は出来ればやめて欲しいです。こんな人のために、わざわざクラウスが手を汚す必要もないですし。それより私の中にクラウスへの恐怖心が出来てしまうかもしれない事の方が嫌です」
鋭い視線のままアリシアを見つめるクラウスと目を合わせて言う。正直言うと怖い。気を抜くとアリシアも震えそうだ。しかしクラウスのアリシアへの深い愛情を知っている。彼がアリシアを害するなんてあり得ない事だ。だからこうして剣を持つ手に触れて、間近で話せる。
「ク・・・」
小さく呻いて眉を寄せたクラウスに、アリシアはピクリとする。しかし次の瞬間殺気は霧散し、クラウスに抱き締められていた。
「だから、なんでそんなに可愛いんだ君は。クソ。今すぐ連れて帰りたい」
「・・・これから連れて帰るんだろ」
エンジュの呆れた声が聞こえる。アリシアは顔が熱くなった。
エンジュはクラウスとアリシアから視線を逸らすと、近くに立つバルツァーへ声をかけた。
「バルツァー大隊長だったな。俺の部下は今そこの二人しか居ない。明日ここで合流予定だから、それまで悪いがコイツら預かっててくれ」
「あいよ。構わねぇぜ」
「でもその前に」
エンジュは冷え冷えとする目でルンドバリへ顔を向ける。近寄って剣を抜くと首筋にピタリと当て、今度はエンジュが本気の殺気を放った。再び辺りがビリビリとした空気へと変わる。
「よくも俺の妹に付きまとってくれたな。強奪犯もお前だったとは。お前の命はいつ消えてもおかしくないと自覚しておけ。ハルシュタイン将軍は思い留まってくれたが、帰り道、うっかり俺の手が滑るかもしれないからな。ま、帰ったらどう考えても死刑だ」
殺気と剣で動けないながらも、ルンドバリは小さく「うんう」と言った。「何で」と言ったようだ。
エンジュも聞き取れたようで、小さく「なんで?」と声に出した。
「分かってないようだから説明してやろうか。まずはアリシアを攫おうと襲撃した件だ。アリシアは今はエルフの里に籍がある。つまりエルフを攫おうとしたと見做される。これだけで死刑にはならないが、お前はよりにもよってハルシュタイン将軍の野営地に襲撃をかけた。和平協定が間もなく結ばれるっていうのに、相手国の将軍に手を出したんだ。再び戦争を巻き起こすつもりだったと見做されるだろうな。エファンカラの貴族だろうが通用しない。これは人類連合全体の問題だ。よって死刑は免れない。なら、多少早まっても大して変わりもない。・・・無事にルアンキリにまで辿り着けるといいな」
エンジュは底冷えをするような笑みを浮かべてから続ける。
「俺はアリシアとは違って、父の、サリヴァン将軍の血が濃い。アリシアとダーマットのようには甘くはない。帰り道に俺の気に食わない事を一つでもしてみろ。ルアンキリに着く頃にはお前の指が全て無くなっているかもな。指と言わず腕が無くなるかもしれない。もしかしたら片足になってる可能性もあるな。ま、刑が執行されれば死ぬんだ。その時までに体がどうなってようが大した問題じゃない。このエンジュ=クロス=サリヴァンの気分次第でお前の命なぞどうとでもなるって事、忘れんなよ」
そう言うと、エンジュは殺気を収め、剣も首筋から離して鞘に収める。途端、ルンドバリはガタガタと再び震え始めた。
「じゃ、頼む」
「こえーなおい。いくら犯罪者っつってもよ。一般人相手にちっと脅しすぎじゃねぇか?」
エンジュに引きながら、バルツァーは部下に連れて行くように、頭を動かして指示する。すぐに二人が前に出ると、両脇を抱えていった。
それを眺めながら、エンジュは事もなげに応える。
「本気だからなんも問題ない」
「・・・余計に質が悪ぃな」
「体が欠損した状態で回復ストップさせられる俺の気持ちも考えてよ兄さん」
「お前は軍人なんだからそろそろ慣れろ」
「ええ・・・」
ダーマットとのやり取りで更にドン引きしているバルツァーに、エンジュは苦笑した。
「人間にはああいう自己中心的で姑息な奴も多い。あいつは貴族だから権力でどうとでもなると思い込んでる。こっちはこんくらい厳しくねぇとまとめられないんだ」
