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第3章 ハルシュタイン将軍とサリヴァンの娘

53 第1軍陣営

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 軍陣営は敷地が広いため、門は数か所ある。第1軍の陣営も同様であり、そのうち今日は本舎に近い門から入った。本舎の前には訓練場がある。
 クラウスは周囲を見渡す。全て真新しいが、建物の位置や構造はこれまでと同じだ。ここでも違和感が凄い。

「まず何処を見たいか、希望はあるか?」
「私が見ても問題ない範囲でいいので、訓練の様子を見たいです」
「・・・訓練なんぞ見て楽しいか?」
「・・・小さい頃から見てたので」

 少し恥ずかしそうに言うアリシアを見て、クラウスは考える。小さい頃は軍に入ると言っていたくらいだ。アリシアにとって訓練する兵士達は、今でも憧れの景色なのかもしれない。

 クラウスは軍の予定を思い出す。確か今日のこの時間は第5部隊と第6部隊が個別訓練を行っていたはずだ。

「ならあっちだ」

 クラウスはアリシアの手を引いて、区分けされた訓練場のうち、本舎から3つ目へ足を進める。少し遠いが、ここからでも訓練している様子が窺える。

「訓練場はいくつかに別れている。用途や部隊によって何処を使うか決めている。今あそこで訓練してるのは第5だな」
「第5部隊・・・第1軍では全部で何部隊あるんですか?」
「今まで第1軍は7部隊に分けていた。が、今後は国の方針で軍縮する予定だ。将軍が不在になった第2と第4を解体して、第1、第3、第5で吸収する。まだ編成は終わっていないが、うちも10か12あたりまで増えるだろうな」
「大所帯ですね。魔国では、その7つに別れている部隊のトップが千人隊長でしたっけ」
「ああ。だが今後の再編に合わせて『千人隊長』の呼び名を廃止して『大隊長』に変更する。これまで慣習で『千人隊』としていたが、実際は万を超えることもある」
「人類連合側の階級名と合わせるんですか?」
「そうだ。いつまでも五百人とか百人とか、格好悪いだろ」
「・・・・・・もしかしてクラウスが提案しました?」
「・・・俺も五百人や千人隊長だった時があった。『ハルシュタイン五百人隊長』なんて呼ばれていたんだぞ。長いしダサいし古臭いしで全くやる気が起きん」

 当時を思い出して嫌そうな口調になってしまったが、アリシアは気にならなかったようだ。少し後ろを歩きながらクスクスと笑った。

「やる気は大事ですね」
「大事だな」

 おかしそうに笑うアリシアが可愛い。クラウスもフッと笑うと、前方へ意識を向ける。剣の打ち合い稽古をしている何人かがこちらに気付いたようだ。「将軍がいらっしゃった」と声を掛け合っているのが聞こえる。そろそろ全体の意識がこちらに向くだろう。
 クラウスは一度真顔に戻り、手を繋いだまま訓練場を囲う柵の入り口前まで行く。手前の方で訓練中だった兵士達はこちらを向いて敬礼した。

「用事があって来たわけではないから、そのまま続けていい」

 腹から出した通る声でそう伝えると、敬礼をしていた兵士達は「はっ」と返事をした後、皆クラウスとアリシアが繋いでいる手を、次にアリシアを、最後にクラウスへ視線を向けた。

「いいだろう。私の恋人だ」

 クラウスは見せつけるように繋いだ手を上げ、ニヤリとしてから言う。それを聞いた敬礼している兵士達が目を剥いた。そして再度アリシアの顔を凝視する。

「本当に言った・・・」

 隣りから小さい声でアリシアが呟いているのが聞こえた。クラウスが事前に宣言したのは冗談だと思っていたのだろうか。わざわざ見せつけるように手まで繋いでいるのだ。言うに決まっている。いや、何もなくとも手は繋ぎたいが。

