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しおりを挟むドレスが切り裂かれた瞬間、胸にピリィッッと痛みが走った。
口を押さえられているため頭が動かせない。目線だけ移動して胸元を見る。
小刀の切っ先が触れたのか、乳房に血でできた赤い線がひかれていた。
その血はじわじわと、殿下の瞳と同じ色をしたブルーのドレスに滲んでいく。
――あれ?
滲んだ血だけじゃなくてドレスについた花飾りまで滲んだようにぼやけて見える?
どう、して……?
……あぁ、そっ……か、
私……泣いてる、の、ね……
走ったことによる息切れなのか興奮していることによるものなのかは分からないけれど、私の身体を押さえつけているふたりのハァ、ハァ、という呼吸はとても耳障りで。
男たちの手が私の胸元のドレスの裂け目に伸びて――
ガサガサガサッッ
ビクッッ、と男たちの手が止まった。
ギギギギ、とブリキのおもちゃが軋みながら動くようにふたりの顔が音のした方へと向けられ、
彼らの表情が歪み目に恐怖の色が浮かび上がる。
「ぎぃやぁぁああああ」
「ぅわ、ぅわ、た、助けッ……」
私を押さえつけていた手が離れ、男たちは足を縺れさせながらわれ先にと逃げて行った。
助かった、の……?
自由になった体を起こし、彼らが見ていた方向を確認する。
少し離れた茂みに、全身を毛で覆われた魔物が一匹。
私よりもひとまわり大きいかな?
ゴリラに大きな牙とツノの生えたような、そんな感じ。
あと爪も長すぎるわね。邪魔じゃないのかしら。
見た目は恐ろしいけれど、この魔物はこちらから攻撃しなければほとんど手をだしてくることはない。
フッと安堵の息を吐く。
初めて彼らを見た時は驚いたけれど、魔の森には修行で何度も来ているから今ならわかる。このくらいの魔物ならかわいいものだ。
正式名称は特にないけれど、私は彼らをゴリゴンと呼んでいる。
ドレスの胸元を押さえて、ゆっくりと立ち上がった。
ズキッと足が痛む。
治癒魔法で回復したら、帰ろ。……と言っても帰る場所は、無い、か。
私が戻ったら、陛下はデセーオ殿下の王位継承権を剥奪して、まだ若干12歳のセリウス第二王子と私との婚約を考えるに違いない。
デセーオ殿下の異母弟であり、先代の聖女でもあった今は亡き前王妃様の子であるセリウス殿下を次期国王へとなさるために。
陛下は愛されてましたものね、前王妃様のこと。
聖女としてのお役目が身体への負担となり、なかなかお子を授かれずにやむなく側室を迎えられた陛下。
ああ、デセーオ殿下は王位継承権を剥奪するための、充分な理由を自ら作ってしまった。
……もしかして陛下、何かしら問題を起こすと分かっていて殿下に夜会を開催させたのかしら。
陛下は私が国を見捨てて出て行くことは無いと信頼してくださっていると思うと心苦しいけれど……。
私がいなくなったら、その事に対して陛下は殿下を責めるだろうけれど、それでも聖女のテータ様がいらっしゃる。
聖女として必要な魔力がギリギリだとしても、聖女は聖女。
国に聖女がひとりとなっては、まわりもテータ様に王族との結婚を認めざるを得ない。
陛下のことだから、きっとデセーオ殿下とテータ様の関係もご存知ですよね。
テータ様をセリウス殿下の妃にとは考えないでしょう。
聖女ではなくても人間性に優れた方をセリウス殿下のお相手にとお考えなさるはず。
それなら国に混乱を起こさせないように、デセーオ殿下とテータ様をお飾りの王と王妃に据えて、政治をセリウス殿下にお任せするのはいかかでしょうか。
セリウス殿下は12歳とは思えないほど聡明でいらっしゃるから、臣下としてでもそのお力を発揮なさるでしょう。
お飾りとはいえ、デセーオ殿下が王でいられた方がみんなまるく収まります。
遠いと魔力をたくさん使うから身体への負担は大きくなりますが……隣国からクルーティス王国の結界を護るために祈るので、国を出ることをどうかお許しください陛下。
行こう! ノワール王国へ!!
……ん?
ギクリと身体が震えた。
危険危険危険危険危険危険!!!
頭の中で、警鐘が鳴り響く。
先ほどの魔物ゴリゴンが、こちらを見ている。
それだけなら、まだいい。
その目が、赤、緑、赤、緑、と変化し激しく点滅していた。
――これ……発情期!?
ゴリゴンの発情期についてなのか分からないけれど、この国の歴史を学ぶ中でチラリと聞いたことがある。
いつの頃のことかは、もう誰もわからない、本当の話かどうかもわからない、そのくらい昔の話。まだ国に結界を張る前の黒歴史として。
赤と緑に点滅する目を光らせた魔物が、生殖相手を求めて群れを成して行動し、そして相手を見つけると、確実に子を成そうと一匹に対して複数の魔物が代わるがわる交尾を行ったって話を、聞いた。
その魔物は普段おとなしいけれど、発情期は凶暴性が増し、自分たちの遺伝子を残すためなのか、繁殖相手の種族を選ばなかったって。
そう、相手が人間だって、構わない、と――
シュゴー、ショゴー、とゴリゴン特有の呼吸音が暗闇から聞こえてくる。
違う、闇じゃない。
私から数メートルの距離をあけて、赤、緑と交互に点滅した不気味に光る無数の目に、ぐるりと囲まれていた。
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