「・・・いや、魔人でもそういう奴はいるけどよ」
クラウスに抱き締められたままだが、放してくれる気配がないので、アリシアは顔を赤くしたまま会話に加わる。この意見の違いは和平協議で何度も見たので、つい口出ししたくなったのだ。
「・・・そこが実力主義国家とそうでない国との違いなんでしょう」
「ああ・・・なるほどな」
エンジュがアリシアの言葉に納得して頷いた。ダーマットも同じく「確かに」と呟いて頷いている。
「利権やコネ、魔国風に言うとズルをして地位を得てる人が人類連合には多いって事です。得た地位を利用して理不尽や屁理屈を言う人も多くいます。だから上が厳しくしないとまとまりません」
「・・・難儀だな、エンジュ殿」
「全くだ」
クラウスの言葉に、肩を竦めてエンジュがアリシア達へ顔を向ける。
「で、いつまでそうしてんだ」
「一ヶ月ぶりでアリシア欠乏症なんだ」
「・・・・・・・・・何それ」
クラウスとエンジュ、二人の立て続けの殺気で静まり返っている野営地に、ダーマットの脱力した声がやけに響いた。
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小話 クラウスの心の声
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「それより私の中にクラウスへの恐怖心が出来てしまうかもしれない事の方が嫌です」
クラウスは殺気を放つ中、気丈に振舞うアリシアへ視線を向ける。クラウスにはアリシアが隠している不安も見て取れた。あと少しクラウスが殺気の勢いを増せば、アリシアは震え出すかもしれない。今も震えないようにか、クラウスの腕に添えている手は強張り、もう片方の手は握り締めている。
(・・・俺を信頼してるからか)
クラウスからの愛情を信じて疑わないその瞳は、不安に揺れながらもクラウスから目を逸らさない。だからこそ、剣を持つ腕に手を添えられるのだ。そうでなければ切り払われるかもしれないと、恐怖心が勝って普通は出来ない。
(恐怖に真正面から立ち向かう凛とした姿も良い)
それに、とクラウスは考える。
アリシアはこの男の生死よりも、クラウスへの恐怖心が芽生える可能性が嫌だと言ったのだ。
「ク・・・」
確実にアリシアの心の中の、クラウスが占めている割合が以前よりも増えている。その事に気付き、クラウスの胸は喜びと共に甘い痛みを訴える。耐えるように眉を寄せ、アリシアを引き寄せ、抜身の剣が触れないように抱き締めた。もうこんな男の生き死になんぞどうでもいい。それよりも一カ月ぶりに触れるアリシアを感じていたい。エンジュ達の目があったので、抱きしめたい衝動をずっと我慢していたのだ。腕の中のアリシアは変わらず華奢で柔らかい。
「だから、なんでそんなに可愛いんだ君は。クソ。今すぐ連れて帰りたい」
心の声がそのまま口をついて出ていた。しかしそれすらもどうでもいい。アリシアの体温を感じて胸が喜びで溢れる。
「・・・これから連れて帰るんだろ」
呆れたエンジュの声が聞こえた。その通りだがそうじゃない。しかし今すぐアリシアを押し倒したいなんて言えないし出来ない。クラウスはただアリシアの体温を腕の中に閉じ込めてその感触を享受した。
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クラウスの心の声編 完
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そして馬に乗るとエンジュが先頭を走り、その後にアリシア、ダーマット、兵士二人が続いた。術の効果で馬たちはスイスイと進み、夕方には戦線に辿り着いた。この先に合流地点があるはずだが、手前でエンジュが馬を停めた。
「兄さん、どうしたの?」
