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第2章 クラウスと国家動乱
39 脱走兵
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翌日の午前中。クラウスは自軍の陣営にある執務室にいた。執務机の椅子から立つと、もう一つの左前にある執務机へ顔を向ける。
「後は頼んだ。何かあればいつも通りブリフィタで知らせてくれ」
「かしこまりました。いくら脱走兵といえども、くれぐれも油断されないように。思想の違いから抜けた者もいるはずです。そういう兵は強い」
「分かってる」
クラウスは自分の副将であるユリウス=デーべライナーに頷くと、執務室を出ていった。
将軍の執務室は陣営本舎の3階、一番奥にある。そのため毎回移動が面倒臭い。長い廊下を抜け、階段を2階分降りていく。
クラウスは敬礼する部下達に手を上げて応えながら、早足で外へと出た。裏手に回り、厩舎へと足を進める。そこは馬場が広く取られ、その奥の奥に厩舎がある。手前の馬場では訓練中の馬が見えた。
いくつもある厩舎の中のシュヴィート用の厩舎に着くと、既にヴァネサと他2体のシュヴィートが外に繋がれていた。馬装も済み、荷物もその後に乗せられている。今回は量が多いので、更に左右に荷物が下げられていた。
共に行く予定の二人も、外套を羽織って待機している。近付くクラウスに気付いた二人はサッと敬礼をした。
「準備は?」
「完了しております」
斥候兵ダニエル=アーレントの声にクラウスは頷くと、手に持っていた外套を羽織る。
「ルートは昨日説明した通りだ。シュヴィートなら目的地には夕方に着く。先頭はアーレント。先を警戒しながら進め」
「はっ!」
「その後ろをクリューガー、最後尾を私が走る。クリューガー、無理する必要はないが、なるべくスピードを出せ。アーレントは後ろのクリューガーを置いて行かないように、ペースを合わせろ」
クラウスの指示に、二人は揃って「はっ!」と返事をした。
ローラント=クリューガーは事務官ではなく兵士だ。しかし担当は軍略や各所調整であり、戦闘能力が高いわけではない。しかし今回はクリューガーが必要になるとクラウスは踏んでいるので、連れて行くことにした。
「行くぞ」
クラウスは短くそう言うと、彼らは再び返事をして自分が乗るシュヴィートへ近寄る。クラウスもヴァネサに近寄って首を軽く叩いた後、背中に乗った。
* * *
休憩で途中の街や村に寄りながら、夕方よりも少し早い時刻に目的地に着いた。目的地といっても明確な場所ではなく、この近辺に脱走兵の作った村がある、といった情報だけだ、その為アーレントに斥候させて、最初の脱走兵の村を見つけたのだった。
脱走兵の逃走を防ぐため、クラウスは少し離れた場所から村を覆うサイズの物理防御結界を張った。内側の物理を弾く効果にすれば、一度入ったら出られなくなる。そうしてクラウス達3人も結界内に入った。
一方結界に気付いた脱走兵達は、慌てて出てきたかと思えば、将軍服を纏うクラウスを見てその場に立ち尽くした。
立ち尽くしている位置がバラけて少し遠いので、アーレントに集めさせているのだが。
(ここまでくると壮観だな。悲壮顔コンテストを開いたらどいつが優勝するか)
真面目な顔で下らない事を考えつつ、目の前に並ばせた脱走兵達の顔を眺める。これから伝える事を考えていても、つい(あいつもなかなか秀逸だな)と思ってしまう。それ程脱走兵達は一様に絶望的な表情をしていた。小さい声でクリューガーに悲壮顔コンテストを言ってみたら、「真面目に仕事をしてください!」と小声で怒られてしまった。しかし脱走兵達はクラウスと目が合うと、その絶望を深くし、より悲壮感を漂わせる。完全に意識がそちらに持っていかれ、しかも一番をなかなか決められない。
一人うーん、と唸っていると、アーレントがまた一人連れてきた。
「これで、今この村にいる者は最後です」
アーレントが最後の一人を列に並ばせたので、残念ながらクラウス開催の悲壮顔コンテストはすぐに終了した。クラウスは気分を切り替えて口を開く。
「第1軍将軍、クラウス=ハルシュタインだ。魔王ギルベルト様の命令でお前達脱走兵の調査に来た。だが罰する為に来たわけではない。命を取ることはないから、まずは安心しろ」