 クラウスの言葉が聞こえた範囲の兵士も手を止め、全員こちらへ顔を向けている。20人から40人くらいだろうか。全員アリシアへ視線を向けている。クラウスもアリシアを見ると、注目を集めて恥ずかしいのか、顔を赤くしている。

「そんなに見るな。減る」

 自慢はしたいが可愛く頬を赤らめているアリシアを他の男の目に晒したくない。クラウスはアリシアの前に立って、兵士達の視線を遮った。するとアリシアを見つめていた兵士達はクラウスへ視線を向けた。

「マジか・・・この前から滞在してるっていう大使だろ・・・?こんなに可愛い子だったのか?・・・・・・将軍、いつもは興味ないくせに、なんで・・・もう手を出したのかよ」

 一人兵士が呆然と口を開いて言うと、徐々に周りも同調を始めた。

「そうだよ・・・将軍は女に興味なかったんじゃないのか・・・!?」
「生涯独身だと思ってたのに!!俺達の敵になりやがって!!」
「将軍に女が出来たら単なるイケメンだろ!!ふざけんじゃねぇ!!」
「俺に彼女が出来ない言い訳に使えなくなったじゃねぇか!!」
「よりにもよってなんでそんな可愛い子なんだ!!俺だって可愛い彼女が欲しいんだよ!!」
「そうだ!!大使の接待っていうから大変なんだと思ってたのに!一人良い思いしやがって!!」
「将軍なんて毎朝腹下しちまえばいい!!」

 手前の兵士達がギャーギャー言い始め、それを聞きつけた奥の兵士達が集まってくる。事情を聞くと皆してクラウスを罵り始めた。

「あっはっはっはっは!」

 いつも彼女が出来ない将軍とネタにしてきた兵士達の憤懣ふんまんやるかたない様子を見て、クラウスは気分よく自慢げに笑う。

「羨ましいだろう。もっと言ってくれていいぞ」

 ニヤニヤと兵士達を眺めていると、後ろからもアリシアのクスクスと笑う小さい声が聞こえた。兵士達の声がうるさくて本当に微かにだが。

 想像していたよりも良い反応をしてくれる兵士達を眺めていると、ふと気配に気付いた。クラウスはアリシアの手を引き、気配を感じた方とは反対側へ移動させる。クラウスもアリシアと気配の間に移動すると、腰に差している剣を抜いて受け止めた。ギン、と金属のぶつかる音が響く。あれだけうるさかった訓練場が一瞬でシンと静まり返った。

「何のつもりだ」

 クラウスが目を細めて鋭く視線を向けると、剣を振るってきた男、マリウス=バルツァーは面白そうな笑みを浮かべながら、クラウスが受け止めた剣を持ち上げ、肩に担いだ。

 バルツァーは元々第4軍ラングハイムの五百人隊長であり、脱走した罰として新都フェルシュタットの建築で働かされていた。新都の建築が完了したことで労働も終わり、今は軍に戻ってきている。第2軍と第4軍は希望があれば移動先を提出するように伝えてあり、バルツァーは第1軍への移動希望を出していた。有能で面白そうな男だと、クラウスは彼の部下ごと受け入れたのだが。

「その大使様は、あのサリヴァン将軍の娘だろ?いくら魔王の客人といっても、俺たちは軍人だ。実際に戦場で対峙して命を賭けて来た。そして死んでいった奴らが沢山いる。この大使様はその仇の娘ってこった。何もせず見ていられる訳ねぇだろ」