地面をじっと見つめるエンジュに、アリシアが声を掛ける。しかし後ろから来たダーマットと兵士二人もハッとした顔をした後、地面を見つめた。
何かあるのだろうかとアリシアも注意深く地面を見つめる。この辺りは常に戦いがあった場所なので、兵士達に踏みしめられて草が生えていない。荒野の様な地面には痕跡があった。
「・・・・・・足跡?」
僅かに数人がうろついたような足跡が見える。アリシアの言葉にエンジュが頷いた。
「戦闘の後だ。しかもまだそれほど経ってない」
「え・・・それって」
顔色を青く変えたアリシアに、エンジュは安心させるように笑みを浮かべた。
「血も落ちてないから心配するな。とりあえず進もう」
そう言うとエンジュは再び馬を進ませる。ずっとギャロップで駆けて来たが、ここからはゆっくり行くようだ。エンジュが速足で馬を進ませるので、アリシアも合わせる。
ヴァルターは馬に掛けた自動回復が乗り手にも効くようにしてくれたようで、朝からずっとギャロップで駆けて来たというのに、それほど疲労感もない。気を沢山持っていったな、とは思っていたが、アリシアとしてはありがたい。心の中でヴァルターに礼を伝えながら、辺りを見渡す。
緩やかな坂を上っていくと、地面の起伏で見えなかった先が見えてきた。
「いたな」
エンジュの視線の先をアリシアも辿る。そこにはテントがいくつも張られた軍の野営地と、その周りで警戒に立つ魔国の兵士達が見えた。
こちらに気付いた兵士が奥へ駆けて行き、しばらくするとクラウスが出てきた。今回はいつもの将軍服を着ている。そのお陰で遠目でもすぐにクラウスだと気付いた。
クラウスはアリシア達の姿を確認すると、一旦奥に下がりヴァネサに乗ってこちらに走り寄って来た。
「エンジュ殿!」
「ハルシュタイン将軍!元気そうだな!」
かなりの距離があったというのに、シュヴィートの最高速度であっという間に近くまで駆け寄ってきた。減速して声をかけてきたクラウスに、エンジュは応えつつ苦笑した。
「シュヴィートは相変わらず早ぇな」
「良かった。今朝のアリシアからの手紙に書かれてた奴らだとは思うが、アリシアを返せと喚く奴らが」
クラウスは話しながら視線を巡らせ、アリシアと目が合うとピタリと止めた。後ろにいるダーマットを見ると、頷いてから口を開いた。
「・・・アリシア、だな。ダーマットは後ろにいるし」
「あ」
アリシアは後頭部に手を当てた。髪を後ろで一括りにし、まとめた髪は外套の中に入れている。パッと見ショートカットに見えるだろう。少し大きいが、服もダーマットの物を借りている。
「お久しぶりです、クラウス」
エンジュが言っていた通り、もしかして呆れられただろうか。困惑している様子のクラウスに、アリシアは恥ずかしくなり、誤魔化すように苦笑をした。
しかしアリシアの言葉には応えず、クラウスはじっとアリシアを見つめる。
「あの・・・クラウス?」
「何を着ても可愛いな」
なんでだ、と小さく零すクラウスに、エンジュが吹き出した。ダーマットは呆れた顔をする。
「ほら、俺の言った通りでしょ」
「・・・」
呆れ半分恥ずかしさ半分で、アリシアはどう反応していいか分からない。ヴァネッサの上で腕を組んでマジマジと見つめてくるクラウスから目を逸らし、アリシアは明後日の方向を見やる。笑う兄と呆れる弟。そして兵士二人の前でそんな言動をされては、アリシアが居た堪れない。
「ハルシュタイン将軍、姉さんの事は後で。それよりあっちに戦闘の跡がありましたが」
呆れた顔のままで言うダーマットに、クラウスは現実に戻ったようだ。「ああ」と声を上げてダーマットへ顔を向ける。
「アリシアからの手紙に襲撃について書かれていたから、一応警戒で見回りをさせてたんだ。そしたらアリシアを返せと喚く奴らが攻撃してきたから、そのまま部下に取り押さえさせた。一人、私と一騎打ちがしたいと言ってうるさいから、応えてやったが・・・」
言い淀むクラウスに、アリシアはハッとしてクラウスの全身を確認する。
