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お見合いの話
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「あの、相澤さん、私、離れた方がいいですよね?」
「いや、離れると、かえってこの状態を花さんに晒してしまうので、ちょっと……」
私の肩に顔を伏せたまま、彼は言葉を続けた。
「ごめん……すぐ収まると思うから、できればもう少し、このままで」
そ、そっか、こういう時は動かない方がいいのかな。
でも、沈黙になるのは、ちょっと気まずい。
何か、何か話を……共通の話題、えっと……
「あっ、そういえばハナコは、相澤さんが引き取るんですか?」
相澤さんの頭がぴくっと動いた。
ゆっくりと顔を上げて、遠慮がちに口を開く。
まだうっすらと赤い顔が、妙に色っぽい。
「あの、本当に図々しいお願いで恐縮ですが、もし良かったら、花さんの家でハナコを飼っていただけませんか」
至近距離で懇願するように見つめられるから、なんだかドキッとしてしまう。
「僕のマンションで飼うこともできるのですが、出張もあったり仕事で家を空ける時間が多いので……」
そこまで言って、彼は言葉を止めた。
「あぁ、ごめんなさい。突然こんな話、ご迷惑ですよね」
ハナコは大好きだし、私が世話をする分には継母と麗羅も飼うのを反対しないだろう。文句は言うかもしれないが。
麗羅が中学生の時、猫を欲しがって飼ったこともある。自分で世話をすると言っていたのに、すぐに飽きて人にあげてしまったようだけれど。私は学校の短期ホームステイ中で、その猫を見ることすらできなかったのが残念だった。
あぁ、そういえば、その事で父から怒られたって麗羅が言ってたなぁ。父が怒ることなんて滅多に無かったのに。猫を引き取ってくれた人が、本当にかわいがってくれていると父から聞いたときは、自分のことのように嬉しかったのを覚えている。
ハナコとは一緒にいたい。でもお見合いが決まっている今は、引き取っても飼い続けられるか分からない……。
「私、結婚して家を出るんです」
「け……」
彼はその端正な顔立ちに似合わない声を上げた。その口はポカンと薄く開いている。
こんな表情もするんだ……彼には意外なことが多くて、もっともっと、色々な面を見てみたくなる。
彼の新しい一面を発見するたびに、悦びを感じてしまうのは何故だろう。
「ええっと、お付き合いされている方が……そう、ですね、いますよね」
彼は軽く咳払いをした。
「どんな方なんですか?」
聞かれても、言葉が出てこない。……どんな方、なんだろう?
沈黙する私に気づいた彼は、自分の言葉を否定するように、慌てた様子で手を振った。
「あぁ、申し訳ありません。不躾な質問をしてしまいました。大丈夫です、お答えにならなくて大丈夫ですよ」
「あ、いえ……、違うんです……何ていうか、私も、分からなくて」
彼が怪訝そうに眉を寄せる。
「わからない、とは?」
「今度、お会いするのが2回目なんです、その方と。お見合いのようなものですかね」
お見合いでも、幸せな結婚をする人はたくさんいる。それは分かっている。
相手の人が、継母の紹介でなければ、こんなに不安にならなかったのかもしれない。せめて父の知り合いの人なら、少しは結婚に希望が持てたのだろうか。
「その方が、猫をお好きか分からないので……。ハナコと一緒にいられるお約束ができなくて」
彼の瞳に影が差したような気がした。ハナコのこれからを心配しているのだろうか。
「……ごめんなさい」
お爺様の大切なハナコを引き取ることができなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「謝らなくて、大丈夫ですよ。そう、ですか、お見合いを」
「私にはもったいないお話で、結婚することもほぼ決まっておりまして」
そう、決まっている。父が大切にしてきた病院を守るためにも。
父のために、父を助けて働いてきてくれた病院のみんなのために、父が守りたかった患者さんのために、自分にできることは、もうこのくらいだ。
「今日、話が聞けて良かった。ご結婚おめでとうございます。……どうか、お幸せに」
彼にそう言われた途端、不意に涙がこぼれそうになった。
――幸せに? 結婚したら幸せになれるの? 分からない、でも、私にはどうすることもできない。
優しく守ってくれた人はもういない。母も、父も、相澤のお爺様も。
――そうか、私は一人ぼっちなんだ。
「ありがとうございます」
泣いているところを他人に見せたくなくて、頭を下げた。
相澤のお爺様もいなくなってしまった。これからは、もう、自分のことは自分で守っていかなければ。
すぅっと小さく息を吸い、キュッと唇に力を入れて、顔を上げる……。
彼の大きな手が私の頭に優しく触れて、子どもを慰めるようにゆっくりと撫でた。
もう片方の腕は、腰にまわされたままだったから、私の身体は彼の腕の中に包まれる。
「もし差し支えなければ、お見合いされるご事情をお聞かせ願えませんか。人に話すだけでも、楽になることもありますよ」
両親が生きていたら……相澤のお爺様が生きていたら……、こんな風に優しく私の話を聞いてくれたのかな。
目が合うと泣いてしまいそうな気がしたから、地面に向かって呟くように話した。
亡くなった父が院長だった病院の経営が今は厳しいこと。
結婚すればお見合い相手が援助してくれること。
みんなのためにも病院を守りたいこと。
彼は、私の話を遮ることなく、時々相槌を打ちながら耳を傾けてくれていた。
『うん……』という彼の相槌は少し低く穏やかで、甘やかに私の心に響く。
風が強く吹いて、脚立がギシギシと揺れた。
「ひゃ」
思わず相澤さんの上着にしがみつくと、私を包む彼の腕にぐっと力が入る。