目の前には13人が横1列で並んでいる。その半数以上の脱走兵が、えっ!?と驚いた顔でクラウスを見た。クラウスは構わず続ける。
「今回は何故脱走したのか、理由の聞き取りをする。名前を伏せたい者は言わなくて良い。所属は聞くがな」
一度言葉を切って、脱走兵の顔を一人ずつ見ていく。信じられないと言わんばかりの顔が多い。
「まあ、これだけではお前達も信じられないだろう。だから、これから話すことは口外禁止だ。・・・いいな」
クラウスは最後の『いいな』で殺気を飛ばす。やはり腐っても元軍人なだけあり、全員殺気に気付くと、緊張した顔で敬礼をした。
「現在魔王ギルベルト様は終戦を考えている。しかしそれには魔神エルトナ様への説得材料が必要だ。エルトナ様も迷われている。そこでお前達の脱走理由を一つの説得材料とする予定だ。しかしお前達が生きていなければ、説得材料としては使えない。だからお前達の命は取らない、というより取れない、が正しいな」
今度は全員が目を真ん丸にしてクラウスを見ていた。
「だから悲観して自殺なんかするなよ。エルトナ様が悲しまれる。そしてもう一度言うが、口外禁止だ。分かったか!」
最後に声を響かせると、今度は全員「はっ!」と声を出して敬礼した。
本来脱走兵には厳罰が下る。敵前逃亡などは、軍の規律を乱すどころか、味方の命を脅かす行為だ。例えば今は亡きサリヴァン将軍が相手であれば、小さな綻びにすぐさま気付かれる。そしてそれは全体に影響を与える打撃へと繋がるのだ。よって、軍法で将軍と副将には私刑が許可されている。
だからこそ、先程から脱走兵全員が悲壮感をこれでもかと漂わせていたのだ。
(ま、最近の脱走兵に関しては、上官があのジジィ共だからな・・・仕方ないと言うか・・・)
500年前から続けている侵攻。初めのうちは予定通りに進んでいたので士気は高かった。しかし200年前からその様相は変わった。精霊神が顕現したからだ。人類が精霊術を扱うようになり、抵抗が激しくなった。それでもジワリジワリと侵攻は進んでいたが、32年前に神聖ルアンキリ国のオーウィン=グレヴィ=サリヴァンが台頭した。そこから苦しい戦いが増え、士気は下がり続けた。2年前にサリヴァン将軍が討たれ、一時お祝いモードになったが、その後も奮わず。戦線も動かず、終わりの見えない戦争へと変貌した。
士気が下がり続ける中、上官が頼りにならない、兵士達の気持ちも分からない、根性論で怒鳴られる。そんな事が続けば、命を賭けている兵士達が嫌になって逃げても仕方がないと言えよう。
そんな彼らの気持ちをクラウスもよく分かっていたし、元から罰する予定も無かった。だからこそ全員揃うのを待っている間、呑気に一人コンテストを開いていたわけだ。
「それとそこの奴ら!そろそろ出てきたらどうだ!」
クラウスは斜め後ろ方面に顔を向けて声を張り上げる。目の前に並ぶ脱走兵やクリューガーは驚いた顔をして、クラウスと同じ方角を見る。アーレントは気付いていたようで、通常運転でそちらへ視線を向けた。
数秒後に低木の木陰が揺れ、5人の男が出てきた。
「なるほど。狩りに出ていたんですね」
クリューガーが男たちを見て納得している。彼らは動物や魚、果物などを手に持っていた。
クラウスはため息をついて、呆れ顔で彼らを眺めた。
「気付かれないと思っていたか?」
「いや、もう気付かれてるとは思ったけどよ。出ていくタイミングを完全に逃した」
「・・・説明はもう一度した方がいいか」
「いや、全部聞こえてたからいらねぇ」
どこまで本当だろうか。脱走兵を横一列に並べている辺りで結界内に入ってきた。そのままこちらに来るのかと思いきや、木陰に隠れてこちらを見ていたのだ。
「そんな事をして、私でなければお前ら今頃死んでたかもしれないぞ」
「・・・分かってるよ」
リーダー格なのだろうか。他の4人は顔を見合わせているが、一人だけしっかりとクラウスの顔を見て受け答えしている。ダークパープルの短髪にギラギラとした黒い瞳で、しかし今はきまりが悪そうにしている。
「あーもう」
男は手を頭に当ててワシワシと髪を掻き交ぜた。