「クラウス、もしかして怪我を?他の取り押さえた兵士の方々にも怪我は・・・」
「ああ、違うぞ。怪我はない。大丈夫だ。ただハッキリ言っていいのか迷ってな・・・。正直弱すぎて話にならなかった」
「だろうな」
ホッとするアリシアの横で、エンジュが苦笑している。
「手間を掛けさせたな。そいつらは俺が引き取る。俺の妹を攫おうとしたんだ。キッチリ調べて厳しい処罰を受けてもらわないとな」
にこやかに言うエンジュに、クラウスもニッコリと笑みを浮かべた。
「同感だ。エンジュ殿に任せれば大丈夫そうだ。よろしく頼む」
「もちろん」
ヴァネサを野営地に向けて歩かせ始めたクラウスに、エンジュが並ぶ。その後ろにアリシア達も続いた。
「アリシアを返せと言う割には、アリシアの事を良く知らないようだったな。それでいて『私のサリヴァン嬢』と何度も言っては見当違いな話ばかりするから、少しやりすぎた。だが回復はさせたから命に別状はない」
「感謝する。生かしておかないと背後が分からないからな」
前で話す二人の声が聞こえて、アリシアは隣にいるダーマットの顔を見る。ダーマットも同じ事を思ったのか、アリシアの顔を見た。
「・・・ダーマット。私、心当たりがあるんだけど」
「俺も。一人だけ思い出すんだよな」
顔を見合わせて同時にため息を付いた。
「兄さん、私も立ち会いたいんだけど」
「ああ?なんでだよ。やめといた方がいいぞ」
「兄さん、俺と姉さんで、ちょっと心当たりがあるんだ」
ダーマットの言葉に、エンジュが振り返った。
「心当たり?・・・あ」
「思い出した?」
「・・・分かった。一緒に付いてこい」
エンジュは渋い顔をして頷いた。
野営地に着くと、男の怒声が聞こえてきた。「こんな事をして許されると思っているのか」などと言っているようだ。しかし途中から口を塞がれたのか、うー!という唸リ声に変わった。
「気絶してたが、目が覚めたようだな。こっちだ」
簡易厩舎にヴァネサと馬を預けると、クラウスは野営地の中心へと向かう。中央は広場になっていて、そこに魔人の兵士が数人立っている。足元には縛られた人間が十人ほど座らされていた。
こちらに気付いて振り返った一人の兵士が、アリシアと目が合うと手を上げた。
「よう嬢ちゃん。無事で何よりだ」
「バルツァーさん!お久しぶりです。お陰様で」
「アリシアを迎えに行くって言ったら、コイツが行きたがってな。他にも行きたがる奴がいたが、実力で捻じ伏せてついてきたんだ」
呆れた顔で言うクラウスに、アリシアはふふっと笑う。
「嬉しいです。バルツァーさんにはお世話になりましたから」
バルツァーもフッと笑う。
「俺も嬢ちゃんのお陰で千人・・・ああ、変わったんだった。大隊長になれたからな。何かあれば力になるぜ」
「何をおっしゃるんですか。バルツァーさんの実力ですよ」
ギラついた目をしているが、やはり優しい人だ。アリシアはニコニコとバルツァーに言葉を返す。そうしてほんわかした空気になったが、再びうめき声が聞こえた。しかもすぐ近くからだ。
「おう、将軍。目が覚めてうるせぇから猿ぐつわしといたが、どうすんだコイツ」
バルツァーの示す先を、その場の全員が見やる。バルツァーが移動した事で、その足元に縛られて座らされている人物の顔が見えるようになった。アリシアは額に手を当てた。ダーマットは大きなため息をついている。
そこには腕を後ろに拘束され、胡座をかいた状態で足も拘束されている男がいる。水色の髪に緑の瞳の、整った顔立ちをしているが、今は顔を歪めているので台無しだ。
彼はアリシアを見てニヤケつつ抗議をするように目元は険しい。今も猿ぐつわをされた状態で何かを喚いている。
エンジュも嫌そうな顔でアリシアに声をかけた。
「当たりか」
「うん」
「まさか姉さんにあんだけ叩きのめされて、まだ諦めてないなんて・・・」
「知り合いか?」
クラウスが眉を寄せて聞いてくるが、アリシアは現状に脱力してすぐに返事が出来ない。なんて答えようかと考えていると、ダーマットが変わりに説明してくれた。