「大丈夫、絶対、守るから」
低く落ち着いた彼の声が耳に届いた。
「いや、離れると、かえってこの状態を花さんに晒してしまうので、ちょっと……」
私の肩に顔を伏せたまま、彼は言葉を続けた。
「ごめん……すぐ収まると思うから、できればもう少し、このままで」
そ、そっか、こういう時は動かない方がいいのかな。
でも、沈黙になるのは、ちょっと気まずい。
何か、何か話を……共通の話題、えっと……
「あっ、そういえばハナコは、相澤さんが引き取るんですか?」
相澤さんの頭がぴくっと動いた。
ゆっくりと顔を上げて、遠慮がちに口を開く。
まだうっすらと赤い顔が、妙に色っぽい。
「あの、本当に図々しいお願いで恐縮ですが、もし良かったら、花さんの家でハナコを飼っていただけませんか」
至近距離で懇願するように見つめられるから、なんだかドキッとしてしまう。
「僕のマンションで飼うこともできるのですが、出張もあったり仕事で家を空ける時間が多いので……」
そこまで言って、彼は言葉を止めた。
「あぁ、ごめんなさい。突然こんな話、ご迷惑ですよね」
ハナコは大好きだし、私が世話をする分には継母と麗羅も飼うのを反対しないだろう。文句は言うかもしれないが。
麗羅が中学生の時、猫を欲しがって飼ったこともある。自分で世話をすると言っていたのに、すぐに飽きて人にあげてしまったようだけれど。私は学校の短期ホームステイ中で、その猫を見ることすらできなかったのが残念だった。
あぁ、そういえば、その事で父から怒られたって麗羅が言ってたなぁ。父が怒ることなんて滅多に無かったのに。猫を引き取ってくれた人が、本当にかわいがってくれていると父から聞いたときは、自分のことのように嬉しかったのを覚えている。
ハナコとは一緒にいたい。でもお見合いが決まっている今は、引き取っても飼い続けられるか分からない……。
「私、結婚して家を出るんです」
「け……」
彼はその端正な顔立ちに似合わない声を上げた。その口はポカンと薄く開いている。
こんな表情もするんだ……彼には意外なことが多くて、もっともっと、色々な面を見てみたくなる。
彼の新しい一面を発見するたびに、悦びを感じてしまうのは何故だろう。
「ええっと、お付き合いされている方が……そう、ですね、いますよね」
彼は軽く咳払いをした。
「どんな方なんですか?」
聞かれても、言葉が出てこない。……どんな方、なんだろう?
沈黙する私に気づいた彼は、自分の言葉を否定するように、慌てた様子で手を振った。
「あぁ、申し訳ありません。不躾な質問をしてしまいました。大丈夫です、お答えにならなくて大丈夫ですよ」
「あ、いえ……、違うんです……何ていうか、私も、分からなくて」
彼が怪訝そうに眉を寄せる。
「わからない、とは?」
「今度、お会いするのが2回目なんです、その方と。お見合いのようなものですかね」
お見合いでも、幸せな結婚をする人はたくさんいる。それは分かっている。
相手の人が、継母の紹介でなければ、こんなに不安にならなかったのかもしれない。せめて父の知り合いの人なら、少しは結婚に希望が持てたのだろうか。
「その方が、猫をお好きか分からないので……。ハナコと一緒にいられるお約束ができなくて」
彼の瞳に影が差したような気がした。ハナコのこれからを心配しているのだろうか。
「……ごめんなさい」
お爺様の大切なハナコを引き取ることができなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「謝らなくて、大丈夫ですよ。そう、ですか、お見合いを」
「私にはもったいないお話で、結婚することもほぼ決まっておりまして」
そう、決まっている。父が大切にしてきた病院を守るためにも。
父のために、父を助けて働いてきてくれた病院のみんなのために、父が守りたかった患者さんのために、自分にできることは、もうこのくらいだ。
「今日、話が聞けて良かった。ご結婚おめでとうございます。……どうか、お幸せに」
彼にそう言われた途端、不意に涙がこぼれそうになった。
――幸せに? 結婚したら幸せになれるの? 分からない、でも、私にはどうすることもできない。
優しく守ってくれた人はもういない。母も、父も、相澤のお爺様も。
――そうか、私は一人ぼっちなんだ。
「ありがとうございます」
泣いているところを他人に見せたくなくて、頭を下げた。
相澤のお爺様もいなくなってしまった。これからは、もう、自分のことは自分で守っていかなければ。
すぅっと小さく息を吸い、キュッと唇に力を入れて、顔を上げる……。
彼の大きな手が私の頭に優しく触れて、子どもを慰めるようにゆっくりと撫でた。
もう片方の腕は、腰にまわされたままだったから、私の身体は彼の腕の中に包まれる。
「もし差し支えなければ、お見合いされるご事情をお聞かせ願えませんか。人に話すだけでも、楽になることもありますよ」
両親が生きていたら……相澤のお爺様が生きていたら……、こんな風に優しく私の話を聞いてくれたのかな。
目が合うと泣いてしまいそうな気がしたから、地面に向かって呟くように話した。
亡くなった父が院長だった病院の経営が今は厳しいこと。
結婚すればお見合い相手が援助してくれること。
みんなのためにも病院を守りたいこと。
彼は、私の話を遮ることなく、時々相槌を打ちながら耳を傾けてくれていた。
『うん……』という彼の相槌は少し低く穏やかで、甘やかに私の心に響く。
風が強く吹いて、脚立がギシギシと揺れた。
「ひゃ」
思わず相澤さんの上着にしがみつくと、私を包む彼の腕にぐっと力が入る。
「大丈夫、絶対、守るから」
低く落ち着いた彼の声が耳に届いた。
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