「正直に言うとだな。遠くからシュヴィートが村の方向へ走っていくのが見えたんだよ。慌てて全員で帰ったら、結界が張ってあった。脱走兵の懲罰で軍から誰か来たと思った。こういう場合は基本この場で死刑だろ。でもこいつらは見捨てらんねぇ。だからスキを見て助けに入るつもりだったんだよ」
クラウスは真贋を見極めるように男を見つめる。嘘は言ってなさそうだ。何故か照れているように見えるし、クラウスの後ろで一列に並んでいる脱走兵達から「バルツァーさん・・・!」と感激している声が聞こえた。
「なるほど・・・?」
クラウスは隣に立つクリューガーに視線を向ける。クリューガーはクラウスの視線に気付くと、頷いてから小さく囁いた。
「本当の事を言ってると思います」
クラウスは頷くと、少し離れた場所に立っているアーレントにも顔を向ける。アーレントも頷いて小さく指で丸を作っている。
クラウスはバルツァーと呼ばれた男へ顔を向けた。
「助けに入るつもりが予想外の話を始めて、出るに出れずに困っていたら、私に出て来いと言われて今に至る、と」
バルツァーはグッと顔を顰めて額に手を当てて項垂れた。物凄く決まりが悪いように見える。
「ああ!そうだよ!くそがっ!」
「お前、名前は?」
「・・・マリウス=バルツァー」
「覚えておこう」
クラウスはニヤリと笑うと、クリューガーへ顔を向ける。
「全員揃ったようだ。用意しろ」
「はっ!」
続いて後ろを向いて脱走兵達に声を掛ける。
「これから聞き取りを始める。先程も言ったが、身元は所属だけで構わない。その代わり脱走した理由は正直に書け。戦争反対である必要もない」
クラウスが話している間に、クリューガーが用意を整えて戻ってきた。魔力を注げばインクが出るペンに、紙を挟んだバインダーを持っている。
「ほら!並べ!順に聞いていく!」
クリューガーが声を張り上げて、横一列に並んだ兵の右端へと歩いていく。クラウスは後を振り向いて口を開く。
「お前らもだ。荷物が重ければ、一旦その辺に置いておけ。分からなくなるから家に戻るのは聞き取りが終わった後だ。それからこの村を取りまとめ役はいるか」
「・・・俺だ」
クラウスの言葉に、先程のバルツァーが前に出てきた。予想通りでついニヤリとしてしまう。先程の兵士達の反応から、随分慕われているのが分かった。きっと良い上官なのだろう。
「お前には別に聞きたいことがある。アーレント」
クラウスが呼ぶと、アーレントもクリューガーと同じく魔道具のペンとバインダーを手に小走りで近寄ってきた。
「まだ他にも脱走兵の村があるだろう?お前が把握している分でいいから、アーレントに伝えろ」
「・・・」
バルツァーはクラウスをじっと見つめた後、口を開いた。
「俺一人なら、今この場から離れても問題ないだろ?この近辺の地図を作った。家にある」
「・・・分かった。行こう」
想定していたより素直なバルツァーに、クラウスは意表を突かれた。バルツァーは目をギラつかせ、少し皮肉げな顔をしている。上官の命令でも、気に食わなければ従わないタイプだろうと踏んでいたのだ。
「噂には聞いてたが、本当に変わった将軍だな」
「どんな噂だ」
先導するバルツァーの後を歩きながら、クラウスは問い返す。『変わった将軍』と言われるような噂が流れているなんて、調査部からは入ってきていない。
「柔軟な思考で、表面だけで相手を決めない。優れた意見なら下の奴の言葉も聞くし、なんならいきなり上の役職につかせたりするってな」
「・・・前半は自分では分からないが、後半はその通りだな。使える人材を相応の立場に置いて使うのは当たり前だ。実力主義とはそういうものだろう」
「まあな。空論じゃなくて本当に実践してる将軍がいるとはな。驚いたぜ」
「・・・バルツァー。お前の所属は?」
「・・・・・・第4軍の元五百人隊長だった」
「ああ、ラングハイム将軍か・・・」
(やはりあのジジィ共は・・・)
五百人隊長が脱走するなど、軍をまとめられていない証拠だ。しかも今のバルツァーの言い分では、軍を実力で構成していないといえる。自分に都合の良い者だけを選り好みしているのだろう。
クラウスは呆れてため息をついた。
「後は頼んだ。何かあればいつも通りブリフィタで知らせてくれ」
「かしこまりました。いくら脱走兵といえども、くれぐれも油断されないように。思想の違いから抜けた者もいるはずです。そういう兵は強い」
「分かってる」
クラウスは自分の副将であるユリウス=デーべライナーに頷くと、執務室を出ていった。