「姉さんの学生時代のストーカー貴族です。ルアンキリに留学して、姉さんと同級生だったフィリップ=ルンドバリ。エファンカラ国ルンドバリ伯爵家三男。姉さんの後をつけて一人になったところで声をかけてきたり、いきなり抱きついてきたり、何処かに連れて行こうとしたりを繰り返して、その度に姉さんにボコボコにされてたんです」
「ちょっと、ダーマット。ボコボコにはしてないわよ」
「抱きつかれた時はしてたじゃん」
「あれは・・・だって、気持ち悪かったから」
「そうか」
クラウスが小さく言うと、辺りはビリビリとした空気へと変わった。スラリと音がして、アリシアはまさかと思い顔を向ける。やはりクラウスが剣を抜いていた。
ルンドバリも異様な雰囲気に静かになった。
「駄目ですよ!?」
「何が」
「何がじゃないです!そんな強烈な殺気出して剣まで抜いて!殺してはいけませんって!」
「残ってる奴らから話を聞けば良い。一騎打ちを願い出たのはコイツだ。私が勝ったのだから、その後殺されたとしても誰も文句は言わない」
ダーマットが必死にクラウスを止めるが、聞き入れるつもりはなさそうだ。ルンドバリを睨みつけている。
ルンドバリもガタガタと体を震わせている。クラウスが本気になったと分かったのだろう。
他の魔人の兵士も、エンジュが連れて来た二人の兵士も将軍の本気の殺気に緊張した顔をしたまま動かない。しかし彼らは戦場で慣れているはずなので、この殺気に逆らってまで助けようとする気がないのだろう。バルツァーは殺気を物ともせず、のんびりとした様子でクラウスを眺めている。
アリシアもダーマット同様、クラウスの様子に顔を青くさせていた。
神聖ルアンキリでアリシアに付きまとう男達の話題が出て、クラウスは殺気を出していたのに、うっかりクラウスの前で話してしまった。
囮の方に襲撃があったと聞いてから、アリシアは不安でここに辿り着くまで余裕なんてなかった。そしてクラウスに会えた事で安心した。その上で襲撃犯の正体に気を取られ、すっかり忘れていた。
恐らくダーマットも襲撃犯を気にするあまり、うっかりしていたのだろう。
「ハルシュタイン将軍。アリシアの前で殺すのか」
エンジュの言葉に、クラウスはピクリと反応した。
「いくらサリヴァン出身で護身術も扱えるって言っても、殺人を見たことはない。父さんと俺がアリシアに見せなかった。俺達兄弟の中で、アリシアが一番エルフの血が濃いからな。エルフの前で殺人はご法度とされている」
その言葉に、クラウスはエンジュへと顔を向ける。クラウスの殺気は変わらずだ。しかし真正面から受けているはずのエンジュは、普段通りに言葉を続ける。
「ま、俺もハルシュタイン将軍には同感だ。ここでソイツを殺しても、証言は他の奴から取れば良い。国家間問題にもならない。俺が証言するんだからな。父さんのお陰で、人類連合内でのサリヴァンの影響力はエファンカラ貴族よりも強い」
エンジュはそこで一旦言葉を止めてアリシアへ視線を向ける。
「ただ、ソイツを殺すハルシュタイン将軍を目の前で見たアリシアが、どう思うかだ。俺は変に関係が拗れないか心配なんだよ。ぶっちゃけソイツはどうでもいい。人類連合に連れて帰ったところで、死刑は間違いないんだからな」
「兄さん・・・」
エンジュの兄らしい思い遣りに、アリシアはジーンとする。
ルンドバリはエンジュの言う通り、死刑となるだろう。ようやく終わった戦争を再び引き起こすような事を仕出かしたのだ。冷静なクラウス相手だからこそ、この程度で済んでいるのだ。本来軍人は血気盛んである。
しかし処刑が今アリシアの目の前で行われるか、知らない場所で行われるか、アリシアにとって大きな問題だ。
エンジュの言う通り、アリシアは人が殺される所を見たことがない。人が血を流すところを見るのも嫌だ。今も怖い。クラウスが目の前で彼を殺して、アリシアがどう感じるかなんて自分でも分からない。