 バルツァーを睨んでいたクラウスは「なるほど」と呟いて、向けていた剣の切っ先を下ろした。

「で、お前は何がしたいんだ?」

 クラウスの問いに、バルツァーはニヤリと笑みを深めた。

「さすがハルシュタイン将軍。話が早ぇな」

 機嫌良さそうに言うと、肩に担いでいた剣をアリシアへと向ける。

「その女と勝負させろ、と言いたいところだが、その細腕じゃ剣術は出来なさそうだな。将軍の女っつーなら、あんたにお相手願おうか」

 クラウスはバルツァーの言葉に笑いが起こる。抑え込んでクックッと笑いながら剣を鞘に納めた。

「いいだろう。準備をしてくる」

 辺りを見渡し、二つ隣の広めの訓練場が開いている事を確認する。

「あそこ、第4訓練場で待ってろ。お前も何か準備があるなら、私が戻ってくるまでの間に用意しておけ」
「あいよ」

 頷くバルツァーを見てから、クラウスは後ろに庇っていたアリシアへ顔を向ける。怖がっていると思いきや、興味津々と言いたげにバルツァーを見ていた。再び笑いそうになり、口元に手を当てた。

「アリシア。付いてきてくれ」

 繋いだままの手を引いて、アリシアに移動を促す。アリシアは「分かりました」と言うとクラウスを見上げた。やはり目が爛々としている。

(やはり、こういうところはアリシアらしいな)

 小さく笑いながら、クラウスは本舎へと足を進めた。
 もうすぐ本舎につくという段になって、アリシアは口を開いた。周りに兵士が居なくなったからだろう。

「私の事で騒ぎになってしまって、すみません」
「俺が自慢した結果だろ。気にしなくていい」

 少し申し訳なさそうに言うアリシアに、クラウスは苦笑しながら言った。

「はい・・・。あの、後であの方にお礼を言う時間をいただけませんか?」
「何の礼だ?」

 これだからアリシアは面白い。顔がニヤけるがこれはもう仕方ないだろう。本舎に入り、1階奥の階段へと進む。

「・・・クラウスも分かっているでしょう?」
「アリシアの口から聞きたい」
「・・・もう」

 今のクラウスとアリシアの立場は対等か、政治的な客人であるアリシアの方が上かもしれない。ここ数日でアリシアのクラウスへの堅い態度は軟化しつつある。呆れを隠さずに言うアリシアが可愛い。違う意味でニヤけてしまう。

「何人か私に殺気、とまではいかなくとも、不満そうにこちらを見ている兵士がいました。その不満が爆発する前に、先ほどの方が敢えてその受け皿となってくれました。そのお礼です」

 さすがあのサリヴァン将軍の娘というべきか。
 小さい頃から軍の訓練場に行っていた、というのも伊達ではない。大騒ぎする兵士達の中から、場の雰囲気に飲まれず、己に悪意を持つ相手に気付いていた。この前の街歩きの女共の悪意は気にしていなかったので、命の危険がある相手だけは見逃さないのだろう。
 その上バルツァーの言動の奥にあるものまでしっかり見ている。バルツァーは最初こそ殺気を飛ばしたが、それもこちらに気付けと言わんばかりのユルユルな殺気だ。振り下ろしてきた剣も鋭くない。その後も口ではあんな事を言いながら、目には喜色が浮かんでいた。ずっとクラウスと勝負してみたかったのだろう。いい機会だと言わんばかりに勝負を持ちかけるバルツァーに、クラウスは笑ってしまった。ギラついた目をしているくせに、そんな所はちゃっかりしている。

「勝負が終わったら場を設けよう。ま、勝負で俺を指名したのは、アイツの希望だろうがな」
「ありがとうございます!」

 喜んで礼を言うアリシアに、フッと笑みを向ける。

 階段を登って3階に着くと、また長い廊下を歩き、執務室の左隣の部屋に入る。ここはクラウス用の支度室で、着替えや鎧、剣等を置いている。

「その椅子にでも座って待っててくれ」

 きょろきょろと室内を見渡すアリシアに、この部屋唯一の椅子を指さす。「はい」と言って素直に座るのを確認してから、クラウスは剣を抜くと剣帯を外し、身にまとっていた将軍服を脱いでハンガーへと掛ける。シャツのボタンを全て外し、ズボンから引き抜いて別のハンガーにかけると、上は半袖の黒いTシャツ姿になった。チェストから黒のハイネックの長袖を取って着ると、裾をズボンの中に押しやってベルトを締め直す。その上から同じくハイネックの丈の短い黒ジャケットを着る。ジャケットの前を閉じながらいくつか並べてある鎧掛けに近寄り、訓練用の鎧に手を伸ばして腕の部分だけ取り外す。

