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第1章 アリシアの諜報活動

18 手紙

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 アリシアはリーゼと別れた後、お風呂を済ませて部屋に戻ると、コーヒーを淹れ始めた。

(コーヒーで休憩を挟まないと、ドッと気が疲れそう・・・)

 ネルの洗浄と消臭まで終わらせると、アリシアはコーヒーが入ったカップを持ち、部屋の奥へ向かう。机の上にカップを置くと、椅子を引いて座った。

(先に面倒な方から片付けよう)

 昨日はあの後デートと称し、ハルシュタイン将軍がいくつか購入した物を受け取った。
 アリシアは机の引き出しを引いて、中から便箋とペン、インクを取り出す。これらも必要経費だと言われ、ハルシュタイン将軍から受け取った物だ。

(えーと、今日の来客は・・・)

 アリシアが担当しなかった来客についても、いつも日誌を確認して把握している。それを仕事の合間にこっそり『データベース』に下書きし、夜に書き上げて報告している。ハルシュタイン将軍への報告書は、言ってしまえばそのついでレベルで、大した手間にはならない。

 アリシアは『データベース』を開いて下書きを見ながら、時系列に書き出していく。分かる範囲で何の用事で登城し、どんな言動をしていたのかも追記する。

(今日登城した中で一番地位が高い方は、ハルシュタイン将軍を除けばアードラー文官長ね)

 書き上げた一覧を確認し、書き漏れがないかをチェックする。

「よし。これで良さそう」

 うんうんと頷いて、アリシアは引き出しから茶色い液体が入った小瓶を取り出す。目の高さまで持ち上げて、瓶の内側に細いガラスの棒があるのを、茶色い液体越しに確認してから机に置いた。
 フタを開けて軽く持ち上げると、フタと一体化しているガラス棒も瓶の茶色い液体の中から出てくる。アリシアはガラス棒を便箋の四隅に近寄せて、茶色い液体を一滴ずつ落とすと、ハルシュタイン将軍から教わった呪文を唱える。発動させると、微量な魔力が含まれた液体が反応し、アリシアが書いた文字も、液体を垂らした後も消えた。

「本当にキレイに消えるのね。筆圧の跡まで消えてる」

 便箋を持ち上げて明りに透かしても、何の形跡もない。新品のようだ。

 (魔術はイメージが大事って言うけど・・・教え方も上手くないとここまで出来ないわ)

 昨日ハルシュタイン将軍からレクチャーを受けた、彼オリジナルの隠蔽術だ。
 魔国ティナドランには魔物同様、魔力を含む植物もある。
 先程使用した液体は、魔力をもつ草、魔草から魔力と草本来の成分を抽出したもの。これを四隅に落とすことで、隠蔽術の媒体となる。
 隠蔽術を解除するには、全く同じ媒体が必要となる。抽出液は作る度に成分の量が微妙に異なる。よって隠蔽と解除には一度に抽出した同一の物でなければ出来ない。術を模倣出来たとしても、抽出液を手に入れなければ絶対に盗み見る事は出来ないと言っていた。

(凄い術。よくこんな事思いつくよね)

 本来であれば媒体を使わず、魔力だけで隠蔽する。魔術の基本的な考え方として、解除されたくない場合、魔力を多く籠めたり、術を何段階かに分けたり、その合間にフェイクを入れたりして難解にして対処する。
 しかしハルシュタイン将軍は敢えて媒体を通す事で、隠蔽性を高めた。シンプルで簡単だが、効果は高い。その発想力にただ感嘆した。

 アリシアは持ち上げていた便箋を机に置くと、今度は唸り始めた。

(何書こう・・・)

 隠蔽術の上には、カモフラージュのために恋文を書くことになっている。

(用事がある時と、届いた手紙への返信はいいんだけど・・・文通のスタートで書く内容・・・難しい・・・)

 報告はいつもしているので慣れたものだ。そちらはサラサラと書き上げたのだが。
 リーゼにはプライベートを書けば?と言われたものの、突然の自分語りは変に思われる。
 ならば小説を参考に・・・と思ったが、改めて考えてみたらあれは恋愛小説だ。『好きだ』『愛してる』なんて嘘は書けない。