アリシアは足を進める。護身術の鍛錬で『殺気にも慣れとかないといざという時に動けないぞ』と言うエンジュから散々浴びせられているので、殺気にはある程度慣れている。
今はクラウスが怖くて近寄れない、という程度だ。少し弱まったが、いまだ殺気を放つクラウスに気力でなんとか近寄り、剣を持つ腕に触れる。
「クラウス、私は出来ればやめて欲しいです。こんな人のために、わざわざクラウスが手を汚す必要もないですし。それより私の中にクラウスへの恐怖心が出来てしまうかもしれない事の方が嫌です」
鋭い視線のままアリシアを見つめるクラウスと目を合わせて言う。正直言うと怖い。気を抜くとアリシアも震えそうだ。しかしクラウスのアリシアへの深い愛情を知っている。彼がアリシアを害するなんてあり得ない事だ。だからこうして剣を持つ手に触れて、間近で話せる。
「ク・・・」
小さく呻いて眉を寄せたクラウスに、アリシアはピクリとする。しかし次の瞬間殺気は霧散し、クラウスに抱き締められていた。
「だから、なんでそんなに可愛いんだ君は。クソ。今すぐ連れて帰りたい」
「・・・これから連れて帰るんだろ」
エンジュの呆れた声が聞こえる。アリシアは顔が熱くなった。
エンジュはクラウスとアリシアから視線を逸らすと、近くに立つバルツァーへ声をかけた。
「バルツァー大隊長だったな。俺の部下は今そこの二人しか居ない。明日ここで合流予定だから、それまで悪いがコイツら預かっててくれ」
「あいよ。構わねぇぜ」
「でもその前に」
エンジュは冷え冷えとする目でルンドバリへ顔を向ける。近寄って剣を抜くと首筋にピタリと当て、今度はエンジュが本気の殺気を放った。再び辺りがビリビリとした空気へと変わる。
「よくも俺の妹に付きまとってくれたな。強奪犯もお前だったとは。お前の命はいつ消えてもおかしくないと自覚しておけ。ハルシュタイン将軍は思い留まってくれたが、帰り道、うっかり俺の手が滑るかもしれないからな。ま、帰ったらどう考えても死刑だ」
殺気と剣で動けないながらも、ルンドバリは小さく「うんう」と言った。「何で」と言ったようだ。
エンジュも聞き取れたようで、小さく「なんで?」と声に出した。
「分かってないようだから説明してやろうか。まずはアリシアを攫おうと襲撃した件だ。アリシアは今はエルフの里に籍がある。つまりエルフを攫おうとしたと見做される。これだけで死刑にはならないが、お前はよりにもよってハルシュタイン将軍の野営地に襲撃をかけた。和平協定が間もなく結ばれるっていうのに、相手国の将軍に手を出したんだ。再び戦争を巻き起こすつもりだったと見做されるだろうな。エファンカラの貴族だろうが通用しない。これは人類連合全体の問題だ。よって死刑は免れない。なら、多少早まっても大して変わりもない。・・・無事にルアンキリにまで辿り着けるといいな」
エンジュは底冷えをするような笑みを浮かべてから続ける。
「俺はアリシアとは違って、父の、サリヴァン将軍の血が濃い。アリシアとダーマットのようには甘くはない。帰り道に俺の気に食わない事を一つでもしてみろ。ルアンキリに着く頃にはお前の指が全て無くなっているかもな。指と言わず腕が無くなるかもしれない。もしかしたら片足になってる可能性もあるな。ま、刑が執行されれば死ぬんだ。その時までに体がどうなってようが大した問題じゃない。このエンジュ=クロス=サリヴァンの気分次第でお前の命なぞどうとでもなるって事、忘れんなよ」
そう言うと、エンジュは殺気を収め、剣も首筋から離して鞘に収める。途端、ルンドバリはガタガタと再び震え始めた。
「じゃ、頼む」
「こえーなおい。いくら犯罪者っつってもよ。一般人相手にちっと脅しすぎじゃねぇか?」
エンジュに引きながら、バルツァーは部下に連れて行くように、頭を動かして指示する。すぐに二人が前に出ると、両脇を抱えていった。
それを眺めながら、エンジュは事もなげに応える。
「本気だからなんも問題ない」
「・・・余計に質が悪ぃな」
