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35 四年前の出会い 後
しおりを挟むすぐ近くに仕事場があるので休んでいくようにと半ば強引に連れて行かれる途中、赤茶色の髪の女性はデイラに言った。
「わたしはフィアーナ・オイアーです。お名前をお訊ねしても?」
「あ……、デイラ……リラーグです」
森の家を出てから、デイラは母の旧姓を名乗るようにしている。
「デイラさん、向こう見ずなまねをしてしまった上に助けていただいたわたしが言うのも何ですけど、大事なお身体なんですからもう無茶はなさらないでね」
「は、はい……」
思わず取ってしまった行動とはいえ、危ないことをしたとデイラも反省した。
「――それはさておき」
フィアーナは表情を緩め、青い瞳を輝かせる。
「本当にみごとなお手並みでしたわね! 武術の心得がおありなの?」
デイラはぎくりとした。「何の経験もありません」などと答えたら、かえって胡散臭いかも知れない。
「え……っと、少しだけ護身術を習ったことが……」
「ご謙遜は要らないわ」
フィアーナは笑顔で首を横に振った。
「『少しだけ』では、あんなふうに動けないでしょう。わたしも腕の立つ身内から教わろうとしたことがあったんですけど、ちっとも身に付かなかったのよ。あなたはまるで手練れの騎士のようだったわ」
〝騎士〟という言葉に、デイラは内心慌てる。
「じ、実は途中で諦めたのですが、騎士見習いだったことがありまして」
苦しい嘘だったが、フィアーナは合点がいったような顔をした。
「ああ、なるほど! さすがねえ、やっぱり騎士ってすごいのね」
「み……見習いですよ」
「それにしたって、一般の人とは全然動きが違ったわ。ああ、こういう人が来てくれたらなあ……」
不思議な独り言を漏らしたフィアーナは、ふとどこか探るような眼差しをデイラに向ける。
「あのう、立ち入ったことを訊くようですけど、お住まいはこのあたりなのかしら?」
「いえ……。ブロールには仕事を探すために来たので、今はスール通りの宿に泊まっています」
「仕事探し……って、ご主人の?」
「あ……」
親切そうなこの女性からも救護院行きを薦められそうな気がしたが、デイラは正直に答えた。
「夫はいないので、私の仕事を探しています」
気の毒がられることを予想していたのに、なぜかフィアーナは声を弾ませる。
「まあっ、あなた求職中なの!?」
「は、はあ」
「どんなお仕事を探していらっしゃるの?」
やけに熱心なフィアーナに、少し戸惑いながらデイラは答えた。
「出産を挟んで安定して勤め続けられるなら、何でもいいとは思っているのですが……」
「何でも!?」
「ええ。これといった職歴や紹介状もないので」
「た、例えば、さっきのような不届き者から人や物を守るお仕事なんかはどうかしら?」
「望むところですが、子供が生まれて落ち着くまではできないでしょうね」
フィアーナは「それはそうよね」と笑顔で頷く。
「あなた、温泉はお好き?」
「は……はい」
唐突に話が変わったなとデイラは思った。
「この街みたいな都会と、のんびりとした温泉保養地なら、どちらに住みたいかしら?」
「……田舎暮らしになじみがあるので、のどかなほうですかね」
質問の意図がつかめないままデイラが言うと、フィアーナはますます嬉しそうになる。
「じゃあ、温泉保養地にある宿で、お子さんが生まれる前から食事と個室つきの寮に住んで、産後に体調が戻ったらそこの警備の仕事に就く……なんていうのはどうかしら?」
夢のような好待遇だと思ったが、例え話なのか何なのか分からないデイラは慎重に返事した。
「もしそんな仕事があれば、やってみたいですね」
「あるのよ!」
力強く叫んだフィアーナは、〝ダン・エド商会〟という看板が付けられた三角屋根の建物の前で立ち止まる。
「さあっ、こちらへどうぞ」
デイラは一階の端の〝オイアー貿易〟という札が扉にぶら下がっている部屋に案内された。
「〝ダン・エド商会〟は夫とその兄が経営してるんだけど、こっちの貿易代理店の代表はわたしなの。〝ダン・エド商会〟よりも老舗なのよ。さっきの年輩の男性はわたしのお客さまで、商談を終えて外までお見送りしてたときにスリに遭われてしまったのよね」
フィアーナはデイラに腰掛けるよう勧めると、「飲み物を持ってくるわ」と、さっと部屋を出ていく。
書斎のような室内を椅子に座ったままデイラが見回していると、廊下から声がした。
「フィアーナ、いるのー? グラーナがあなたを恋しがってるみた――」
扉が開き、乳児を抱いた白っぽい金髪の女性が姿を現した。
「あら……」
彼女の足許には、まだよちよち歩きといった赤毛の男の子と、同じ色合いの赤毛の三歳くらいの男の子も手を繋いで立っている。
「お客さまがいらしたんですね。失礼しました」
その後ろから、飲み物を載せた盆を持ったフィアーナがやってきた。
「ミリーア義姉さま、やっと適任者が現れたのよ」
「適任者?」
「さっきね、わたし、お客さまの財布を掏った男を追っかけてったの」
ミリーアと呼ばれた女性は呆れ顔になる。
「またあなた、勢いに任せて無謀なことを……」
「そう、無謀だったわ。路地の突き当たりまで追い詰めたら、その男が刃物を出してわたしを脅してきたの」
「えっ……」
赤ちゃんを抱いた女性は顔をこわばらせ、話の内容が理解できたらしい三歳くらいの男の子も不安そうに眉を曇らせた。
「そこを偶然通りかかって助けてくれたのが、こちらのデイラ・リラーグさんよ」
「まあっ……」
「あの俊敏な動き、義姉さまにも見せたかったわ」
「フィアーナの命を救ってくださったのですね。なんとお礼を言っていいか」
深く感謝を向けられ、デイラは恐縮する。
「いえ、男は逃げるために刃物をちらつかせただけなので、斬りかかったところを止めたわけではないんです」
金髪の女性は目を丸くした後、感心したように呟いた。
「手柄を大げさに語りたがる人は多いのに、なんて謙虚な方なの……」
義姉の言葉に、フィアーナは満足げに頷く。
「お話ししてみたら、武術の心得がある上に求職中とのことで。わたし、もうこの人しかいないって」
金髪の女性もぴんときたようだった。
「フォルザの警備係ね?」
女性は「良かったわー」と嬉しそうにデイラのほうに歩み寄る。
「しょっちゅう女性のお客さまから要望が出てるのに、何年も適任者が見つからなくてうちの人たちも困ってたんです。あっ、申し遅れましたが、わたくしはミリーア・マナカールと申します。〝ダン・エド商会〟のダンのほうの妻で、フィアーナとは義理の姉妹に――」
デイラの腹部が視界に入ると、ミリーアはハッと息を呑んだ。
「まあっ……あなた……」
「――素敵でしょう?」
机の上に飲み物を置いたフィアーナは、ミリーアの腕から赤ちゃんを受け取ってしっかりと抱きしめる。
「来年の旅荘フレイには、頼りがいのある女性警備係と、この子たちのお友達がいるのよ?」
「おともだち?」
三歳くらいの男の子が目を輝かせて訊ねると、フィアーナはにっこり微笑んだ。
「そうよ、オーリー。フォルザに行ったらみんなで遊べるわよ」
「やったあ……!」
飛び跳ねている子供を見下ろし、ミリーアも笑みを浮かべる。
「楽しみね」
「決まりね」
こうして、〝ダン・エド商会〟が所有する温泉宿の女性警備係は、経営者の妻たちによって採用が決定したのだった。
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