 アリシアはコーヒーを飲み、一息ついてから再び考える。

(恋文じゃなくて、友達に送る手紙だと思えば・・・)

 例えば祖国にいる友人に書く手紙であれば、何を書くか。

(近況、共通の話題、新情報、驚いた事、楽しかった事・・・)

 友人なら喜んで読んでくれそうだが、ハルシュタイン将軍が何をどう感じるか全くわからない。

「・・・・・・・・・もういっそのこと素直に書いてしまおう・・・」

 アリシアは独り言を呟くと、ペンにインクを付けた。
 まずは冒頭に挨拶を書く。その後は『何を書けばいいか分からない。リーゼからプライベートを教え合うと良いとアドバイスを貰ったが、ハルシュタイン将軍はどう思うか。友人には近況報告や驚いたこと、楽しかったことを書くが、そんな事を書いてもいいだろうか』という内容を丁寧な言葉遣いで書いた。

「・・・これ、恋文じゃないわね」

 まさに文通です、といった内容だが、カモフラージュの文にそれほど時間はかけられない。ハルシュタイン将軍は報告を今か今かと待っているかもしれないのだから。

(ま、最初の手紙なんてこんなもんよね。要は誰かに読まれても怪しまれなければいいのよ)

 うんうんと頷いて、今度は引き出しから封筒と封蝋をするための封蝋シーリングワックスセットを取り出した。

 便箋を封筒サイズに折り、中に入れる。封蝋シーリングワックスセットから青い蝋燭を選び、魔術で火をつけて溶けた蝋を封筒に落としていく。充分な量が落ちたら、冷めきる前にスタンプを押した。

「・・・・・・」

 綺麗に出来た封蝋を見て、アリシアは半目になってしまう。そこには愛らしくデフォルメされた猫とお花が描かれている。

 とても可愛い封蝋だとは思う。送り先が友人だったら、きっと可愛いと言って喜んでくれるだろう。アリシアも好きな絵柄だ。
 しかしこの封筒の送り先はハルシュタイン将軍だ。

(・・・なんでこんな可愛いものをお選びになったの)

 昨日のデートと称した買い出しで便箋を見ていたアリシアに、ハルシュタイン将軍が「これにしよう」と、この封蝋シーリングワックスセットを渡してきた。
 将軍相手に送るには、少々可愛すぎないだろうか。アリシアは何故それを選んだのか聞いたが、彼はさも当然とばかりに「自慢できるだろう」と言い放った。あまりにも自信満々に言うものだから、昨日は突っ込めなかったのだが・・・。

(・・・誰に?)

 ハルシュタイン将軍の身近に居る人は、これが恋文ではなく情報だと知っているのではないか。自慢する意味が分からない。

(なんというか・・・あの方、相手の反応を見て楽しんでるっぽいのよね。これで周りの方を揶揄ったりするのかしら・・・)

 良く分からない、いや意味が分からない、と眉を寄せて封蝋を眺める。自分が用意した物をネタにされるのは正直恥ずかしいので、やめてもらいたい。
 一瞬送るのをやめようかとも思ったが、これも平和な未来の為だと、自分に言い聞かせた。

 はあ、とため息をついて窓辺へ向かう。窓を開け放って魔力を少しだけ言葉に乗せる。

「ハンナ」

 数秒待つと、灰色の羽毛を持つブリフィタが木陰から現れ、窓枠に留まった。

「ご苦労様。これをハルシュタイン将軍へ」

 同じく魔力を乗せて言葉を放ちつつ、封筒を差し出す。それに応えてハンナは「クゥ」と鳴いた。アリシアが持つ封筒が宙に浮き、そのままハンナの胸元へと吸い込まれていく。そして胸元に可愛らしい封蝋だけが付いた状態になった。

「よろしくね。気を付けて行ってね」
「クゥクゥ」

 最後の言葉には魔力を込めていないが、アリシアの言葉に鳴いてからハンナは飛び立っていった。
 ハンナを見送ると、アリシアは窓を閉めて再び机に着く。

(精神的な疲れがハンナのお陰で少し癒されたわ)