「体が欠損した状態で回復ストップさせられる俺の気持ちも考えてよ兄さん」
「お前は軍人なんだからそろそろ慣れろ」
「ええ・・・」
ダーマットとのやり取りで更にドン引きしているバルツァーに、エンジュは苦笑した。
「人間にはああいう自己中心的で姑息な奴も多い。あいつは貴族だから権力でどうとでもなると思い込んでる。こっちはこんくらい厳しくねぇとまとめられないんだ」
「・・・いや、魔人でもそういう奴はいるけどよ」
クラウスに抱き締められたままだが、放してくれる気配がないので、アリシアは顔を赤くしたまま会話に加わる。この意見の違いは和平協議で何度も見たので、つい口出ししたくなったのだ。
「・・・そこが実力主義国家とそうでない国との違いなんでしょう」
「ああ・・・なるほどな」
エンジュがアリシアの言葉に納得して頷いた。ダーマットも同じく「確かに」と呟いて頷いている。
「利権やコネ、魔国風に言うとズルをして地位を得てる人が人類連合には多いって事です。得た地位を利用して理不尽や屁理屈を言う人も多くいます。だから上が厳しくしないとまとまりません」
「・・・難儀だな、エンジュ殿」
「全くだ」
クラウスの言葉に、肩を竦めてエンジュがアリシア達へ顔を向ける。
「で、いつまでそうしてんだ」
「一ヶ月ぶりでアリシア欠乏症なんだ」
「・・・・・・・・・何それ」
クラウスとエンジュ、二人の立て続けの殺気で静まり返っている野営地に、ダーマットの脱力した声がやけに響いた。
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小話 クラウスの心の声
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「それより私の中にクラウスへの恐怖心が出来てしまうかもしれない事の方が嫌です」
クラウスは殺気を放つ中、気丈に振舞うアリシアへ視線を向ける。クラウスにはアリシアが隠している不安も見て取れた。あと少しクラウスが殺気の勢いを増せば、アリシアは震え出すかもしれない。今も震えないようにか、クラウスの腕に添えている手は強張り、もう片方の手は握り締めている。
(・・・俺を信頼してるからか)
クラウスからの愛情を信じて疑わないその瞳は、不安に揺れながらもクラウスから目を逸らさない。だからこそ、剣を持つ腕に手を添えられるのだ。そうでなければ切り払われるかもしれないと、恐怖心が勝って普通は出来ない。
(恐怖に真正面から立ち向かう凛とした姿も良い)
それに、とクラウスは考える。
アリシアはこの男の生死よりも、クラウスへの恐怖心が芽生える可能性が嫌だと言ったのだ。
「ク・・・」
確実にアリシアの心の中の、クラウスが占めている割合が以前よりも増えている。その事に気付き、クラウスの胸は喜びと共に甘い痛みを訴える。耐えるように眉を寄せ、アリシアを引き寄せ、抜身の剣が触れないように抱き締めた。もうこんな男の生き死になんぞどうでもいい。それよりも一カ月ぶりに触れるアリシアを感じていたい。エンジュ達の目があったので、抱きしめたい衝動をずっと我慢していたのだ。腕の中のアリシアは変わらず華奢で柔らかい。
「だから、なんでそんなに可愛いんだ君は。クソ。今すぐ連れて帰りたい」
心の声がそのまま口をついて出ていた。しかしそれすらもどうでもいい。アリシアの体温を感じて胸が喜びで溢れる。
「・・・これから連れて帰るんだろ」
呆れたエンジュの声が聞こえた。その通りだがそうじゃない。しかし今すぐアリシアを押し倒したいなんて言えないし出来ない。クラウスはただアリシアの体温を腕の中に閉じ込めてその感触を享受した。
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クラウスの心の声編 完
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