将軍の執務室は陣営本舎の3階、一番奥にある。そのため毎回移動が面倒臭い。長い廊下を抜け、階段を2階分降りていく。
クラウスは敬礼する部下達に手を上げて応えながら、早足で外へと出た。裏手に回り、厩舎へと足を進める。そこは馬場が広く取られ、その奥の奥に厩舎がある。手前の馬場では訓練中の馬が見えた。
いくつもある厩舎の中のシュヴィート用の厩舎に着くと、既にヴァネサと他2体のシュヴィートが外に繋がれていた。馬装も済み、荷物もその後に乗せられている。今回は量が多いので、更に左右に荷物が下げられていた。
共に行く予定の二人も、外套を羽織って待機している。近付くクラウスに気付いた二人はサッと敬礼をした。
「準備は?」
「完了しております」
斥候兵ダニエル=アーレントの声にクラウスは頷くと、手に持っていた外套を羽織る。
「ルートは昨日説明した通りだ。シュヴィートなら目的地には夕方に着く。先頭はアーレント。先を警戒しながら進め」
「はっ!」
「その後ろをクリューガー、最後尾を私が走る。クリューガー、無理する必要はないが、なるべくスピードを出せ。アーレントは後ろのクリューガーを置いて行かないように、ペースを合わせろ」
クラウスの指示に、二人は揃って「はっ!」と返事をした。
ローラント=クリューガーは事務官ではなく兵士だ。しかし担当は軍略や各所調整であり、戦闘能力が高いわけではない。しかし今回はクリューガーが必要になるとクラウスは踏んでいるので、連れて行くことにした。
「行くぞ」
クラウスは短くそう言うと、彼らは再び返事をして自分が乗るシュヴィートへ近寄る。クラウスもヴァネサに近寄って首を軽く叩いた後、背中に乗った。
* * *
休憩で途中の街や村に寄りながら、夕方よりも少し早い時刻に目的地に着いた。目的地といっても明確な場所ではなく、この近辺に脱走兵の作った村がある、といった情報だけだ、その為アーレントに斥候させて、最初の脱走兵の村を見つけたのだった。
脱走兵の逃走を防ぐため、クラウスは少し離れた場所から村を覆うサイズの物理防御結界を張った。内側の物理を弾く効果にすれば、一度入ったら出られなくなる。そうしてクラウス達3人も結界内に入った。
一方結界に気付いた脱走兵達は、慌てて出てきたかと思えば、将軍服を纏うクラウスを見てその場に立ち尽くした。
立ち尽くしている位置がバラけて少し遠いので、アーレントに集めさせているのだが。
(ここまでくると壮観だな。悲壮顔コンテストを開いたらどいつが優勝するか)
真面目な顔で下らない事を考えつつ、目の前に並ばせた脱走兵達の顔を眺める。これから伝える事を考えていても、つい(あいつもなかなか秀逸だな)と思ってしまう。それ程脱走兵達は一様に絶望的な表情をしていた。小さい声でクリューガーに悲壮顔コンテストを言ってみたら、「真面目に仕事をしてください!」と小声で怒られてしまった。しかし脱走兵達はクラウスと目が合うと、その絶望を深くし、より悲壮感を漂わせる。完全に意識がそちらに持っていかれ、しかも一番をなかなか決められない。
一人うーん、と唸っていると、アーレントがまた一人連れてきた。
「これで、今この村にいる者は最後です」
アーレントが最後の一人を列に並ばせたので、残念ながらクラウス開催の悲壮顔コンテストはすぐに終了した。クラウスは気分を切り替えて口を開く。
「第1軍将軍、クラウス=ハルシュタインだ。魔王ギルベルト様の命令でお前達脱走兵の調査に来た。だが罰する為に来たわけではない。命を取ることはないから、まずは安心しろ」
目の前には13人が横1列で並んでいる。その半数以上の脱走兵が、えっ!?と驚いた顔でクラウスを見た。クラウスは構わず続ける。
「今回は何故脱走したのか、理由の聞き取りをする。名前を伏せたい者は言わなくて良い。所属は聞くがな」
一度言葉を切って、脱走兵の顔を一人ずつ見ていく。信じられないと言わんばかりの顔が多い。
「まあ、これだけではお前達も信じられないだろう。だから、これから話すことは口外禁止だ。・・・いいな」
クラウスは最後の『いいな』で殺気を飛ばす。やはり腐っても元軍人なだけあり、全員殺気に気付くと、緊張した顔で敬礼をした。