 コーヒーを再び飲むと、いつものお祈りポーズを取って『画面』を開き、報告を始めた。



 報告が終わり他の諜報員の報告を読んでいると、窓が控えめにコツコツと叩かれた。
 アリシアはすぐに窓をそっと開く。同時に羽ばたきの音が聞こえ、窓枠にハンナが留まった。
 ハンナの胸元を確認すると、アリシアが送った青の封蝋ではなく、シルバーの封蝋がくっついている。

「おかえりなさい。返信を持ってきてくれたのね」

 アリシアはハンナの胸元に手を差し出すと、魔力を乗せて「クラウス」と発する。それを聞いたハンナが「クゥ」と鳴くと、胸元からフワリと封蝋が浮き上がる。封蝋の周りにぼんやりと横向き長方形の白いものが浮かんだかと思うと、それが封筒となってアリシアの手に収まった。

「・・・」

 なんだかな、とアリシアは思う。
 ブリフィタから手紙を受け取る際は、魔力を乗せた合言葉が必要だ。それも魔力登録の際に行ったのだが、アリシアが受け取る際の合言葉も、ハルシュタイン将軍の合言葉も、抗議をする間もなく勝手に登録されてしまった。

(なんでハルシュタイン将軍のファーストネームなの・・・) 

 そしてハルシュタイン将軍の合言葉は『アメリア』だ。思い出しただけでガックリしてしまう。
 登録された後ではもう遅いと思ったが、一応抗議はしておいた。しかし『恋人の名を呼びたいと思うのは普通だろう。私も呼ばれたいに決まってる』と、やはり当然だと言わんばかりに反論され、脱力してそれ以上何も言えなかった。

 小さく息を付くと、アリシアはハンナへ視線を向ける。

「ありがとうハンナ。そのままちょっと待っててくれる?」

 アリシアは手に持っていた手紙を机に置くと、キッチンの収納棚から布袋を取り出し、手の平に中身をあける。サラサラと雑穀が手のひらに落ちてくる。
 今日ブリフィタの登録を聞きつけたスティルルームメイドが、ブリフィタのおやつにと分けてくれた物だ。

「お疲れ様。少しだけど、良ければ食べてくれる?」

 窓辺に戻り、ハンナに手を差し出す。ハンナは小さく「ククク」と鳴きながら啄んでいく。最後の一粒まで食べきると、アリシアの顔を見つめて「クゥ!」と大きく鳴き、羽ばたいて行った。

「ふふっ可愛い」

 ハンナを見送って窓を閉めると、机の上に置いた手紙へ視線を向ける。

「さて・・・一体何が書かれているのやら・・・」

 カモフラージュの方はともかく、先程送った報告について連絡事項が書かれているはずだ。
 アリシアは机に着くと、引き出しからペーパーナイフを取り出す。続けて先程アリシアが使った便箋とは別の新しい便箋を一枚取り出す。これはハルシュタイン将軍が送ってくる手紙と同じものだ。
 ペーパーナイフで封を切ると、折りたたまれた手紙を開き、一旦机に置いた。

 隠蔽術を解くとカモフラージュの文章は消えてしまう。もしもの時の為にカモフラージュの文章は取っておかなければならない。

 アリシアは呪文を唱え、新しい便箋へカモフラージュの文章をコピーする。問題なくコピー出来ている事だけをさっと確認した。

(こっちは精神力を持っていかれそうだから、後回しよ)

 意識して内容を読まないようにしつつ、抽出液を取り出すと、隠蔽する時と同じく四隅に落としていく。最後に呪文を唱えて隠蔽術を解除した。早速目を通していく。

(・・・早速今日から動きがあったのね)

 今日登城したアードラー文官長はヴュンシュマンの協力者であり、王宮で何をしたのか、もし分かるようなら探って欲しい、と書かれていた。

(うーん・・・そうね・・・・・・リズに聞いてみようかな)

 今日のアードラー文官長の給仕はザーラ=ロイヒリンが担当していた。しかし毎回担当者に直接聞き回れば、アリシアがアードラー文官長を嗅ぎ回っていると気付かれる。どこからヴュンシュマンの耳に入るかわからない。周りには一切気付かせないのが鉄則だ。

(リズは裏表がないから、話しかけやすいのよね。だからあちこちで使用人達と話して、色んな事を知ってる)

