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46 デイラにかけられた呪い 後
しおりを挟む「えっ……」
「――最初のころ、あなたが姿を消したのはフェイニア嬢からひどく罵倒されたからだと思ってた」
キアルズは落ち着いたまなざしでデイラを見た。
「だけど時が経つうちに、あの令嬢の暴言は決め手になっただけで、失踪の原因はたぶんもっと根深いところにあったんじゃないかと考えるようになってきたんだ」
視線を逸らすことなく、はっきりとキアルズは言う。
「あなたは、なんとしてもぼくの妻になりたくないんだね」
頬に緊張を走らせたデイラとは対照的に、キアルズはなぜか表情を和らげた。
「でも、決してぼくのことが嫌いなわけじゃない」
デイラは懸命に動揺を抑えようとする。
「ず……ずいぶん、自信がおありなんですね……」
「ここに来るまでは不安でたまらなかったよ。ぼくがいきなり現れて迎えにきたと言っても、『あなたのことなんてとっくに忘れました』って突っぱねられるんじゃないかって。だから、別人になりすまして様子をうかがってたんだ。――今はもう、あなたもぼくのことを想ってくれてると信じてるけど」
「な、なぜそこまで……」
「デイラ、あなたの口から聞かせて欲しい。どうしてぼくと結婚してくれないの?」
濁りのない翠玉色の瞳に真正面から見つめられ、デイラの胸はきゅっと痛んだ。
いっそ「嫌いだから」と言ってしまえばいいのかも知れない。
しかし、何も包み隠さず正直に向き合おうとしてくる相手に、偽りを告げることはできなかった。
「私が……」
デイラは苦しそうに言葉を絞り出す。
「……あなたにふさわしくないからです」
キアルズは「やっぱりそんなことを」と、少し怒ったように呟いた。
「あなたに追いつきたくて頑張ってきたのはぼくのほうなのに。いったい、あなたのどこがふさわしくないって言うの?」
「ど、どこって……」
むしろ、ふさわしいところなどデイラには何ひとつ思い当たらない。
「私は、あなたのお母さまとは全然違いますし」
「どうして母が出てくるんだ」
「領主夫人の鑑のような、完璧な方ですから」
キアルズは複雑そうな顔をした。
「『完璧』は言い過ぎだよ。確かに、どんなことにも熱心に取り組むところは尊敬してるけど、それならあなただって同じでしょう」
「いえ、私は……」
――あなたがキアルズさまのお母さまのようになれるわけないもの!――
あの令嬢から鋭く投げつけられた言葉がよみがえる。
――とうに娘ざかりを過ぎていて、無愛想で無表情で、恐ろしい戦いの場で蛮勇をふるってきた〝鋼鉄の氷柱〟が、若々しさに満ちた領主さまの妻にふさわしいはずないわよね!――
「まさか、嫉妬にまかせたフェイニア嬢の暴言を真に受けたんじゃないだろうね?」
「でも、全く的はずれというわけではありませんでした」
「なにを言ってるんだ……」
「多くの領民から歓迎されるような貴婦人こそが、キアルズさまを幸せにしてくれるはずです」
「幸せ……?」
キアルズは不満そうに眉根を寄せた。
「何が幸せかなんてぼく自身が一番よく分かってる。あなたとアイオンがそばにいてくれることが、ぼくの幸せだ。エルトウィンの人々だって、領主に素晴らしい家族が増えることを心から祝福してくれるよ」
デイラは目を伏せ、首を横に振る。
「私では、キアルズさまを幸せにすることはできません」
「なぜ決めつけるの」
「私の身内にも、愛想がなくて感情表現に乏しい女性が年下の恋人とうまくいかなくなった例がいくつかあったそうです。森の家の持ち主だった大叔母も……」
「大叔母さんが?」
「子供のころ、親戚が話しているのを聞きました。年下の男性と恋に落ちたけど、結局別れてしまったと」