「現在魔王ギルベルト様は終戦を考えている。しかしそれには魔神エルトナ様への説得材料が必要だ。エルトナ様も迷われている。そこでお前達の脱走理由を一つの説得材料とする予定だ。しかしお前達が生きていなければ、説得材料としては使えない。だからお前達の命は取らない、というより取れない、が正しいな」
今度は全員が目を真ん丸にしてクラウスを見ていた。
「だから悲観して自殺なんかするなよ。エルトナ様が悲しまれる。そしてもう一度言うが、口外禁止だ。分かったか!」
最後に声を響かせると、今度は全員「はっ!」と声を出して敬礼した。
本来脱走兵には厳罰が下る。敵前逃亡などは、軍の規律を乱すどころか、味方の命を脅かす行為だ。例えば今は亡きサリヴァン将軍が相手であれば、小さな綻びにすぐさま気付かれる。そしてそれは全体に影響を与える打撃へと繋がるのだ。よって、軍法で将軍と副将には私刑が許可されている。
だからこそ、先程から脱走兵全員が悲壮感をこれでもかと漂わせていたのだ。
(ま、最近の脱走兵に関しては、上官があのジジィ共だからな・・・仕方ないと言うか・・・)
500年前から続けている侵攻。初めのうちは予定通りに進んでいたので士気は高かった。しかし200年前からその様相は変わった。精霊神が顕現したからだ。人類が精霊術を扱うようになり、抵抗が激しくなった。それでもジワリジワリと侵攻は進んでいたが、32年前に神聖ルアンキリ国のオーウィン=グレヴィ=サリヴァンが台頭した。そこから苦しい戦いが増え、士気は下がり続けた。2年前にサリヴァン将軍が討たれ、一時お祝いモードになったが、その後も奮わず。戦線も動かず、終わりの見えない戦争へと変貌した。
士気が下がり続ける中、上官が頼りにならない、兵士達の気持ちも分からない、根性論で怒鳴られる。そんな事が続けば、命を賭けている兵士達が嫌になって逃げても仕方がないと言えよう。
そんな彼らの気持ちをクラウスもよく分かっていたし、元から罰する予定も無かった。だからこそ全員揃うのを待っている間、呑気に一人コンテストを開いていたわけだ。
「それとそこの奴ら!そろそろ出てきたらどうだ!」
クラウスは斜め後ろ方面に顔を向けて声を張り上げる。目の前に並ぶ脱走兵やクリューガーは驚いた顔をして、クラウスと同じ方角を見る。アーレントは気付いていたようで、通常運転でそちらへ視線を向けた。
数秒後に低木の木陰が揺れ、5人の男が出てきた。
「なるほど。狩りに出ていたんですね」
クリューガーが男たちを見て納得している。彼らは動物や魚、果物などを手に持っていた。
クラウスはため息をついて、呆れ顔で彼らを眺めた。
「気付かれないと思っていたか?」
「いや、もう気付かれてるとは思ったけどよ。出ていくタイミングを完全に逃した」
「・・・説明はもう一度した方がいいか」
「いや、全部聞こえてたからいらねぇ」
どこまで本当だろうか。脱走兵を横一列に並べている辺りで結界内に入ってきた。そのままこちらに来るのかと思いきや、木陰に隠れてこちらを見ていたのだ。
「そんな事をして、私でなければお前ら今頃死んでたかもしれないぞ」
「・・・分かってるよ」
リーダー格なのだろうか。他の4人は顔を見合わせているが、一人だけしっかりとクラウスの顔を見て受け答えしている。ダークパープルの短髪にギラギラとした黒い瞳で、しかし今はきまりが悪そうにしている。
「あーもう」
男は手を頭に当ててワシワシと髪を掻き交ぜた。
「正直に言うとだな。遠くからシュヴィートが村の方向へ走っていくのが見えたんだよ。慌てて全員で帰ったら、結界が張ってあった。脱走兵の懲罰で軍から誰か来たと思った。こういう場合は基本この場で死刑だろ。でもこいつらは見捨てらんねぇ。だからスキを見て助けに入るつもりだったんだよ」
クラウスは真贋を見極めるように男を見つめる。嘘は言ってなさそうだ。何故か照れているように見えるし、クラウスの後ろで一列に並んでいる脱走兵達から「バルツァーさん・・・!」と感激している声が聞こえた。
「なるほど・・・?」
クラウスは隣に立つクリューガーに視線を向ける。クリューガーはクラウスの視線に気付くと、頷いてから小さく囁いた。
「本当の事を言ってると思います」
クラウスは頷くと、少し離れた場所に立っているアーレントにも顔を向ける。アーレントも頷いて小さく指で丸を作っている。