 しかしだからと言って、ストレートに『教えて!』とは言えない。本当の事は言えないし、アリシアの性格を知っているリーゼを誤魔化すのは難しい。リーゼなら事情を話しても大丈夫だと思うが、何処で何があるか分からない。アリシアはハルシュタイン将軍の策のおかげで安全だが、リーゼには安全策が何もない。
 ハルシュタイン将軍は数人のパーラーの中から、アリシアだけに協力依頼をしてきたのだ。情報の真贋だけではなく、何か他にも理由があるのかもしれない。勝手な行動は控えた方が良いだろう。

(うーん・・・ちょっと不安だけど、アレをしようかな。リズは口は固いし、仕事は真面目だし、大丈夫だと思うのよね。リズの躍進にも繋がるし)

 アリシアは別の名目でリーゼと話す時間を取ることに決めた。

 アリシアは頷くと、連絡事項の方の紙を持ってキッチンへと向かう。手に持った紙を細かく破り、バケツに入れる。精霊術で水を出し、紙と共にバケツの中で攪拌して乾燥させる。最後にゴミ箱へ捨てれば終わりだ。

「よし。これで大丈夫」

 インクも滲んで文字の跡形もない。これなら普通にゴミに出しても、誰にも読み取れないだろう。

(さてと・・・・・・)

 今日の・・・いやこれから毎日となる大仕事がまだ終わっていない。アリシアは机の上に置いたままになっている、コピーした恋文をキッチンから眺める。

「読まないわけには・・・いかないよね・・・」

 一体何が書かれているのか。気にもなるが不安で怖い。
 精神統一を図る様にゆっくりと深呼吸して覚悟を決めると、再び机に着いて手紙を手に取った。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・う・・・うーん・・・」

 これはどう受け取ればいいのか、と悩んでしまう。

 冒頭には挨拶と手紙のやり取りに対するお礼が、その後にはアリシアの手紙の返事が書かれていた。

『敢えてプライベートを語らずとも、日々あった事を伝え合う中で、そういった事柄は自然と話題に出るだろうから無理をしなくていい。初めは友人感覚で書いて構わない』

 そこまではいい。まともな内容だし、友人感覚で良いのならとホッとした。

『しかし少しでいいから私の事も意識して欲しい。君を大事に思う気持ちが思うように伝わらず、いつも残念に思っている。先日は時間が取れず仕事の合間で申し訳ない事をした。近いうちに休日を合わせてどこかへ遊びに行こう』

 この部分はどこまで本気で受け取っていいのだろうか。

(カモフラージュよね・・・。表向きはハルシュタイン将軍が私に想いを寄せていて告白したってことになっているんだし・・・・・・本気・・・じゃないよね・・・?)

 ふとリーゼが言っていた『ハルシュタイン将軍に春が来た』を思い出して不安になる。しかしすぐにアリシアは頭を振った。本当にそうだとしたら、悪戯が成功したかのような、あのニヤニヤした笑みでアリシアを見るはずがない。心から感じる愛とは自然と表に出てしまうものだと、幼いころから両親を見て思った。もし本当にハルシュタイン将軍がアリシアに好意を寄せているのなら、両親が互いを見る様な、愛情が籠った目で見られるはずだ。しかしそんな記憶は一切ない。
 そもそもハルシュタイン将軍とは給仕の時しか会わない。アリシアは仕事中なのだから、必要な事しか話さないし、指名を嫌がっていることもハルシュタイン将軍は知っている。一体何処にアリシアを好きになる要素があるというのか。

(・・・・・・カモフラージュ、ね)

 うんうんと頷いてアリシアは心を落ち着かせる。自惚れはよろしくないし見苦しい。

 ただこの『どこかへ遊びに行こう』は本当にどこかへ行くお誘いの可能性はある。それは魔王暗殺に関わる所用での外出なのか、言葉通り遊びに行くのか。どちらにせよ断らない方がいいだろう。

 問題はこの手紙の返信をいつ出すかだ。
 報告のカモフラージュなのだから、今日は受け取ったままにして、明日返信を書けばいい・・・と思うのだが。それでいいだろうか。

(カモフラージュだから誰にも相談できないし・・・どうしようこれ・・・)

 机に着いたまま、アリシアはうんうんと唸り続けた。

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