「それは……そういうことだってあるだろうけど、自分に当てはめて考えなくても――」
ふと、キアルズは何かに引っかかったかのように黙ると、記憶を辿っているような顔つきになって訊ねた。
「〝魔女さん〟と呼ばれていた大叔母さんの名前は……レイーサ?」
「そ……そうですが」
そんなことまで話しただろうかとデイラは不思議そうに答える。
するとキアルズは、何か言いたげに少しそわそわとした後、ふうっと深呼吸をした。
「大叔母さんは、親族からも変わり者扱いされてたんだったね」
「え、ええ」
「同じように、あなたも自分は変わり者だから女性として末永く愛されることはないと思い込んでいる。――小さいころから周りにいた人たちにそう刷り込まれて」
「え……」
困惑しながら顔を上げたデイラに、キアルズは静かに話し続ける。
「捜索の手がかりが欲しくて、あの後もあなたの実家を何度か訪ねたんだ。ご両親もお兄さんたちもあなたのことをとても心配していて、本家のお祖父さまと手分けしてあちこち当たってらっしゃるよ。――でも、会いにいくたびに必ず訊かれるんだ。『なぜ、そんなにいつまでもあの子のことを気にかけてくださるのですか』って。まるで、あなたが身内以外の男性からずっと大切に思われることが信じられないかのように」
キアルズの眉間には不愉快そうな影ができた。
「誇り高く堂々とした騎士だったあなたが、恋愛や結婚に関しては驚くほど自信がなくなるのは、きっとあの人たちの考え方が色濃く影響してるんだろうね。間違った決めつけが。――ある種の呪いだ」
思ってもみなかったことを言われ、デイラは呆然とする。
「強力な呪いがかかってるせいで、ぼくがどれだけ誠心誠意想いを伝えてもあなたは信じてくれない。ぼくは簡単に心変わりするような移り気な男なんかじゃないのに」
「キ……キアルズさまが不実な方だと言っているのではなく、私ではあまりに釣り合いが取れず、キアルズさまが不幸に……」
深いため息が、デイラの言葉を遮った。
「ぼくの幸せばかり口にするけど、デイラ、あなたは何が幸せ? あなたが思い描く幸せな情景の端っこにすら、ぼくはいない?」
デイラの脳裏に、明るい木漏れ日が降り注ぐ小さな庭が浮かぶ。
無邪気に笑いながらこちらに手を振るアイオンの傍らには、彼と同じ淡褐色の髪に翠玉色の目の――。
慌てて打ち消すように首を振ったデイラを見て、キアルズはまたひとつため息をつき、ふっと微笑んだ。
「――デイラ。呪いを解くことができるのは、あなた自身だけだ」
まばたきを忘れた氷河色の瞳に、真摯に語り掛けるキアルズが映る。
「どんな破城槌でも撃破できないほど頑丈な城壁に囲まれた堅牢な城に、貴婦人自らが強固な呪いつきの鍵を内側からかけて閉じこもってるんだから、いくら勇猛果敢な騎士でも連れ出すことはできない」
そう言いながらも、キアルズの顔には全く諦めの色は浮かんでいなかった。
「子供のころから長期戦は覚悟の上だ。ぼくは明後日に一旦ここを離れなきゃならないけど、必ずまた戻ってくる。決して退却することなく、あなたが鍵を開けてくれるように何度でも呼び掛け続けるよ」
◇ ◇ ◇
翌日の午前、キアルズはいつものように従業員寮の裏庭に向かっていた。
いつもと違っていたのは、髪の毛の色と、人目を忍ばなくなったこと。
前日のうちに、キアルズは「あなたがいいと言わないかぎり父親だと名乗ることはしないから、今まで通りアイオンと遊ばせて欲しい」とデイラに頼み、マナカール会長からも裏庭に出入りする許しを得ていた。
「――おはよう、アイオン」
髪色が変わったことにどんな反応が返ってくるのかと、キアルズは少し緊張しながら木戸を開けた。
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