クラウスはバルツァーと呼ばれた男へ顔を向けた。
「助けに入るつもりが予想外の話を始めて、出るに出れずに困っていたら、私に出て来いと言われて今に至る、と」
バルツァーはグッと顔を顰めて額に手を当てて項垂れた。物凄く決まりが悪いように見える。
「ああ!そうだよ!くそがっ!」
「お前、名前は?」
「・・・マリウス=バルツァー」
「覚えておこう」
クラウスはニヤリと笑うと、クリューガーへ顔を向ける。
「全員揃ったようだ。用意しろ」
「はっ!」
続いて後ろを向いて脱走兵達に声を掛ける。
「これから聞き取りを始める。先程も言ったが、身元は所属だけで構わない。その代わり脱走した理由は正直に書け。戦争反対である必要もない」
クラウスが話している間に、クリューガーが用意を整えて戻ってきた。魔力を注げばインクが出るペンに、紙を挟んだバインダーを持っている。
「ほら!並べ!順に聞いていく!」
クリューガーが声を張り上げて、横一列に並んだ兵の右端へと歩いていく。クラウスは後を振り向いて口を開く。
「お前らもだ。荷物が重ければ、一旦その辺に置いておけ。分からなくなるから家に戻るのは聞き取りが終わった後だ。それからこの村を取りまとめ役はいるか」
「・・・俺だ」
クラウスの言葉に、先程のバルツァーが前に出てきた。予想通りでついニヤリとしてしまう。先程の兵士達の反応から、随分慕われているのが分かった。きっと良い上官なのだろう。
「お前には別に聞きたいことがある。アーレント」
クラウスが呼ぶと、アーレントもクリューガーと同じく魔道具のペンとバインダーを手に小走りで近寄ってきた。
「まだ他にも脱走兵の村があるだろう?お前が把握している分でいいから、アーレントに伝えろ」
「・・・」
バルツァーはクラウスをじっと見つめた後、口を開いた。
「俺一人なら、今この場から離れても問題ないだろ?この近辺の地図を作った。家にある」
「・・・分かった。行こう」
想定していたより素直なバルツァーに、クラウスは意表を突かれた。バルツァーは目をギラつかせ、少し皮肉げな顔をしている。上官の命令でも、気に食わなければ従わないタイプだろうと踏んでいたのだ。
「噂には聞いてたが、本当に変わった将軍だな」
「どんな噂だ」
先導するバルツァーの後を歩きながら、クラウスは問い返す。『変わった将軍』と言われるような噂が流れているなんて、調査部からは入ってきていない。
「柔軟な思考で、表面だけで相手を決めない。優れた意見なら下の奴の言葉も聞くし、なんならいきなり上の役職につかせたりするってな」
「・・・前半は自分では分からないが、後半はその通りだな。使える人材を相応の立場に置いて使うのは当たり前だ。実力主義とはそういうものだろう」
「まあな。空論じゃなくて本当に実践してる将軍がいるとはな。驚いたぜ」
「・・・バルツァー。お前の所属は?」
「・・・・・・第4軍の元五百人隊長だった」
「ああ、ラングハイム将軍か・・・」
(やはりあのジジィ共は・・・)
五百人隊長が脱走するなど、軍をまとめられていない証拠だ。しかも今のバルツァーの言い分では、軍を実力で構成していないといえる。自分に都合の良い者だけを選り好みしているのだろう。
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修道院で生まれ育ったローゼマリーは、14歳の時火事に巻き込まれる。
その火事の唯一の生き残りとなった彼女は、領主であるヴィルフェルト公爵に拾われ、彼の養子になる。
彼には息子が一人おり、名をラルス・ヴィルフェルトといった。
ラルスは容姿端麗で文武両道の次期公爵として申し分なく、社交界でも評価されていた。
一方、怠惰なシスターが文字を教えなかったため、ローゼマリーは読み書きができなかった。
必死になんとか義理の父や兄に身振り手振りで伝えようとも、なかなか伝わらない。
なぜなら、彼女は火事で声を失ってしまっていたからだ──
そして次第に優しく文字を教えてくれたり、面倒を見てくれるラルスに恋をしてしまって……。
これは、義理の家族の役に立ちたくて頑張りながら、言えない「好き」を内に秘める、そんな物語。
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