「お手伝いしましょうか?」
「いや、腕だけだからすぐ終わる」

 明後日の方向を見ていたアリシアは、クラウスが鎧を外す音でこちらを向いた。鎧を着るのだと気付いて椅子から立ち上がったが、手で制して再び座らせる。
 クラウスはあまりやらないが、鎧を全て身に着けようとすると一人では時間がかかる。軍人の家系であるアリシアは、父オーウィンか兄エンジュの手伝いをしたことがあるのだろう。

 クラウスが左の前腕に鎧を付けていると、アリシアがいくつか並ぶ鎧を眺めながら口を開いた。

「第1軍の色は青ですけど、鎧にも青を取り入れているんですね」

 そう言われて、クラウスも鎧へ目を向ける。どの鎧にも青いラインや模様が入れてある。

「そうだな。一般兵士の鎧にもどこかに青が入っている。そうしないと戦場で混乱が起こるからな」

 なるほど、と言いたげに頷いたアリシアは、再び鎧を眺めている。そんなアリシアを横目に、右腕の前腕、肘、上腕と着けて行き、肩をどうするか迷う。

「・・・・・・いらないか」

 あまり仰々しくしてもな、と思い直し、先ほど外した剣帯を再び腰につけて剣を差した。

「待たせた。行こう」

 アリシアに声を掛けると、椅子から立ち上がってクラウスを眺める。少し顔が赤いようだ。

「どうかしたか?」
「その・・・格好いいと思いまして」

 ん?とクラウスはアリシアを見つめた。続いて自分を見やる。
 今身に着けたのは訓練用のシンプルな鎧だし、必要最低限で選んだので、左右アンバランスな状態だ。服は上を黒のジャケットに着替えたことで全身真っ黒だし、何が格好いいのか、むしろ不格好では?と思ったが、よくよく思い出してみれば、アリシアに鎧姿を見せたのは初めてだった。

「そうか。私服以外はいつもあれだったな」

 言いながらハンガーに吊るしている将軍服の上着へ視線を向ける。
 戦線を担当していた頃は鎧を付けたまま王宮に行くこともあったが、アリシアが王宮に来る前にラングハイムとベルンシュタインのジジィタッグにバトンタッチしていたので、彼女は見たことが無いのだ。

「はい。あの・・・大丈夫なのは分かっていますが、怪我をしないように気を付けてください」

 頬を赤らめたまま心配そうに見てくるアリシアに、クラウスは顔色を変えないまま胸を撃ち抜かれた。

(あークソ・・・・・・可愛い)

 元の姿に戻ったアリシアは肌が白い。魔人カラーの褐色肌より頬の赤みが分かりやすいし、それがまた可愛いのだ。

 クラウスはアリシアの前に立つと、赤らんでいる頬を撫でてから顎に添える。少し上を向かせて触れるだけのキスをした。

「部下との試合は訓練の一環として時々やってる。いつもの事だから気にしなくていい」
「はい・・・」

 照れているアリシアの手を取って、クラウスは機嫌よく部屋を出て行った。


============
 Tシャツとハイネックの表記についてですが、古い表現の仕方を調べたら、ウィキさんにもTシャツとしか書かれていませんでした。しかも起源は米軍兵士が着てた下着。正にその通りなのでそのままTシャツ表記です。
 またハイネックの昔の和名は徳利トックリセーターらしく・・・トックリ・・・(; ・`д・´)というわけでそのままハイネック表記です。
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